第8話「整理」
- Say hello to my fate - 8 -
完全に夜の帳が下りたとほぼ同時に、竹内が帰ってきた。
フルフェイスヘルメットをかぶったままだったので、咄嗟に銃を構えてしまった。もし俺が油断していなかったら、先手を打って――撃ってしまっていただろう。
「よォ、生きてたか。」
ヘルメットを取った竹内の表情は、仕事を終えてストレスの溜まりきった父親が温かい家庭に戻ったときのものに似ていた。――何というか、相当疲れさせられたのだろう。
モニターの前を通過する時、バックグラウンド・ミュージックとして流れるホーラスの演説に顔をしかめる。その姿を見て、思わずニヤニヤしてしまった。
「死ぬかと思ったけどね。」
目覚まし用に淹れたばかりのコーヒーを差し出した。今思い出しても、身震いがする。あの不気味さと痛々しさ、後ろの大男相手に逃げ出さなかっただけでも、俺は正義だ。
ホーラスとのくだりを説明する間、俺は柚佳を起こさなかった。どうせ夜はまた交代だから、今は好きなだけ寝ておくといいだろう。説明するには俺一人で充分なのだし。
因みにフルフェイスヘルメットの理由は、交番から署までにバイクを使ったのだそうだ。そのバイクで、彼はここへと戻ってきたと言うわけだ。
竹内が(禁煙席でもお構いなしに)タバコを二本、ゆっくりと消費してから口を開いた。説明している間は、彼は相槌さえ一つも打たなかった。
「あの会社か。ここにも平塚にも、というか周りの市には全部支店があるな。」
「全部周る余裕、あるかな?」
「それは非効率的じゃねェか?」
とりあえず今はよ、と彼は後ろのモニターを振り返った。
「あそこの嬢ちゃんの新情報待ちだな。」
未だ、新たな放送はなされていない。昼間録った放送は、ボツになったのだろうか?
相変わらず画面の中のホーラスは、"持つ者"を隔離したことを喜んでいた。――今行くぞ、待ってろ。
「クリプトン・ガスだな。」
竹内が後ろを見たままつぶやく。
「なんだって?」
「クリプトン・ガス。正確にはそれを酸素と混ぜたもの。純粋なクリプトンじゃ呼吸困難になっちまうからな。」
そこまで言われて、ホーラスの声のことだと思い当たった。声が高くなるヘリウムガスの逆バージョンにあたるのが、クリプトンガスだそうだ。
「やっぱりそうか。てことは、素の声は晒せない程に、可愛かったりするのかな。」
可愛い声であの演説をされても、不気味どころか噴出してしまうかもしれない。
口元が上がっている竹内の顔を覗き込もうとしたら、大きく咳払いされた。
「んー…」
横で柚佳が顔を上げていた。――いや、今の咳払いで上げたのかもしれない。目をこすりながら、かけたタオルをばっと剥ぎ取る。
目の前にいる竹内を認識したと同時に、くるっと俺の方に向き直った。
「起こせよ!」
「人が気を使ってやったと言うのに…。」
手の甲でどつかれたのが、わき腹の甘いところにモロに入った。思わず苦痛に顔を歪めて立ち上がる。
「それでそれで?向こうの人たちは、どのくらいいたの?」
柚佳がしっぽを大きく揺らして、身を乗り出した。俺は晩飯と彼女のカフェラテを作るべく、そして彼の話を聞き逃すことのないように、早足でフロアキッチンへ飛び込んだ。
足の速そうな食材から使うことにした。今日の晩飯はアメリカンピザだ。血は見ていないので、抵抗は無かった。
竹内の話によると、六つの警察署で、合わせて十八人の"持たぬ者"が保護されたらしい。ご丁寧に俺が帰ってくるまで、話し始めるのを待ってくれていた。
警察官本人も入れて二十五人。俺たちを含めれば、ぜんぶで二十八人の生存者が確認されている。
「戸部署が二人生きてたのがデカいな、遊撃手としてあちこち動ける。今日一日で相模原の拘置所に全員ブチ込んで、警察と市民で共同生活してるよ。お前らも来るか?」
竹内がコーヒーをすすりながら聞いてきた。その目は、とてもバカバカしいことだと言っていた。もちろん、俺は首を横に振った。
「まさか、俺はやることやらなきゃいけないのに。」
「あたしもやだー。そんなくっさそうな"希望を持って無い人"と一緒だなんて…。」
柚佳の遠慮の無い言い方に、少し同情した。ていうか、自分だって"持たぬ者"扱いの一人じゃねーか!
