第9話「真実」

- Say hello to my fate - 9 -


『こんにちは、神奈川の皆さん。わたしは、占星術師ホーラスです。』

やはり前回と変わらぬ調子で、ホーラスは画面から俺たちに呼びかけた。

クリプトン・ガスで作り上げられた彼女の声が、疲れた体に障る。俺はボリュームを上げることなく、柚佳と共にレジカウンター越しにそれを見ていた。

竹内のおっさんは、今いない。暴動が起きた、というから、相模原の拘置所まで行っているんだろう。そうなると、すぐには戻ってこられない。

そして俺は今とてもクタクタだ。昨日あちこち走り回ったのと同じぐらいの距離を移動してるから、当然である。今何かがあったら、間違いなく柚佳を守れないだろう。

そんな時、あっちでみんなは俺を叱るのだろうか。こんな下らない妄想を、画面の中のホーラスは待ってくれなかった。

『わたし達"持たぬ者"の世界を作り上げる…そう、呪いを広げる目処があらかた立ってきました。つきましては、この神奈川におられます我々が一堂に会すことが必要であると考えました。』

一同に会す、と彼女は言った。つまりは、俺たち神奈川の"持たぬ"者をまとめて管理するということだ。今のように、好きなだけ飲み食いながら時間をやり過ごせなくなる。

何より、あいつらのすぐそばで生活することが嫌だった。なるほど、これなら暴動も起きるだろう。竹内が生きて帰って来ることを、ただ願うばかりだった。

「呪い、って何だろう。他のとこでも大地震ばっか起こしてたら、あたし達が住めなくなっちゃうよね?」

そんなこと、わかるわけがない。レジカウンターに両腕を乗せて聞いてくる柚佳の前で、俺は手を横に振った。

「わからん。地震の次は雷とか…もしかしたら、天変地異じゃないかもしれないしな。」

毒ガスとか、そういう鬼畜なものもあるかもしれない。地震で俺たちだけが都合よく死ななかったんだから、それこそ何でもありなんだろう。――"持つ者"は心臓麻痺で死んでいるから、流石に毒ガスは言い過ぎたかもしれないが。

ホーラスが指定してきた場所は、俺たちの予想を裏切らなかった。

『会場は運送会社XX、こちらの湘南第三支店になります。一三四号線や国道一号は崩落や水害によりご利用いただけませんので、横浜や小田原在住の方々は、寒川町や秦野市などの山間いを経由してお越しください。』

俺たちの位置から一番近い、市内の支店だった。それにしても神奈川県じゅうの生存者を集められるほど、この支店は広いのだろうか。

「ここなら、冷蔵倉庫だってあるだろう。その中に、彩乃がいるかもしれない。」

俺はそう言うと、レジカウンターに挟まっていたメモ帳に、会社名と支店名をメモした。

「助けに、行くね?」

「ああ、もちろん。」 大きく頷いた。意味ありげに、柚佳が俺を指してウィンクした。

「おっさんが帰ってくるかどうかが問題だが…」

二人で、なんて考えはしてはいけない、と思った。どう考えてもあの後ろ盾にかなわない。最低限、訓練を受けた警官が欲しかった。

『周辺の施設も併用しまして、この県の約九千人の"持たぬ者"の方々に生活していただきたいと考えております。少々、お待ちください。』

ホーラスは一度お辞儀をすると、映像がブラックアウトしていった。

「九千人、かー…。」

ため息をついてうつむいてしまった。この市の人口が約十万人。一つの場所に集まるには多すぎるように感じられるが、県の人口は九百万人いるから、実質生存率は○.一パーセントなのだ。

