・蒼穹特戦隊

第2話「地図にない島」

 衝撃の事件から、三ヶ月。

 霧崎迅矢キリサキジンヤは見知らぬ空港へと舞い降りた。小さな小さな離島りとうの、さらに小さな空港である。週に一度の定期便は、貨物と迅矢を下ろすとプロペラを停止させた。

 辺りを見渡せば、大自然……そして、遠く海の方へ町並みが見える。


「……やれやれ、出向とは名ばかりに左遷させん、それも僻地へきちじゃねえかよ」


 毒づく迅矢は、大きなバッグを手に空港ビルへと歩き出す。

 あの惨劇は、ニュースにはならなかった。

 中国軍機、スクランブルの自衛隊機と衝突事故……マスコミが報じたのはそれだけで、ワイドショーが自衛隊の予算削減をさえずる程度で終わってしまった。

 真実は、違う。

 中国機も迅矢達も、人ならざるバケモノに撃墜されたのだ。

 そのことを正確に、詳細に報告したらこれである。

 書類一枚で、有無を言わさず迅矢は百里基地ひゃくりきちのイーグルドライバーから外された。


「しっかし、妙な話過ぎるだろう……小八洲島こやしまとうにて特別任務、か」


 ――小八洲島。

 それがこの場所、地図にない島の名前だ。

 実際、日本を始めとする各国の地図に、この場所は記載されていない。勿論もちろん話も聞いたことがないし、上官への質問も許されなかった。

 見渡す限りにのどかな、ごくごくありふれた離島にしか見えない。

 強いて言えば、このクラスの空港にしては立派な滑走路で、長さも十分である。

 だがもう、戦闘機には乗れない。

 同僚のかたきも討ってやれない。

 少し暗鬱あんうつとした溜息ためいきこぼして、迅矢は歩く。

 そんな彼の背後で、羽撃はばたきと共に呼び止める声が響いた。


「丁度よかった、今到着かね? 確か……迅矢。そう、霧崎迅矢三等空尉さんとうくういだ」


 振り返るとそこには、穏やかな笑みを湛えた美丈夫イケメンが立っていた。

 今しがた、舞い降りてきたのだ。

 その証拠に、海からの気持ちい風に白い羽根が舞い散っている。

 それを目で拾うまでもなく、スーツ姿の男は背に純白の翼をたたんでいた。


「……あー、えっと……映画の撮影かなんかか? っと、失礼しました! 霧崎迅矢三等空尉、着任いたしました」

「ああ、いいよ。あんまり固くならないで。天使を見たのは初めてかい?」

「は? ……天使?」


 男は確かに、頭の上に金色の輪っかがあった。

 だが、着ているのは安物だと迅矢でもわかる普通のスーツだ。

 そして、天使と名乗った。

 ――天使を見たのは初めてかい?

 すぐに三ヶ月前のあの空を思い出す。

 天使はいた、確かに見た……死にゆく中で最後まで機体を操った迅矢を、キャノピーの外から見下ろしていた。白い服に白い帽子、とても蒼い髪の少女。正しく、天使だった。

 その記憶を脳裏から振り払い、迅矢は無言で首を横に振る。

 スーツ姿の天使は、自分の存在を否定されても笑顔だった。


「はじめまして、僕はクサハェル。天使長ミカエル様直属の御使みつかいで、階級は主天使ドミニオン。よろしく頼むよ、ええと……迅矢って呼んでもいいかい?」

「……どうぞ。なるほど、俺の仕事はそういう感じですか。スタント飛行でもやれって? それとも、BEST GUYベストガイの続編でもろうってんですか」


 BEST GUYというのは、F-15Jで活躍するイーグルドライバー達を描いた映画である。F-15Jが出てくるシーン最高と言われた迷作めいさくだ。

 だが、クサハェルは静かにそれを否定した。


「フィクションじゃないんだ、迅矢。ゆえあって凄腕のパイロットを探していた。僕達は、通常の編成では対処できない事案を秘密裏に処理している」

秘匿任務ひとくにんむ特殊部隊とくしゅぶたい、ってやつですか? それとも、愚連隊ぐれんたいかな?」

「それは君が決めてくれると嬉しい。さ、こっちだよ。来て」


 クサハェルはそう言って背の翼を消すと、頭上の輪っかを掴んでスーツの内ポケットにしまった。それでもう、彼はどこか頼りない印象の青年になってしまう。

 あまりのことで、迅矢は理解が及ばない。

 だが、混乱する中でも動揺する自分を律していた。

 パイロットは臨機応変、あらゆる事態への対処が求められる。その時、最も必要なのは冷静な洞察力と決断力だ。

 この程度のことで迅矢は、うろたえるような男ではない。

 だが、羽根の消えた背中を見て「スーツに穴でもけてるんだろうか、服を着るのは大変では」などと、くだらないことを考え自分を落ち着かせていた。

 そんな迅矢を連れ、クサハェルは空港の奥にある格納庫ハンガーへと入ってゆく。


「君の機体はまだ来てないんだ、迅矢。先に仲間を紹介するよ……ええと、ああ、いいところに。バロン、ちょっといいかなー!」


 薄暗い格納庫で、一人の老人が振り返った。

 小柄だが体格がよく、年代物の飛行服を着ている。頭にも飛行帽ひこうぼうをかぶって、ひたいには目を守る飛行眼鏡ひこうめがね……真っ白なひげ鷲鼻わしばなで、目付きは鋭い。

