第6話「新しい日々、彼女の日常」

 いろいろなことが突然で、そして大量に押し寄せてきた。

 そんな一日が今、終わろうとしている。

 夕焼けの沈む海からの光が、新たな寝床となる部屋を照らしていた。ワンルームだが広々としていて、備え付けのベッドも簡素ながらふかふかで広い。

 霧崎迅矢キリサキジンヤは、あらかた荷物を開封して部屋を整え終える。

 最後に、窓辺の机にそっと写真立てを置いた。

 三人の男女が、カメラに向かって笑っている。


「……こちらウォーロック、パラディン応答せよ。天国はどうだ? 拓海タクミ。ちゃんとお前、上からあいつを……奈美ナミを見守ってやるんだぞ? ……かたきは、俺に任せろ」


 学生時代の迅矢の、無邪気な笑顔がそこにはあった。

 そして、失われた二つの笑み。

 後輩の八谷拓海ヤタニタクミは、同じ防衛大学からパイロットになった。タッグネームはパラディン……お人好しで聖人めいたとこがあって、律儀で真面目で、そして優しい奴だった。二人の共通の友人、奈美と結婚して同じ名字みょうじになった。

 もう、笑顔で飛ぶ八谷拓海はいない。

 彼の死は、八谷奈美からも笑顔を連れ去ってしまった。


「知ってるか、拓海。世界の空には、俺達の知らなかった神秘と驚異が満ちてる。敵が、いるんだ……そいつを俺は、叩いて潰す。自衛官として国民のため……なにより、パイロットとして、俺達三人のために」


 迅矢の決意を、斜陽しゃようの光だけが見詰めていた。

 だが、迅矢はなんとか片付いた部屋をあとにする。食堂での夕食は6時からだが、まだ時間があった。あいにくと部屋に置くテレビを持ってこなかったが、バロンの話では食堂にあるらしい。

 新顔として皆には、改めて挨拶もしたい。

 ストラトストライカーズの一員になったからには、仲良くしたいのだ。

 特に、、だ。


「へへ、いい匂いだな! 今夜はカレーか? 千小夜チサヨちゃん、かわいいよなあ……ん?」


 一階のエントランスへと降りる階段の前で、ふと迅矢は脚を止めた。

 視線を感じたのだ。

 パイロットとは常に、他者の気配に敏感になるものである。時には鋼鉄のコクピットで、キャノピー越しに殺気を掴むことさえあるのだ。

 ゆっくり振り向くと、三階へ続く階段の影から、じっとりと迅矢を見詰めるひとみ

 あお双眸そうぼうに蒼い長髪、間違いない。


「えっと……な、なにしてんの?」

「……プリーストは今、忙しいでしょうか」

「プリースト?」

「夕食の準備の時間だと思います……その、忙しいでしょうね。いえ、すみませんでした、ウォーロック」


 どうやらプリーストとは、倉木千小夜クラキチサヨのことらしい。

 恐らく、それが彼女のタッグネームなのだろう。


「千小夜ちゃんね……ま、料理中だと思うぜ? 因みに、俺は霧崎迅矢ってんだ。自己紹介、したよな? 迅矢って気軽に呼んでくれ――」

「ウォーロック、その……あなたは機械には詳しいですか? 詳しい、ですよね……私なんかより、何倍も」


 彼女の名は、ストレガ。

 タッグネームしか知らないし、本名は誰もわからない。

 その彼女が、ちょっと困ったような顔をしている。

 迅矢は興味が湧いて、その上に心配になった。

 それで階段を昇ろうとして、ふと脚を止める。


わりぃ、三階は女子の部屋だから男子禁制だって」

「……そう、ですね」

「なんだ? 緊急なのか? 困ってんだろ、あんた」

「時間がありません。事態は急を要します、ので……無理を承知でお願いがあります、ウォーロック。私の部屋に来てもらえませんか?」


 一瞬、耳を疑った。

 相変わらずストレガは、涼し気な無表情だ。だが、先程からずっと、困ったようにうつむき気味である。

 しかし、彼女は言った。

 確かに言ったのだ。

 自分の部屋に来て欲しい、と。

 迅矢は自衛官として国と民を守る、そうちかっている。同時に、女の子のためにならなんでもできる、積極的にしたいと思っていた。それが男だと自分では思うのだ。

 それに、これはもしかしたら……不器用なストレガのお誘いかもしれない。

 誘惑されてみたくて、迅矢は周囲を見渡す。


「誰も見て、ねえよな……俺でよければ力になるぜ? 

