01 非番な非凡と定番な平凡

学園物の作品の主人公は、万に一つの狂いなく、一人の例外を許さず、まるで創作物特有の自覚症状の存在を揶揄するかのように、自分の素性を説明する。

 主人公達はどのタイミングで、どんな心境で、語り出すのだろか。

 僕は自分が物語の主人公的存在だとは片鱗も思わないし、自分を中心に世界が回っているなんて、そんな異色の地動説を唱える気もないのだけれど、何故か物語の主人公は作品の進行の為に素性を語りだす。

 これは作品の進行と云うよりも、作品の信仰に近い行動だと云える。

 だから僕も敬虔な主人公よろしく、暇つぶしを兼ねて自分の素性の概要を語ることにした。

 春。

 それも高校入学から二回目の春。

 京都。立誠高校。

 私立大学である京都立成大学が、廃校だった京都立誠小学校を買い取り、改装して中京区に開校した、創立二年となる新設校。

 大学の研究と軍の研究の為に作られた学校であり、2つの前衛的なシステムが取り入れられている。

 そのシステムの名は、隔離システム。

 隔離システムとは、学校からの出入りを徹底的に管理するシステムのことを指す。

 正門にはDNAを読み取ることにより、欠席や遅刻を完全管理する、DNA識別装置。

 学校全体には、高性能の軍事レーダーの試験運用しており、学校からの外出を徹底管理するレーダーシステム。

 もしも正門の管理ゲート以外から出ようと試みれば、レーダーに映って見付かって職員室送りになる。

 ここまでの情報から、この立誠高校への価値観を導き出し、通う人はまあ居ないと思う。  だけどこの高校には生徒が180人在籍し、各々が高校生活を謳歌している。

 その理由として挙げられる事柄は、単に全校生徒に束縛壁がある訳ではなく、私立高校にして三年間の学費免除、校内設備全て無料、等々金銭的な保護が充実している事他ならない。

 だから僕みたいな、月一万円で遣り繰りしている貧乏学生には天国とも云える

僕は天国の授業に呆れて、窓の外に目をやった。

 勿論、意味はない。

 だがこの行動に意味がないのと同じほどに、授業にも意味意がなかった。 

僕は窓の外に飽きると、机に突っ伏した。

いつから寝たのか分からなかったけれど、起きた時には既に授業が終わり、教室は昼休みの賑わいを見せていた。

僕はゆっくりと身体を起こし、枕代わりの教科書を机に片付けた。

 そして鞄から通学途中にコンビニで買っておいたサンドイッチとミルクコーヒーを机の上に置いた。

「最悪!真面目に授業を受ける羽目になるとか、マジ最悪。面白い授業してんじゃねーよ。マジ、国双じゃん」

 馬鹿な口調のギャルが僕の前の席の椅子を逆に座って、机に弁当箱を置いた。

 彼女は金守日葵。

 この学校唯一のギャル。

 黄色に近い茶色の長い髪をあえて括らずに首下まで伸ばし、前半ストレートな髪を後半だけ躍動的にアレンジした髪型をしている。

 服装はピンクのカーディガンの上からブレザー、それに加えて明らかに短いスカートが基本スタイル。

 腕にはシュシュ的な物が付けてある。

 顔立ちは大人っぽくもなく、子供っぽくもないが、その真相は化粧の中に消えているので何とも云えないのが現状である。 だけど顔全体としは整っていることは、化粧をしていても顕著に現れている。

 彼女は全国のギャル平均からすれば抑え気味な方かもしれないけれど、この立誠高校唯一のギャルと云うことで、他の生徒から注目される量はギャル平均を上回っていると推測される。

  その他にも彼女に注目する人物は、特別講師などで本校に訪問される大学教授の人などである。

 その理由ただ単にこの学校に似つかわしいギャルが居るからではなく、日葵さんは数学が得意だということにある。

 それも圧倒的に。

 日葵さんは小学校二年生の時に数学オリンピックに出場し、国内予選で優勝し、一躍マスコミに仕事を与えた。

 その後、小学三年生で数学界の論文を発表し、再びマスコミに仕事を与えた。

 それから彼女は若き数学者として世界的に期待されていたけれど、彼女はその期待に反して、以降、一切の論文を発表しなくなり、世間からは「論文を出さない数学者」と称され、人々の記憶から薄れて行った。