千人に一人しか生き残らない災害。そう考えると、ものすごく胸が痛い。

「あー!」

柚佳の声で俺は視線を画面に戻した。夜の中、素人のロケのようにカメラがブレていた。

映し出された映像はホーラスの指定した倉庫の外観だ。――なるほど、この映像を撮っていたのか。

あの帰り、もしくはテレビ局への道のりで俺は彼女らに遭遇したということだ。

見慣れた風景ではないが、どの辺りにあるかの見当はついた。この市と、平塚と、その隣の市を結ぶ境界線あたりの倉庫街だ。

だが、どうやって行くかはわからない。と悩んでいたら、柚佳が『あー!』の正体を俺に教えてくれた。

「ここ、お姉ちゃんの会社じゃん!」

俺は耳を疑った。

「なんだって!?」

画面をもう一度見る。運送会社のロゴの隣に、やや気取った外国語のロゴが入っていた。

ここ十年くらいの会社で、CMも見たことがある。柚佳は『そんなに大手じゃない。』とは言ったものの、俺でも知っているくらいだから、そこそこ名が通っているのだろう。

『ご覧の通り広大な敷地を用意しております。また、都内からやや遠い場所にあることで、皆さんへの被害を抑える目的もあります。』

ホーラスの言葉など、とうに耳に入らなかった。ならば、そのお姉ちゃん――<姫織 星夏(ひめおり せいか)>さんの助力をいただけないだろうか。

「姉ちゃんの家、わかるか?」

「う、うん…。」

柚佳がうなずく。道路が生きていれば、の話だからだろう。あの辺りは畑や農場ばかりで、整備されていない道路もなかなか多い。

「明日行ってみよう。会社への地図ぐらい、あるだろうからな。」

「お姉ちゃん…」

ゆっくりと禁煙席に向かって歩き出した柚佳がポツリとつぶやいた。

「死なないで…。」

「死なないだろ、どっちかつーとあいつも"持たぬ"寄りなんだからな。」

俺は指で彼女の後ろ頭を小突いてみた。そういえば、こいつらは近所でも有名な仲良し姉妹だった。

仲良し、というよりはいつも星夏のほうが引っ張られていた記憶があるが。

柚佳の二つ上で俺と同い年の星夏は不登校児で、小学校の高学年から高校にかけて、学校で姿を見ることはなかった。なかった、といえば嘘になるか。年に数回学校に来ては、昼間に早退していた気がする。

特にイジメられていたわけでも、不良だったわけでもない。柚佳や親御さんから聞いている話では、『学校に馴染めない』だとか『人と馴染めない』。ただその理由からだったらしい。

連絡帳やプリントを同じマンションの住人である俺が届けまくった事はハッキリ覚えてる。だから、俺の中の<星夏>はいつでも、伏し目がちな可愛い澄まし顔をした引きこもりなのだ。

その後どうにか高校を一年遅れて卒業したらしい彼女は、妹の話によると今、目の前に映っているここに就職した。ならば、化け方も覚え、もしかしたら男の扱い方だって覚えたかもしれない。そこに幸せを見出し、十年遅れた青春を味わえてるのなら、"持たぬ者"より、"持つ者"のほうかもしれない。

いずれにせよ、こんな世界ではどちらのほうが幸せなのかはわからない。今の俺なら、"持つ者"のまま死んだほうが幸せなんじゃないかとは思うけども。

それにもし彼女は今も変わらず"持たぬ者"なのなら、あそこで彩乃のことを見てくれてるかもしれない。彩乃と星夏は、高校で一緒だった。妹以外で唯一、彩乃とはすごく楽しそうに喋っていたし、星夏は彩乃を一人称と同じ"アヤ"と呼ぶから、それなりに仲が良いんだろう。

「うーん…あたしが考えてても仕方が無いのはわかってるんだけど、ね。」

あごに手を置いて考え込む柚佳に、俺は思わず手が伸びた。スルッ―という音がして――

「うあっ…ちょっ…」

まるでマンガのようにフラッと面白いバランスの崩し方をして、彼女が椅子の背もたれに倒れこんだ。

――あれを見てから一度やってみたかったんだ。突然髪どめを外したらどうなるか!

