異能棋戦血風録
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一、くだんの娘。
その一角のちょっとした体育館ほどの広さを占めている畳敷きの対局場には、ただぽつんと二つの将棋盤が置かれていて、それぞれ二名ずつの珍妙な格好をした者たちが相対して座っており、更にはその周囲にはまさにこの文章──いわゆる将棋の対局における『観戦記』を書いている僕自身を始めとした、大勢の人々が座っている観客席が設けられていた。
──我が国最大の賭け将棋大会、通称『オフ
まさに今この時、その決勝リーグとして、準決勝戦と決勝戦とが行われようとしていた。
すでにこれまでインターネット上において国の内外を問わぬ凄腕の勝負師たち同士による『予選』が行われていて、その数多の激戦を制して勝ち残った真の強者四名のみが、こうして今度はリアルに顔を合わせて最終的にチャンピオンを決めるという段取りとなっているので、この決勝リーグはいつしか『オフ会』と呼ばれるようになり、今やそれが定着してしまったといった次第であった。
高額の賭け金を支払うことでこの場にいることを許されている多数の
その中でも僕が注目しているのは漆黒のゴスロリ
「……
黒衣の少女──つまりは、
「明石月先生、感激なさるのは結構ですが、手が止まっておられますよ?」
「あ、これは失礼!」
僕はすぐ隣に座っているパステルグリーンのタイトスカートスーツに身を包んだ
そもそもなぜに小学生の女の子が、裏カジノの賭け将棋大会なんかに出場して巫女装束の女子高校生と対局をしていて、しかもそれを保護者の叔母さんと一緒に担任教師が雁首揃えて観戦し、あまつさえこうして観戦記なぞをしたためているかと言うと、
すべては重度な引きこもり児童であった愛明を、完全に立ち直らせるためであった。
そう。実は愛明は新任教師である僕が受け持つ前の小学四年生時の二学期半ばから不登校状態となり完全に家の中の引きこもってしまい、それ以降一歩も外へ出ようとはしなくなっていたのだ。
その『原因』は御多分にもれずいじめの被害を受けたからであったが、ただしその『理由』のほうは少々変わっていた。
何でも愛明は去年のクラスメイトたちに誰彼構わず事もあろうに『不幸の予言』を行い、しかもそれが極めて高確率で的中したものだから気味悪がれて、何と当時の担任教師すらも含め露骨に腫れ物に触るかのような扱いを受け、クラスの中で完全に孤立してしまい、結局のところは不登校状態となってしまったのだと言う。
しかも何とその前年度の担任教師(ちなみに
そのようなとんでもないクラス事情を新任早々いきなり聞かされた僕は、取るものも取りあえず慌てて都内の高級住宅街に結構広々とした邸宅を構えている夢見鳥家を訪れ、保護者の乃明さんに向かって平身低頭して平謝りに謝ったのであった。
「誠に申し訳ございません! 愛明君に対する数々の謂れ無き仕打ちに対しては、学校を代表して心からお詫び申し上げます。──しかも『人の不幸ばかりを予言する不吉な魔女』などと言いがかりもはなはだしいことを言って、当時の担任すらも含めて愛明君のことをのけ者にするなんて、もはや言語道断であり、同じ教師として恥ずかしい限りです!」
そう言って深々と頭を下げた僕であったが、しかしその時聞こえてきた保護者様のお声は、案に相違してむしろどこか申し訳なさそうな苦笑混じりのものであった。
「……『不幸ばかりを予言する不吉な魔女』ですか? ある意味言い得て妙ですわね」
「はあ?」
思わぬ言葉に咄嗟に
「実はですね、愛明と私は正真正銘、『
はあああああああああああ⁉
◇ ◆ ◇
その時
不思議なことに一族において予知能力に目覚めるのは決まって女性に限られていて、彼女たちは『
実は乃明さんもそんな不運な女性の一人で、一族における宗教的指導者で実質的な当主に当たる先代の『
……まあ、彼女自身はあまり物事にとらわれないサバサバとした性格だから、自分自身の悲惨な境遇を悲観することなぞなく、むしろ古き因習にまみれた旧家から自由の身となることで、気楽な一般人としての生活を大いに
これだけでも夢見鳥家がとんでもない異形の一族であることがわかろうというものだが、乃明さんの姪──つまりはまさしく先代の巫女姫の実の娘として生を受けた
それというのも夢見鳥家には『無能』よりも更に稀な例として、予知能力を有しているもののなぜか自分や他人の『不幸な未来』しか予知できないという、あたかも伝説上の人面牛体の忌まわしき化物『くだん』の落とし子であるかのような女性が生を受けることがあって、一族においては『
とはいえ、当時すでに高齢であった分家の御当主殿はそれから数年後にあえなく亡くなってしまい、現在においては同じ分家の養女ながらもこちらはすっかり成人しプロの小説家となり独立していた、愛明にとっては実の叔母に当たる乃明さんが、自分の籍に入れて養女にして面倒を見てくれているといった次第であった。
──しかしたとえ異能の一族から縁を切られて世俗において一般人として育てられようとも、しょせん予知能力なぞを持っている限りは異形の存在でしかなかったのだ。