 そんな日葵さんに僕は如何してか、入学当初から現在まで行動を共にしている。

 その所為で、僕の、静かで穏やかな高校生活は、ことごとく崩壊した。

 僕の勝手な先入観だけど、こい云うギャル的な人はクラスでお山の大将的な人とつるむのが定石だと思っていた。

 しかしこのクラスには、僕が見る限りヒエラルキーやカースト制もなさそうだし、日葵さんの人付き合いに口を挟む程、私見を尊重しする僕でもないので黙っている。

 その代わりに僕は、家にあった辞書から、類は友を呼ぶという一文を消したことは云うまでもない。

「日葵さん、国双って何?」

 僕は時間を置いて返答した。

「国双は、国士無双に決まってんじゃん。国内で並ぶ者が居ないほどに優れた人物って意味、麻雀の役満でもあるよ。知らないの?」

 日葵さんは僕に一目もくれず、片手で携帯をいじりながら答えた。

「もう、それ、二字熟語だから」

 既に略語である四字熟語を、更に略す意味が何処にあるのだろうか。

「明白も明々白々の略だし、時々刻々だって時刻の略じゃん。なら結果的に一緒だと思うけど」

「違うよ。それらは、協調や時間の流れを表現するために繰り返してるに過ぎない日本語の表現で、日葵さんが使った国士無双のように一文字一文字に意味があるものとは違うんだよ」

 僕が云い返すと、日葵さんは軽く首を頷かせて、会話を無理矢理終わらせた。 

 会話を終わらせた日葵さんは携帯を机に置き、持って来たお弁当の包を開けた。

 それを見た僕は、ミルクコーヒーにストローを挿し込み、サンドイッチを手に取った。

「あっ、そのサンドイッチってエスカルゴ味のやつじゃん。やるね、兎無。コンビニ史上最高にして最低の不人気を誇った黒歴史に手を出すとは。写真撮らして」

 日葵さんは手際よく片手で携帯を操作して、僕のサンドイッチの写真を撮った。

 云われてみれば、これを買った時の店員さんの顔は何処か僕を軽蔑する顔をしていたような気が・・・・・・・。

 僕は全てを思い出す前に、思考を中断した。

 これ以上思い出したら、自分で自分を傷つけてしまう可能性があるからだ。

 俗に云う、思い出し傷つき。

「一番安いのを選んだらこれになっただけ。ただの必然」

「コンビニのサンドイッチの金額なんて、価格の争いが激しいから僅差じゃん。あと10円出せば、ミックスサンドレベルになるのにさ」

「つまり“かかく”の争いって訳だよ」

「意外に、うまいじゃん」

「味は不味いけどね」

 かかくの争いとは、カタツムリの角で争っても何の影響もないと云う意味であり、本当に小さい戦いの事を指すのだけれど、それを日葵さんが知っている事に驚いた。

「でもまあ、好きな食べ物を知れるより、嫌いな食べ物を知れる方が断然いいに決まってるじゃん」

「如何して?」

「誰かが料理を作ってくれる場合があるでしょ。その時に作り手は好きな食べ物よりも嫌いな食べ物が知りたい。何故なら、好きな食べ物を知ってしまったら、もう好きな食べ物しか作れなくなるから。だけど嫌いな食べ物を知れたら、それを避けて料理をすればいいだけだから、料理の選択肢が広がるじゃん」

 成程。

 僕は日葵さんの説明に首を頷かせて、2個目のミックスサンドを口に運んだ。

 その時、ふと目の前を見ると、日葵さんの後ろに長い黒髪の女の子が立っていた。

 その女の子は立誠高校の制服を着崩すことなく、それでいて着崩す生徒より華やかに着こなしている。そして唯一いじれる自分の長い髪の毛で3つ編みを2つ作り、それを水色のリボンで纏めたヘアースタイルをしていた。