「あっはは、悪い、悪い。」

「ちょっとー!」

椅子に寄りかかったまま柚佳が叫ぶ。俺は慌てて手を差し出すと、数十センチ隣の席へと誘導した。仕上げに髪どめのゴムを返す。

髪を下ろした珍しい光景は、ものの数分で終わった。バババッと音を立てて素早く大しっぽを作り直した柚佳の鬼の形相を見て、俺は素直に頭を下げた。

「悪かったって。考えても仕方ないんだから、寝ろよな。」

「冗談じゃないよ!ひとごろし!女の子に気安くさわるなーっ!」

高校の時のクラスの女子みたいにキーキー騒がないから、わざと怒ってるんだろう。幼馴染の関係は、割と得みたいだ。

椅子にどんっと寝転んだ柚佳を見ながら、眠気を我慢できずに俺もテーブルに突っ伏した。明日になれば、準備が整うはずだ。竹内のおっさんも帰ってくると、いいんだが。



結局、いつ寝たのかは覚えていない。そのぐらい早く、眠りに落ちていた。

目を覚ましたときはゆうに、十一時を周りそうだった。慌てて立ち上がり辺りを見回す。変化の無い景色は、安心と胸の痛みを同時に運んでくる。

目の前ではスースーと柚佳が寝息を立てている。今のうちに、銃を取り出しキッチンへと向かった。

昨日帰ってきたときと同じルートを辿り、店の中をチェックする。俺達以外に誰もいない証明はやはり、安心と胸の痛みを同時に運んできた。

流しで洗顔をするついでに、IHでフライパンに火を入れた。厨房のド真ん中に置いてあるグリドルが使えなかったので、フライパンでBLTサンドを作る。

拳銃を背中に差したまま、自分のTシャツを全自動食器洗い機に突っ込んだ。フタを閉めると自動で水のパレードだ。流石に汗臭さがひどかったので、柚佳の手前放置できなかった。あとで彼女にも使わせればいいだろう。

クックコートの上だけを着て、簡単にパンに具材を盛り付ける。三人分のサンドを用意すると、俺の中の創作欲は満たされた。

竹内はまだ帰ってきていない。俺たちが星夏の部屋に行っている間に帰ってきては可哀想なので、客席に置いておくことにした。

ちゃんと『おっさんへ』と書いておく。ハートマークがイビツだから、すぐにバレるだろう。しばし考えてから、俺はそのハートマークを上から塗り消した。

「おはよ………だれ。」

体をムクリと上げた柚佳の第一声がそれだった。上だけクックコートだから、可笑しいのだろう。

「いいから洗顔して来いよ、サンドイッチ作ってあるから。あと、食器洗い機に服突っ込めば洗えるぞ。」

ホール用の制服もあるから、と俺はキッチンの方を指差した。柚佳が怪訝な顔をする。

「……見ないよね?」

「てめーは人の好意をうんたらかんたら!」

後半の方はもうめんどくさくなってしまった。怪訝な顔に疲れた柚佳が、パパッと手を振る。

「ありがっとう。ずっと気になっていたんですよね、じつは!」

寝ぼけ眼の柚佳は、そのまま早足でキッチンへと飛び込んでいった。俺はモニターに目をやった。ホーラスが相変わらず、俺たちに招集をかけ続けていた。

待ってろよホーラス、お前と話をするまでに、あと二十四時間もかかんねえだろうから。

ホールの制服姿で帰ってきた柚佳に噴き出してしまった。彼女もやはり、俺の中では子供のままなんだろう。

「何か問題でも?」

「いーや。就活生っていう肩書きとのギャップに思わず笑えて…。」

彼女が持って来てくれた俺のTシャツを受け取って、そう言いながら店の外へ向かった。天日で干せば、正午過ぎには乾くだろう。

BLTサンドの後にコーヒーを差し出した。クック姿の店員がホール姿の店員に飲み物をサービスする光景がシュールで笑えた。

「竹内のおっさん、いつ帰ってくるかな?」

「携帯は通じないもんねぇ…ま、サンドイッチ用意しておけば大丈夫でしょ!」

俺は窓の外の光景に目をやった。鳥は相変わらず倒れた木を一生懸命に突いているし、四月の風は相変わらず容赦なく暴れまわっていた。

日の照りだけは相変わらずキレイだった。建物さえ崩壊していなければ、平和そのものを体現する気候だったのだ。

一瞬、平和ボケしていた。だから、モニターでうるさく理想論を唱えるホーラスの声も、聞きそびれてしまったんだ。


『さぁ、呪いが広がりますよ…全国、そして、全世界へ。傲慢な人々を洗い流して、わたし達だけの理想郷を!』



お互いの服が乾く頃合を見計らって俺たちは店を出た。予想通り、午後の一時だ。

「うーんと、こっちから行けるかな。」

新しめの、整備された道路…跡を優先的に進んでいく。星夏の部屋は知らないので、俺はついていくだけだ。

気温が低めなのが、少し気にかかる。日照りがいいのに気温が低いと、なんだか少し損な気分になったりするものだ。

勾配の急な坂を上ったり下ったり、それでも階段でないだけ、柚佳の体力にはマシなのかもしれない。あるいは精神的な理由により、今日の彼女の足取りは勇ましいのかもしれない。

