第5話「原因」

- Say hello to my fate - 5 -


「せ…占星術師?」

俺は画面に向かって問いかけていた。

確かに目の前に映った女性は『占星術師ホーラス』だと言った。『呪いをかけた』とも。

「放送スタジオだな。」

竹内が煙を吐く。ホーラスのバックには、放送局のロゴとモニターが映っていた。

今なら幽霊でさえ信じられそうだ、という俺の見解は甘かった。無理だ、とても理解が追いつかない。

念のため、一度チャンネルを変えてから戻してみる。結果は同じだった。

『わたしは、占星術師ホーラス。先ほど神奈川県にお住まいの皆様に、呪いをかけさせていただきました。』

さっきの言葉を、ホーラスはもう一度繰り返した。その声はイコライザーか何かでいじったような、ダブったような低い声をしていた。一呼吸置いたあと、ゆっくりと言う。

『生きる希望を"持つ者"に死を、生きる希望を"持たぬ者"には生を差し上げました。気に入っていただけましたでしょうか?』

「生きる――」

「希望を――」

「持つ、者…だと?」

俺たちは揃って立ち上がった。お互いの顔を見合わせる。インチキだ。まるで信じられない。

しかし、それでは現状の説明がつかない。俺は視線を画面に戻し、次の言葉を待った。

『希望を持つ者は皆傲慢で、自分のことしか考えていません。それらの者に、どれ程わたしたちが苦しめられ続けてきたことでしょう。』

ホーラスは両手を広げながら、またゆっくりとしたスピードで言った。俺は無意識のうちに拳を握っていた。

『自分勝手な者達には滅んでいただきました。これからわたし達"持たぬ者"が、わたし達だけの世界を、今ここに作ることにしましょう。』

「ばっ――」

あまりの見苦しさに、俺は画面を直視できなかった。横目で二人を見やるが、柚佳も同じだった。

竹内だけが唯一、タバコをくわえながら画面を向いている。その視線は、遠くから子供を見張る親のようだった。

『神奈川県の"持たぬ"者の皆様には、大変な恐怖と驚愕を与えてしまったことを謝罪いたします。ですが、これはわたし達の再生への道なのです。』

ホーラスが水晶を手で覆いながら頭を下げた。――こいつ、イカレてやがる。

しかし、このゆっくりとした…悪く言えばトロい喋り方は、どこかで聞いたような気がした。こんなイカレた奴と関わった記憶は全くないが。

『ゆくゆくはこの呪いを他の八つのエリアへ広げて行き、そして世界中を"持たぬ者"の住みよいように変えていきましょう。』

そう言ってホーラスはもう一度頭を下げると、映像はブラックアウトして行った。それを見た竹内が、ドカッと席についた。

「フザケてやがンな。」

さっきからタバコの量が過ぎる彼を止めることもなく、俺も座った。隣で柚佳が頭を抱えている。

「ぜんぜん、理解できなかったなー…。」

俺たちは『地震』の被害者であると思っていたが、ホーラスはそれを『呪い』だと言った。

それは現実離れしたセリフであったが、この"現実離れした現実"の中では確かに説得力を持つものだった。

『わたしは、占星術師ホーラス。』

モニターに再び映像が映し出された。言ってる事が同じだから、きっと何度も繰り返し流してるんだろう。俺はヴォリュームを下げた。

「好き勝手な奴らを滅ぼして、クズな自分達が好き勝手する世界ねェ…悪くねェんじゃねェか?」

「冗談はよそう。そんな後ろ向きな世界、認めるわけにはいかない。」

竹内の苦笑いを俺は即座に否定した。

ホーラスが何を考えているのか、俺には全くわからない。

そんな世界で住み心地がいいとも思えない。生き残った"持たぬ者"扱いの俺でさえ、だ。

このおっさんの表情を見る限り、どうやら彼も同調しかねるのだろう。

「でも、目の前のコレは現実だよね、何とかしないとー。」

柚佳が外を見たまま言う。声が震えているのは、何か怖いものを心の奥に押し込んでいるからだろう。

それにしても、生き残っているということは、この女も"持たぬ側"だと言うのか。


この日は交代で眠ることにした。

まず竹内が電気を消した店内に横になる。一時間も寝れば十分だと言うが、俺は寝る気はさらさらなかった。

良い奴なのはわかったが、完全に信頼しきったわけでもないし、何より寝る暇があるなら考えたかった。

