第14話「二人の夜に」

 霧崎迅矢キリノジンヤは闇の中にいた。

 そして、少し混乱していたし、呆然ぼうぜんともしていた。

 ここは秋葉原のビジネスホテルで、周囲にはアニメのキャラが沢山描かれてる。すぐ隣には、バスローブ姿のストレガがいた。

 二人は今、暗い部屋の中でベッドに並んで座り……テレビ画面を見ていた。

 先程からずっと、アニメがブッ通しで流れている。


「な、なあ、魔女子まじょこちゃん」

「あ、はい! 今のシーンですね、これは……非常に重要な告白シーンです!」

「いや、それはわかる……けど、なんで? あ、なんでっていうのは」

「ヒロインのエウロパは人間ではありません。しかし、ライドンにはそんなことは関係ないのです……彼は恋する少年、ただそれだけの気持ちで頑張れるんです」

「いや、そういう話じゃなくて……俺、寝ちゃ駄目?」


 アニメ鑑賞会が始まって、すでに二時間。

 日本のアニメが凄いのは、よーくわかった。

 そして、薄々迅矢も気付き始めている。

 自分がいないと、ストレガはBlue-rayブルーレイデッキを操作できないのだ。彼女の機械音痴きかいおんちは『うふふっ、私ってば少し機械が苦手なの』というかわいい女の子のそれではない。彼女にさわられる機械が気の毒になるという、そういうレベルの話なのだ。

 ディスクの交換と再生は、迅矢がやるしかないのだった。


「と、とりあえず……魔女子ちゃん。操作、教えようか? ……魔女子ちゃん?」

「シッ! いいところなんです、ウォーロック。この回はやはり神……神回! つまり、初めての告白シーンで、ライドンとエウロパがお互いの気持を――」

「すまん! 俺は寝る!」


 明日は、死んだ後輩……パラディンこと、八谷拓海ヤタニタクミ仏前ぶつぜんに線香をあげに行く予定だ。そういえば彼も、アニメが大好きだったのを思いダウs。

 早く寝て、明日に備えたい。

 夜更よふかしする理由もないのだが、宿代を出してもらった手前、断り難いのだ。そして、アニメや漫画の世界は、迅矢が卒業して久しい異文化のかたまきだった。


「えーっと、魔女子ちゃん」

「……はっ! そ、そうでしたね。ウォーロック、私に気配りが足りませんでした」

「あ、いや、いいんだよ。へへ、じゃあ俺はこの辺で」


 陣屋は立ち上がるや、二つのベッドを離そうとする。

 もっと離れてないとやばいと思ったからだ。

 どうしてこう、風呂上がりの女の子からはいい匂いがするのだろう? そして、その芳香ほうこうにさらされると、男は誰だって内なるけだものさいなまれるのだ。

 だが、ストレガはしれっと真顔まがおでトンチキなことを言い放つ。


「一緒に見るのであれば、ウォーロックも楽しめそうなアニメを選ぶべきでしたね。今日は望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴンのコラボレーションなんですが……ええと、確か」


 ベッドから立ち上がったストレガは、画面へと歩み寄る。そして、その50インチサイズの薄型テレビが鎮座ちんざした台に屈み込んだ。Blue-rayデッキと一緒に並ぶ、備え付けのアニメを物色し始めたのだ。

 迅矢は慌てて、突き出された形良いヒップラインから目をらす。

 これでは正直、拷問である。

 だが、ふと思った。

 これは……ある意味、ストレガのなのではないだろうか? 800年を生きた魔女でも、こういう奥ゆかしさ、もどかしさを持っているのかも知れない。

 そう勝手に解釈したら、そうかそうかとスケベな笑みが浮かぶ。

 ベッドを再び、ぴったりと寄せて元の位置に戻した。


「なるほどな、うん……いいぜ、魔女子ちゃん。今夜は一緒に――」

「ありました! ウォーロック、こちらの作品にしましょう。これは、望郷悲恋エウロパヘヴンと同じメカデザイナーの作品です。どのシリーズも傑作ですが、ここはこれ、マックスロス・プラスを見ましょう。次はマックスロスFフロンティア……いえ、あいおぼを……?」


 小さく揺れていた尻に触れようとした、その瞬間にストレガは振り向いた。

 迅矢は慌てて手を引っ込める。

 彼女は相変わらず端正な無表情だが、心なしか鼻息が荒い。

 そして、その手に戦闘機がえがかれたBlue-rayのケースを握り締めていた。


「ウォーロック、これを再生してください」

「お、おう」


 迅矢は務めて平静を自分に言い聞かせる。

 あせるな、大丈夫……まだ焦るような時間じゃない。

 夜は長い。

 先程まで少し退屈だった時間が、急に惜しくなってくる。ちらりと部屋の時計を見上げれば、丁度22時を回ったところだ。

 十分な時間がある。

 ムードを作って演出し、そのまましっぽり、そして朝チュン。

 いつもの流儀で導いてやれば、きっと二人でいい朝が迎えられるはずだ。

 やましさ全開でニヤつく顔を見せないようにして、迅矢はBlue-rayディスクをセットした。すでにベッドに戻って座ったストレガは、ぽんぽんと自分の横を叩く。


「はいはい、魔女子ちゃん。おまたせしましたよ、っと」

「この作品はウォーロックも気に入る筈です」

「そっか……俺のこと、ちゃんと考えてくれてるんだな。魔女子ちゃん、ありがとよ。へへへ」

「いえ、つい先程はたと気付きました。失念していました……確かに望郷悲恋エウロパヘヴンは名作ですが、人には好みや趣味の差というものがあります」

「大丈夫さ……俺は凄く好みだぜ? とても綺麗だ、魔女子ちゃん」

「当然です、DVDとは画質が違いますので。とても四半世紀前ひとむかしまえのセルアニメとは思えないクオリティです」


 先程よりずっと近い距離、肩と肩とが触れそうな隣に座る。

 違うアニメが始まったテレビを見ながら、迅矢はタイミングをはかった。その瞬間が来たら、のがさない。その細い腰を抱き寄せ、甘いささやきでとろけさせて……そして、男と女になるのだ。