魔女子まじょこちゃん?」

「プライベートでもタッグネームってのは、味気ないしよ。今夜ベッドで聞かせてくれよな……本当の名前をさ」

「……何故なぜですか?」

「何故、って」

「とにかく、来てください。時間がないんです」


 そう言って彼女は、三階の奥へと行ってしまった。

 心持ち足音を忍ばせ、迅矢もあとに続く。

 十分に考えられる……これは、誘っているのだ。

 つまり、800歳以上でも魔女は魔女、つまり魔法を使えども女の子なのだ。そして、年齢を感じさせぬ美しさに、彼女はどうやら無自覚である。

 今はもう、昼間に見た真っ白な帽子と装束しょうぞくではない。

 ホットパンツにへそ出しのシャツと、とても解放的ではないか。


「へへ、そういうことね、うんうん……俺ぁ機械にも強いが、優しい男だぜ?」

「こっちです、ウォーロック」

「んじゃま、お邪魔しますよ、っと」

「すみません、少し散らかってますが入ってください」


 嘘は女のアクセサリー、なんて言葉を何度使ったか思い出せない。

 だが、ここまでしれっと嘘をつく女を、迅矢は初めて見た。

 少しとは形容できない散らかりようで、彼女の薄暗い部屋は乱雑な印象しか与えてこない。足の踏み場も探さねばならぬほどに、本の山がそこかしこに積み上がっている。

 チラチラと脱ぎ捨てた下着や着衣もあって、少し迅矢は辟易へきえきした。

 脱がして見える下着、偶然見えた下着、これはいい……女性が身につけているからこそいいのだ。脱ぎ捨てられればただの薄布うすぬのである。


「どうかしましたか? ウォーロック」

「あ、いや! ハハハ……魔女の部屋っていうからさ。えっと、つぼ? グツグツ薬を煮込む壺はないんだな。あと、定番の黒猫とか、あやしい標本とか」

「今はなんでもAmazonアマゾンで買えます。わざわざ取り置きしておく必要はありません。黒猫は以前はいたのですが……何度も先立たれるので、数百年前からやめています」

「身もふたもない……でも、ネットで注文なんかできんのかよ」

「……プリーストにいつも、お願いしてます」


 なるほど、世話好きな雰囲気を感じる千小夜は、本当にストレガの買い物まで補佐しているのだ。もう、ほぼほぼ『ストラトストライカーズのお母さん』である。

 ストレガは素直に、欲しいものを紙に書いて渡し、千小夜のスマートフォンから注文してもらうのだと白状した。

 どうやらストレガは、超がつく程の機械音痴きかいおんちらしい。


「先程帰宅し、掃除をしようと思ったんです。でも、終わってみると」

「待ってくれ、なあ魔女子ちゃん。……掃除、終わってるようには見えないんだが?」

「そ、掃除機が今日は調子が悪くて……その、掃除をすることは終わらせました」

「なるほど、掃除機の調子ねえ」


 掃除機も使えないのかと、迅矢は肩をすくめる。


「……きっと、彼がよく思わないからでしょう」

「彼?」

「そこの彼です。張り合うのはおよしなさいと、いつも言っているんですが」


 細く白い指がさす先に、例のほうきがある。

 古びた年代物で、それ以外は取り立てて特徴のない普通の箒だ。

 あれに二人でまたがって、昼間は空を飛んでいたのだ。


「掃除機に箒が……嫉妬しっと? なんだそりゃ。まあ、本業は同じ分野だからな」

「ええ。で、問題はこれです」


 ストレガは部屋の奥のテレビを指差す。

 正確には、今どきちょっと見ないブラウン管タイプの下に収められた、レコーダーだ。


「17時30分から、番組を録画したいのですが……」

「なんだ? 止まってるじゃねえか」

「突然、壊れてしまったみたいで、困っています」

「……電源が入ってないぞ?」


 デジタル表示の時計すら沈黙している。率直に言って、まず通電していないと見るのが妥当だ。だが、そんなはずはないとストレガは、屈んだ迅矢の横に身を乗り出す。

 ふわりと蒼い髪から、柑橘系かんきつけいを思わせるかぐわしさが広がった。


「コンセントならここにしてます」

「おいおい、あんましタコ足すんじゃないよ、ったく」

「タコは、苦手でした。日本に来るまでは。今は大丈夫、食べられます。……結構、美味しいです」

「あ、そ。どれ! じゃあちょいと見てみますか。……って、おい。この電源タップ!」


 確かにレコーダーのコンセントは、無数のゲーム機やらなにやらと一緒に電源タップに挿さっている。そして……その電源タップ自体のコンセントもまた、

 これでは電気がくる訳がない。

 聞けば、ストレガが掃除機を使おうとしてから、レコーダーが壊れたという。きっと、掃除機のコンセントを挿す過程でおかしくなったのだ。


「なあ……魔女子ちゃん」

「は、はい」

「……まあいい、いいよ。ほら、これで直った。時計も合わせとくぞ?」

「ありがとうございます。これで録画できますね……今週の『望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴン』の再放送」

「あ?」

「少し昔の、日本のアニメです! 興味がおありですかっ、ウォーロック!」


 しばし固まったあと、迅矢はドン引きしながら首を横に振る。

 バロンが言ってた「そういうのが好きな」とは、ストレガのことだったのだ。

 だが、録画予約をセットすると、彼女はホッとしたように溜息ためいきこぼす。

 さてさて、ここからちょっとだけでも甘い言葉をささやいてやれば……などと思っていた迅矢は、突然空中に浮かんだ。何故か、散らかった部屋を俯瞰ふかんする高さに飛ばされていた。


「な、なあ、魔女子ちゃん! これは」

「魔法です」

「へ、へぇ、す、すす、凄いな。ハハハ……ろしてくれる?」

「窓から庭へ出てください。一緒に食堂に降りては、疑われます」

「俺、まだその……疑わしいことをしてないんだけど」

「男子禁制ですから。では」


 バン! と窓が開いて、そこから迅矢は放り出された。そのままふわりとゆっくり、庭へと降ろされる。呆気あっけにとられて見上げれば、顔を出したストレガは……ぺこりと頭を下げて、窓を閉めてしまった。

 なんだか釈然しゃくぜんとしない迅矢は、自分の下心をたなに上げつつ、玄関から入り直して食堂に向かうのだった。

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