番外編 この子をよろしくね、ご主人様
ボクの名前はハチミツ。ゴールデンレトリーバーの男の子。このとっても甘くて格好良い名前は、ご主人様がつけてくれたものなんだ。
ボクが今いるのはペット霊園。産まれてすぐにご主人様のお家に引き取られて、楽しい毎日を過ごしていたけど、犬の寿命は十数年。いつまでもご主人様と同じ時間は過ごせなかった。
けど、寂しくなんてないよ。ここではボクと同じような子達がたくさん眠っているから、毎日皆で楽しく過ごしているんだもん。
それにご主人様も時々ボクに会いに来てくれる。だから、ボクはとっても幸せだよ。
さあ、そんなある春の日のこと。ボクが日差しを浴びながらお昼寝をしていると、ご主人様が来てくれた。
「久しぶりだね、ハチミツ」
髪の長い大人の女の人。最初ご主人様と会った時は小さな子供だったのに、もうすっかり大きくなっちゃった。そして……
「ハチミツ、元気にしてる?」
ご主人様の隣にいるのは、昔よく遊んでくれた男の子。ご主人様と男の子はとっても仲良しで、少し前に結婚するって教えに来てくれた。
もちろん二人は今でも仲良し。笑っているご主人様と男の子を見ていると、ボクまで幸せな気持ちになれる。
それで、今日はいったいどうしたの?
尻尾を振って答えを待っていると、男の子が口を開いた。
「今日はハチミツに紹介したい子がいるんだ。この子なんだけど……」
そう言って男の子は、持っていたバッグを差し出してくる。するとビックリ、中から焦げ茶色の毛並みをした子が頭を出してきた。
「くぅ~ん」
わっ、何この子?
見たところボクと同じゴールデンレトリーバーみたい。それも、どうやら女の子。だけどすごく小さい。たぶんまだ産まれてそんなに経って無いのかな。
あ、地面に降りた。あ、寝転がった。ふふふ、可愛いなあ。ボクも小さい頃はこんなだったのかなあ?ねえねえ。この子名前は何て言うの?
するとまるでボクの声が聞こえたかのように、ご主人様が教えてくれる。
「この子はね、メープルって言うの」
メープルちゃんって言うのかあ。とっても良い名前だなあ。それで、この子がどうしたの?
「実はね、この子を家族に迎える事にしたの」
……えっ?
「それで、ハチミツにもちゃんと報告しておこうと思って。良いよね、この子を飼っても」
優しい笑顔で語りかけてくるご主人様。だけど、だけど……………ダメだよ!
ダメダメダメ!ぜーったいダメ!だってご主人様は今までもこれからも、ずっとずっとボクだけのご主人様なんだもん!他の子なんて飼っちゃダメなんだから!
ボクの声はご主人様にも男の子にも聞こえない。姿を見ることもできないはず。それでもボクは、力一杯アピールを続ける。だって、ご主人様を盗られるなんて嫌なんだもん。ご主人様、ボクの気持ち分かってくれるよね?
「ハチミツ、大丈夫かなあ?ヤキモチ妬いてなければ良いけど」
「平気だよ。ハチミツは良い子だもの」
ああ、全然伝わってない。
良い子じゃないもん。悪い子になっちゃっていいもん。だけどやっぱりボクの声は届かずに、二人とも暢気に笑っている。
酷いよ。二人はもう、ボクの事なんてどうでも良いの?
ついふてくされて項垂れてしまう。クスン、クスン。ボクは絶対に認めないぞ。
「くぅん?」
あ、いつの間にか目の前にメープルちゃんが座って、ボクをじっと見つめている。どうやらこの子は、ボクの事が見えるみたい。動物は人間には見えないモノが見えることもあるからなあ。
けど、だからなんだ。僕はいっぱい、い―――っぱい傷ついてるんだもの。
君のせいだからね。ご主人様は絶対にあげないよ。
じ―――っ。
つぶらな瞳で見つめてもダメ!
「くぅん?」
可愛く小首を傾げてもダメ!
