第11話「邂逅」
- Say hello to my fate - 11 -
「久し振り、ゆーちゃん。全然連絡しなくてごめんね。」
フェイスマスクなど既に無意味。それを外した顔は、やはりあの時のかわいい『星夏』のままだった。目の下のホクロだって、チャームポイントと言っていい。
一瞬、姉の顔になった。穏やかな微笑みは、柚佳が生きているという確信を持っていたということだろう。
彼女の後ろには、もう一人男が――TVKで見た付き人の片方がいた。柚佳との空気を悟ったのか、一歩下がって黙っている。
「ここで働いてたんだ。」
「うん、もう、辞めちゃったんだけどね。やっぱりわたしには人付き合いなんて無理みたい。言わなくてごめんね。」
柚佳がやっぱりか、と呟いて俺の前に躍り出た。今ので覚悟を決めたようだ。
「そんなこと、いいよ…。」
「天野君が見ててくれてたんだ、助かるな。いちばん信頼できるトコロに収まったみたい。」
彼女は俺を忘れていなかったらしい。鼻と口周りを血まみれにしても、すぐに俺だと気付いた。
「お姉ちゃん!」
雑談に耐えかねた柚佳が、ビシッと付き人を指差して言った。
「それより、そんな人たち引き連れて、何やってんの…。」
<そんな人>と言われた男も、一歩前に出て口を開いた。心外だ、という顔をしている。
「別に俺はこの女とつるんでる訳じゃない。だが、俺たちにこの女をどうにかすることは出来ないのさ。それに、この女の作る世界にも、ちょっと興味あるしな。」
それをつるんでる、と言うんだとツッコミたかったが、口の中が気持ち悪くて、また赤いツバを吐いた。竹内が銃をしまって、口を開く。
「そうなんだよな。こいつらは支配されてると言ってもいい。ホーラスに手は出せねェんだよ。見てろ。」
そう言うと竹内は大きく、拳を振りかぶった。
「ちょっ!」
と柚佳が止めに入るが、遅い。彼の拳は、俺を殴り飛ばした時のように振り下ろされてしまった。
柚佳は顔を覆うが、俺はしっかりと見ていた。あの警官は理由もなく、ましてや女の子を殴るはずが無いと思ったからだ。
突如、彼女の持つ水晶が光を放った。まばゆくて、目を閉じてしまいそうになるが、腕を盾にしてその下から覗き見る。
バチバチバチッ!と油に水を注いだような音がして、竹内が低く唸った。拳は彼女に当たっていない。むしろ、その音とともに弾かれていた。
光が収まった。星夏は何も動じない。竹内がいってーと腕をプラプラさせていた。
「見ただろ?お前のアレを見た後じゃ別段驚きもしなかったが、結界みてェなもんだろ。」
"お前のアレ"という言葉に、星夏が竹内を見た。柚佳のハンカチを口に含んで血を一気に取ってから、俺も追った。
「あーうん…その、水晶の力だね?」
あの結界の時、水晶は光と音を放ちっぱなしだった。ということは、その水晶に何かが起きているということだ。星夏も首を縦に振る。どうやら、隠す気もないらしい。その裏付けに、彼女はこれまで『わたしが凄い』とでも言いたげな振る舞いを一つも見せない。
「そう、わたしの水晶は、理解し難い力を持ってる。この大地震…呪いも、次の水害も、この水晶が起こす。そしてこれはわたしを危険から守る。わたしはこれがなければただの女の子だからね。」
その言葉に反応するように、水晶がキラリと冷蔵ルームの蛍光灯を反射した。
自分の手前、『理解し難い力』とは思わない。だがこの全ての超常現象を、あの小さな玉一つが引き起こした事実は、とても現実離れしていた。
「それ…どこで買ったの?」
「半年ぐらい前かな。都内の骨董品店で買い換えたんだ。もしかしたら、有名な神社とかから盗まれた盗品なのかもと思ったけど。おかげでこの世界はわたし達の思う通りになりそうだから、持っておこうかなって。」
半年前。天皇の下からものすごくありがたい何たらが盗まれた、そんなニュースを見たような見てないような気がする。関係があるかどうかなど、俺みたいな素人にはわからない。だが、彼女の言葉には引っかかるものがあった。
