第3話「白い魔女」

 沸騰ふっとうする空気がかき混ぜられた。

 多くの怒号どごうと絶叫の中で、格納庫からバロンのフォッケウルフが出てゆく。その風にあおられて今、長い長い蒼髪そうはつ棚引たなびいていた。

 ほうきを手に、もう片方の手で帽子を押さえる白い少女。

 空と海とを並べたような、あおい瞳が見詰めてくる。

 間違いない……あの日、霧崎迅矢キリサキジンヤを助けてくれた少女だ。


「な、なあ、あんた……えっと」


 暴風が徐々に収まり、滑走路の向こうへとフォッケウルフは消えていった。

 静かになる中で、髪型を気にしながらクサハェルがやってくる。彼は先程と変わらぬ柔和にゅうわな笑みで、迅矢に彼女を紹介してくれた。


「ああ、迅矢。紹介するよ。彼女も僕達、ストラトストライカーズの仲間……うちのエースだ。さ、挨拶して」


 クサハェルにうながされて、少女は箒を手放した。

 まるで気をつけするように立つ箒の横で、彼女は帽子ぼうしを取ってスカートをうまむと、優雅に一礼した。

 流麗な所作しょさは美しく、迅矢は言葉も呼吸も忘れてしまう。


「はじめまして……わたしのことはストレガと呼んでください。以後、よろしくお願いします」


 ――ストレガ。

 確か、イタリア語で『魔女』だ。

 見た目そのままの名前だが、安直さは感じない。むしろ、この純白の魔女に相応ふさわしい気がした。だが、迅矢が声を失っていると、クサハェルは肩をすくめて笑う。


。でも、本名は誰も知らないんだ」


 端正な無表情で、小さくストレガがうなずく。

 玲瓏れいろうなる美の結晶、白亜に輝く魔女……その名前を、仲間であるクサハェル達も知らないのだという。恐らく、先程出ていったバロンもそうなのだろう。

 俄然がぜん、迅矢は彼女に興味が出てきた。

 それに、ストレガは命の恩人だ。

 あの時、ただ海面に叩きつけられるだけだった迅矢を、その乗機を不思議な力が包んだ。ありえない揚力ようりょくが瞬間的に発生して、墜落ついらくというよりは不時着に近い形で着水したのである。


「な、なあ、えと……俺もじゃあ、ストレガって呼ぶぜ?」

「どうぞ」

「あの時……ほら、三ヶ月前! 俺を助けてくれたよな? な?」

「ええ。最終的には」


 ストレガの声は、その髪と瞳のように涼しげで透き通っている。

 まるで、彼女自身が少女をかたど楽器細工がっきざいくのようだ。

 だが、彼女は帽子を再び被り直すと、箒にまたがる。


「では、司令。わたしも出撃します……ドワーフを援護し、今回のケースディーを確認してきますので」

「ああ、待ってくれないか? 彼を……迅矢を連れてってほしいんだ。僕達の仕事は、見てもらった方が早いからね。頼むよ、ストレガ」


 迅矢は思わず、自分を指差し「俺?」と間抜けな声を出してしまった。

 だが、さも当然のようにストレガは少し箒を後ろへとずらす。

 乗れという意味だと思うが、そんなことをしたら彼女に密着してしまう。それに、そもそも見た目は普通の箒だ。それも、かなり年季の入った年代物である。

 魔女は箒で空を飛ぶ。

 誰だって知っている童話の世界だ。

 しかし、サハクィエルは勿論もちろん、周囲の整備員や誘導係も驚いた様子がない。そもそも、彼女が箒で飛んでいるのを迅矢は一度見ている。


「じゃ、じゃあ……ちょっと失礼して」

「しっかりつかまってください」

「お、おう。こうか?」

「もっと強く」

「いやあ、そんな……若いに抱き着いちゃあ、俺だって男だから――」

「……行きます」


 華奢きゃしゃな背にピタリと身を寄せ、細い腰に手を回した、その時だった。

 不意にふわりと浮遊感に包まれた。

 次の瞬間には、あっという間に周囲の景色が背後へ吸い込まれた。

 いい匂いがしやがる、そう思った矢先だったので、無様に絶叫するしかない迅矢だった。


「うおおおおおっ! ま、待て待てっ!」

「待てません」

「いや、そういう意味じゃ……って、あれ?」

「待ちません。……なにか?」


 どこか冷淡な印象があるが、ストレガの声は耳に心地いい。

 そして、あっという間に二人を乗せた箒は雲の上へと突き抜けた。命綱などないし、それを結ぶ先が箒というのも頼りない。だが、ひんやりとしたストレガの身体を抱き締めていると、不思議と不安を感じなかった。

