第12話「白い魔女の不安な休日」

 霧崎迅矢キリサキジンヤは途方に暮れていた。

 何故なぜ? どうして? と自問じもんを繰り返す。

 だが、自答じとうするにはどうにも納得がいかない。

 彼は今、大量の紙袋を持たされていた。どれも中身が本を中心としたグッズなので、非常に重い。鍛え抜かれたパイロットとはいえ、肉体よりも精神は疲れやすかった。

 それというのも、全て前を歩く少女のせいだ。


「おーい、魔女子まじょこちゃん……まだ買い物すんのか? その、えっと……」


 秋葉原は今、大都会の賑わいで体力を削ってくる気がする。

 しかし、白いワンピースで颯爽さっそうと歩く少女は、ふわりとあおい髪をなびかせ振り向いた。ツンとました表情には、喜怒哀楽きどあいらくの感情がとぼしい。だが、整った顔立ちは美術品のように美しかった。

 ストレガはつぶらな瞳で迅矢の顔を見上げてくる。


「次はアニメイトに行きます。……無理についてこなくても、私は一人でも大丈夫なので」

「おいおい、そりゃ無理だろ」

「そう、でしょうか」

「そうでしょうよ! 思い出せ、魔女子ちゃんっ! お前さん、危なっかしくて見てられないんだよ。買い物はさ、付き合うから……さ、行こうぜ」


 ストレガはすずしい表情で「感謝します」と言って、また歩き出す。

 本当に彼女は、なにを考えているのかよくわからない。わかっているのは、アニメや漫画、ゲームに傾倒けいとうしているサブカル好き……いわゆるオタク女子だということだけ。

 それらを語る時だけ、平坦で抑揚よくようのない声が少しだけ弾んでいるのだ。

 そんなストレガに付き添っての買い物行脚あんぎゃ、これには訳があった。

 自然と迅矢は、数時間前に駅で仲間達と別れた時のことを思い出していた。






 船と電車を乗り継いで、川崎市へとストラトストライカーズの面々はやってきた。

 今日は休暇、好天に恵まれ朝から暑い。

 梅雨つゆの時期ももう終わり、本格的な夏が始まろうとしていた。


「ふう、今日もいい天気じゃわい! 千小夜チサヨちゃんも来ればよかったのにのう!」


 まったくだと迅矢もうなずく。

 今日はジーンズに半袖はんそでのシャツと、ラフな格好で迅矢は出かけてきた。手荷物はなく、目的も一つしかない。着替えと土産も、有り余る時間で買えばいいと思っていた。

 だが、どうにも持て余す休日が始まってしまった、そんな感じだったのだ。


「じゃあ、僕は先に失礼させてもらうよ……諸君等しょくんらもいい休日を」


 真っ先にそう言って、ヘリオンが離れてゆく。

 どう見ても十歳児なのだが、こんな暑い中でも気取ってちょうネクタイでジャケットを着込んでいる。そんな彼の姿は、あっという間に雑踏ざっとうの中へ見えなくなっていった。

 人間の姿を借りているペガサスが、どんな休日を過ごすのか?

 それは誰にもわからないし、迅矢にもあまり興味はない。

 だが、去っていった背中は孤高を感じさせ、その中に孤独を抱えているような気がした。今日は彼のパートナーである、倉木千小夜クラキチサヨの姿もない。千小夜は宿舎の大掃除がしたいからと、小八洲島こやしまとうに残ったのだ。