「最初はキレイだったんだけど、どんどんくすんでっちゃって。都会の空気とか、わたしの言霊とかを吸い込んじゃったのかな。」
「姫織、これは、『俺たち』が望んだ世界じゃねえよ。」
「え?」
俺は強引に割り込んだ。竹内が任せる、という表情をして、頷いた。柚佳も、何も言わない。俺の言葉を待っている。
「俺たちが望んでいるのは、『希望を持つ人がいなくなった』世界じゃないよ。そのくくりは、失敗だったと思う。」
こんなところで説教を始めても、俺の家族やあの人々は帰ってこない。それでも、溜め込んだ言葉は溢れてきた。
「確かに、俺たちはそいつらに色々な物を奪われてきたのかもしれない。でもそれは、彼らのせいじゃないんだ。半分…いや五分の四は、俺たちが自分で捨てたんだ。手に入れる努力もしてないのに、それを持ってる人を羨ましがって、比較して奪われたと思ってる。でもそれは奪われたんじゃなくて、手に入れる努力を怠っただけなんだよ。本当は俺たち"持たぬ者"だってやってみれば案外出来るもんだ。それをやらない性根の怠慢が、希望を"隠している"俺たちを生み出したんだ。」
この三日間の想いを、俺はまとめて吐き出した。付き人のタンクトップの男は、痩躯な体を見回して、ため息をついている。その筋肉質な腕や足が、妙に頼りなく見えた。
「何を言ってるの?だって、わたし達にとって、あんなにも世界は死んでいたんだよ?なんで、わかんないかなぁ?」
「わかってたよ。でもな、見方の問題なんだ。俺は地震が起きてすぐ、生存者を探して平塚とこっちを数時間も走り回った。全力でな。どんなに怖いものを見ても乗り切った。一つ一つ、手がかりも探した。お前らの居場所を探して、TVKにも忍び込んだんだ。結局、すべては自分次第なんだよ。環境とか言ってられる年齢は、とうに過ぎたんだ。」
俺は引き下がらなかった。
「それにさ、俺たち"持たない者"組ですらこんなに分かれて、自分勝手に争ってる。相模原では暴動が起きて、死人まで出たんだぜ?こんな視野の狭い自己中な俺たちばっかで、前よりいい世界になるわけねーだろ!一番必要だったのは、俺たちと俺たちを否定した人々すべての、まとまった意識改革だ!」
今までの自分らしからず、喋りすぎたと思った。冷蔵ルームの中が、静かになった。ゴゥンゴゥンと、謎の機械だけが音を立てていた。一度、鼻をすする音がしてから、星夏がゆっくり口を開いた。
「そりゃ、新しい世界の中でもちゃんと秩序は整えたいよ?悪い人は隔離するし。力を振り翳されたらたまんないもん。それに、たぶんあなたは――」
星夏の次の言葉が、俺の頭をめった打ちにした。まるで銅鐸か何かをぶつけられたようだ。
「あなたは"持たぬ者"なんかじゃない。あなたが生きてるのは、きっとわたしのせいなんだと思う。」
「へっ?」
柚佳が俺と星夏の顔を交互に見つめる。正直、薄々気付いてはいた。俺は意外と"持つ者"なんじゃないかって。初めてそう思ったのは、車を家に戻しに行った時だ。
それでも、俺は基本的に日々をだらだら過ごしていたし、死んでもいいと思ってた経験がある。あんな極限状況の中で気付いただけだと思っていたが…何よりハッキリと言われることが、大きなショックだった。
「姫織の…せい?」
思わず聞き直してしまった。柚佳も竹内も唾を呑んで、状況を見守っている。
付き人の男の後ろに、ぞろぞろと隔離された"持つ者"が集まってきた。その中に彩乃の姿を見つけられないことにイライラした。視野の狭い自己中は、俺たち"持たぬ者"だけではない。
「わたしにとって、天野君は希望みたいなものだったの。わたしは小学校、中学校とぜんぜん学校に行かなかった。」
それは知っている。だが、俺が星夏の希望になった覚えはなかった。