 と、その時、女の子が日葵さんの背後に近寄り、頭を軽く叩いた。

「痛った。何すんの」

 日葵さんは殴られた頭を片手で押さえて振り向いた。それを見た後ろの女の子は、人差し指を下向き立てた。

「そこ、私の席」

「あん?・・・・・やんのか!・・・・・・そう、ごめん」

 プライドの欠片もないギャル日葵さんは、低姿勢のままお弁当を持って移動を始めた。 

「まあ私は教科書を取りに来ただけだから、別に使っててもいいわよ」

「なら、頭を殴る必要はないじゃんか!」

 素より、席を退いて欲しいことを伝える時に殴る必要はないけれど。

気付いてないのなら放っておくことが得策だろうと思い、僕はサンドイッチを口に運んだ。

「丁度私が拳を作った時に日葵さんが頭を動かして、奇跡的に頭に直撃したのよ。私が人生で体験した奇跡トップテンに入るくらいの奇跡と云っても過言ではないわ。鬼籍に入らなかっただけましだね」

 その言葉に日葵さんは一瞬居るんだ。

 どうやら鬼籍の意味を知らないらしい。

 かかくの争いを知っていて、鬼籍の意味を知らないとは、珍しい人である。

「子舵哀歌」

 怯みを押さえた日葵さんは、態勢を立て直して、女子生徒の名前を呼んだ。

「日葵さんのお知り合?」

 僕は会話を流暢に流す質問した。

「勿論。立誠高校の生徒会長にして、あたしの敵」

「校則を守れば敵じゃなくなるわよ」

「むしろ感謝して欲しいわ。あたしが校則を破ってあげているおかげで、あんたに仕事が回って来てるんだからさ」

「発言が、いよいよ犯罪者だわ」

「あたしの敵としていい数式を教えてあげる。喉仏の出ている分の体積の3乗と拳の体積の和が胸の体積とある程度比例するんだよ。つまり生徒会長の胸のサイズはアンダーサイズから推測して、大体・・・・・」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい。分かった、分かったわ。 何が目的なの?お金?権力?」

 子舵さんは頬を微かに赤く染めて、腕で胸を抱えて、僕達に背中を向けた。

「いいや」

「なら何が欲しいの」

「Aカップ分の胸が欲しいな」

「そ、そんなことすれば。私の胸がなくなるわ!あっ!」

「てっことは、つまり。子舵哀歌の胸のサイズはA以下ってことだね」

「誘導尋問をしたわね」

「したよ。喉仏の体積の3乗と拳の体積の和が大体胸の体積。なんて式は存在しない。あたしが勝手に作った無茶苦茶な物だよ。だけど結果的にその無茶苦茶な式が、正しい答えを出力したんだから、一概に式として無茶苦茶とは云い難いよね~生徒会長」

 子舵さんは、精肉店にも売ってなさそうな皮肉の塊を、恥と怒りに混乱と困惑を隠せない子舵さんに投げつけた。その皮肉を流すことなく受け止めた子舵さんは、それを全て怒りに変えて、肌の白い眉間にしわを寄せた。

「日葵さんの論理的かつ、奥ゆかしい思考は如何したの」

 僕は爆発しそうな子舵さんの強い視線に突き刺さりながら、日葵さんの冷静さを求めるべく発言した。結果は直ぐに表れて、日葵さんは自分の金髪の髪を触り冷静さを取り戻した。それに続き子舵さんも、自分の怒る原因が馬鹿々々しいことを悟ったのか、小さく溜息をして、近くから引っ張って来た椅子に腰掛けた。 

