第17話「意味、理由、意義、言い訳」

 病院の待合室はいつも、あらゆる人間を不安にする。

 特に、手術中の真っ赤なランプが見えるこの長椅子なんかがそうだ。

 霧崎迅矢キリサキジンヤは今、八谷奈美ヤタニナミと一緒に手術室の前にいた。廊下に置かれた長椅子では、奈美が今日何度目かの「先輩、落ち着いてください」という言葉を繰り返す。

 だが、迅矢は気が気じゃない。


「クソッ……奴め! またアイツだ! 奴が……拓海タクミに続いて、魔女子まじょこちゃんまで!」

「霧崎先輩?」

「あ、いや……わかってる、俺は落ち着いている!」

「……とりあえず、座りましょう」


 奈美にうながされて、渋々椅子へと座る。

 だが、じっとしていられない。

 全身の体液が沸騰して、真っ赤な蒸気を吹き出しそうな気分である。

 ストレガはストラトストライカーズという組織ができてからずっと在籍する、最古参のメンバーだ。あらゆる怪異や異形、異変と戦ってきた。そんな彼女でさえ、ドラゴンを前にボロ雑巾ぞうきんのようにやられてしまった。

 一瞬で。

 一撃で。

 いつものほうきじゃなかったことを差し引いても、あまりにも恐ろし過ぎる脅威だった。


「あの、先輩……今日のあの怪物」

「……悪い、奈美。それは話せない。そして、知っちゃ駄目だ。普通の幸せをつかんで奪われ、その中で残されたものをお前は持っている。だから」

詮索せんさくするな、ですか? 守秘義務しゅひぎむってやつなんだ」

「そうだ。それに……なにも知らずに暮らすお前も、俺の戦う理由……飛ぶ意味にさせてほしい。全て俺が、俺達がカタをつける」


 復讐ふくしゅうを果たし、かたきを討つ。

 そのことを改めて自分にちかい、それを知らぬ奈美の存在を支えにしたかった。拓海を失った彼女の生活を、守りたい。彼女が新たな命と共に、拓海の残した人生を生きていく……その世界を守り通したい。

 だが、不意に奈美はほおを赤らめた。


「先輩……そういうこと、いつも女の子に言うんですか?」

「は? いや、それはどういう」

「鈍感! ああでもそうですよね、そうでした……先輩、いつもそう」

「なにが」

「……そうやって簡単にいつも、女の子を口説くどいて落として、無責任な撃墜王げきついおう

「おいおい待ってくれ、なんの話だ?」


 本当にわからなかった。

 突然怒り出した奈美が、不思議で、不可思議で。

 でも、思い出せば女ってやつはいつもこうだ。

 優しくしてやっても、楽しく過ごしてても、突然のわがままや気まぐれで迅矢を困らせる。それすらも楽しむのがいつもの遊びなのだが、奈美が少し怒っているのは本当にわからない。

 鼻から溜息ためいきこぼして、奈美はあきれた様子でかたすくめた。


「私を戦う理由、飛ぶ意味にしたいって……そういう殺し文句、遅いんですけど?」

「えっ? あ、いや……でも、そのままの意味だ。詳しくは言えないが、俺は」

「もう遅いです! ……手遅れですから。それに……わたし、先輩が空から戻ってくるの、待つ自信がなかったし。あの人は……拓海は、空より私を選んでくれた」


 奈美は笑って、不思議とまなじりを指でこする。

 彼女は自分を母親にしてくれる命に手を当て、腹をでながら静かに話した。


「でも、皮肉ですよね。飛ぶために飛ぶ先輩と違って、いつも必ず戻ってくるよって……そう言って口説いた拓海が、今はいないの」

「奈美……」

「ごめんなさい、霧崎先輩。わたしはでも、平気。一人じゃないから」


 不思議と奈美の微笑ほほえみが、迅矢にはともて強いものに見えた。

 音速マッハで飛ぶ戦闘機も、そこから放たれるミサイルも機関砲も、絶対にかなわない。

 無敵の笑顔がそこにはあった。

 母は強しとは、このことだ。

 そう思っていると、バタバタと慌ただしくスーツ姿の男がやってくる。


「やあ、迅矢。すまないね、急いできたものだから」


 やってきたのは、ストラトストライカーズの日本支部を束ねるクサハェルだ。


「文字通り飛んできたよ。迅矢、平気かい?」

「ああ、俺はなにもしてねえから……なにもできなかったから、平気だ」

「それはよかった。しかし、病院か。あ、いや! 君の判断は的確だった。普通は病院だ。普通の人間ならばね」


 そう言ってクサハェルは、はたと気付いて頭上の輪っかを手にしてしまう。それをスーツの内ポケットにほうむり、彼は見た目だけはハンサムの好青年になった。

 だが、彼が困惑しているのが迅矢にはわかった。

 それが、瀕死のストレガを心配してのことだと思ったのだ。

 ストレガの怪我は酷かった。ドラゴンのブレスを浴び、ほぼ直撃で受け止めたのだ。

 彼女はふらふらとちて、走る迅矢が見つけた時には虫の息だった。全身火傷やけどで、着衣は燃え消え、全裸の白い肌も美しさを失っていた。地獄の業火で焼かれた亡者もうじゃのようになっていたのだ。