 そして、高高度での寒さも気圧差も感じない。

 ただ、ひんやりとした風がほおでてゆく。

 雲の大海原に影を落として、二人を乗せて箒は真っ直ぐ飛んでいた。


「……先程の質問に答えます」

「へ? 先程の……ああ」

「わたしは最終的に、あなたを助けることにしました。でも」

「でも?」

「最初は、ただ見ていました」

「……なんでまた。ま、いいけどさ。助けてくれたんだろ?」

「最終的には」


 気になることを言う少女だ。

 ストレガは前だけを見て飛びながら、ポツリと零した。


、と……そう思って、見てたんです」

「へ? そりゃどういう意味で」

「そのままの意味です。それと、現場につくまでに少し説明しておきましょう」


 不意に彼女は話題を変えて、それ以上は三ヶ月前のファーストコンタクトを話題に出さなかった。

 しかし、次の話に自然と迅矢は食い付く。


「ケースD……世界中の空で起こる、通常の組織や装備では対応不能な異変、怪異、驚異のことです。災害DISASTER危険DANGER神格DEITY、その他諸々もろもろ


 実はこの世界の空には、人類にとって未知の危険にあふれている。

 それらを人の目に触れず処理するため、各方面から様々な人材が集められてできたのが……ストラトストライカーズだ。天界から来たクサハェルは本物の天使であり、迅矢でも名前を知ってる神話や伝承の存在も協力しているという。

 そうして人間達の世界を、ケースDと呼ばれる危険から守っているのだ。


「ケースD……DRAGON、とかは?」

「一番危険度の高い攻性生物こうせいせいぶつですね。ドラゴンとの遭遇は、死を意味します。恐らく、今の科学文明を持った人類でも、対処は不可能でしょう」

「ま、そうだな……お手上げだった。一方的にやられちまったよ」

「ですね」


 澄ました顔でサラリと言ってくれる。

 ストレガはまるで、自分が人類ではないかのような言いようだ。

 そんな彼女の蒼い長髪が、先程からわずかに迅矢の肌をくすぐる。

 やわらかな感触が、服の布地越しに伝わってきて、夢見心地うめみごこちだが居心地いごこちは凄く悪い。ストレガに嫌がる素振りがないのが、余計に罪悪感を加速させた。

 そうこうしていると、先行していたバロンのフォッケウルフが見えてくる。

 真っ赤な機体は空では酷く目立った。

 そして、その先に……迅矢はとんでもないものを見て固まってしまう。

 驚きの声を飲み込むのに必死で、思わずストレガを強く抱き締めてしまった。

 だが、彼女は気にした様子もなく、箒を赤いフォッケウルフに並べる。


「……あなた、タッグネームは?」

「あ、俺? 俺はウォーロックだ」

「魔法使い、ですか。わかりました、ウォーロック。……少し痛いです」

「ん? あ……ああっと! す、すまない!」


 気付けば迅矢は、

 全くの無意識だった。

 だが、はっきりとその豊かさ、柔らかさが手のひらに残っている。慌てて迅矢は手を放し、落ちそうになってストレガの柳腰やなぎごしにしがみつく。

 そうこうしていると、フォッケウルフからバロンの声が響いた。


「ストレガ、見えてるな? ワシが周囲を警戒する。接触してもらえんかのう」

「わかりました、ドワーフ。ここは定期航路でもないですから、事故の心配はないでしょうけど」

「ガッハッハ! なにが起こるかわからんのが空じゃよ」


 驚いたことに、肉声同士で喋っている。

 迅矢にもはっきりと、フォッケウルフからのバロンの声が聴こえた。

 プロペラ機と言っても、時速700km以上のスピードで飛んでいるにもかかわらず、だ。

 再び加速する箒の上で、ストレガが肩越しに振り返る。


「わたしの結界が周囲を包んでいます。別の空間とつなげることも、その場所から空気の震えを拾うことも可能ですので」

「へえ……ど、どうやって?」

「魔法です」

「ア、ハイ」


 そして、目の前に巨影がグングン近付いてくる。

 先程は驚きのあまり、ストレガに対して失礼なことをしてしまった。

 だが、これを見て驚くなというのも無理な話である。自衛隊のパイロット、イーグルドライバーとして飛んできた迅矢も、初めて見る。

 それもそのはず……普通の人間の目に触れないように、ストラトストライカーズのストレガ達が働いていたのだ。それも、人知れず。

 ケースDとは、常識の範疇を超えた世界、そして驚異。

 そびえる城塞じょうさいのように、雲海を進む巨大な帆船はんせんがそこには浮かんでいるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る