「この国が法治国家であったことを感謝するのね、きなこさん」

「きなこさんって何?」

 感情の荒波が平穏を思い出したその時、モーゼが海を割り、荒波の再来をもたらした。

 日葵さんは体の一切を動かさずに、眼球だけを動かして、子舵さんを睨み付けた。対する子舵さんは、そんな猟奇的な視線を無視する。

 その所為で、日葵さんの視線は僕に向けられて加勢を要求されたが、逃げるようにミルクコーヒーに手を伸ばし、ストローに口を付けた。

「きな臭い子。黄粉色の髪の毛。この2つから作られた、金守日葵さんの異名よ。実にお似合いだわ」

「黙れ9カップ!」

 子舵さんと日葵さんは古典的にも、両者額で額を押し合い、0距離でいがみ合った。

「9カップ?何、それ?」

「十一進数以上になれば、0を除いた1から9までの種類の数字以外に、Aから順にアルファベットが使われるの。例えば十五進数なら、1、2、3、と続いてD、E、Fと終わる。つまり9はAの一つ下を表すって訳。つまり生徒会長の胸は、Aカップにも満たない9カップってこと。分かる?」

「心底下品な人ね!いい、私の胸は今まさに、高度成長期なの。だから、もうすぐ、オリンピックが開催されて、もう凄いんだから」

「ごめんね、9カップ。あたしはもう、2回目のオリンピックも開催されて、万博も三回開催されてるんだから。ねえ、兎無」

 鬼の形相が、顔の回転と共に、重なる額から変な音を立てながら僕を睨んだ。

「はいはい、そうです。日本万歳」

 僕は適当に回答して、逸早く2人の円から切り離されようとした。

「現代の若者は、胸の小さい品のある女の子の方が好きだよね。兎無くん」

「確かに最近の傾向では貧乳と呼ばれる人が、好かれていると聞いたけれど・・・・・」

「おい、兎無」

 僕は怖すぎる顔で睨まれた。

「何」

「どうして心臓が、右心房と左心房に分かれてるか知ってるか?」

「それは、心臓に2役をさせるためじゃないの」

「違う。答えは、金に困った時に売る為。分かった?」

「死ぬよ」

 それを云うなら腎臓であるが上に、左心房と右心房の片方のみの移植手術は存在しない。

「大丈夫、大丈夫。名医を紹介するから」

 日葵さんは不敵な笑みを浮かべた。

「分かったよ。死ぬのも、生きるのも、後でするから、そろそろご飯に戻らない?」

「私は賛成だわ。それで一つ聞きたいことがあるのだけれど、私もご一緒していいかしら?」

 子舵さんは僕の顔を見て、手に持ったお弁当の包みを持ち上げた。

「僕は構わないけど・・・」

 無意識のままに発言してしまった僕の回答を聞いた日葵さんは、舌打ちを轟かせて、椅子に深く座り直した。

「初めまして。ではないのだけれど。ほぼ初めましてだから、初めまして。子舵哀歌です。よろしくね。渦裏兎無くんと・・・・・きなこさん」

「よろしく、子舵さん」

「よろしく、9カップ」

 僕はこの空間に広がる、憎悪の不浄をミルクコーヒーと共に流し込んだ。

「いっておくけど、兎無が人の名前を覚えるのはまれだから、常に初対面だと思って接することを勧めるよ」 

「興味のないものは覚えたくないだけだよ」

 実に自分勝手な言動だと、発言後に少しだけ後悔した。

「私の名前には、興味ない?兎無くん」

「そ・・・・そんなこと・・・」

 ただ純粋に、反応に困った。

 だけど子舵さんは初めから僕の反応に期待していなかったのか、僕の回答を待つ片手間に2つの勉強机を向かい合わせにした即席テーブルを造り上げ、その1辺に椅子を置き腰かけた。

 それを確認した僕は、返答するのを中断して、ミルクコーヒーを飲んだ。

 座席順は長方形の即席テーブルの比較的短い2辺に僕と日葵さんが座り、比較的長い2辺の僕から見て右側に子舵さんが腰かけていた。

 日葵さんならこの状況から数学的な描写をするかもしれないけれど、僕には図形の説明が限界だったので、これ以上の思考は諦めた。

「数学的に考えて、ちょー不愉快なんですけど」

 日葵さんは片足を椅子の上に曲げて置き、片手で抱えて不機嫌に座った。

 僕は心の中で日葵さんの代わりに、謝罪の念を込めて静かに全ての数学者に頭を垂れた。

「数学的で思い出したのだけれど、兎無くんの名前って等差数列になっているわね。それって偶然なの。それとも、親御さんの尋常ならざる数学への愛が、名前に現れているのかしら」