 救急車が来るまでずっと、迅矢は抱き締めてやるしかできなかった。


「クサハェル、全身に重度の火傷だ。酷いもんだぜ、女の子がよ……クソッ! 許せねえ!」

「ああ、そのことだけどね、迅矢」

「魔女子ちゃんの……ストレガの仇も俺が取る。次は絶対に、あのトカゲ野郎を撃墜する!」

「それなんだけど――」


 その時だった。

 手術室の扉が開いて、血相けっそうを変えた看護師が飛び出てきた。

 全身手術着でマスクを点けた、中年女性の看護師が叫ぶ。


「あのっ、すみません! 容態が急変して……御家族や親族、患者さんの事情がわかる方はいますか!? どなたか、話してください!」


 緊迫が走った。

 思わず迅矢は、看護師に詰め寄る。

 その小さな身体を見下ろし、両肩に手を置いて迫ってしまった。

 自然と手に力が入って、女性看護師の表情をゆがめてしまう。

 しかし、それすらも今の迅矢には気遣えなかった。

 普段なら絶対、女性を困らせるようなことはしない。老いも若くも、女性は迅矢にとって尊敬すべき相手だ。楽しく過ごしたいし、愛し合いたい。愛の有無はさておき、この世の愛を確かめたい存在……彼にとって女は、全員がお姫様で女王様だった。


「どうしたんだ、なにがあった! 魔女子ちゃんは助かるのか? おい、どうなんだ!」

「そ、それなんですが……とにかく、中へ」

「わかった! 輸血が必要なら言ってくれ。俺はA型だが、血液型がマッチするなら何リットルだって取っていい。頼む……魔女子ちゃんを、ストレガを救ってくれ!」

「もう、必要ないかもしれなくて、その」


 眼の前が真っ暗になった。

 治療のたぐいが必要ない状態だと言われた気がした。

 迅矢はまた相棒を失った。

 ストレガを、知らぬ間に大事な仲間だと思っていた。大切だと感じていたのだ。

 それがまた、奪われた。

 味気ない無表情で、とっつきにくくて面倒くさくて、破滅的な機械音痴きかいおんち。それなのにアニメや漫画が好きで、いわゆるオタクで。有無を言わさぬ奇妙な押しの強さと、どこか達観して余生を生きる老人のような優しさ。

 気付けば迅矢は、ストレガのことを多く知って、知り過ぎていた。

 変人で見た目ばかりうるわしい、そんな白い魔女を身近に感じていたのだ。


「……まだ、話せるか? もう言葉が通じないくらい……いや、会わせてくれ」

「あ、いえ……話せると思います、けど」


 少し狼狽うろたえた看護師を背に、迅矢は手術室に入った。

 無菌状態に保たれた室内は、消毒液の匂いが充満していた。そして、オペを担当した意思や他の看護師も黙って振り返る。

 マスクをしてても、不安に揺れる瞳が全てを物語っていた。

 同様も顕な医師達は皆、善処も虚しく諦めざるをえないのかもしれない。

 ベストを尽くした彼等に感謝こそすれ、恨む気持ちは全くない。

 ただ、また一人……迅矢の戦友が散った。

 そう思った瞬間、脳天気な声がぼんやり響いた。


「ウォーロック、お腹がすきました」

「ああ、そうだろ、そうだ……仏前ぶつぜんになにをそなえたらいい? お前は、さ……どんな食い物が好きかも、俺は知らない。知らぬまま、俺は!」

「マックスナルドのポテトが好きです。コーラと一緒で、アニメ鑑賞には欠かせぬものですね。あとは、プリーストの作ってくれるうどんが最近はお気に入りです」

「そうだ、そうだよな……プリースト、千小夜チサヨちゃんの料理は美味うまいよな……あれ?」

「とりあえず、ウォーロック。私の荷物は……買ったグッズは無事でしょうか。それだけが気がかりです」


 迅矢ははたと気付いて目を丸くした。

 そこには、手術台から起き上がるストレガの姿があった。

 みにく焼けただれた肌も、今は綺麗ないつもの瑞々みずみずしさが見て取れた。怪我らしい怪我などもう、彼女にはない。黒焦げになって焼け落ちた髪も、普段の空と海をないまぜにしたような蒼色でつやめいていた。

 そして、普段と変わらぬ玲瓏れいろうな声音が迅矢に向けられる。


「ウォーロック、預けた荷物は無事ですか? 貴重な休暇、それも首都圏で取れる休暇、秋葉原に脚を伸ばせた休暇です。買い物が無事でなければ、私は」

「あ、いや……無事、つーか、預かってるから、大丈夫だけどよ」

「ならば結構です、ウォーロック。さ、帰りましょう。とにかく、私はお腹が空きました」


 ひょいとストレガは、手術台から飛び降りた。

 そして、平然とした足取りで迅矢の前までやってくる。


「行きましょう、ウォーロック。私達のホームである、あの島に……小八洲島こやしまとうに」

「お、おう……怪我、いいのかよ。ってか、なんか、その」


 ストレガは「問題ありません」とだけ言って、驚きのあまり硬直して目をまたたかせるだけ医師達を背に行ってしまった。そして、そのあとクサハェルから迅矢は聞く。魔女は死なない……死ねないのだ。だから、病院に連れ込むとむしろ不都合が発生する。

 迅矢の休日は、ストレガが普通の女の子で、それでいて異形の魔女だということを思い知らされる形で終わるのだった。

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