「学校に行かないわたしに懇切丁寧に勉強を教えてくれたのは、天野君だったよね?連絡帳やプリント、課題を持ってきてくれたのも天野君だった。知らないと思うけど、高校に合格したのをいちばんに祝福してくれたのも、天野君だったんだよ。」
過去の思い出が次々に蘇ってきて、一瞬、こいつは俺のことが好きなんじゃないか、と思った。よく考えれば違うとわかる。人とうまく付き合えなくて引きこもりの星夏が、唯一うまく関係を築けたのが俺と、妹の柚佳と、彩乃だったんだ。
「恋とか、そういうんじゃないけど。あぁ、わたしでも他人とうまくやっていけるんだなぁって。そのおかげでアヤとも友達になれて、すっごく仲良くしてもらって嬉しくて。それでも、苦手な人はいっぱいいた。会社に入って、思ったんだ。」
星夏は掌で水晶をころころ転がしながら、辺りをくるっと見渡した。
「みんな、みんな邪魔に思えた。生活が充実してる人がみんな、わたし達からたくさん奪っていったんだって思った。だから奪い返してやろうって。本当は、気付いてたんだよ。でも、自分を誤魔化して…騙さないと生きられなかった。死ぬことは考えたくなかったんだ。」
「だから、黒魔術とかオカルトに手を染めて、危ない水晶を買っちゃって、成り行きでこうなっちゃったってことだな?」
だいぶ、体の痛みが引いてきた。俺は一歩踏み出す。
「そう、だから、きっとわたしの好きな人は、どんなに希望を持ってても呪われないんだと思う。ゆーちゃんもアヤも、死ぬことなんてこれっぽっちも考えなかったら、ホントに生きててくれたんだもん。わたし、甘いよね。」
「ああ――お前は、大甘だ。」
俺の中で、何かが切れた。大きく踏み込んで、星夏の――ホーラスの水晶をつかんだ。
目を焼き切るような光を、敢えて受けた。視点をやや左にずらして直射をかわしながら、水晶を掴む手に力を込める。
「おい!」
「ユー――」
「やめて!あぶない!」
竹内に柚佳、そして星夏の静止を振り切って、それを取り上げようとした瞬間、バチバチッ!と音がして、掌にすさまじい痛みが走った。
「ぐうううううっ!!」
歯を食いしばって、変な声が漏れた。悲鳴を上げる柚佳の方を見て、微笑んだ。大丈夫、大丈夫だよ。
それを見た星夏が、手を離した。水晶は爆竹みたいな激しい音を立てながら、光を放ち続ける。痛みの感覚はとうに麻痺していた。ここまで来れば、俺の勝ちだ。
さっきからゴゥンゴゥンと忙しい音を立てている機械にイラついて、そこに狙いを定めた。
――昔、少年野球でピッチャーをやっていたから、自信はあったんだよね。
思いっきり振りかぶってその水晶をぶん投げた。ピッチャー第一球。光を放ったまま、水晶はその機械の中へと吸い込まれて――
ガガガガガガガガガガ!という工事現場のような氷かきのような激しい音を立てて、水晶の光が少しずつ消えていく。爆竹のような音も、もうない。
しばらく、俺以外のすべての人が、その光景を見ていた。音はだんだんとゆっくりに、そして小さくなっていった。
長い、長い沈黙があって、付き人が最初に口を開いた。
「水晶が――割れた?」
竹内が機械を覗き込んで、周りに貼ってあるラベルを読んでいた。俺の方を見て、言った。
「砕氷機だぜ、これ。」
「さっ――」
俺は空気を飲み込んだ。
「砕氷機だって!?」
「なんてこと…。」
ぱさ、とローブが床に擦れる音がして、星夏が膝をついた。その目に、涙を浮かべている。――女の子を泣かせてしまったようだ。
静かな冷蔵ルームの中に、星夏の嗚咽が響いた。柚佳が駆け寄って、血まみれのハンカチの裏を差し出す。
「水晶が壊れたら…呪いが終わってしまう…。」
「こんな呪われた世界が、誰を幸せにするって言うんだよ…お前だってわかってるじゃねーか。」
俺は荷物に寄りかかると、座った。全身から力がどっと抜けていった。
水晶が割れても、今のところは何も起こらない。もしかしたら世界が戻るかも、という俺の期待は、徒労に終わった。