 魔女だって女の子、それもすこぶるつきの美人だ。

 だが、画面を真っ直ぐ見るストレガの瞳は、あまりに無邪気な光が揺れていた。

 本当に綺麗だと思ったし、そのまぶしさが迅矢を迷わせる。


「って、なにを迷う……大丈夫だ、俺だってそれくらいの役得があってもいい筈!」

「どうかしましたか? ウォーロック」

「い、いや、どんなアニメなのかなあって……はは、ははは!」

「可変戦闘機のトライアルテストで、二機の新型がしのぎを削る物語です。それぞれのテストパイロットは、一人の女性を巡って過去に確執があり、その真相がクライマックスに……あ、いえ! ネタバレはしませんから! さあ、見ましょう!」


 やっぱりアニメの話をする時はイキイキしている。

 年頃の少女か、それ以上に幼い表情があどけなかった。

 そして、ちょっと気になる内容だなと思いつつ……そっと迅矢は背後から手を伸ばす。ストレガの華奢きゃしゃな肩を抱き寄せようとした、その時だった。

 ぽつりとストレガが、アニメを見たまま小さくつぶやいた。

 その言葉が、迅矢の手を引っ込めさせる。


「……どうしていつも、男の人は無茶ばかりを繰り返すんでしょうか。今も昔も、変わらない気がしています」


 どういう意味かなと思ったが、すぐに一人の男が脳裏を過った。

 だから、その時彼が思っていたであろうこと、普段から生真面目に口にしていたことをそのまま話した。もうなにも話せない後輩に代わって言葉を繋ぐ。

 アニメに見入ってるストレガの視線が、やんちゃな主人公に注がれている。


「守りたいものとか、勝ち取りたいものがあるからさ。だから俺は……俺達は飛んだ。そして、今でもそれは変わらねえよ。それと」

「それと?」

「時にはをするかもしれねえ、けど……それはいつだって、じゃないのさ」

「……非論理的です」


 自分でもそう思う。

 だが、誰かがやらねばならない任務は厳然げんぜんとして存在するし、誰にも知られてはならぬ驚異がある。だから、迅矢はストラトストライカーズの仕事が気に入っていた。

 そして、どこかさびしそうなストレガが気になる。

 彼女は、普段の怜悧な無表情とは少し違う。


「……800年という歳月は、人類の進歩をまざまざと見せつけてきます。そして……本質的には変わらぬおろかさ、はかなさも」

「そりゃな。今も昔も変わらないぜ? 男も女も」

「そうかもしれません。ですが、かつて共に戦った者達、栄えある勇者の姿は……創作物の中、アニメや漫画でしか見れなくなりました。……そう、思っていました」


 ストレガは静かに横の迅矢を見上げてきた。

 真っ直ぐ見詰めてくるひとみは、夜の闇に浮かぶ深海の色にも似ていた。


「ありがとうございます、ウォーロック。今日はとても助かりました。それに……貴方あなたがストラトストライカーズに来てくれて、とても、嬉しい、です」

「お、おう」

「そして今夜、貴方の期待には……私は応えることができません」


 見透みすかされていた。

 だが、そう思った迅矢の前で、恥じらいすら見せずにストレガは言い放つ。


「私には妊娠を可能とする女性機能がありません。大昔に失われてしまったのです。ですから、ウォーロックの子をはらんで産むことはできないでしょう」

「いや、そこは俺がちゃんと……って、そういう話しじゃねえ!」

「そうなのですか? 子供が欲しいのかと、てっきり」

「……いや、もうなんか……その、悪かったよ。ちょっと違うが、期待してたのは事実だ。けどなあ……そういうこと、さらっと言うんじゃないよ。ったく……!」


 迅矢は参った参ったと、白旗をあげることにした。

 絶世ぜっせいの美女にして、幼子にも似た無邪気さを持つ少女……ストレガ。だが、やはり彼女は800年もの時間を生きた魔女だった。その中で色々なものを失い、常人ならざるメンタリティを獲得せざるを得なかったのかもしれない。

 観念して迅矢は、深夜のアニメ鑑賞会に最後まで付き合う覚悟を決めた。

 強引にでもと、少しは思っていたが、それももうできない。そうしたくないなと、思わされてしまった。それはもしかしたら、魔女の魔法かもしれない。


「なあ、魔女子ちゃん」

「はい。なんでしょう?」

「……名前を教えてくれないのは、なんでだ?」


 少し長い、沈黙。

 アニメの中では二人の男が、一人の女を巡って銀翼を飛ばす。次期主力戦闘機の座を賭けて、そして……互いの恋を愛に変えるために。

 ストレガは一言だけ、迅矢の問に答えてくれた。


「私には名前などありません。


 どういう意味なのか、ちょっとわからなかった。

 だが、その透き通った声音が、それ以上を聞いてはならないと迅矢に伝えてくる。

 それっきり二人は、じっとアニメを見ながら夜が過ぎてゆく中で過ごすのだった。

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