 見るからに屈強な軍人という印象があったが、迅矢が驚いたのはそこではない。

 彼は何故なぜか、に身を包んでいるのだ。


「ホッホッホ、クサハェルじゃないかね。なんじゃ、もう本土から戻ってきたのかい」

「ええ、防衛省に掛け合って彼の機体を……ああ、紹介しますよ。霧崎迅矢三等空尉です。迅矢、彼はバロンと呼ばれている。タッグネームはドワーフだ」


 ドワーフ、なるほど言い得て妙だ。

 そして、紹介を受けた老人は好々爺こうこうやの一面を見せて笑い、手袋を脱いで握手を求めてくる。迅矢は圧倒されながらも、その大きなしわだらけの手を握った。

 クサハェルもニコニコしていたが、突然携帯電話が鳴って背を向ける。

 なにやらMI6エムアイシックスがどうとか、アメリカ海兵隊マリーンがどうとか話し出した。

 迅矢はやれやれと肩を竦めて、小柄な老人を見下ろす。


「じいさんはあれか、ガンダムが好きなのか? 赤いと三倍になるとか」

「ホッホッホ、日本の娯楽映像漫画アニメーションじゃな? ワシの仲間に、とてもそういうのが好きながおるがのう。ワシはもっぱら、黒澤明くろさわあきら小津安二郎おづやすじろうのフィルムばかり見とるよ」

「渋いね、じいさん。質問ついでにもう一つ……いいかい? ここは何県だ? 小八洲島なんて、ちょっと聞かない名なんでね」


 バロンはしわだらけの顔をさらにしわくちゃにして笑った。


「今は?」

「ゆっくりとじゃが、動いておるからのう」

「……わかった、サンキュな。とりあえず、考えるだけ無駄みたいだ」


 ごうに入っては郷に従え、ここは僻地を通り越して不可解な土地らしい。

 流石さすがに驚きを禁じ得ない迅矢の背を、ポンとバロンが叩く。

 彼は拳に立てた親指で、自分の愛機らしき真っ赤な戦闘機を指さした。


「お前さんも飛行機乗りじゃろ? どうじゃ、機体が来るまでワシの相棒を貸してやってもいいぞ? ワッハッハ!」

「おいおいじいさん、なんだありゃ……レシプロ機じゃねえか。しかも真っ赤っ赤で……ん? お、おい、あの機体……まさか! なんでこんな場所にこんなものが!?」


 職業柄、古今東西ここんとうざいの戦闘機には詳しい。

 空を飛ぶものは、迅矢にとって敬愛すべき友である。鳥や虫、そしてジャンボジェットからグライダーまで何でも好きだ。

 そんな彼が駆け寄る先に、往年の名機が翼を休めている。

 鮮やかな赤に塗られた、プロペラ機だ。


「間違いない、こいつぁ……フォッケウルフTa152! H-1型か? なんてこった……本物なんて初めて見る。おいおいじいさん、なんであんた……こいつに乗ってるんだ? 究極のレシプロ戦闘機と呼ばれた、こいつに!」


 興奮を禁じ得ない。

 フォッケウルフとは、第二次大戦中のドイツ空軍ルフトバッフェがBf109メッサーシュミットと共に実戦配備した戦闘機である。メッサーシュミットが高性能ながら繊細せんさいなサラブレッドであるのに対し、あくまで頑強で丈夫な軍馬ぐんばを目指して開発されたものだ。

 そして、そのフォッケウルフを高高度戦闘用にチューンしたものがTa152である。

 全くの別物に作り変えられたその姿を、後世の学者達はこう呼んだ。最強のレシプロ戦闘機……究極のレシプロ戦闘機と。

 迅矢は自分が幼い少年に巻き戻ってることにも気付けなかった。


「じいさん、こいつは飛ぶのか! 飛ぶよな!」

「当たり前じゃよ。乗ってみるかね?」

「い、いいのかよ……やっべえ、写真! 写真、いいか? まず、写真を」

「ホッホッホ、お前さんもやはり……心に翼をもっておるのう」


 バロンは不思議なことを言う。

 心に翼をもっている……その時はまだ、迅矢は深く考えず記憶にも留めなかった。

 ただ、貴重な文化財にも等しいTa152は、洗浄が済んで綺麗なものだが……実戦で戦っている機体特有のたたずまいがある。オイルの臭い、火薬の臭い、そして鉄の臭い。ここは博物館ではないし、この機体はまだ生きているのだ。


「たまげたぜ……じいさん、確か……そう、ストラトストライカーズ。そう言ってたな、クサハェルは。なんなんだ? 特殊な任務っていうのは」

左様さよう、ワシ等は蒼穹特戦隊ストラトストライカーズ……空の怪異や驚異と戦う部隊じゃ」

「それってまさか――」


 その時だった。

 突然、空港内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

 すぐにクサハェルが通話を打ち切り、此方こちらを振り返って叫ぶ。


「バロン、ストラトストライカーズに出撃要請みたいだ! お願いできますかー!」

「誰に言っとるんじゃ、誰に! はは、すまんな若いの。仕事が終わったら、あとでゆっくりコイツを触らせてやる。下がってるんじゃ、風圧に吹き飛ばされるぞ!」


 そして、信じられない光景に迅矢は目を疑う。

 コクピットのキャノピーを開けるでもなく、ふわりと浮いたバロンは……そのまますっぽりと下半身からコクピットに入ろうとした。キャノピーを貫通しているが、蹴破った雰囲気はない。透明な空気のようにキャノピーをすり抜けているのだ。


「おっといかん、ついくせで。驚かせてすまんの、若いの!」


 あとから申し訳程度にキャノピーを開いて、バロンは上半身をコクピットに納める。

 名機と名高いJumoユモ213EBエンジンが唸りを上げて、格納庫の中に嵐が吹き荒れた。

 その中で迅矢は確かに声を聴いて振り向いた。

 そこに今、ほうきを持った白い帽子の白い影……あの日の少女が、蒼い長髪をなびかせながら立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る