第9話「人だけが心に神を持つ」

 ケースディー……それは、空で起こる未知の事件。

 神々の気まぐれ、まだ見ぬ驚異、そして怪異かいいや超常現象。

 そうした、現代の科学では解明できない、一般市民には公開できない事象の総称である。そして、それに対処するのが霧崎迅矢キリサキジンヤの所属するストラトストライカーズである。

 その一員として、ようやく迅矢は翼を得た。

 先程の興奮、そして感動が今も体中にくすぶっている。

 帰投後、大慌てて倉木千小夜クラキチサヨは制服に着替えて学校へ行った。ヘリオンは宿舎で寝直すと言い、バロンは別の格納庫ハンガーでフォッケウルフの整備に立ち会っている。

 それは迅矢も同じで、目の前に新たな愛機の姿があった。


「X-2心神しんしん……俺の新しい相棒。仲良くやろうぜ、なあ? お前」


 格納庫の中心で、見上げて機首をでる。

 エンジンがまだ熱を持っており、整備班達は事前の打ち合わせで席を外している。今、この格納庫には二人きりだ。

 迅矢と心神……文字通り一心同体の存在。

 再び空で戦えることを、迅矢はとても嬉しく思っていた。

 それに、死んだ仲間のかたきも討てた。

 今日、新たな仲間と共に竜を倒したのだ。


「これで終わりじゃねえ……ここから始まるんだ。そうだろ、相棒……俺の新しい、翼」


 物言わぬ鋼鉄の戦闘機は、沈黙に輝く。

 だが、それでも迅矢は語りかける。

 優しく、敬愛を込めて。

 それが周囲には奇妙に見えても、彼にとっては大事なことだった。以前、迅矢はケースDに遭遇して愛機を失った。国民の血税で造られた、大事な機体だった。

 自衛官として最後までベストを尽くしたが、機体は失われたのだ。

 大事な後輩、八谷拓海ヤタニタクミと一緒に。

 それは、彼の妻である八谷奈美ヤタニナミからも笑顔を奪った。


「見てるか、拓海……俺は飛ぶぞ。日本だけじゃない、世界を守って飛ぶ」


 鮮やかな塗装が映える白い機体は、まだピカピカで自分の顔が少しだけ映り込む。

 今日の迅矢は、久しく忘れていた穏やかな笑みを浮かべていた。

 だが、不意に背後で声がする。

 とても冷たく抑揚よくようを欠いた、それなのに清々しい声音だ。


「ウォーロック……貴方あなたはいつも、そんなことをしているのですか?」


 振り向くとそこには、白い魔女装束まじょしょうぞくのストレガがいた。

 なにかおごそかなものを感じたのだろうか? 彼女は脱いだ帽子を胸に抱えている。

 ストレガが隣に並んで見上げるので、迅矢は照れくさくて苦笑するしかない。


「見てたのかよ。ま、まあ……俺の大事な相棒だからな」

「想いを言葉にすることは、魔術的にも意味があります。真言マントラ、とも言いますね。その固有の振動数は、人であれ物であれ、なにかに響く。そういうことが多々あります」

「そっか……魔女子まじょこちゃんが言うなら、そうだよなあ」

「……魔女子ちゃんというのは、やめませんか? 少し、変です」

「そりゃ変だろ。お前さん、かなり変な女の子だぜ?」


 800年生きる、白き魔女。

 機械音痴きかいおんちでオタクな少女……ストレガ。

 彼女は少し不満なのか、わずかに眉根まゆねをひそめた。だが、基本的に玲瓏れいろうなる無表情を崩さない。どうやら、自分が奇人変人のたぐいであるという事実は、認めたくないらしい。