「ああ、確かに。10、7、4で一般項が13マイナス3nの等差数列じゃん。気付かなかった」

 数学の話になった途端に、日葵さんの不機嫌は消えた。

「親の意向でもなければ、襲名でもない、唯の偶然だよ」

 存外自分の話に嫌気がさした僕は、会話の転換を望むような声で話した。それを察したのは、日葵さんが何かを思い付いた顔をして、短く改造したスカートのポケットから、四つ折りにされた一枚の紙を取り出して、机に広げた。

「そう云えばこれが今日の朝で終わったけど、誰か分かった奴居たの?」

 日葵さんは取り出した紙を指で示しながら、2人の顔を伺った。

 僕の位置から目視できる全ての紙の情報を説明すると、気を抜かなければ男性の顔を平均化した画像に見えるが、気を抜けば、自分が何を見ているか分からなくなる画像だった。虚像を白黒の画像が、紙の中央に正方形でプリントされている。他にも〝見ろ、これが俺だ!〟と見出しが上部に大きく書かれており、下部には細かく書かれていた。何分距離がある所為で、細かな文字の詳細までは確認することはで出来なかった。

「その紙ってまさか、廊下の掲示板に掲示してあった紙かしら」

「ご名答。千切ってきた。もう期限は過ぎてるし、要らないじゃん」

「まあ、そうね。どうせ今日回収される予定の紙だし、問題ないわ。その紙についてだけれど、多くの憶測が飛び交っただけで、誰も正解には辿り着けなかったみね。もっとも、正解があればの話だけれど」

「この事件ってさ、掴みどころしかないのに、掴めない感じが。超~不快」 

「狙いが見えないわね」

 僕の知らない話を目の前で繰り広げる二人を尻目に、僕はミルクコーヒーを飲んだ。

「兎無、気になる?」

 日葵さんは二本の指で紙を挟み、意味ありげな笑みを浮かべて、靡かせた。

「いや、全然、全く」

 もし僕が天邪鬼だったら、好奇心の神として崇め奉られるくらい無関心で返答した。

 だけど日葵さんは意味ありげな笑みを変えることなく、魂胆のある目で見つめていた。

「照れなくていいじゃん」

「照れるというよりは、衒いたくないんだよ」

「日々起こる出来事を処理していかないと、時代に取り残されるわよ」

「歴史が現代にも多大なる影響を与えているのなら、僕の時代がこれ以上進歩しなくても、何ら問題はないよ」

「少なくとも、兎無がこの問題に首を突っ込まない限り、あたしの機嫌が悪くなるという弊害が生まれるけど。それでも何ら問題がないと云い張るのなら、云い張ればいい」

「不覚にも、私もきなこさんと同じ意見だわ。私も好奇心があるみたい」

「・・・・・分かったよ」

 諦めた僕は、話を聞くことにした。

「そう。なら、まあ、そういうことで説明よろしく。9カップ」

 日葵さんは腕を大きく広げて、椅子の背もたれに身を任せた。

「他力本願も甚だしいわね」

「あたしの語彙力じゃ、苛立たせるだけで話に支障が出るだけになるじゃん。だったら適材適所」

「仕方ないわね。ならまず、始まりから話すわ。この画像は昨夜子の刻にSNS上にアップされた画像で、発信源はクラッカー。このクラッカーは、世界の大企業の機密情報が保管されたセキュリティーシステムに侵入することを生業とする世界的に名の知れたクラッカーだわ。だけれど、これだけ大胆に大暴れしても警察は尻尾はおろか、背中すら拝めなかったの。昨夜まではね。昨夜の十二時丁度に突然、SNS上にこのクラッカーが侵入したセキュリティーソフトの穴のデータファイルと共に、この画像が提示された次第なの。それで画像と一緒にこんな一言が同封されてた。見ろ、これが俺だ。てっね」

