第7話「貴方に翼を」

 その日の夜は、美味うまいカレーをたらふく食べて、すぐに寝た。

 目覚まし時計を5時にセットしての、就寝しゅうしん霧崎迅矢キリサキジンヤは明日からまた、ロードワークと運動を再開するつもりだ。パイロットとは肉体労働が基本であり、そのための身体を維持管理しなければいけない。

 日課として7kmキロ前後ほど走り、全身のストレッチを入念に行う。

 それも明日からだと決めたが、深い眠りが突然終わってしまった。


「っ! 携帯かよ……!?」


 枕元のスマートフォンが、薄暗い中で鳴り出した。

 クサハェルからの直通で、緊急の出撃要請だ。

 即座に身を起こした迅矢は、手早く着替えて部屋を出る。丁度ちょうどとなりからバロンが出てくるところだった。

 幽霊のバロンはすでに真っ赤な飛行服姿で、床をすり抜け階下へ消えてゆく。

 生身の迅矢は、転がるように階段を駆け下りた。


「敵か? また例の、ケースDってやつ……な、の、か? ……ありゃ?」

「あっ、おはようございますっ。出動、みたいです。今回はわたしも御一緒ごいっしょしますねっ」


 階段を降りたエントランスでは、すで倉木千小夜クラキチサヨがいる。

 ニコリと微笑ほほえむ彼女の姿に、迅矢は言葉を失った。

 千小夜は、神社の巫女装束みこしょうぞくに身を固めていた。真っ赤なはかまに白い着物、そして背には矢筒やづつを背負っている。彼女の身長程もある、大きな弓を両手で持っていた。

 やはり彼女もストラトストライカーズの一員なのだ。

 確か、タッグネームはプリースト……司祭しさいだ。


「千小夜ちゃんも、出るのか?」

「はい。わたしはヘリオンさんとコンビを組んでるんです。いつも迷惑かけっぱなしで……わたし、どんくさいから」

「あの、なんかいけすかないボウズか」


 そう口にした瞬間、背後で声がした。


「いけすかなくて悪かったね、人間」


 振り向くとそこには、眠そうな目をこするヘリオンの姿があった。少し大きめのシャツにそですそを余らせた、小さな小さな男の子。頭に乗ったナイトキャップが、なんともかわいらしくて幼い印象を与えてくる。

