第11話「黒い悪魔との死闘」

 世界の空を守って飛ぶ、その名はストラトストライカーズ。

 今日も霧崎迅矢キリサキジンヤは空の中にいた。

 高度一万メートル、複雑に定期航路が入り組む中を、彼を乗せたX-2心神しんしんせる。ステルス戦闘機なので勿論もちろん、民間のレーダーにはうつづらい。加えて、密教の高僧が祈祷きとうで力を込め、整備班の皆がベストなコンディションに仕上げてくれた機体である。

 まるで我が身のように、迅矢は自由自在に心神を操った。


「こちらウォーロック、目標を視認した。これより作戦行動に移る」


 今、はるか前方に小さな点がある。

 それは徐々に、巨大なジャンボジェット機の姿を象っていった。

 成田発ニューヨーク行き、乗客を満載した旅客機だ。その機体は安定性を失っており、不規則な揺れで失速寸前である。

 即座に迅矢は、相手の視界に入らぬように減速、民間の周波数を拾う。

 わずかにノイズが入り交じる中から、必死な声が緊迫感を伝えてきた。


『メーデー! メーデー! こちらJAR505便! メーデー!』

『駄目です、機長! 油圧低下……エンジンが完全に止まってます!』


 眼の前で今、500人以上もの人間が墜落事故に巻き込まれつつある。

 そして、その原因を迅矢は以前聞いたことがあった。飛行機に乗る者ならば、それは時代を問わずささやきあう伝説……どんな完璧な整備がなされていても、なにがおこるかわからないのが空を飛ぶ飛行機だ。

 誰もがそれを、と呼んだ。

 迅矢には今、その姿がはっきりと見える。


「へへ、俺だけだろうな……世界中の飛行機乗りの中で、直接グレムリンを見るのはよう」

『なんじゃ、ワシもおるぞ? もう長い付き合いじゃ。思い起こせば、あれは大戦の真っ只中……そう、1917年じゃ。ワシはフランス上空を偵察中に――』


 しゃがれた声でバロンが喋り出す。

 タッグネームはドワーフ、その名の通り小柄だがたくましい体躯たいくの老人だ。加えて言えば、幽霊である。

 普通、大戦といえば第二次大戦を指す言葉だ。だが、彼の現役時代、生身の人間だった時代は第一次大戦らしい。それで真っ赤な機体に乗っているのだから、これはもう正体を知ったも同然である。

