第15話「癒えない傷、埋まらない穴」

 神奈川県も、ちょっと外れの方へ行けばまだまだ自然が豊富に存在する。首都圏周辺の関東にもまだ、片田舎かたいなかとさえ言えるような場所があるのだ。

 朝から暑い日差しを浴びて、霧崎迅矢キリサキジンヤは恨めしそうに太陽を見上げる。

 そのとなりには、何故なぜかどうしてかストレガの姿があった。

 迅矢もそうだが、寝不足でとても眠そうである。


「……なあ、魔女子まじょこちゃんよう」

「はい。なんでしょう、ウォーロック」

「お前さん、なんで俺と一緒にいるんだ? 秋葉原あきはばらはどうした」

「ご安心を。すでに秋葉原でしか買えないグッズは回収済みです。あとは通販でどうとでもなりますので」

「そういうこと聞いてるんじゃないよ」


 迅矢がこの土地をおとずれたのは、後輩の仏前に線香をあげるためだ。

 閑散かんさんとした駅前を歩けば、自然とストレガがあとをついてくる。

 昨日はあのあと、日付が変わるまでアニメを見てしまった。

 ストレガが選んでくれたのは、ロボットに変形する戦闘機のアニメだ。……ちょっと、ちょっとだけ、面白かった。イッキ見したので、とても眠いのだ。


「魔女子ちゃん、遊びに行くんじゃねえんだぞ? その、少し遠慮してもらえると」

「ウォーロック、私は魔女である前に、ストラトストライカーズの一員です」

「お、おう」

「私にも、散っていった英霊をとむらう権利があると思います。それに」


 ストレガは迅矢の隣に並ぶと、真っ直ぐ見上げてくる。

 あおんだ瞳は北海の氷山のようでもあり、透き通る南国の海のようにも見えた。

 なにより、彼女の言葉に強い意志が感じられた。


「それに、ウォーロック。私は昨日、そして昨夜……

「お、お付き合いって……そういう言い方やめろよな。なんか語弊ごへいが」

「私は間違いなく、貴方あなたに付き合ってもらったのです。そして夜、二人きりで熱く愛を……あい・おぼえがありますか、を語ったではありませんか」

「そのアニメは結局、見なかったんだっけ?」

「睡眠時間も大事ですので。小八洲島こやしまとうに戻ったらまた、二人で見ましょう」


 そして、ストレガはこう主張した。

 貴重な休暇の半分を、ウォーロックに付き合ってもらった。だから次は、自分がウォーロックの休暇に付き合う番だと。

 迷惑である。

 だが、律儀なものだ。

 そのことを言ってやったら、ストレガはたゆんと揺れた胸を張って得意げだ。


「古来より、魔女は義理堅ぎりがたいのです。さ、ウォーロック。あそこのお店で花を買っていきましょう」

「お、おい、待てって! 仕切るなよ!」

果物くだものなんかもそなえるといいかもしれませんね。大丈夫です、日本は宗教には無節操ですが、おおむね仏教だと聞いています。仏教については勉強しました。……アニメでばっちりです」

「絶対駄目! ちょっと待て、待てって!」


 その後、結局迅矢は花と果物とを買った。

 そして、徒歩で進む先、目指すは八谷家やたにけである。かつて一緒にエレメントを組んで飛んだ相棒、八谷拓海ヤタニタクミの実家だ。そこには、まだ結婚して一年も経っていなかった、八谷奈美ヤタニナミもいる。