この世界、"呪い"、そしてその状況を打破する手。ただ俺はオカルトには明るくない。

正直、考えてもどうにもならない事をわかっていながら、倒れた看板の上に座っているのだ。

四月の風は夜中も収まる気配を見せない。肌が冷え切ってしまいそうだ。

「さむーっ。そんなとこで何してんの?」

冷凍庫で作業する用のジャンパーを上に着こんでなんとも情け無い格好の柚佳が、店内から出てきた。自慢のサイドテールはほどいて、ジャンパーの中にしまいこんでいる。

思わず噴出しそうになる、が、俺は気になっていた事を問いかけた。

「なあ柚佳、お前って、悩みあるか?」

「ほら、うちはお姉ちゃんが不登校だったとか、お母さんがヒザが弱いとかで迷惑をさー…って、それは心配事か。」

「まぁ、それを疎ましく感じるなら、"悩み"にも入るんじゃないかとも思うけど。姫織家は割と仲良いもんな。」

仲が良い、というのはあくまで外からの視点だ。実際のところは、姫織家の人間にしかわからないものだ。

「悩みの一つくらいは、あるよー。マンションの廊下でため息をつくほどじゃあないけどね。」

そう笑ってジャンパーのジップを上げ、看板の上に座った。――それ、昼間の俺のことか。

しかし人によっては、悩みを外にうまく出せないのもいるだろう。それを探られたくない人だっている。俺は、問い詰めるのをやめた。

ひょっとしたらすごく大きな悩みかもしれない。それも、"死にたい"くらいの。

「それにしても…生きる希望を"持たない"ってなんだろうね。それなら、みんな死んじゃうよ。」

「そうか?」

それはないだろう。と心の中で思った。現に俺は、死んでも構わないとさえ思っていたのだから。

当然だが、辺りに人はいない。風が止んでしまうと、俺たちの声以外、何も聞こえなかった。柚佳は人差し指を立てて、続ける。

「うまく言えないけどさー。結局生きちゃってる人たちって、"まだ自分にはチャンスがある!"とか思ってんじゃないかなー?例えばイジメられてる人とかも、もうダメだとか思ったら飛び降りちゃったりするじゃない。」

しばらく喋る機会がなかったからだが、俺は幼馴染の成長に感心していた。こんな事を喋るようになるなんて。

「諦めるタイミングは人それぞれだけど…"まだなんとかなる"とか、"あとこれだけ辛抱すれば"とか思ってる人って、結局希望を"持つ者"なんだと思うなぁ。」

胸が苦しかった。自分の事を言われているみたいだ…それでも俺はホーラスに"持たぬ者"と見なされた。一方的に、だが。

「お前、すごいな。」

素直な言葉を出してしまった。柚佳がハハッと胸を張る。

「あたしは就職活動中の身です。いつも自己ピーアール原稿との格闘をしているのだよ。」

「そうだったな。さて、ひじょーに寒いので、コーンスープでも作ってきてやろう。お前は入らないの?」

少し居辛くなった俺は、看板からひょいっと降りた。柚佳は北斗七星を見上げていたまま、躊躇いがちに言う。

「んー…あたしは寒いけど、もうちょいここにいるよ。やっぱり、死体の山はちょっと怖いからさー…。」

どうやら彼女の精神はまだ、破綻してはいないようだ。俺はレンジで簡単に出来るスープを作りに行くべく、店のドアを引いた。

『ペロレロペロレローン』というチャイムの切り方がわからない。暗い店内に、少し不気味に鳴り響いた。


「ユータ的には、この現実をどう思う?」

レンジ一分で仕上がった(提供時間は三分以内という店のルールになっている)コーンスープで手を温めながら、聞いてくる。俺は迷わず答えた。

「あのホーラスって人が作り出した世界だとしたら、くだらない、と思う。」

「くだらないって…あたしは、『悲しい』と思うなぁ。」

柚佳が少し呆れて言う。呆れられるような事を言った覚えは無いんだけど。

「悲しい?」

「うん、声いじりすぎて女性ってことしかわかんないけど…すっごく狭い人なんだなぁって。」

指でスープを混ぜながら、ため息をつく。

「元の社会とうまくやっていけなかったのを人のせいにしてたみたいだけど、きっとすごく視野も行動範囲も狭かったんだと思う。そして勝手に絶望して勝手に世界をこんなにした。どうやってかは知らないけどね。それってすごく悲しくない?」

