第4話「戦う以外に広がるお仕事」

 霧崎迅矢キリサキジンヤは絶句した。

 雲海、読んで字のごとく白い雲の海に今……巨大な帆船はんせんが浮いている。

 よく見れば、西洋のクリッパーや海賊船といったおもむきではない。大きなマストは一つで、日本古来の北前船きたまえぶねに似ている。七福神しちふくじんが乗ってる宝船たからぶねが、一番イメージに近いだろう。

 目を丸くする迅矢に構わず、魔法のほうきでストレガは近付いてゆく。

 彼女は巨大な船体に箒を寄せると、そっと白い手で触れた。


御尊名ごそんめいを……この国の古き神とお見受けしました。お声を、どうか」


 まるで祝詞のりとを歌うような、うるわしい声。

 呆気あっけにとられる迅矢は次の瞬間、頭の中に響く荘厳そうごんな声を聴いた。

 そう、脳裏に直接言葉が流し込まれてくる。


『我は鳥之石楠船神とりのいわくすふねのかみ天津神あまつがみに連なる者なり! 今はただ、天鳥船あまのとりふねと呼びならわせ』


 船が、喋った。

 そうとしか思えないので、迅矢は自分の正気を疑う。

 だが、すぐに冷静さが彼の中で理性を支えた。

 今こうして、魔法の箒で魔女と一緒に飛んでいる。周囲を警戒して飛ぶのは、大戦中の傑作機Ta152H-1フォッケウルフだ。それに乗ってる真っ赤な紳士は、人間じゃないかもしれないときている。

 常識を捨てろ。

 現実を直視する。

 それを念じて、迅矢は自分を落ち着かせた。

 ストレガは怜悧れいりな澄まし顔で、静かに言葉をつむぐ。


「天鳥船様、恐れながらこのままでは、人間達に探知、補足される恐れがあります。この国の民は古き大和やまとの時代よりずっと、古き神々をほうじておりますが」

『ふむ! 我としたことが、よき風にいざなわれ気付かぬうちに……大義であった、乙女おとめよ』

「深き御心みこころに感謝を……どうか、すぐに高度を取って神格しんかく自然化しぜんかを」

『神格の自然化……普段そうであるように、この星に溶け込めというのだな?』

御意ぎょい


 今、迅矢は神話を目撃している。

 眼の前の巨大な帆船は、それ自体が古き神なのだ。

 昔、エレメントを組む相棒が言ってた。タッグネームはパラディン……新婚ホヤホヤで、ちょっとオタク趣味で、いつも迅矢を先輩と呼んでなついてきた男だ。彼は、八百万やおよろずの神々には多彩な顔ぶれがあって、その中には空飛ぶ船そのものな神様もいると言っていた。

 今、彼のことを思い出すと心が痛い。

 共に国を守る自衛官として、飛んで、戦って、そして敗れた。

 迅矢だけがまだ、こうして生きている。

 だが、生き延びたことに意味を見出すなら、目の前の現実から目を背けてはいけない。


『では、我は再び神々の領域へと去ろう……話せて楽しかったぞ、乙女よ。大義である』

「ありがとうございます、天鳥船様。大事にいたらず、幸いです」

『うむ。……む? そなたは……ほう! これはまた数奇な』


 不意に、天鳥船の声が奇妙な高揚感に満ちた。

 基本的に神様は大らかで、尊大ながらも些末さまつなことには寛容かんようなようだ。そして、ストレガの言葉と態度は礼節をわきまえたものであり、ぴったり身を寄せ背中に張り付いている迅矢にもそれが伝わった。

 だが、天鳥船は小さく笑って言葉を続ける。


『乙女よ、そなた……人を捨てて何年になる? 西洋の巫女みこ……いや、魔女か』

「……はい」

『恐ろしいものよなあ。人の摂理せつり条理じょうりを捨てて、久遠くおんときを生きることを選んだか。しかし、悠久ゆうきゅうを生きることは時間の牢獄ろうごくにも等しい』