「ま、姫織の言い草も間違ってねェけどな。本当にどうしようもねェ自分勝手が残ってたよ。この分じゃ、何かが起きて出動するようだな。そんなのと一緒にいるぐらいなら、ここの方がまだ安全だ。」
どうやら、このおっさんは俺たちを連れて行くという名目で帰ってきたようだ。そして変わらず俺たちを保護し続けるあたり完全に『こちら側の人間』らしい。
「ここなら旨いコーヒーだって飲めるし、飯だってたらふくあるしな。おまけに近くで誰も生きてないってのがいい。」
俺の高評価に反し、この警官はいけしゃあしゃあと言ってのけた。俺は前言を撤回した。
「一歩間違えたら、すぐ近くにホーラスがいるわけだけどね。」
「オレはあんな小娘、ちっとも怖くねェからな。」
こいつはこの先どうしようとか、本当に考えていないのだろうか?
「しかし、ひでェ道のりだったな。どこもかしこも崩落、崩壊で、えらい回り道した。」
竹内が再びタバコに火をつけた。俺はとろとろのピザチーズを口から伸ばしながら、こくこくと頷いた。
地震が起きた当時、俺は自家用車の中に居た。あの車が今でも止めてあるだろう通りは、まだ無事なのだろうか。
そしてそこにいる…であろう家族も気になる。だいたいの人は自分の家族を特別に思っている。俺も、その一人だ。
たとえばこんな地震が起きても、自分の家族だけは目を覚ますんじゃないかとか、今頃車の中で戸惑っているんじゃないかとか。
「なあ。」
と俺はピザを置いて口を開いた。竹内が、遅れて柚佳がこちらを見る。
「ちょっと、その辺走ってきていいかな。頭を整理したいんだ。」
「今更探し回ったって、誰も生きてねェよ。」
竹内が勝手な推察と共にタバコを消す、その吸殻で他の吸殻を端に寄せてスペースを作った。その仕草に、絶望のようなものを感じた。
絶望した警官が、それを保護『しなくてはいけない』市民に見せないように向けられた<矛先>が、その灰皿なのだ。
「そんなんじゃないって。」
無理して笑った。お替わり用に沸かしていたお湯が、早く出せとうるさく騒ぎ始めたので、俺は席を立った。
結局、コーヒーとカフェオレを振舞ってから店を出たので、夜の十時を過ぎてしまった。地震が起きてから、二十五時間が過ぎた。いや待て、まだ二十五時間だと!?
往年の震災の被災者の方々は、こんなに長く感じる時間を耐え抜いてきたのか。俺は右の拳を握り締めていた。その右ひじを左手でかばうようなポーズは、俺のクセだ。
実際に店から出て走れたのは一キロもない。前の通りを延々と道のりに走っただけだ。昨日は、どれだけ疲れ知らずだったのだろう。そのぶん今日は、心にゆとりがあると言うことか。
平塚とここを走り回っている間に考えたことがある。今まで俺は、全力で日々を乗り切っているつもりだった。(もちろん、いくらか手を抜く日があったにせよ)
でも本当は、それはゆとりのある毎日を生きていた中の全力であって、本当は三十パーセントの力も使っていないんじゃないか。
だって現に、昨日ゆうに二十数キロある道のりをあの短い時間で走り抜いたのだ。火事場のバカ力と言えばそれまでだが、まるで走るのが当たり前のように、意識せずやったことに俺は着目したい。
こんな――こんな世界になってしまって初めて気付くあたりに、『後悔』という言葉が存在する理由を感じた。これが夢だったらいいのに。明日のことはなるべく考えないようにしていた。だって、果てしなく時間のかかることだから。
陸路空路海路が絶たれ、人は全員生きることに希望を"持たない"。そんな奴らがよってたかって自分達の暮らしやすい世界を『作り上げる』。どんな世界だ?
外を歩いても人と会わない。まともな会話も出来ない?都合の悪いことはシャッターを下ろして無視。根本的な解決などしなくてもいい。
まるで持たない者だけを隔離した別次元のようだ。『地獄』。まさにそんな言葉がピッタリなのが、この世界だ。今の俺は、それでいいとは思えない。
この街が物理的に復興するまでに何年かかるかわからない。だが、もしまた元の日常を取り戻すことができようものなら、もう少し前向きな生き方ができると断言できる。
「変わったなー。」
思わず口にした独り言に、違和感を覚えた。――変わった?いいや、俺は根本的な考え方は何一つ、変わっていない。口元がクスリと緩んだ。
ということは、俺って、実は意外と――
あの時うちの車が捕まったのは、恐らく平塚の豊田の交差点だ。
もう一時間くらい歩いただろうか?俺は崩落して障害物となった新幹線の高架を越えて、最後の直線を歩いていた。
草の匂いとほこりの匂いが混ざって、奇妙な空気が漂っている。ここに死体の匂いが混ざっていないだけ、まだ俺は幸福だ。
両側に見えるコンビニや古本屋、小さな居酒屋などの建物の生存率は半々と言ったところ。どうやら、夕べからさらに崩壊は進んだようだ。人は……もう見ない。見ないことにしよう。
俺の推測は当たっていた。路上に駐車してある車が三台見える。いずれも、あの時止まっていたものに似ている。その中の一つ、ノート○五年製。我が家の自家用車だった。
落書きされた消防分団のシャッターを横目に、早足で近づく。不意に、前方が明るくなった。車の音が聞こえてくる、それも、かなり大きい!