「しかしよく、両親が一人暮らしを許したな…。」

倒れて道路を塞ぐ街路樹を、俺が先に乗り越えた。続く柚佳を、手を引いて補助する。

「んー、会社が遠いからかな。ご存知うちの家系の体力じゃバテちゃうし。あとは年の割に色々足りないお姉ちゃんには、突き放すことが必要だったのかも。」

あ、でも家の事は色々やってたんだよ?と彼女は続けた。チュニックのスカートをぱんぱんとはたいて、土ぼこりを掃う。

「そっか。じゃあ、意外と部屋はキレイで、ちゃんと自炊してたりするのかな。」

「さぁねぇー。女の一人暮らしなんて、意外と汚いかもよー?男が見てないところで、怠慢だからねぇ。」

それはあくまで"男を知っていれば"の話なんだろう。思ってからふと、自分のことが不安になったが、そうするとすべての女性を信じられなくなりそうなので、やめた。


星夏の住むレオパレスの部屋のドアを開けた瞬間、俺は目を疑った。『左手』を使ってしまったが、鍵は開いていたかのように振る舞ったその直後だった。

「え…ちょっと…なにこれ…?」

思わず妹がつぶやく。昼間なのにも関わらず、部屋の中は真っ暗だった。いや、付けっぱなしのテレビの明かりはある。

真っ暗の正体は、部屋のカーテンだった。カーテンだけでない、壁紙まで真っ黒だ。地震で物が散らかっているかもしれないので、慎重に中に入った。

ドアを閉めないよう注意する。閉めてしまったら、永遠に出られそうになかった。

中には俺が今まで見たことも無いような物が散乱していた。十字架に水晶玉、床に散らばるトランプは見たことがある。タロットカードだ。

柚佳が踏み込んで一気にカーテンを開けたので、部屋の全てがあらわになる。本棚は倒れ、中の書物が散乱している。『黒魔術の基本Ⅱ』や、『よくわかる魔女狩り』などのタイトルが見えた。

その中の一つが視界に入る。思わず俺は、隣で唖然として周りを見回している柚佳の肩を叩いて、言ってしまった。

「なあ…お前の姉ちゃんって、ホーラスなんじゃねえの?」

少しの沈黙があった。

「ま…まさかぁ…。」

その言葉は浮ついていた。彼女自身、なんとなく確信してしまったんだろう。俺は意地悪く続けた。

「じゃあ、お前は自分が"持たない者"だとでも言うのか?」

「悩みの一つくらいは、誰だってあると思うけど…。」

「死にたいほどに?"生きる希望を失くす"ってそんなに簡単なことか?」

ハッとなって俺の顔を見る。広げた自分の手を見てから、それを思い切り俺にぶつけてきた。平手打ち。

だが、その目は戸惑いを隠せない。俺の言葉を否定することができないでいた。

正直なところ、決め手になったのは、変わらない彼女の喋り方。あの独特のトロい喋り方…俺の知っている姫織星夏のものだった。あの時の懐古は、それだったのだ。

『占星術を極める』というタイトルの本を手に取った瞬間、国内のキー局を映すテレビが俺たちに語りかけてきた。

『次のニュースです。謎の大地震により封鎖された神奈川の沿岸で、大規模な津波が発生している模様。同時に洪水警報も発令されていますが、増水した河川は今のところ見られないという事です。誤報であるという判断は今のところ出ていません。繰り返します――』