痛みのなくなった手を見て、俺は顔をしかめた。皮がベロッとはがれてしまっている。高温グリドルに手を置き続けたら、こうなるかもしれない。大火傷だ。
「ホーラス!」
大きな叫び声が響いて、黙っていた人々もみんな、冷蔵ルームの入り口を見た。
そこから、わらわらと体格のいい男達が入ってきた。先頭に、TVKで見た付き人の片割れも居た。――片方は腹心で、片方は逆臣だったか。
連中のほとんどは、事務所の中で見た男達だった。柚佳がしゃしゃり出てきて、正解だったかもしれない。
「お前は失脚した。女は黙って、新世界に順応しな!」
星夏は膝をついたまま、その言葉を聞いていた。黙ったまま、その付き人を睨みつける。
一応、隊列を組んでいるのだろうが、それはバラバラだった。"雑兵"という言葉が似合うかもしれない。ゆっくり近づいてくるその男達の前に、俺は力を振り絞って立ちはだかった。
「それは…いけねーよ…。」
「天野君!」
星夏が叫んだ。べつに、彼女の味方をしたわけではなかった。ただ、こんな事を言う時点で、奴らの底は知れている。こんな奴らの世界は、作りたくないだけだ。
出る杭は打つ。昔の人は良い事を言ったと思った。前に立つ男がしたり顔で俺の頭に手をかけた――その時!
その男の顔がダブった。何かされた、と思ったが、どこにも痛みはなかった。男はダブったまま戸惑って、辺りを見回している。
「地響きだ!また、デカいのが来るぞ!」
竹内が叫ぶ。それで俺は理解した。バランスを取っている前の男のヒザを思いっきり蹴り飛ばすと、面白いように体勢を崩して転んだ。
先頭が出遅れ、他の連中も困惑している。俺はひょいっと後ろに跳ぶと、柚佳に星夏を任せ、エレベーターのポールにしがみついた。
次の瞬間、まるでジェットコースターのように横に引っ張られた。プラスチックの板の上の荷物は飛散して、あちこちの壁に叩きつけられている。
俺の近くにも荷物が三、四個飛び込んできて、中から現れたお酢のビンが次々と割れた。地震の恐怖でそれどころではなかったが、それでもゾッとする。
わぁーとか、きゃーとか、あちこちで悲鳴が合わさって、もはや誰のものかわからない。"持つ者"も"持たぬ者"も"ホーラス"も、天災の前では無力だった。
彩乃の所に行きたいが、揺れが強くて思うように動けない。部屋の中は狂気に包まれていた。この災害の中では誰も傷つけない。傷つけることができない。
時間にして数分なのだろう。一分もないかもしれない。毎度のことだが、数時間に感じられた。
やっと揺れが退いてきて、悲鳴が収まったと同時に俺は飛び出した。飛散した荷物や割れた破片を踏まないように、慎重に部屋を走っていく。
みんなが腰を抜かしている今がチャンスだった。彩乃は部屋の隅で、積まれたプラスチックの板を盾にしてやり過ごしていた。
「大丈夫か!?」
俺は車椅子を少し手前に出すと、土ぼこりを掃った。
「へへへ、あったまいいでしょ。」
「ああ、お前、天才だよ。」
再び軽く頭を撫でると、彩乃はころころと喜んだ。彼女をどうにか安全な場所に移してやりたいが、一触即発の雰囲気の向こうに連れて行くわけにはいかない。
「大きかったねー…何が起きてるんだろ?」
「確かに…。あれ?」
俺はふと壁に目をやった。非常口の看板が付いている。ということは、ドアなのか!?
彩乃を後ろにして、俺はそのドアを調べた。恐らく入り口と同じ、横に開くタイプだ。スイッチは壁ごと破壊されていた。
左手をドアに当ててみる。今度の耳鳴りは一瞬だった。ピーッと音がして、ドアが横に開く。その先の景色に、俺は驚愕した。
扉の先には大きな窓がついていた。問題はそこではない。
窓の下に見えるこの倉庫の駐車場の白線が、ゆらゆらと揺れている――つまり、水の中にあるのだ。街は水没していた。
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