 だが、不思議とその声色は優しい。

 先程まで、共に戦っていたとは思えないくらいだ。


「心神……いい、名前ですね」

「富士山のことらしいな。ま、正式なペットネームじゃねえんだよ。開発コードみたいなもんさ。でも……俺も気に入ってる。乗ってみて、もっと好きになったさ」

「パンダみたいな響きで、かわいいと思いました」

「おいおい、シンシンってそういう意味じゃねえよ」


 だが、手を伸べ機体に触れながらストレガは言葉を続ける。


「心の神と書いて、心神……そう、。人間だけが、信仰を持つことができるんです」

「ま、実際に神様に昨日会ったけどな、俺等」

「ウォーロック、目に見える神は……たまたま神としてあがめられている存在でしかありません。神とは概念がいねんであり、それを生み出したのは人間なのです」

「難しいこと言うねえ……でも、なんとなくわかるぜ。心の神様に恥じぬよう心がけろ、そういうこったろ」

大雑把おおざっぱに言えば、そういうことです」


 名前のない魔女、ストレガ。

 彼女はとても不思議な女性だ。

 見た目は十代の少女だが、時々ぞくりとするような色気がある。クールで物腰穏やかだが、何故か日本のアニメや漫画にご執心だ。そして、決して誰にも名を明かさない。

 それが魔術的な理由なのかは、わからない。

 時々、蠱惑的こわくてきな美女にも見えるし、老成した年寄りのように思うこともある。

 だが、迅矢にとっては新しい仲間で、ストラトストライカーズでは誰もがそうだ。


「で? 魔女子ちゃんはなにしに来たんだ? 俺ぁこれから、整備に立ち会うが」

「ええ。そのことで話があるのですが……。でも、その前に」


 迅矢に向き直ると、真っ直ぐストレガは見上げてくる。

 空よりもあおく、海よりもあおい……とても澄んだ青いひとみに、迅矢の顔が映っていた。

 大きな目で真っ直ぐ見詰めて、ストレガは言葉を選ぶ。


「心の神は、時には翼となって力を生み出します。それは、空に愛された人間への贈り物ギフト……しかし、心の翼をにごらせてはいけません」

「また、そういう話か? わーってるよ……ようするにあれあろ? 漫画とかでよくある、復讐はいけませーん、憎しみで戦うなーってやつ」

「言い得て妙ですが……そういう漫画がお好きですか? お貸ししますが……プリーストは少女漫画しか読まないので。ど、どうですか!」

「あ、いや……千小夜ちゃんはそりゃ、普通の女の子っぽいからそうだろ。ま、考えとくよ。うん……なんつーか、お前さん」

何故なぜ、残念そうな顔をするのです?」


 ポンポンと迅矢は、ストレガの頭を撫でた。

 瞳と同じ色の髪が、真っ白な肌の上で揺れている。とても長くて真っ直ぐで、膝裏ひざうらあたりまで伸びた髪だ。風に色があるとしたら、こんな色なのかもしれない。漠然ばくぜんとだが迅矢は、そう思った。