「まさか!」
辺りを見回した。正直ヤバいと思っている。大体、こういう時の予感は当たるものだ。
豊田の交差点を向かって右から入ってくる、一台のトラックが見えた。俺はすぐ足元に転がる女性を見て、ふと思い立った。
右手で左胸を押さえ、膝を付く、そばの車に寄りかかれば、ほら死んだフリの完成だ。
左手で顔を隠しながら、入ってくるトラックを伺う。側面にあの運送会社のロゴが見えた。――やはりか、ホーラス!
目線だけを動かし、トラックの行方を追った。こちら側にウィンカーを出さずに入ってきて、俺に気付かぬまま直進する。
ということは、戻ってくるか。一切のライトを付けずに強引にスイッチターンして戻ってくるトラックを、俺は腕のスキマから見ていた。
読み通り再び俺の前を通過したトラックの助手席に、ホーラスが乗って…え…?
目を疑った。確かにトラックの助手席から、昼間と同じ黒のフェイスマスクをしたホーラスがこちらを見ていた。
俺は間違いなく『死んでいた』から、こちらの存在を感知されたわけではあるまい。
ただ、死体の俺(俺、ではないかもしれないけど)を見下ろすその瞳が非常に悲しげだったのは、絶対に幻ではない。
なんだ?これだけの大虐殺を図っておいて、お前、どうしてそんな悲しい目をしてるんだ?
トラックは直進して俺の左腕のスキマから消え、やがて俺の視界から消え、ついでに音もしなくなっていった。
いつもと変わらない匂いの車内では、両親と妹が眠って(息はしてないが、俺は死んでるとは認めない)いた。
父親のヒザを先ず助手席にどかし、思いっきり持ち上げた。父親の介護、そんな事をする状況になったら、こんなにも大変なのか。
母親と妹はそのままにしておけばいい。俺は差しっぱなしのキーを回して、エンジンをかけた。車の動かし方は知らない。
オートマティック・トランスミッションと言うぐらいなのだから、きっと大丈夫だろう。俺はドライブに入れブレーキを下ろし、アクセルを踏んだ。なんだ、動くじゃないか。
原付で移動しているから、道路交通法は一通り大丈夫だ。俺はさっきトラックが入ってきた道へと、車を滑り込ませた。
道中、三度車をぶつけそうになった。原付とはワケが違う。
その度に異常に減速しながら、俺は何とか家に辿り着いた。免許ないって大きなハンデだな、こりゃ。
マンションの駐車場に車を入れ、駐車位置とは明らかに異なる場所に車を止めた。エンジンを切る。
「ちょっと待ってて。」
俺はドアを開け放したまま、自分の住んでいた家の跡へと、瓦礫を乗り越えて進んでいった。
四月は春とはいえ、夜は長袖が必須なほどには寒い。車の中で眠るのに、毛布くらいはいるだろう。
自分の家なのにどの部分かもわからない瓦礫の中に、掛け布団を見つけた。それで、両親の部屋跡だとわかった。
母親と妹は一枚でいいだろう。ダブルサイズに対応してるから、華奢な女二人はゆうに覆えるはずだ。
なんだか、自分がしている事がすごく無駄で気持ち悪いものに思えてきた。それでも止められない。自分の家族だけでも、保護したかった。他人も俺も、最大級に自分勝手だ。
しかもそれを、大学に三度落ちたフリーターがしてるのだから最高に滑稽だ。車のドアを閉めると同時に、俺は笑ってしまった。
「あ、いたいた、ユータ!」
振り返ると、大しっぽをブラブラさせながら柚佳が小走りで近づいてきていた。俺は手を振って応じた。
「待った?」
「今来たとこ…ってそうじゃなくて!どこ行ってたのー、心配するじゃん?」
目の前で手をヒラヒラさせる。そのまま、店の方を指差して言った。
「おっさんが緊急出動したよ。なんか拘置所で暴動が起きて、鎮静が追いつかないんだって。」
「暴動?」
俺は聞き返した。向こうならここよりも食料はありそうなので、原因が思いつかなかった。
「うん、引き金はどうやら、あの子みたいだけどね。」
「ホーラスか!?」
「新しい放送が、流れてきてさ。ついにあたし達もご召集みたいよ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます