第8話「再び、戦いの空へ」

 真っ赤に燃える朝焼けの中に、その翼は突き立っていた。

 飛ぶべき空、蒼穹そうきゅうへと突き立てられた聖剣。

 白を基調として赤く塗られた主翼と尾翼、そして中央に走る青いライン……そのトリコロールは、試作実験機であることを物語っている。

 霧崎迅矢キリノジンヤはその翼の名を知っていた。

 日本が産んだ、美しき国防の翼……その未来を奪われたステルス戦闘機。


「こいつぁ……X-2! 心神しんしん!」


 ――X-2心神。

 日本が独自に開発した、国産のステルス戦闘機……その雛形ひながたとなる実験機である。

 先の大戦に敗れ敗戦国となって以来、日本は航空機の自国での開発と生産を禁じられている。民間でこそYS-11という傑作旅客機を生み出したが、その流れを永続的な産業として確立できなかった。

 世界が日本の開発力を恐れ、日本は世界の圧力を恐れた。

 そしてそれは、国防を担う戦闘機に対しても同じだったのだ。


「X-2心神……FS-X計画の頓挫とんざと変更を経験した日本が、再び国産の戦闘機開発を目指して開発された戦闘機。ストレガ、こいつはっ!」


 迅矢はまだ、情けない格好で宙に浮いていた。

 彼を借りてきた猫のように魔法で吊るすストレガは、ほうきの上で静かにうなずく。


「この子は、未来を閉ざされてしまいました……でも、今という現実を守るためにきてくれたんです。高野山で密教みっきょう高僧こうそうが、祈りと願いをつむいでこめた翼……ウォーロック、貴方あなたの翼です」


 心神の開発は順調だった。

 だが、日本という国の立場は、戦後70年以上も経った今でもデリケートなものだったのである。次期主力戦闘機には、アメリカのロッキード・マーティン社が作ったF-35が内定している。高性能に加えて、垂直離着陸機能VTOLを持つB型等、バリエーション展開の多彩さが決め手だった。また、西側諸国圏が共有することでパーツのコストを抑えられる利点があった。

 また、さらなる次期主力機には、最強を誇るF-22の開発ノウハウを利用することが決定している。X-2の技術も、そこに何割かはかされるだろう……だが、国産の主力戦闘機という希望は、次代に全てをたくして消えることになったのだ。

 だが、ストレガが魔法で一瞬の内に組み立てたX-2は目の前にある。

 X-2心神は今、迅矢を待ちながらゆっくりと回転していた。


「……ストレガ、俺をこいつに乗せてくれ」

勿論もちろんです。ただ」

「ただ? ただ、なんだ! 俺は、この国を守る自衛官! この世界を守る、ストラトストライカーズだっ!」

「……ですね。では」


 ゆっくりと水平になる心神のキャノピーが、迅矢を迎えるように開いた。

 ストレガがツイと手を伸ばすと、迅矢がその中へと放り込まれる。

 の身のまま出てきた迅矢は、ジーンズにTシャツ姿だ。パイロットスーツを着ていないから、心神のコクピットが広く感じる。

 まだ、素材の匂いが香る真新しい内装。

 限られたテストパイロットしか座ったことのない、シート。

 自分を囲む1m四方程の空間が、迅矢に未知の興奮を高ぶらせる。


「燃料は、ある……実戦配備も同然だ、機銃の弾も! ミサイルは……いいか。そういうレベルじゃねえよな。なあ、心神!」


 イグニッション。

 実証エンジンXF5-1が、える。

 機体をビリビリと震わせる振動が、迅矢の高揚感に火を着けた。

 空中の見えない滑走路に浮かぶ心神は、隣に並んだストレガの手の中にある。彼女はゆっくりと、魔法を操る白い手で誘導してくれる。

 今まさに、フルパワーで心神は飛び出そうとしていた。

 不思議と密閉されたコクピットに、ストレガの声が肉声で響く。

 直接鼓膜を震わせてくる魔女の声は、とても落ち着いていた。


「ウォーロック、発進よろしいですか? 今ならまだ、ドワーフ達に追いつけます」

「ああ……行こうぜ、ストレガ! 俺はこいつで守る! この空を守って……かならずあいつのかたきつっ!」


 一瞬の沈黙のあとに、ストレガは「発進、どうぞ」と平坦な声を響かせた。

 そして、最大出力で心神が飛び出す。

 初めて、戦いの待つ空へと翼がうなる。

 そのコクピットで操縦桿スティックを握る迅矢は、奇妙な感覚の中で集中力をとがらせていた。平服で乗っているにもかかわらず、負担はない。まるで町中を自動車で走るような気楽さだ。絶え間ない加速の中で、そのGを感じてもどこか穏やかで優しい。

 苛烈かれつなGの中、フル装備で肌を覆ったいつものフライトとは違った。

 心神自体が今、空飛ぶ迅矢を覆った彼自身の服であり鎧だった。


「ストレガ、敵は! じいさん達はなにと戦っている!?」


 ちらりと横を見れば、音速に近い速度で飛ぶ心神の横にストレガはいた。箒に跨がり、前を向いて飛んでいる。その帽子が吹き飛ばされることもなく、白い装束のすそがゆるゆると揺れていた。