案の定小学校に上がって、同じ年ごろの子供たちばかりの環境の中にあっても、愛明は巫女姫である母親譲りの一族においても極めて強大な予知能力者としての片鱗を隠すことなぞできず、つい予言じみたことを口走ってしまい、その結果『不吉な魔女』として、担任教師を含むクラスの全員から恐れられ遠ざけられることとなってしまった。
そのような自分がこの春から受け持つことになった教え子の、あまりに数奇な生い立ちと不憫過ぎる現在の境遇を聞くにつけ、深い同情を禁じ得なかった僕であったが、同時に根本的な疑問も感じざるを得なかった。
「──いやいや、ちょっと待ってください。話の内容の深刻さのあまり危うく流されそうになったけど、そもそも『幸福な予言の巫女』だか『不幸な予言の巫女』だか知りませんが、未来を予知する力なんてあり得るわけがないでしょうが⁉」
長々と続いた乃明さんの話を聞き終えるや否や、僕はいかにも堪らずといった感じで彼女に向かって問いただした。
しかしそんな僕の至極当然の言い分に対する目の前のSF的ミステリィ作家の眼鏡美人の返答は、更に意表を突くものであった。
「あら、そんなことはありませんよ? 何せいわゆる『集合的無意識』にアクセスすることさえできれば、予知能力はもちろん、どのような異能だって実現することができるのですからね」
「へ? 集合的無意識って……」
それって確か、心理学用語か何かだったと思うけど、なぜかSF小説やライトノベル辺りでよく取り上げられる割には、いまいち要領を得ないんだよな。
「ちなみに集合的無意識と言っても、最近とみに見かけるSF小説やラノベにとって都合のいいように曲解された、いわゆる『アカシックレコード』や『マヤ暦』もどきのいんちきな代物ではなく、ちゃんと量子論を始めとする現代物理学に基づいた、あくまでも現実的な真の集合的無意識のことですよ?」
「量子論に基づいているって、いや確か集合的無意識ってかの有名なユングが提唱した心理学における理論の一つで、すべての人間の精神世界のうち最も深層にある無意識の領域が繋がり合っているという──つまりは、この世のありとあらゆる情報が文字通り集合しているという、いわゆる超自我的領域のことじゃなかったですっけ?」
「確かに心理学的にはそうでしょうが、それじゃ何だかわけがわからないではないですか? 何です、超自我的領域って。そんなもの存在するわけがないでしょうが。……まあ、むしろだからこそ、SF小説やラノベなんぞに盛んに取り上げられているんでしょうけどね。つまり現在小説等の創作物において登場してくる集合的無意識もどきなんて、読者どころか作者自身もよくわかっていないものをよくわかっていないままに、御都合主義的に使い回しているだけなんですよ。しかし集合的無意識は量子論に基づきさえすれば、きちんと現実的に定義付けすることができるのです。──そう。実は集合的無意識とは、いわゆるコペンハーゲン解釈量子論の言うところの、『未来の無限の可能性』そのものなのです」
「集合的無意識が、未来の無限の可能性ですって?」
「ええ。この現実世界の未来に無限の可能性があることなんて、今や小学生でも知っている自明の
「万物にとっての未来の可能性がすべて共通しているって……いやいや、そんなことはないでしょう。例えばAさんにはAさんの未来があって、BさんにはBさんの未来があるといったふうに、百人人間がいたら、その未来も百通りあるはずなのでは?」
「まあ普通に考えれば、その通りでしょうね。だったらもし仮に、そのAさんとやらがBさんになった夢を見ているとしましょう。当然今現在夢の中にいるBさんは、目が覚めるとともにこの現実世界においてAさんになるわけですよね?」
「ええ、まあ……」
Aさんが夢の中でBさんになろうがCさんになろうが、目が覚めたらAさんに戻るのは当然じゃないか。何を当たり前のこと言っているんだ……と思っていた、まさにその時。
続いての彼女の言葉に、僕はまるで脳髄に直接平手打ちを食らったような衝撃を受けた。
「それってつまりは、もしもこの現実世界そのものがAさんの見ている夢だった場合には、正真正銘Bさんだと思われた人物が、実はAさんだったことになるわけですよね? すなわちこの現実世界が何者かが見ている夢であることがけして否定できない限りにおいては、Bさんがほんの一瞬後にも──そう。未来において、Aさんとなってしまう可能性はけして否定できないことになるのです。その結果AさんとBさんの未来はこの一点において重なり合っていることになり、当然の帰結として二人にとっての未来の無限の可能性というものは共通したものになるといった次第なのですよ。もちろんこの現実世界を夢見ている可能性があるのは何もAさんやBさんだけに限らず、すべての人──ひいては、あらゆる森羅万象のどれでもあり得るのだから、未来の可能性というものは万物にとって共通したものになるわけなのです。そしてだからこそ、まさにその未来の無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスすることさえできたなら、文字通り万物の未来の可能性をすべて知ることができるのであって、未来予知を実現できるようになるのも当然なのですよ」