 だが、静かに迅矢の手を払い除けて、ストレガは言葉を続けた。


「貴方を以前、撃墜したりゅうは……まだ生きています。この空のどこかで」

「あ? ……そういや、今日のは小ぶりだったような。俺が遭遇したのは」

「今日のは竜、です。とは違います。しゅとして近いものであり、龍の先触さきぶれ……龍はその力で、多くの竜を従えているのです」

「ワイバーン……ドラゴンと何が違うんだ?」


 首をひねる迅矢は、今日の戦闘を思い出す。

 巨体からは想像もできぬ高機動、そして高速での運動性……既存きぞんの航空機や生物とは一線を画した、恐るべき空の王。口からは火を吹き、強靭な脚の爪は鋭く輝いていた。

 それをストレガはワイバーンだと言う。

 そういうことファンタジーうとい迅矢は、ドラゴンとの違いがピンとこない。

 だが、浮かれていた自分をいましめ、気持ちを引き締める。

 まだ、友の仇は生きている……ストレガが言う通り、この空のどこかで。


……人間もそうですね。鳥は皆、前肢が翼になっています……つまり、四肢である腕、前足と別に翼を持っている訳ではありません」

「そりゃそうだ……あ! 今日のワイバーンとかってのも、そうだったな」

「そうです。ワイバーンはあくまでも、自然界の法則に従う生物……ですが、ドラゴンは、龍は違います」


 多くの神話や伝承に登場する、ドラゴン。

 その強靭な四肢とは別に、背中に巨大な翼を持っている。

 それこそが、最も神に近い存在と呼ばれる所以ゆえんだ。

 この世で手足と別に翼を持つ者は、神か、それに近いものだ。迅矢の思い出せる範囲では、天使であるクサハェルがそうだ。神の御使みつかいである彼は、人間の姿のままで背中に翼を広げることができる。

 そして、改めて考えると……今日の敵はワイバーン、前肢から進化した翼に鉤爪かぎづめを光らせた別個の個体だった。


「いずれいつか、貴方を撃墜したドラゴンとの戦いが訪れるでしょう。その時……貴方の心の翼が濁っていては、危険です」

「……忠告はありがたく受け取っておくぜ。でもな、魔女子ちゃん」

「復讐はなにも生まない、などと言うつもりはありません。ただ……復讐をげるにしろ、追いかけるにしろ、その後もずっと貴方の人生は続くのです。いつか眠る、その日まで」


 死を忘れてしまった少女の目は、不思議な光に満ちていた。

 とがめるでもなく、さとすでもない。

 迅矢の無意識が拾った色は、たくすという言葉だった。

 透明なブルーの瞳で、じっとストレガは見詰めてくる。


「心の翼って、なんだ? バロンのじいさんもヘリオンも、言ってた」

「貴方の心の問題です、ウォーロック。そしてもう、貴方はそのことを感じている。感じたままに触れてかたどり、その形を自分で確かめてください。直感と同時に、理解で認識する時……貴方はもっと高みへと飛べるはず


 珍しく熱っぽい言葉だった。

 それを自分でも思ったのだろうか? ストレガはわずかに頬を赤らめ目をそらした。

 説教じみた話だったが、珍しくよく喋るストレガが迅矢にはなんだかかわいい。この少女は、そして新しい仲間達は自分を心配してくれているのかもしれない。

 迅矢は自分を、そんなに大それた人間だとは思わない。

 心の翼と言われるものが、特殊な力や才能だとも思わない。

 ただ、ストレガに既に感じていることだと言われた時、少しだけわかった。

 今、迅矢をいざなう空への意思、それがもしかしたら心の翼なのかもしれない。


「それと、ウォーロック。貴方に渡しておきたいものがあります」

「おっ? なんだなんだ、魔女子ちゃん」

「どうぞ。手を、出してください」


 言われるままに手の平を向けると、そっとストレガの冷たい手が触れてくる。彼女は、握り締めていた何かを握らせてきた。

 それは、

 しかし、受け取り凝視して……迅矢は不意に「あっ!」と声を張り上げる。


「この子の……心神の部品です。一つ、組み込むのを忘れていたみたいです」

「おいおい、魔女子ちゃん! このネジ抜けたまま、俺は飛んでたのかよ!」

「そういうことになりますね」

「魔法で組み立てたんだろ! どうしてネジが余るんだ! あーもぉ、勘弁してくれ!」

「古来より、こうしたミスには小悪魔グレムリンが関与してることが多々あります。まあ……今回のは私の失敗ですね。以後、気をつけましょう」


 しれっとそれだけ言って、ストレガは去ってゆく。

 戦闘機は精密機械のかたまり、ネジ一本足りなくなっても危ないのだ。そして、流石さすがの迅矢でも、受け取ったネジがどこの部品かはわからない。

 再度分解しての整備が必要かもしれない。

 整備班と迅矢の、長い長い一日が始まろうとしているのだった。

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