「くぅ~ん」
しょ、しょんぼりしてもダメ!ダメなんだから!
「クスン、クスン」
ああ、どうしよう。メープルちゃんが泣きだしちゃった。ボ、ボクは悪くないよ。ご主人様を盗ろうとする君が悪いんだから。悪いんだけど……
スリスリ
そんな風にスリよってきてもダメだよ……本当に本当にダメなんだから!本当に……ダメなんだけど……
「わんっ、わんっ」
本当に絶対絶対ダメ。ご主人様がボク以外の子のご主人様になるなんて、そんなのヤダ!でも、この子を見ていると何だか……
ボクが困っていると、ご主人様がメープルちゃんの頭を撫で始める。
「メープル。ハチミツはね、あなたのお兄ちゃんみたいな子なんだよ。だからちゃんと、よろしくってご挨拶しようね」
「わんっ、わんっ!」
途端に嬉しそうに尻尾を振るメープルちゃん。お兄ちゃん、かあ……
犬の年齢からすれば親子くらい……ううん、親子以上に歳が離れているような気もするけど、そんなものなのかも。
どうやらご主人様は、ボクの事をどうでもよくなったわけじゃ無いみたい。だからこうして、メープルちゃんを紹介しに来たんだよね……
ええい、分かったよ。特別だよ、本当はダメなんだけど、特別に許してあげるんだからね!
「きゃん、きゃん」
ご機嫌になるメープルちゃん。
ボクはまだちゃんと納得した訳じゃない。だけど、仕方ないじゃない。こんなに喜んでくれるんなら、認めないのは可哀想だもん。あ、あくまで特別に、だからね。そこのところ忘れないでよ。
ボクがメープルちゃんに念押ししていると、ご主人様がそっと語りかけてくる。
「ハチミツ。これからはメープルを育てていくけど、ハチミツの事を忘れたりはしないから、安心してね」
えっ、本当?ご主人様、ボクの事忘れずにいてくれるの?
「ハチミツは楽しい時間をたくさんくれたんだもの、忘れるわけないよ。今度は私達がこの子に愛情を注いでいくから、ハチミツも見守っていてね」
「できるよね。ハチミツはこの子のお兄ちゃんなんだから」
お兄ちゃん……お兄ちゃん……うん、わかった。ご主人様達がそう言うなら、ボクはメープルちゃんを見守って行く。
メープルちゃんメープルちゃん、そうと決まれば、いくつか約束してね。
「くぅん?」
まずご主人様の言うことはちゃんと聞くこと。ワガママ言って困らせたらダメだよ。あとお散歩に行った時に、はぐれて迷子になっちゃいけないよ。それと、食べ物の好き嫌いもダメ。それから、ご主人様達が寂しがってる時は、そっと寄り添うこと。そうすればご主人様、笑顔になるはずだから。
あと、注射は痛くても、ちゃんと我慢しなきゃダメだからね。怖くても大人しくするんだよ。え、ボクはちゃんと注射できてたのかって?も、もちろん出来てたよ。ご主人様からも良い子っだって誉められてたよ。本当だよ。
ボクがメープルちゃんとお話している間に、ご主人様達はボクのお墓を綺麗に掃除してくれていた。
どうやらご主人様も男の子も、今でもちゃんとボクの事を想ってくれているみたい。ありがとうご主人様、やっぱり大好き!
「それじゃ、また今度くるわね。メープル、ハチミツにサヨナラの挨拶は?」
「きゃん!」
メープルちゃんの可愛らしい声が響く。
ご主人様、メープルちゃんの事をよろしくね。ボクが幸せだったみたいに、今度はメープルちゃんを幸せにしてあげてね。
踵を返して小さくなっていくご主人様達の背中を見つめながら、ボクはお願いする。
ボクもこれからも、ご主人様達の事を見守って行くよ。だってボクは、皆のことが大好きなんだから。
もうすぐ夏がやって来る。今度はボクの方が、皆に会いに行くからね。お盆にはちゃんとお家に帰るから。待っててね、ご主人様 🐾
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