 彼女の声がやっぱり、無線も通さず直接響く。


「先日のような話のわかる神ではありません。敵意……そして、殺意」

「オーケィ、叩き潰してやろうぜ。そいつはもしかしたら……俺の仲間を殺った奴かもしれねえ!」

「……迅矢。心の翼をにごらせないでください。それでは」


 ストレガの言葉が、不意にくもった。

 彼女がなにを言っているのか、迅矢にはわからなかった。

 彼女が進む先に光がまたたく。

 それは、昔ながらの機銃でドッグファイトを演じる、仲間の放つ曳光弾えいこうだんの光だった。その先へと、空気を引き裂き飛ぶ異形の姿……間違いない、この世界の誰もが空想の物語に閉じ込めていた、恐るべき怪物がすさんでいた。


「ストレガ、あいつかっ! 見つけたぜ、トカゲ野郎……ウォーロック、エンゲージ!」


 ドワーフことバロンの駆るフォッケウルフの向かう先に、竜の姿があった。

 神話や伝承にうたわれた、恐るべき超越生物オーバーネイチャー……もっとも神に近い存在と言われた、恐るべきモンスターだ。その姿を今、迅矢は完全にとらえて飛ぶ。

 だが、仲間達の声が狭いコクピット内に満ちる。

 やけにクリアな声は、同じ空気を共有しているかのようだ。


「迅矢さん、あ、いえ、ウォーロック! 気をつけてください……きゃあっ!」

「言っても無駄さ、プリースト。さて……クサハェル、聴こえてるかい? こちらキャバルリィ、目標を撃墜する」

「こりゃ、プリースト! 落ち着かんかい! いつも通りにやりゃいいんじゃ。あせることはないぞ。さて、若いの……お主の翼、ワシもとくと見せてもらおうかの!」


 まさしく戦場、闘争の空が広がっていた。

 その中へと飛び込んだ迅矢は、ヘッドアップディスプレイの向こうに竜を見据みすえる。そして、瞬時に周囲の空気を察した。

 自分がチーム、仲間達と共に戦っていると知れたのだ。

 それを教えてくれたのは、清水のように染み渡る声。

 彼女の声がなければ、援護しながら共に戦ってくれる仲間のことを忘れるところだった。


「全員で囲んで追い詰めます……ウォーロックを全員で支援しましょう。必ずここで仕留めます……決して地上には行かせません」


 ストレガの声だった。

 彼女はこんな戦闘のさなかでも、嫌に落ち着いた平静な声音である。

 そして、周囲がよく見えていた。

 その眼差まなざしに自分を重ねて、迅矢も冷静さを取り戻す。


「オッケェ、見えてきたぜ……ここはまだ、太平洋だ。陸地までは距離がある……なら、ここで落とすっ!」


 心神を操って、敵の背後へと機体をつける。

 ドッグファイトの基本は、背後を取ることだ。

 だが、相手は竜……首をめぐらし減速しながらも、戦闘機には不可能なマニューバで上昇する。その翼が羽撃はばたく風の中を、迅矢の心神は突き抜けてしまった。

 あわてて反転するも、その距離が徐々に開いてゆく。

 焦る迅矢をフォローするように、仲間達の声が響く。


「ワシが追い込む! プリースト、矢を……奴の脚を殺すんじゃ!」

「は、はいっ! ヘリオン君、お願いっ……風上へ!」

「キャバルリィ、了解。やれやれ、世話がやけるね。プリースト、可能なら君が撃墜するといい。君は仮にも、まがいなりにも一応……僕が背を許す唯一の人間なのだからね」


 機体をひるがえした迅矢は、見た。

 レシプロ戦闘機であるフォッケウルフで、バロンは見事に敵の機動力をいでゆく。スピードで圧倒的におとるプロペラ機が、どうやって? その答はすぐに知れた。

 バロンは常に、

 どんな速さの相手であれ、敵が向かってくる場所に自分を置いているのだ。


「それ、プリースト! キャバルリィ! 頼むぞい!」


 フォッケウルフが反転する中、ひずめの音が木霊こだまする。

 純白の天馬に跨った、巫女装束みこしょうぞくの少女が弓に矢をつがえていた。


「ヘリオス君、撃ちますッ! ええーいっ!」


 プリーストこと倉木千小夜クラキチサヨの、必殺の一矢が竜の背に突き立った。

 はっきりと見て取れる発光が、稲妻のようにきらめく。そして、その一撃で竜は明らかに速度を落として動きを鈍らせた。

 その間隙に迅矢は己を押し出す。


「うおおおっ! 沈めええええっ!」


 振り向く竜が、口から巨大な火球を吐き出した。

 その燃え盛る紅蓮ぐれんの光が、心神をかすめる。

 速度を殺さず、迅矢は荒ぶる竜へと肉薄していった。

 あの時は機銃もミサイルも効かなかった。だが、今は不思議と確信がある。自分の心が、魂が信じている。この一撃が、通じると信じきれる。

 迷わず迅矢は、レティクルの先に逃げようとする竜を撃ち抜いた。

 蜂の巣になった竜は、断末魔だんまつまと共に動きを止め、ちてゆく。

 脅威が去った空を、迅矢は仲間達と共に飛んでいた。

 飛んでいる、生きている……そしてまた、生きるために飛び続ける。


「こちらストレガです。任務完了……帰投しましょう」


 ストレガの声に、皆が並んで編隊を組んだ。

 ストラトストライカーズの凱旋がいせんを、朝日だけがあかつきの色で照らしていた。

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