俺たちは本を放り投げて、ニュースに釘付けになった。柚佳はそうすることで、自分の精神を保っているように見えた。

津波。洪水。もしそれが本当なら、いよいよこの周辺はヤバいことになる。昔、小学校の先生が言っていた言葉が、今は恐ろしく響く。

『もし津波が来たらこの辺はまるまる沈んじゃう事になるねー。』



原因不明の洪水とくれば、警告されている津波も恐らく、起きるんだろう。こと天災に関しては、今は妙に現実的な響きがある。

店に帰るまでの間、柚佳は一言も喋らなかった。喋らないどころか、いつもの屈託のない笑顔一つも見せなかった。

「遅ェぞ。どこ行ってやがった。」

それでも店のドアをくぐった俺は少し嬉しくなった。竹内が生きて、全身ボロボロで席に座っていたからだ。

服はあちこち破れ、穴があいていた。竹内本人に傷は見えないものの、顔は薄汚れていた。相当ひどい惨状だったのだろう。

「生きてますか?」

俺は席まで行くと、彼と初めて会ったときの言葉を思わず呟いていた。今度は、容赦の無い裏拳をわき腹に入れられた。

悶えている間に、彼が柚佳に気付いた。さっきからずっと、うつむいたままチュニックの裾をギュッと握りしめたままだ。

「おい、姫織に何かしたのか?てめェ、まさか…」

「違うわ。んー…ちょっと、席外さないか?」

柚佳の肩をトンと押して、座れと合図する。その代わりに外を指差して、竹内にも合図をした。


「割と帰ってきたばっかで、疲れてるんだがな…。ああ、BLTは遠慮なくいただいたぜ。」

倒れた店の看板の柱にもたれかかった竹内が、そう言ってタバコを取り出した。

「ホーラスさ、柚佳の姉ちゃんかもしれないんだよね。」

彼はそのタバコを吸わなかった。恐らく、そのぐらいショックはでかかったんだろう。俺は今日のいきさつを、ゆっくりと話した。

「話を聞く限り、間違いねェな。姫織もそう思ってンだろう。」

平手打ちのくだりを説明することもなく、竹内は首を縦に振った。彼のライターを差し出したところで、ようやくタバコに火が灯った。

俺は手元のパンフレットに目を落とす。彼女の部屋から会社案内を拝借してきたのだ。そこにわかりやすく地図が書いてあるから、準備を整え次第、行きたい。

残る問題は、柚佳と言う事になるが…こればかりは気丈な彼女に期待するしかなかった。

「そういえば。」

俺は顔を上げた。

「暴動は大丈夫だったのか?特に目立った傷は、ないようだけど。」

「死者一人、負傷者十九人。聞きたいか?」

「なっ…。」

<狂気>。げにそれが恐ろしいものだと痛感した。一体どうすれば、○.一パーセントの生存者同士でそれだけ傷つけあうことが出来ようか。

「戸部署のやつが一人死んで、それでみんな我に返った。オレだって発砲してたんだぜ。人間は狙ってねェけどな。怖いだろ?」

夕べ、俺たちは竹内の「行くか?」という問いに首を横に振った。それが大正解だと、今保証されたことになる。

二十五人で傷つけあう。こんな容赦の無い世界のどこが"理想郷"なのだろうか。俺はオレンジ色に染まりつつある綺麗な空の、一番大きな雲を指で狙い撃った。



柚佳がゆっくりと体を起こした時、竹内は既に眠り、俺は自分用のチキンステーキを焼いていた。

暗いフロアにほくほくのステーキを運ぶ時に、席に柚佳がいない事に気が付いた。

ぐるっと辺りを見回す。店内には見当たらなかった。恐らくあそこだろう。

『ペロレロペロレローン』のチャイムは気にならなくなっていた。倒れた看板の柱の上に、彼女を見つける。――ここは、ラウンジじゃねえんだけどな。

「あ、ユータ…。」

柚佳は俺を見つけると、身長にあまる柱をひょいっと飛び降りた。お尻をはたいて、近づいてくる。

「…昼間は、ひっぱたいちゃってごめんねぇ。」

顔が上がっていないから、余程気にしているのだろう。俺は首を横に振ると、言った。

「いいよ。それより、明日あの場所に行こうと思うんだ。ホントの事を確かめに行く。何なら俺が一発バシッとさ。」

平手で空を切った。それを見た柚佳が、クスッと笑う。さんざうだうだしたことで、吹っ切れたようだ。俺を見るその瞳は真っ直ぐだった。俺も、もうそれを後ろめたいとは思わない。

「あたしも決めてあるんだ。絶対行って、お姉ちゃんを叱咤するって。」

「それは妹のセリフじゃないだろ。」

俺は柱に背を預けると、笑った。柚佳も隣で柱にもたれる。

「今はお父さんもお母さんもいないから、あたしが、一番"ホーラスさん"に近いわけでしょ?」

なるほど、と俺は納得した。こいつが――姫織 柚佳が生き延びた事実が、ホーラスが姉の星夏だと証明している。なんとなく、ホーラスの底が見えた気がした。

もとよりこいつは、やはり完全に"持つ者"の人間なのだ。それを殺せないことが、理想郷を謳う卑屈女の甘さである。

「お姉ちゃんに、ホントの事教えてあげなくちゃ。」

やるぞー、と言って、柚佳が暗い店内へと歩き出した。こんなんでは、どちらが姉なのかわからない。俺は勇み足ですたすたと店の中に入っていく柚佳の背中を見つめた。

あんな事言っちゃって、実際は相当怖いんだろう。でも今は怯えてもいい、何なら明日ドタン場で震えてもいいさ。俺もおっさんもいる。三人が助け合えば、やることはやれるだろう。そこまで考えてから、もう冷めてしまったであろうチキンステーキの事が気になり、俺は風が穏やかな夜空にバイバイをした。

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