第17話「意味、理由、意義、言い訳」
病院の待合室はいつも、あらゆる人間を不安にする。
特に、手術中の真っ赤なランプが見えるこの長椅子なんかがそうだ。
だが、迅矢は気が気じゃない。
「クソッ……奴め! またアイツだ! 奴が……
「霧崎先輩?」
「あ、いや……わかってる、俺は落ち着いている!」
「……とりあえず、座りましょう」
奈美に
だが、じっとしていられない。
全身の体液が沸騰して、真っ赤な蒸気を吹き出しそうな気分である。
ストレガはストラトストライカーズという組織ができてからずっと在籍する、最古参のメンバーだ。あらゆる怪異や異形、異変と戦ってきた。そんな彼女でさえ、ドラゴンを前にボロ
一瞬で。
一撃で。
いつもの
「あの、先輩……今日のあの怪物」
「……悪い、奈美。それは話せない。そして、知っちゃ駄目だ。普通の幸せを
「
「そうだ。それに……なにも知らずに暮らすお前も、俺の戦う理由……飛ぶ意味にさせてほしい。全て俺が、俺達がカタをつける」
そのことを改めて自分に
だが、不意に奈美は
「先輩……そういうこと、いつも女の子に言うんですか?」
「は? いや、それはどういう」
「鈍感! ああでもそうですよね、そうでした……先輩、いつもそう」
「なにが」
「……そうやって簡単にいつも、女の子を
「おいおい待ってくれ、なんの話だ?」
本当にわからなかった。
突然怒り出した奈美が、不思議で、不可思議で。
でも、思い出せば女ってやつはいつもこうだ。
優しくしてやっても、楽しく過ごしてても、突然のわがままや気まぐれで迅矢を困らせる。それすらも楽しむのがいつもの遊びなのだが、奈美が少し怒っているのは本当にわからない。
鼻から
「私を戦う理由、飛ぶ意味にしたいって……そういう殺し文句、遅いんですけど?」
「えっ? あ、いや……でも、そのままの意味だ。詳しくは言えないが、俺は」
「もう遅いです! ……手遅れですから。それに……わたし、先輩が空から戻ってくるの、待つ自信がなかったし。あの人は……拓海は、空より私を選んでくれた」
奈美は笑って、不思議とまなじりを指で
彼女は自分を母親にしてくれる命に手を当て、腹を
「でも、皮肉ですよね。飛ぶために飛ぶ先輩と違って、いつも必ず戻ってくるよって……そう言って口説いた拓海が、今はいないの」
「奈美……」
「ごめんなさい、霧崎先輩。わたしはでも、平気。一人じゃないから」
不思議と奈美の
無敵の笑顔がそこにはあった。
母は強しとは、このことだ。
そう思っていると、バタバタと慌ただしくスーツ姿の男がやってくる。
「やあ、迅矢。すまないね、急いできたものだから」
やってきたのは、ストラトストライカーズの日本支部を束ねるクサハェルだ。
「文字通り飛んできたよ。迅矢、平気かい?」
「ああ、俺はなにもしてねえから……なにもできなかったから、平気だ」
「それはよかった。しかし、病院か。あ、いや! 君の判断は的確だった。普通は病院だ。普通の人間ならばね」
そう言ってクサハェルは、はたと気付いて頭上の輪っかを手にしてしまう。それをスーツの内ポケットに
だが、彼が困惑しているのが迅矢にはわかった。
それが、瀕死のストレガを心配してのことだと思ったのだ。
ストレガの怪我は酷かった。ドラゴンのブレスを浴び、ほぼ直撃で受け止めたのだ。
彼女はふらふらと
救急車が来るまでずっと、迅矢は抱き締めてやるしかできなかった。
「クサハェル、全身に重度の火傷だ。酷いもんだぜ、女の子がよ……クソッ! 許せねえ!」
「ああ、そのことだけどね、迅矢」
「魔女子ちゃんの……ストレガの仇も俺が取る。次は絶対に、あのトカゲ野郎を撃墜する!」