実はこの現実世界そのものが何者かが見ている夢かも知れないという可能性に基づけば、万物にとっての未来はすべて共通していて、それこそが集合的無意識の正体だって⁉
「……いや。集合的無意識にアクセスさえすれば未来予知ができるって言われても、文字通り未来の無限の可能性の具現である集合的無意識に、あくまでも現在に生きている者がどうやってアクセスすることができると言うのです? それにそもそもこの現実世界そのものが実は何者かが見ている夢であるなんてことが、あり得るわけがないじゃないですか⁉」
「おやおや。
「……馬鹿馬鹿しい。そもそもが『この現実世界を夢見ているという蝶』自体が荘子の見た夢の産物に過ぎず、『この現実世界を夢見ているという龍』自体も神話上の──つまりは、我々人間の想像上の産物に過ぎないのではないですか?」
そんな僕の至極もっともな反論に対して、しかし目の前の見目麗しき女性はむしろいかにも我が意を得たりといった感じで、表情を綻ばせた。
「そう、そうなのです!
「は、はあ?」
自分で話題に上げた
「ふふふ。公立小学校教師明石月
──っ。まさか、それって⁉
「そう。御存じ現代物理学の根幹をなす量子論における基本的理論である、『我々人間を始めとするこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、形ある粒子と形なき波という二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となってどのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら不可能なのである』そのまんまでしょう? つまり私たち人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの『重ね合わせ』状態にあるという独特の性質を有しているとされているのですけど、あくまでも
な、何と、この現実世界そのものが夢でもあり得ることはけして否定できないゆえに、現時点の自分を夢の存在と見なすことによって、量子論における『重ね合わせ現象』に則る形で、集合的無意識にアクセスすることは必ずしも不可能ではなくなるだと⁉
「実は我が一族の女たちは別名『
……つまり
そんな豆知識を最後に披露するとともに長々と続いた蘊蓄解説をようやく終えてくれる乃明さんであったが、それに対して僕のほうはと言えば、あまりにも奇妙きてれつな話の連続にすっかり面食らいつつも、どうにも納得し切れていない点もまだ多々残っていた。
「……ええと。あなたの一族の方々が未来予知ができるということについては、いまだ半信半疑ながらも一応のところ理解できなくもないのですが、もしもあなたのおっしゃるように、幸福な予言の巫女である方々が
そのようにいまだ説き明かされていない最大の疑問をぶつけてみたところ、返ってきたのは、更にこちらのことを煙に巻くような言葉であった。
「それはですね、実はまさにその『不幸の予言』こそが、すべての未来予知の行き着く到達点だからですよ」
「は? 未来予知の到達点って。自分や周りの人たちの不幸な未来しか予知できないなんて、むしろ片手落ちで未熟な能力じゃないのですか?」
「あら、そうとは限りませんよ? むしろこの不幸の予言を真に効果的に使わせてこそ、現在の愛明を──すなわち自分自身を含めてすべてに絶望し心を完全に閉じてしまった哀れな引きこもり娘を、立ち直らせることだってできるのですからね」
え。
「愛明君を立ち直らせることができるですって⁉ しかも、あえて不幸の予言を積極的に使ってですか?」
あまりにも予想外の言葉を聞かされて思わず問い直せば、にっこりと微笑む眼鏡美人。
「ええ。実はそのためにも是非とも先生にも、御協力していただきたいのですよ」
「へ? そ、そりゃあ、愛明君のためなら担任教師として、どんなことでもするつもりではいますけど……」
「いえいえ、担任教師であられる『明石月祐』としてのあなたではなく、元『高校生
「──っ」
僕が公立小学校という兼業絶対禁止の職場に黙って密かにネット小説を作成していることはおろか、今となっては文字通り『昔取った杵柄』でしかないとはいえ、かつては高校生竜王としてアマチュア棋界で名を馳せていたことまでつかんでいるなんて。
いったいこの人、何者なんだ⁉
「……失礼ですが、受け持ちの生徒の保護者であられるので一応担任教師として、あなたがプロの小説家であられることは把握しているのですが、よろしければペンネームをお聞かせ願いませんか?」
「いやですわ、まだお気づきになられませんの? あんなに熱烈なファンレターや御自身の著作のネット小説を送ってきてくだされたくせに」
──‼ そ、それって⁉
「まさか、あなたは……」
「これは申し遅れました。私こと夢見鳥乃明は、一応現在世間様から身に余る多大なる御支持をいただいております、SF的ミステリィ作家の『
──って、やはりそうだったのか!