 だが、今はそんなことをしている場合ではない。

 100mの距離に接近した迅矢の眼には、旅客機の異変が伝わってくる。

 左右のエンジンに、びっしりと黒い影がうごめいていた。

 機械を故障させる小悪魔、グレムリンである。


「こちらウォーロック、これよりグレムリンを排除する。さぁて、腕を見せるとしますか……いっくぜえ!」


 ――エンゲージ。

 迅矢は、本来ありえない距離へと愛機を押し進める。

 下手をすれば空中衝突、助けるどころか二重墜落だ。

 だが、気流が入り乱れる中へと、平然と迅矢は飛び込んでゆく。自分の腕、そして機体の性能を掌握しているからこその荒業だ。

 ジャンボジェット機の主翼へと、張り付くような操縦。

 エンジンに群がるグレムリン達が、一斉に振り向いた。


「ちょいとゴメンよ、小悪魔共……張り付くならこっちにしな!」


 聴こえるかどうかは知らないが、この手の超常現象には慣れ始めている。なにより、それが現実だと知ってしまえば怖くない。

 無知が人間の想像力を乗っ取り、恐怖を生み出す。

 だが、正しい情報に基づく認識は、その闇を払うことができた。

 この世界には神も悪魔もいて、割と好き勝手にやっている。

 その影響が人間界に及ばぬようにするのが、迅矢の今の仕事だ。


『飛行機……白イ、飛行機……!』

『赤ト青ト、綺麗ナ……飛行機!』

『触ッタコト、ナイ……新シイ、飛行機!』


 グレムリンが口々につぶやく。

 その声が、キャノピーの内側にいる迅矢にはっきり伝わった。

 同時に、まるで黒い津波のようにグレムリン達が宙を舞う。一匹残らず飛び上がって、次々と迅矢の心神へと襲いかかってきた。

 逆側のエンジンへも回り込んで、さらにもう半分のグレムリンも引きつける。

 侵食するような黒い影は、あっという間に心神をむしばんだ。

 たちまちコントロールが乱れて、ガタガタと機体が震え出す。


「っとっとっと、耐えてくれよ……ん?」


 ふと、安定を取り戻したジャンボジェット機を見やる。

 エンジンが復活した巨大な翼は、ゆっくりとだがスピードを上げつつあった。その窓から、一人の男の子が迅矢を見下ろしている。

 見られてはいけないのだが、小さな少年と迅矢は目が合った。

 これはいけないと思いつつも、敬礼してニヤリと笑うと……グレムリンに群がられたまま、迅矢は機体をダイブさせる。あっという間に空の彼方へと、巨大な機影が飛び去った。


『機長! エンジンが息を吹き返しました!』

『よ、よし、なんとか空港まで持たせるぞ!』

『いけますよ……さっきまでの不調が嘘みたいです!』

『さあ、気を抜かずにいくぞ! 君はキャビンアテンダント達を通じて、乗客を安心させてくれ』


 どうやらジャンボジェット機の方は大丈夫そうだ。

 だが、その痛みを全て引き受けた心神は、微動に震えながら墜落しかけている。どうやらグレムリンは、ことのほか心神が気に入ったらしい。

 その名を口にした仲間、ストレガが言っていた。

 グレムリンは実在する悪魔で、新しい機械を好むらしい。

 ならば、連中にとって実験機である心神は御馳走ごちそうという訳だ。


「こちとら、ネジ一本足りなくても飛んでた迅矢様だぜ? 振り落とされんな、よっ!」


 曲芸飛行に踊る翼が、空気の摩擦で音を立てて震える。

 機体の表面温度が急上昇する中で、雲を引きながらの反転、急降下……迅矢は機能不全に陥った愛機で、必死のアクロバットを試みた。

 グレムリン達はちらほらと落ちて消えるが、多くが黒い霧となって迅矢を包んでいた。

 このままででは空中分解してしまう……そんな中で声が走った。


『ガッハッハ! 待たせたのう! こちらドワーフ! 正面から行くぞ、若いの!』


 水平飛行でどうにか機体を安定させた迅矢は、遠く前方にバロンのTa152H1フォッケウルフの機影を見た。

 真正面から軸線を合わせて、バロンは真っ直ぐ突っ込んでくる。


「お手柔らかに頼むぜ、爺さん! グレムリンごとはちはゴメンだぜ」

『そいつは並の腕の奴に言うんじゃな!』


 頼もしい声だ。

 すでに百年以上、戦いの空を飛んできたエース……赤い男爵がえる。


『純銀製の魔法の弾じゃ、グレムリン程度なら近くを通過しただけで浄化されちまうわい! それい!』


 どんどん急接近するフォッケウルフから、火線が走る。

 両機の相対スピードは、音速に迫る速さだ。

 そして、まるで心神をでてゆくように、銀の弾丸が空を切り裂く。その弾道から広がる不思議な空気が、あっという間にグレムリン達を消し飛ばした。

 まるで消しゴムをかけるように、黒い悪魔が引き剥がされてゆく。

 そのまま射撃を続けながら、バロンは猛スピードで迅矢と擦れ違った。

 世界最強のレシプロ戦闘機と、歴史の影へ消えるジェット戦闘機……翼が触れ合う距離をかすめて、二人はそのまま飛び去りターンする。

 あっという間に、迅矢の心神を覆うグレムリンは、一匹残らず振り払われていた。


『どうじゃ、ウォーロック! 機体にゃかすりもせんかったぞ!』

「大した腕だぜ、じいさん。こちらウォーロック、ドワーフの援護に感謝を」

『カッカッカ! 当然じゃよ』


 戦い終わって、二機は並んで空へと浮かび上がる。

 いつでも蒼穹そうきゅうは、静かに人間達を包んでくれた。

 緊張感から解放された迅矢は、酸素供給用のマスクを外して溜息を零す。自信の裏にはいつも、おびえた自分がいた。空では臆病過ぎるくらいの繊細さがなければ、生き残れない。弱さを知って、それをりっしてぎょするからこそ強くなれるのだ。


きもが冷えたぜ、爺さん。でも、ありがとよ」

『なんのなんの、若いの。お前さんもなかなかのクソ度胸じゃ。自分でグレムリンを引き受けるなんざ、ちょっとパイロットとして信じられないレベルじゃよ』

「ジャンボに銀弾を撃つ訳にゃいかねえさ。当てないとしても、な」

『同感じゃな。ところで』


 明日の休日、どうするかとバロンが聞いてくる。

 移動する田舎島、小八洲島は神奈川県沖に来ていた。ストラトストライカーズの面々は、クサハェルからそれぞれ一泊二日の上陸許可が降りていた。

 その間は、中国支部や韓国支部の部隊が空を守ってくれている。

 ストラトストライカーズとは、国境を超えた空の守護神ガーディアンなのだ。


「特に考えてねえなあ……爺さん、あんたは?」

『ワシか? まずは朝から温泉じゃよ。で、昼飯を兼ねてジャパニーズIZAKAYAイザカヤ。それから川崎競馬場じゃな。夜はオネーチャンの店で派手に騒ぐわい。来るか、若いの』

「……遠慮しとく。なんつーかよ、バロン。あんた、俗物っぽさ全開なんだが」

『じゃろ? おかげで成仏せずに済んどるわい。天国なんぞ行きたくないからのう、ホッホッホ』


 違いない、と迅矢も笑った。

 同時に、明日からの休暇に思いを馳せる。

 神奈川といえば、確かパラディンの……後輩にして同僚だった、八谷拓海ヤタニタクミの実家がある。線香の一つもあげてやりたいが、それ以外におかでやることが思いつかない。

 街の賑わいも恋しいが、じれれてくる程じゃない。

 両親は九州の田舎でよろしくやってるし、会いたい人もいなかった。


「ま、せいぜいのんびりするかね。じゃ、ドワーフ……お疲れちゃん! 先に戻るぜ!」

『これこれ、待たんか! 年寄りをおいてくつもりじゃな!?』

「ジェット機はな、爺さん。ゆっくり飛んでる方が燃料を喰うんだよ」

『こちとらエンジン全開、限界じゃよ。やれやれ』

「ま、ゆっくり戻ってきな。冷えたビールでも用意しとくからよ」


 それだけ言って、迅矢は愛機を加速させる。

 誰も知らぬ驚異を、誰にも知られず今日も取り去る……小さな少年の記憶にだけ、その姿を残して心神は飛んだ。

 快晴の空は、楽しい休日の二日間に続いているのだった。

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