「それなんだけど――」
その時だった。
手術室の扉が開いて、
全身手術着でマスクを点けた、中年女性の看護師が叫ぶ。
「あのっ、すみません! 容態が急変して……御家族や親族、患者さんの事情がわかる方はいますか!? どなたか、話してください!」
緊迫が走った。
思わず迅矢は、看護師に詰め寄る。
その小さな身体を見下ろし、両肩に手を置いて迫ってしまった。
自然と手に力が入って、女性看護師の表情を
しかし、それすらも今の迅矢には気遣えなかった。
普段なら絶対、女性を困らせるようなことはしない。老いも若くも、女性は迅矢にとって尊敬すべき相手だ。楽しく過ごしたいし、愛し合いたい。愛の有無はさておき、この世の愛を確かめたい存在……彼にとって女は、全員がお姫様で女王様だった。
「どうしたんだ、なにがあった! 魔女子ちゃんは助かるのか? おい、どうなんだ!」
「そ、それなんですが……とにかく、中へ」
「わかった! 輸血が必要なら言ってくれ。俺はA型だが、血液型がマッチするなら何リットルだって取っていい。頼む……魔女子ちゃんを、ストレガを救ってくれ!」
「もう、必要ないかもしれなくて、その」
眼の前が真っ暗になった。
治療の
迅矢はまた相棒を失った。
ストレガを、知らぬ間に大事な仲間だと思っていた。大切だと感じていたのだ。
それがまた、奪われた。
味気ない無表情で、とっつきにくくて面倒くさくて、破滅的な
気付けば迅矢は、ストレガのことを多く知って、知り過ぎていた。
変人で見た目ばかり
「……まだ、話せるか? もう言葉が通じないくらい……いや、会わせてくれ」
「あ、いえ……話せると思います、けど」
少し
無菌状態に保たれた室内は、消毒液の匂いが充満していた。そして、オペを担当した意思や他の看護師も黙って振り返る。
マスクをしてても、不安に揺れる瞳が全てを物語っていた。
同様も顕な医師達は皆、善処も虚しく諦めざるをえないのかもしれない。
ベストを尽くした彼等に感謝こそすれ、恨む気持ちは全くない。
ただ、また一人……迅矢の戦友が散った。
そう思った瞬間、脳天気な声がぼんやり響いた。
「ウォーロック、お腹がすきました」
「ああ、そうだろ、そうだ……
「マックスナルドのポテトが好きです。コーラと一緒で、アニメ鑑賞には欠かせぬものですね。あとは、プリーストの作ってくれるうどんが最近はお気に入りです」
「そうだ、そうだよな……プリースト、
「とりあえず、ウォーロック。私の荷物は……買ったグッズは無事でしょうか。それだけが気がかりです」
迅矢ははたと気付いて目を丸くした。
そこには、手術台から起き上がるストレガの姿があった。
そして、普段と変わらぬ
「ウォーロック、預けた荷物は無事ですか? 貴重な休暇、それも首都圏で取れる休暇、秋葉原に脚を伸ばせた休暇です。買い物が無事でなければ、私は」
「あ、いや……無事、つーか、預かってるから、大丈夫だけどよ」
「ならば結構です、ウォーロック。さ、帰りましょう。とにかく、私はお腹が空きました」
ひょいとストレガは、手術台から飛び降りた。
そして、平然とした足取りで迅矢の前までやってくる。
「行きましょう、ウォーロック。私達のホームである、あの島に……
「お、おう……怪我、いいのかよ。ってか、なんか、その」
ストレガは「問題ありません」とだけ言って、驚きのあまり硬直して目を
迅矢の休日は、ストレガが普通の女の子で、それでいて異形の魔女だということを思い知らされる形で終わるのだった。
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