バイバイ、ご主人様

 ご主人様が家を出て行ってから、何回目かの冬のある日。この日ご主人様は、突然家に帰ってきた。

 急にどうしたんだろうって、ビックリしたよ。お盆とお正月には必ず帰ってくるけど、今日は普通の日だし。

 まあいいや。せっかく帰ってきてくれたんだから、今日はたくさん遊ぶぞー。


 だけど、あれ?おかしいな。身体が全然動かない。「わん」って鳴こうとしても声が出ないし、いったいボクはどうしちゃったんだろう?

 ああっ、ご主人様がボクを見て泣いてる。どうしたの?どこか痛いの?すぐに涙を舐めてあげたいんだけど、どうして何もできないんだろう?

 頭を上げることもできなければ、足を動かすこともできない。目を開くことも……あれ?ボクは目を閉じているのに、どうしてご主人様の姿が見えてるんだろう?


「ハチミツっ、ハチミツー!」


 ポロポロと涙を流すご主人様。それを見て、ボクはようやく気付いたんだ。ボクはもう、死んじゃったんだって事に。

 最近体のあちこちが痛かったよ。外で走り回ることもできなくなってたよ。だから薄々、こんな日が来るって分かってたんだ。

 ご主人様はきっと、ボクが死んだって聞いて帰ってきてくれたんだね。きっと忙しいのに、わざわざ来てくれるだなんて、やっぱりご主人様は優しいなあ。


「ゴメンねハチミツ。もっと早く帰ってきてたら、一緒にいられたのに。最後の時間に、何もしてあげられなくて」


 そんなこと無いよご主人様。こうして帰ってきてくれただけで、ボクはとっても嬉しいんだ。

 ボクの方こそごめんね。もう一緒にお散歩に行く事も、寄り添ってお昼寝する事も出来なくなっちゃった。

 ご主人様と一緒にいられなくなるのは、ボクだって寂しい。けどご主人様、笑って。いつものお日様のようなポカポカした笑顔を、ボクに見せてよ。

 でもご主人様は笑ってはくれなかった。仕方が無いか。寂しくて悲しくて、どうしようもない時ってあるもんね。

 わかった。だったら今は、たくさん泣いていいよ。いつかきっと、また笑えるようになるはずだから。


 ご主人様はもう、迷子になって泣いちゃうような子供じゃない。悩んだって悲しくったって、ちゃんと前に向かって歩いて行けることを、ボクはちゃんと知ってるもん。

 家を出てすぐの頃、電話でボクの声が聞きたいって言った時もあったよね。ボクが「わん」って鳴くと、ご主人様が喜んでくれたのが分かったよ。

 それからは一人でご飯も作って勉強もして。卒業したらお仕事を始めて、立派な大人になったんだよね。もうご主人様は、ボクがいなくても大丈夫。だから、心配なんてしてないよ。

 泣いてもいないよ。ボクはご主人様の自慢の家族なんだから、悲しくても泣いたりなんかしないもん。泣いたりなんか……


 さあ、もうそろそろ行かなくちゃ。ご主人様、ボクがいなくても元気でね。ボクはいつまでも、ご主人様の事を見守っているから。ご主人様の事が大好きだから。

 いつどこにいても、ご主人様の幸せを願っているよ。ご主人様も、ボクのことを忘れないでね。約束だよ。

 じゃあね。バイバイ、ご主人様。

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