 だが、その性格はお世辞にもいいとは言えない。

 会ってまだ一日しか経っていないが、迅矢の中では要注意人物だ。


「さて、千小夜。行こうか」

「は、はいっ」

「今日は上手くやるんだね。足を引っ張られると、僕もいい迷惑だ」

「がっ、頑張りますっ!」


 二人はエントラスを出て、外へ。

 まだまだ空は暗く、星がまたたいている。夜明けまではまだ一時間以上はありそうだ。

 急いで靴を履くと、迅矢も玄関を出る。

 そこで彼は、驚きの光景に目を見開いた。


「飛ばすよ……千小夜。せいぜい振り落とされないようにするんだね」

「ひああっ! も、もぉ! ヘリオン君っ」


 ヘリオンの小さな肉体が、光とともに輪郭りんかくを消してゆく。

 闇夜の中にまばゆい光芒を膨らませ……いななく純白の駿馬しゅんめが現れた。背に翼を持った馬……だ。カツカツとひづめの音を鳴らして、彼は千小夜に振り返る。

 ヘリオンは千小夜の襟首えりくびにぱくりと噛み付くと、そのまま彼女を背へほうった。

 同時に、蹄の音も高らかに星空へと舞い上がる。

 呆気あっけに取られてしまって、その姿を見送るしかできない迅矢。

 すぐ頭上から、バロンの声が降ってきた。


「なんじゃ、若いの。知らなかったのか? ヘリオンは天馬てんまじゃ」

「みたい、だな……そっか、それで俺のことを、人間ごときとか言うのか」

「ま、プライドばかり高い若造だが、腕は立つ。タッグネームはキャバルリィ。プリースト、千小夜とペアで戦うストラトストライカーズの一員じゃよ」

「千小夜ちゃんも戦うのか……てっきり家事全般をやってくれる、メイドさん的な娘だと」

「あのは代々巫女の家系でな。神通力を宿した矢は強力じゃよ」


 よく見れば、ふわふわ浮かぶバロンには足がない。

 下半身がもわもわと煙のように揺れているだけだ。


「ほれ、若いの! 急がんか!」

「俺は飛べねえよ! くっそ、先に行ってくれ! 車で追いかけるっ」

「ワシのビートルを使うなら、台所にかぎを並べておく場所があるじゃろ。壊したら承知せんからの、ホッホッホ」

「わーってるよ! ったく、忙しい仕事だぜ、こいつはよ!」


 飛び去るバロンと別れて、迅矢は宿舎の中へ取って返そうとした。

 だが、それは扉が開いて中から美しい少女が出てくるのと同時だった。

 白い帽子に白い服、白亜に輝く姿はストレガだ。彼女はいつも通りの玲瓏れいろうなる無表情で、手にしたほうきまたがる。

 そして、迅矢へすっと手を伸べた。


「飛びます」

「飛びます、って……う、うおおおっ! ま、待てっ! なんだこりゃ、またかよ!」

「そうです、また魔法です」

「そういうのを聞いてるんじゃねえ!」


 あっという間に迅矢は、無様な格好で宙に運ばれてしまう。

 ふわりと浮かぶストレガの横に、尻からぶら下がるようにして飛ばされてしまった。みっともないことこの上ないが、箒に跨ると股間が痛くなるのでなんとも言えない。

 そして、ストレガはヘリオンと千小夜が飛び去った方角でもなく、バロンが向かった空港を目指すでもない……全然違う方向へと加速を始める。


「お、おいっ、魔女子まじょこちゃん!」

「今は作戦行動中です、ウォーロック」

「わーったよ、ストレガ。どこに向かってる?」

「洋上です。小八州島こやしまとうより南西に10kmの海域」

「敵はそこか!」

「全然違います。……

「俺の……翼?」


 ストレガは前だけを見て進む。

 横に浮かんだまま、ふと迅矢は思い出した。

 あの日、巨大なりゅうに襲われた時……かろうじて生還した自分を、こうしてストレガは助けてくれた。失速しながら墜落へ向かう愛機を、彼女はこうして魔法で持ち上げてくれたのだ。


「あの時も、こうしてくれてたんだな」

「あの時、とは?」

「俺達が初めて会った日さ。なあ、ストレガ……うらやましいと思って見てた、ってどういう意味だ?」


 確かにストレガは言った。

 結果的に助けた、羨ましくて見ていたと。

 彼女の怜悧れいりな横顔は、まるで凍れる雪の女王。あおい髪をなびかせ真っ直ぐ矢のように夜を切り裂く。


「そのままの意味です。死にゆく貴方あなたを見て……羨ましいと思いました」

「なんでまた」

「私は、魔女です。魔女は死にません……絶対に、死ねないんです。そういうイキモノですから」

「……死にたいのか?」


 迅矢の言葉に、ふとストレガが考え込むような素振りを見せる。


「よく、わかりません。ただ、多くの死を見過ぎました。凄惨せいさんな死、残酷な死、そしておだやかな死。私にはその全てが、未来永劫みらいえいごう訪れないのです」

「不老不死、か……800歳だもんな」

「貴方はでも、あきらめていなかった。死にゆくあの飛行機を制御し、必死で飛ばそうとしていた。気付けば私も、そんな貴方を助けていたのです」


 パイロットには諦めることなど許されない。

 自分がベストを尽くすことで、多くの人間を救えるからだ。それで自分が助からなかったとしても、平和をたくされた翼で飛ぶ限りは迷わない。

 そんな迅矢の不屈の精神に、どうやらストレガはチャンスをくれたらしい。

 改めて迅矢が感謝の気持ちを感じていると……洋上に大きな貨物船が見え始めた。


「予定通りですね。では……ウォーロック、貴方に翼を。……生まれなさい、翼。閉ざされた未来をつかむため、もう一度……もう一度だけ、生まれ直しなさい」


 ストレガは呪文を唱えたりはしない。

 だが、幼子おさなごに言い聞かせるような優しい声音が、驚きの光景を呼ぶ。

 はる彼方かなたで水平線が白み始めた、その朝日の最初の輝きが照らす中……貨物船の甲板に並ぶコンテナがガタガタと揺れ始めたのだ。

 そして、その中の何個かが浮かび上がる。

 空中で開放されたコンテナから、無数の機械の部品が飛び出した。

 それは、タクトを振るうように両手を広げたストレガの魔法で、空気を切り裂く楽器となって歌う。バラバラに分解されて運ばれてきた、それは風の楽団。その全てが必要な要素で構成された、単一の目的をもった純粋なカタチだ。

 誕生の交響曲シンフォニーが響き渡る。

 あっという間にストレガは、無数の部品を空中で組み立てた。

 迅矢はもう、驚かない。

 むしろ、本当に魔法をみているのだと、奇妙な興奮を感じた。


「ウォーロック、貴方の翼です」

「こ、こいつぁ……俺にこいつで飛べと?」

「この子は一度、捨てられました。未来を奪われたのです。ですが、クサハェルが手配して、高野山を経由して今ここに……貴方の翼となって生まれ直したのです」

「……俺をコクピットまで飛ばしてくれるか?」


 払暁ふつぎょうの光を受けて、茜色あかねいろに輝く機体が屹立きつりつしていた。

 それは、天空へと振り上げられた剣のよう。

 鮮やかなトリコロールカラーに、ステルス戦闘機特有の直線と曲線がりなすシルエット。白を基調としたボディには、誇らしげに日の丸が描かれている。

 迅矢は、本来ここにある筈のない機体に絶句していた。

 肩越しに一度だけ振り返れば、箒の上のストレガは強くうなずいてくれたのだった。

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