「さて、それじゃあワシも行くかの!」

「おう! じいさん、休日満喫してくれよな」

「若いのはどうするんじゃ?」

「ちょいと、後輩のつらでもおがんでくるよ。おぼんにはこれそうもないから、線香もあげときたいしな」


 ここ、川崎からは八谷拓海ヤタニタクミの実家が近い。

 確か、結婚して同じ名字みょうじになった奈美ナミもそこで暮らしている筈だ。

 背中を預けあったかつての相棒は、国防にじゅんじて帰らぬ人となった。だが、今でも迅矢にとって拓海は、生真面目でかわいい後輩、そして誇れる空の男だった。

 それを知ってか知らずか、バロンも大きく頷く。


「ま、ちゃんと羽根を伸ばすんじゃぞ? 命の洗濯も大事じゃて、ホッホッホ」

「おうよ! 爺さんも気をつけてな。あんまし飲み過ぎるなよ?」

「なぁに、成仏じょうぶつするまでまだまだ遊んで楽しむわい! では、ウォーロック。幸運を祈るぞ」

「了解、ドワーフ。グッドラック!」


 迅矢はバロンと拳をぶつけ合って、それを挨拶代わりに別れた。

 さてと迅矢も今後の予定を考えていると……ふと、視線を感じて振り返る。

 そこには、真っ白なワンピースを着たストレガの姿があった。

 彼女は小洒落こじゃれたサンダルを履いて、小さなバッグを肩にかけている。まるで可憐かれん妖精フェアリーで、行き交う誰もが老若男女を問わず振り返った。

 そのストレガが、いつもの怜悧れいりな澄まし顔で迅矢に語り掛けてくる。


「では、ウォーロック。私も予定がありますので」

「お、おう。因みにどこへ? 魔女子ちゃん」

「秋葉原だぁ!? じゃあ、電車か。……お前さん、電車に一人で乗れるか?」

失敬しっけいですね、ウォーロック。魔女に不可能はありません」


 心配だ。

 凄く心配だ。

 だが、妙に張り切ってストレガは券売機へと向かう。

 どうにも庇護欲ひごよくをそそられて、迅矢はその背中を追った。


「切符ぐらい一人で買えます。ご心配には及びません、ウォーロック」

「だったらいいんだけどな。ほれ、秋葉原までは……20分くらいか? 東京駅で乗り換えだな。……どした? 魔女子ちゃん」

「いえ、平気です」


 だが、券売機のタッチパネルを前に、ストレガは黙ったまま動かない。

 見兼ねて迅矢は、横から手を出した。


「画面に指で触れるんだよ。ほら」

「……し、知ってました。今、やろうとしていたところです」

「そりゃすみませんね。っておい、違う! そこから金を入れるんじゃねえ!」

「ええ、知っています」

「じゃあ、どうして切符が出てくるそこに千円札を突っ込む! あーもぉ!」

「問題ありません」

「大アリだろ!」


 なんとか切符を買い終えて、それを迅矢はストレガの手に握らせた。

 先程の心配が、いよいよ大きく膨らんで胸中に満ちてゆく。

 彼はすぐに携帯電話を出すと、今日訪問する予定の八谷家へと電話をかけた。少し長い間呼び出し音が連なって、ようやく聞き覚えのある声が響く。


『もしもし? 八谷でございます』


 いつもと変わらぬ声に、不思議と迅矢はホッとした。


「ああ、奈美か? 俺だ、迅矢だ」

『まあ! 霧崎先輩? どうしたんですか? まだ、こっちに来る時間じゃないですよね』

「そのことなんだが……悪ぃ、明日にしてくんねえか? ちょっと野暮用やぼようができちまって」

『構いませんけど……多分、任務ですよね。ふふ、霧崎先輩、昔からうちの人以上に責任感強いから』

「仕事というか、まあ、ボランティア? とにかく、スマン!」


 前もってメールしておいたのだが、死んだ拓海の仏前に線香をあげるのは、明日でもいいだろう。それより今は、この800歳の魔女様を大都会に解き放つ方が危険だ。

 切符一枚買えない、世間知らずな上に機械音痴きかいおんちなストレガが見ていられないのだ。


「よし、魔女子ちゃん。行くぞ」

「行くぞ、とは」

「俺が秋葉原まで一緒に行ってやる。どうせあれだろ? 漫画買ったりゲーム買ったりすんだろ? 荷物持ちぐらいしてやるからよ」

「それは……助かりますね。しかしウォーロック、貴方あなたの休暇は」

「いいよ、別に。明日、ちょっと後輩んちに顔を出せば終わりだ」

「そうですか。では、よろしくお願いします」


 そう言って、秋葉原行きとは真逆のホームに歩き出すストレガを、やれやれと迅矢は引き止めた。そして、なんとか電車で来たはいいが……現代の秋葉原は、迅矢が想像していた以上にカオスな街だった。






 先程から何故か、ハスハスと活性化してしまったストレガの表情ばかり見せつけられる。普段はどこか怜悧れいりな雰囲気があるが、買い物をしている時のストレガはとても楽しそうだった。

 だから、敢えてなにを買ったかは見ないようにして、頭の中から追い出す。

 彼女は遠慮なくアニメのBlue-rayブルーレイを箱で買い、半裸の男が表紙の薄い本どうじんしを購入しまくった。


「ウォーロック、次はこっちです」

「随分回るんだな? 今度はなんだ?」

「プラモデルの新作を確保しなければいけません」

「お前……部屋に沢山あるだろう。しかも、全然作ってないやつがさあ」


 以前、ちょっと彼女の部屋に入ったことがある。

 難しい本から漫画まで、沢山の本で散らかっていた。そして、プラモデルの箱がうず高く積まれ、本棚にはCDや漫画がぎっしり詰め込まれていた。

 現代の魔女は、大きなつぼで毒の薬を煮込んだりはしない。

 ゲーム機で遊び、レコーダーにアニメを録画して見るのだ。


「ウォーロック、積みプラはしょうがないことです。私のように無限の時間を持つ人間なれば、作るのはいつでもできます」

「その時、買えばいいじゃねえか」

「……絶版になったプラモデルには、プレミアム価格がついてしまいます」

「はいはい、わーったよ」

「ウォーロックにも一つ買ってあげましょう。男の子も絶対、好きな筈ですから」

「いいよ、俺ぁ」

「飛行機のプラモデルも沢山ありますので」


 どこまで本気なのか、ふわふわとストレガは歩く。

 周囲の視線を集めて吸い込む、その涼やかな姿を追って迅矢は続いた。正午が近付く中、ジリジリと日差しが強くなって照りつける。だが、不思議とその中でストレガは違う空気の中にいるようだった。急かすように時々振り返る彼女に、やれやれと迅矢は並んで歩くのだった。

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