「もう800年になります……そこから先は、数えることを忘れてしまいました」

『で、あろうな。ふむ、珍妙な。人間は時として、斯様かように愚かな選択に身をゆだねる……そうまでして得たものはなんであったか? 我はそのことに興味がある』


 ストレガの細く華奢きゃしゃな身が震えていた。

 風に棚引く蒼い長髪の頬を撫でられながら、迅矢は自然と奥歯を噛む。

 800歳だとか魔女だとか、そういう話に興味はない。この場で人間の常識を物差しにすることは、無意味だ。だが、それでも迅矢には迅矢の物差しがある。

 気付けば迅矢は、ストレガの細い腰を抱いたまま身を乗り出していた。


「おう、待てぇ! 神様よぉ……ちょいと無粋ぶすいじゃねえか? よーく考えてみろ! 自分が今、言った言葉を!」


 ストレガが息を飲む気配が伝わった。

 だが、迅矢の言葉は止まらない。


「いいか、教えてやるぜ! よく聞けっ、神様よう! いた言葉は戻らねえ……口にしたらもう、発した言葉の結果を受け止めるしかできねえんだ!」

『……無礼な。不敬ふけいであろう』

「うるせぇ! 俺が無礼で不敬なら、手前ぇは無粋で、その上に無様ぶざまだ!」

『なんと!』

「女の子のプライベートを、それも人生の決断に関わるあれこれを詮索せんさくするんじゃねえ! 珍妙だぁ? このは、ストレガは見世物じゃねえ! コイツが800年生きてるってんなら、こいつの800年はこいつだけのものだ! サーカスの珍獣みたいに見るなら、ブン殴る!」


 威勢よく啖呵たんかを切った。

 それしか考えてなかったし、それすら考えられなくなりそうだった。

 単純に腹が立ったし、人には踏み込んではいけない領域がある。それは、人が人であるゆえに抱えるとてもナイーブな心だ。超越者ちょうえつしゃである神からすれば、考えのおよばぬところかもしれない。だが、人は誰しも、その人だけの心に全てをしまって生きている。

 希望も絶望も、喜び悲しみも……そして、それらが入り交じる過去も。

 そこに土足で踏み込む存在は、誰であろうと迅矢には許せない。

 航空自衛隊に所属してた時も、相棒のアニメやゲームの趣味を馬鹿にする連中には腹が立った。短慮たんりょだと思うし短気なのだが、そのことを恥じたことはない。


「いいか、神様っ! あんたが不用意にうろうろしてっから、俺達がこうして出張でばってんだよ! 俺は……俺達は、ストラトストライカーズ! なんかわかんねーけど、空の厄介事やっかいごとは全部俺等の片付けるべき仕事だ!」

『ほう……』

「神様よう……このまま去るにしても、この娘になにか言うことがねえか?」


 ポン、と迅矢はストレガの頭をでた。

 ビクン! と彼女が見を震わす気配が伝わる。振り向き見上げてくる視線は、そのひとみあおのままに澄んですずやかだ。だが、冷たくもないし凍えたりもしない。

 ストレガの眼差まなざしは、清涼な高高度の空気そのものだ。

 いつもスクランブルで飛び出した空の、あの静かな蒼穹そうきゅうに似ている。

 そう思っていると、不意に笑い声が響いた。


『ハッハッハ! 愉快! 愉快ぞ、人間! この我を前にそれほどまで……我に非礼があった、びよう。勇敢な男、日本男児よ。我の謝罪を受け入れてくれるか?』

「おうよ! 俺も言い過ぎたかもしんねえしな……神様、あんまウロウロすんなって。それに……ありがとよ。あんた、この娘を面白がってはいたが、純粋な好奇心でしかなかったみたいだ」