「そんで、このクラッカーに侵入された大企業が全技術を使って、この画像の解像度を上げて更に拡散した。ご丁寧に制限時間まで提示されて。だけど結果は見付からず。今朝、クラッカーが指定した制限時間をオーバしたって訳」

 昨晩にそんなことが起きていたとは。

 僕の知らない所で世界が回ってる気がしてならなかった。

「それで、兎無くんにはこの事件にどんな見解を見るか教えて欲しいわ」

 子舵さんは僕の目の奥を深く見据えて、程よい緊張を僕に与えた。

「特に、何も見ないよ」

「しょうもない奴だな」

 日葵さんはコンビニのおにぎりを手に取った。

「僕は金欠なんだよ。だから無駄に頭を使うと、夜ご飯まで乗り切れない可能性が出てくるんだよ」

 午後の授業を寝て過ごしている僕でも、夜ご飯まで持たないことがあるので、事件を考えるなんてことをすれば、空腹に襲われることは明白だった。

「なら、兎無。このクラッカーの謎が見事解けたら、あたしのおにぎりをやるよ。だが解けなかったら、報酬はなしってことで。乗らない?」

 日葵さんはシニカルな笑顔を僕に見せて、タイマーを五分にセットした。

「制限時間は、10分」

 子舵さんは身を乗り出して驚いた。

 勿論僕も驚いた。

 だけど日葵さんは冷静に、教室の時計を指さして、僕達はそれを目線でなぞった。

「五分を過ぎると、昼休みが終わるから、妥当な時間じゃん」

 時計を見ると、残り10分で午後の授業の予鈴が鳴る時刻だった。

「分かったよ」

「交渉成立」

 日葵さんは嬉しそうに笑い、タイマーを起動させた。

 この2人は如何して僕に意見を求めるのだろうか。

 日葵さんも子舵さんも、僕よりハイスペックな頭脳を持っているはずなのに。

 まあ、どうでもいいけどね。

 僕は息を軽く吸って、目を閉じて席から立った。そして何かを云った日葵さんを無視して僕は教室を時計回りに歩き始めた。

 まず子舵さんと日葵さんが考えた時点でこの事件に、見落としはないはず。

 見落としがないのなら、正解が弾き出されていなければならないのだけど現時点で正解が出ていないから、何らかの柵が答えに辿り着くことを妨げている可能性がある。

 それは何だろうか。

 次に、クラッカーは〝見ろ、これが俺〟だと明言した。

 この言葉の意味の解釈を僕達は自然のままに放置してしまっている気がする。

 だけど、かと云って掘り下げて考え直す場所があるかと聞かれれば、黙り込んでしまう。

 そう云えば、セキュリティーシステムに侵入された大企業が腹いせに画像を鮮明にしたと子舵さんが云っていた・・・・・・・・・

「で、兎無。正解は出たの?」

 いつの間にか教室を時計回りに1周した僕は、再び自分の席に座った。

 健斗は手の平でおにぎりを人質を扱うかのように乗せて、悪い笑いを浮かべた。

「多分ね」

 その言葉に、子舵さんは椅子を詰めて、期待を露わにした。

「ちょっと待って」

 僕が解説を始めようと息を吸った瞬間に、日葵さんが僕に手の平を向けた。僕は指示に従う為に、吸った息をそのまま吐いて、解説を中断する。

「分かったの?」

「いや、まだ。だから、兎無が確信から程よく離れたヒントを出して。自分で考えたいから」

 日葵さんはお願いを催促するように、指先だけを曲げて、カンフー映画で敵を挑発する場面を彷彿とさせる動きをした。

「なら、三つヒントを出すよ。まず一つ目は、クラッカーの言葉をもう一度思い出すこと」

「見ろ、〝これが俺だ〟ってこと?」

 日葵さんは、声を低くして、男性の声を表現しながらクラッカーの言葉を復唱した。