……道理で。やけに量子論とか集合的無意識とかに詳しいと思ったけど、まさか自分が最も敬愛している
「……それで、愛明君を立ち直らせるために僕にやらせたいことって、いったい何ですか?」
「先生にはまず最初に、愛明に将棋に関する基本的なルールと基礎的な戦法──いわゆる各戦型ごとの代表的な『
「ネット将棋って。基礎的なことしか教えないのに、いきなり実戦をやらせるおつもりなんですか?」
「ええ。それも一局ごとにお金が動くいわゆる『賭け将棋』をやっている、
「ちょっと。小学五年生の姪御さんに、賭け将棋をやらせるですって? しかもそんな初心者が、凄腕の勝負師やプロ棋士に太刀打ちできるわけがないでしょうが⁉」
あまりにも無謀な提案を受けて泡を食ってまくし立てたものの、返ってきたのはあくまでも落ち着き払った微笑のみであった。
「いいえ、あの子に限っては、極基本的なルールや定跡をマスターするだけで十分なんですよ。何せ賭け将棋等のお金や下手したら人生や命そのものが懸かった文字通り真剣勝負の場においてこそ、『不幸の予言』の力を最大限に活かすことができるのですからね」
「はあ?」
「そんなことよりも、実は先生には、もう一つお願いしたいことがあるのです」
「──え。この上まだ何かあるんですか⁉」
今度はどんな難題をふっかけられるのかと戦々恐々と問い返す僕を見て、若干苦笑混じりにその女性は言った。
「愛明がネット将棋を十分にやりこなせるようになった暁には、いよいよ実際に相手と対面して行うリアルの賭け将棋を行わせようと思っているのですが、その際には先生にも私と共に保護者として立ち合っていただき、勝負の一部始終をいわゆる『観戦記』としてリアルタイムにしたためて、そのままネット上で公開してもらいたいのです」
「……それってつまりは、僕に愛明君の賭け将棋における闘いぶりを文章化して、ほぼ同時にネットにアップしろってことですか?」
「とはいえ、何も公式の観戦記というわけでもございませんので、別に客観的立場に徹する必要なぞなく、例えば大いに愛明に肩入れした偏向した内容にされようが構いません。言うなれば『小説』のようなものと思ってくださって結構です。それだったら、名うてのネット作家であられる『上無祐記』先生ならお手の物でしょう? とにかくこのようにして、新たなる担任の先生が自分の一挙手一投足に注目なされていることを知れば、愛明にとっても何よりの励みになることと思いますしね」
──うっ。そんなふうに言われたら、とても断れないじゃないか。
「……わかりました。どこまで力になれるかわかりませんが、そんなことで愛明君の再起の一助になると言うのなら、やるだけやってみますよ」
「まあ、さすがは先生。ネット作品を拝見した折に、お見込みした通りでしたわ。こちらこそ何とぞよろしくお願いいたします」
そう言って僕に向かって深々と頭を下げる夢見鳥乃明女史──いや、竜睡カオル先生。
自分が崇拝していた作家がこんな好みのタイプの年若き美女で、しかも受け持ちの生徒の保護者でもあり、その上僕なんかのことを頼りにしてくれているなんて、もちろん悪い気はせず、少々浮ついた気持ちとなり冷静な判断に欠け、つい安請け合いをしてしまった。
だからその時の僕は、まったく気がつかなかったのだ。
まさしく目の前のプロの小説家の描いた
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