『我等は神、その世界は人理じんりを超えた場所にある。しかし……人の心が我等神を生み、神を生かす。故に、我等神は人と共にあることを選んだのだ。人の子、益荒男ますらおよ……今日は楽しかったぞ。魔女の乙女も、壮健そうけんなれ! さらばだ!』


 ふわりと浮き上がった巨大な船は、そのまま空へと吸い込まれ、消えた。

 それを見送り、どっと疲れて迅矢はストレガにもたれかかる。

 嫌がる素振りも見せず、彼女は不思議そうに首を傾げていた。


「任務完了、ケースDの解決を確認……ウォーロック、私は不思議です」

「ああ? なにがだよ……ってか、悪ぃ。なんか、すっげえ疲れた……しばらくこうしてていいか?」

「問題ありません。ですが……何故なぜ、あなたは怒っていたのですか?」

「そりゃ……カワイコチャンに無遠慮ぶえんりょな奴はイラッとするだろ」

「カワイコチャンとは? あ、いえ……単語自体は知っています。ただ……わたし、ですか?」

「他に誰がいるんだよ、この空にさ」


 無表情のまま、わずかにストレガはほおを赤らめた。

 そういうところは、うら若き乙女そのものだ。容姿だってナイスバディだが、十代の少女にしか見えない。

 だが、迅矢は知ってしまった。

 彼女は、齢800歳を超える魔女。

 故あって、人の命のことわりを捨てた少女なのだ。

 永遠に少女となったストレガが、過去にどんな選択をしたのか……その決断には、どんな背景があるのか。気になったが、迅矢は口に出したりはしない。

 今しがた神様に気風きっぷよく叫んだ手前、自分が無粋な詮索をする訳にはいかなかった。

 ストレガも、しばしぼんやりと迅矢を振り返っていたが、我に返る。


「とにかく、任務完了です。このように、人類の常識で解決できぬ空の諸問題を、我々ストラトストライカーズではケースDと呼んで、対処しています」

「なるほど。なんかでも、いいな……戦って倒すだけじゃないのってさ」

「そう、ですか?」

「ああ、そうさ。俺は今でも自衛官、日本を守る自衛隊のつもりだからな。俺等の仕事は戦うことじゃない、国土と国民を守ることだ。あと、カワイコチャンは個人的に絶対守るもんだと俺は思ってる」


 いつわらざる本音、本心だった。

 だが、ストレガは前を向いてしまった。

 静かに飛ぶ箒の上で、彼女の蒼髪そうはつから覗く耳だけが赤い。


「と、とにかく、司令に……クサハェルに連絡します。無事にケースDが片付きましたので」


 ストレガはそう言って、ふところから携帯電話を出した。

 これまた、酷く古風なストレートタイプの携帯である。今の御時世ごじせい、二つ折りのガラケーも珍しいのに、そのさらに前の時代のものだ。

 ストレガは難しい顔をして、両手で携帯電話を持つ。

 だが、彼女がおずおずと指を動かしても、通話やメールの機能が起動しない。


「……あれ、ひょっとして……ストレガちゃんさあ」

「ちゃん、は余計です。話しかけないでください、気が散ります」

「いや……メール? それとも、電話か? ひょっとして……携帯、苦手?」

「そんな訳がありません。ただ、ちょっと……機械は、難しいんです」

「あ、そ……ちょいとごめんよ」

「あっ……ウォーロック、なにを」


 見かねて迅矢は、彼女から携帯を取り上げた。アドレス帳に番号が入っていたので、すぐにクサハェルにつなぐ。

 そうして差し出してやると、上目遣うわめづかいににらみながらストレガは受け取る。

 どうやら800年以上生きている魔女は、機械が苦手のようだ。

 こうして迅矢は、新たな居場所で新たな戦いを知った。それは、ただ敵を武力で迎え撃ち、その武力を使わず追い払う今までとは違った。信じられない程に多種多様なケースDが待ち受ける、波乱万丈はらんばんじょうな日々が始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る