「そうだよ。その言葉をもう一度考えること。二つ目は、大企業が鮮明にする前の画像。それで最後は、2人で協力すること。以上の3点だよ」

 僕が話を終ると、子舵さんと日葵さんは僕の出したヒントを口で小さく呟きながら、各々の考える時の決まりポーズに姿勢を変えた。

 子舵さんの場合は、顔を少し上げて遠くを見据えながら、机の角に手を置き、腕をめいっぱい伸ばして、背中を椅子に押し付ける姿勢をしている。遠くを見据えることで、視界情報を減らし、集中力を増幅させる手助けを期待する作戦なのだろうか。

 打って変わって日葵さんの場合は、時折足を組み替えながら、親指の爪の先を噛んで、子舵さんとは対極的に、近くの机を見つめている。爪を噛むことで安心感を得て、思考を安定させる作戦なのだろうか。 

 2人の集中力は、僕がミルクコーヒーを吸う勢いが強すぎて咽てしまっても、無反応を決め込むほどには集中していた。

 暇になった僕は、1人で食事を再開した。

 先に集中力を欠いたのは、子舵さんだった。

 僕がサンドイッチの2口目に行こうとした時に、子舵さんは「あっ」と呟いて、考える姿勢を崩した。

「兎無くん、ちょっと」

 思考の世界から一足早く戻った子舵さんは、自分の手でメガホンを作り、僕の耳に近付いて、回答を述べた。

 僕の耳は子舵さんに突然温かく刺激されたので、反射的に体をこわばらせてしまった。 

 耳と子舵さんの口が近い所為で、一言一言が音の振動と空気の移動の二つで表現されて、全ての言葉がある意味では二重表現になっていたけれど、日本語としての違和感は一切感じなかった。

「まだ僕も試した訳じゃないから、正解と断言出来ないけれど、僕の考えが間違っている可能性に目を瞑れば、正解だよ」

 回答を話し終えた子舵さんは、不自然な程にゆっくりと僕から離れていったので、僕自が話し回答の採点をし終える時に、やっと子舵さんは自分の定位置に戻った。

「きなこさん。あなたは分かったかしら」

 正解からの安堵からなのか、余裕を取り戻した子舵さんは、腰まで伸ばした長い黒髪を指で靡かせると、苦悩をしながら貧乏ゆすりをする日葵さんを煽った。

 その煽りに対して日葵さんは、煽りに触れることはなく、頭を掻きながら、問題に唸っていた。

「日葵さん。僕よりも時間が経っているよ」

 教室の壁掛け時計を見ると、日葵さんが思考を初めてから六分が経過していた。

「分かんない!」

 時間を聞いて焦った日葵さんの思考は見事に乱れ、胸の前にあった手を大きく挙げて、問題を投げ出した。 

「おにぎりは貰うよ」 

 諦めモードの日葵さんの手元からおにぎりを取ろうとした途端、怨色な日葵さんは、膝の裏側で椅子が弾き飛ぶ勢いで立ち上がり、僕と子舵さんの方を見ながら後ろに二三歩下がり、立ち止まった。そして手に持っていたいにぎりの包を高速で剥き取り、全力でおにぎりを口の中に詰め込んだ。

「あっ」

 目の前の無作法な光景に呆気に取られていた子舵さんは、無意識の内に口から呆れの声が零れ落ちた。

 その子舵さんの言葉に続き、僕は驚きの声を漏らした。

「約束が違うよ、日葵さん」

「んん・・・・・んんんんん」 

 日葵さんの言葉の全てが口籠っていた。

 日葵さんは、微かな女子力を維持する為に、口いっぱいに詰め込んだおにぎりを覆い隠すように、手を口に当てがった。だけどその所為で、口の動きから言葉を予想することさえ不可能になってしまったので、僕は日葵さんの発する言葉の理解を諦めて、日葵さんの手の裏で起こっている咀嚼が終わるのを待つことにした。

 けれど、日葵さんの咀嚼が終わるよりも先に、予鈴が鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る