 彼女は空を目指す二人の間にいて、いつも笑っていた。

 迅矢は、そんな彼女にかれていた時もある。

 空を飛ぶパイロットとして、おかに帰る理由ができたような気がした。

 だから、奈美が後輩の拓海を選んだ時……悲しかったが、祝福できた。


「魔女子ちゃんよう、じゃあ……ちゃんとお行儀よくするんだぞ? おとなしくしててくれ。今の職場の同僚だって説明するからよ」

「了解です、ウォーロック。ちなみにストラトストライカーズは極秘の特務機関とくむきかん……守秘義務しゅひぎむが存在しますので、気をつけてください」

「わーってるよ、クサハェルから聞いてる。離島に駐屯ちゅうとん、ってくらいでぼかしとくさ」

「賢明です」


 そうこうしているうちに、どんどん八谷の家が近付いてくる。

 周囲はド田舎とまではいかないが、どこか昭和を思わせる古びた町並みが続く。田んぼや畑もあるし、コンビニが古い商店街と共存している。

 そんな中で、ふと道の向こうからやってくる老人が迅矢の目に留まった。

 そして、ストレガも気付いたようだ。

 迅矢はすぐさま、駆け寄って声をかける。

 そうさせたのは、老人があまりにもうつろな目をしていたから。そして、身なりにおかしなところはないが、なにかをつぶやきながら誰かを探しているみたいだったから。


「よぉ、爺さん! どした? なにか探し物かい?」

「あ、ああ……孫が、帰ってこんで」

「そりゃ大変だ。まだ日も高いが、ぼやぼやしてると昼飯時になっちまうな。心当たりは?」

「その辺で遊んでると思うんじゃが……おお、異人いじんさん。


 老人は、ストレガを見て目を細める。

 すぐに迅矢は察した。

 この人は恐らく、拓海の祖父そふだ。

 そして、拓海を探している。

 もうこの世にはいない、八谷拓海を心配しているのだ。

 迅矢は胸の奥が、なにかに鷲掴わしづかみにされたかのように痛んだ。その痛みすら、目の前の老人が味わった苦しみに足りないと思った。

 あの空は、全ての人間から、等しく奪った。

 真面目で誠実で、優しい八谷拓海を。

 ストレガが老人の手を取り、さらに手を重ねる。


「ご安心ください、御老体ごろうたい。私は魔女です。あとでお孫さんの場所をうらなって差し上げましょう。それで居場所もわかりますし、帰ってきます。きっと、必ず」

「おお……魔女さんじゃったか。ありがたや……南無南無なむなむ……」


 老人はストレガに手を合わせ始めた。

 聞き慣れた声が響いたのは、そんな時だった。


「おじいちゃんっ! ああ、よかった……またいなくなるから、びっくりして。あら? まあ……霧崎先輩?」


 息を切らせて走ってきたのは、後輩の八谷奈美だ。

 その姿を久々に見て、変化に思わず戸惑とまどう。

 相変わらず美しいが、その美しさは今は別種のものだ。長い髪をひるがえして、いつも颯爽さっそうと肩で風切り歩く美女……活力のかたまりみたいだった奈美の姿ではない。

 どこか落ち着いた、大人の女の色香いろかがあった。

 それを感じてはならぬと思っても、ゴクリとのどが鳴る。


「よ、よぉ……奈美。髪、切ったんだな」

「あ、はい。さ、お爺ちゃん。帰りましょう? 霧崎先輩もどうぞうちへ……あら? そちらの方は」

「あ、ああ……魔女子ちゃん。じゃない、とにかく仕事の同僚だ。えっと……ストレガ、って呼ぶしかないと、思う」


 ストレガは慇懃に頭を下げ「はじめまして、ストレガとお呼びください」と静かに告げる。

 奈美は面食らったように驚いたが、すぐにひらめいたとばかりに表情を明るくする。

 そんなところは、昔のままでなんだかおかしい。


「あ、そっか! そっかそっかー、ふふ……霧崎先輩、やりますね! ……むしろ、?」

「おい馬鹿やめろ、そういうんじゃねえよ。一応ほら、彼女も、あれだ……空の仕事をしててな。ついて来るって聞かなくて」

「全然大丈夫ですよっ! そっかあ、よかった……あの人も心配してましたから。霧崎先輩、女遊びばっかりしてて、女の子と付き合うことは全然だったから」

「い、言うなよ!」


 もう、奈美には笑顔が戻っているかのように思えた。

 だが、矢谷家の者達が負った心の傷は深そうだ。

 おっとの祖父の手を引き、奈美はゆっくりと歩く。

 少しせて見えたのは、気のせいではないだろう。


「でも、霧崎先輩……忙しいのに、ありがとうございます。あのあと、あれこれ手続きがあって……先輩は突然、なにも言わずに異動になったって」

「今は、まあ、離島りとうにいる。飛ばされたとでも思ってくれ、すっげえド田舎だ」

「飛ばされた……流石さすがですね、先輩っ! 飛ぶしか頭にない男らしくて、いいです」

「は、はは……」

「それに、まだ飛んでますよね……霧崎先輩はパイロットなんだから」

「おう」


 八谷の家は、歩いて五分ほどの場所にあった。

 平屋建ひらやだての古い日本家屋にほんかおくで、垣根かきねの向こうに庭が広がっている。

 決して広い敷地ではないが、後輩の拓海が育った生家を見て迅矢は奇妙ななつかしさを感じた。眺める風景のそこかしこに、子供の頃に拓海がいる気がした。

 確か、彼は防衛大学に入るまでずっと、この家で暮らしていたはずだ。

 ストレガも、先程からしきりに周囲を見渡している。

 だが、好奇心や物珍しさのたぐいではないようだ。


「おい、魔女子ちゃん! あんまキョロキョロするなって」

「……風が、重く見えます」

「あ? どした、おい」

「この色は、羽撃はばたき……それも、近くて、大きいですね……ッ!」


 その時、初夏の空気が沸騰ふっとうした。

 突然の、防災サイレン。

 同時に、すぐ上空を何かが高速で飛んでいった。巨大な影が、あっという間に周囲を風圧で飲み込む。

 迅矢は咄嗟とっさに、老人ごと奈美を守った。

 そして、見送る姿は……巨大な翼を翻す、竜。

 あっという間に遠くに去ってしまったので、ドラゴンかワイバーンかはわからない。だが、絶叫を張り上げて空を切り裂くその姿は、間違いなく現代の人間が認識してはいけない驚異だった。

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