力強い風が俺の頭に当たって、思わず目を瞑ってしまう。まるでホーラスが図星を指されて、怒っているみたいだ。

なにより、そこまで的確な推測をする柚佳をすごいと思った。今日は彼女に負けっぱなしだ。

「出会うことがあったら、教えてやらなくちゃいけないな。あの世界にはまだまだ、希望がいっぱいあるぞって。」

――とは言ってみたものの、実際"持たぬ者"の俺には、どのへんに希望があるのか全くわからなかった。これは、男の意地だ。

「うーん、そうだね。ユータ君さすが!」

そう言うと、ちょい眠くなってきたなぁ、とあくびを一つした。そういえば、そろそろ一時間が経つ頃だ。

「おっさんを起こそうか。」

俺は再び看板から飛び降りた。柚佳もジャンパーを脱ぎながら、続く。

店のドアを引いたとき、後ろでぼそっと彼女が呟いた。

「どれだけ寝れるかわからないけど、ユータが見ててくれてれば大丈夫。手ー出しちゃ、だめだよー。」

どうやら、この状況ではこんな俺でも頼りにされているようだ。


目覚めのコーヒーを竹内に差し出すと、彼はゆっくり口をつけた。それを見てから自分の分をカップに注ぐ。

寝起きで瞼が重たそうに見える。カップを置いてから、彼は低い声で言った。

「お前は眠らねェのか?」

「夜更かしは慣れてるんだ。それに、色々考えることもあって。」

窓の外では、人の居ない街で風がびゅうびゅうと遊んでいて、地震に耐えた木達が迷惑そうに、体を揺らしている。

「この世界のことか…。」

彼は腕を組んで考え込む。隣の席では柚佳が寝息を立てている。

「"呪い"ってことは、どうにかして元に戻す術があるのかなとか、地道に復興活動しなくちゃいけないのかなとか。」

実を言うと魔法のように、元に戻ればいいと思っている。こんな状態の街を復旧させるにはどれくらいの時間が必要なのか考えると、頭がくらくらしてくる。それに――

「それに、ホーラスみたいなひねくれた奴の心を叩きなおして、自分がやったことを思い知らせたいってのもあるかな。」

竹内が驚いた顔をして俺を見る。それは、妙な正義感だった。あのテレビを見た直後から、ずっと俺はイライラしていた。

自分も相当な偏屈野郎だと思っていたが、こうまでフザケた奴がいるとは…と。

「おまわりさんの仕事ですかね、それって。」

俺は苦笑いした。正直なところ、あまりホーラスの事を悪く言える立場ではない。俺は堕落した生活を送る"持たぬ者"なのだ。

「ほう。ギャンブルとタバコに溺れた四十路おまわりの仕事だとは思うのか?」

竹内も苦笑いした。そういえばそうだ。

「ここは"持たぬ者"の世界だ。誰もあの女を説教することなんてできねェよ。」

「そんなフザケた世界、俺は認めませんけどね。」

「お前だって、とっくに受け入れてるじゃねェか。だから、逃げようとしてるンだろ?オレから見れば、十分お前も希望を"持つ者"だよ。」

「…。」

言葉に詰まった。否定したいのに、何故か頭は同意してしまっている。

もしかして俺は、希望を持たないことを『カッコいい』とでも思っていたのだろうか?

だとしても、本当は希望を持っていたとしても、今の俺には元の世界をどうやったら生きていけるか、答えが出せなかった。

「だめだ。この世界は嫌だけど、元の世界でもうまくやっていく方法がわからない。」

俺は正直に答えた。まるでお悩み相談だ。こんな状況になってはじめて、自分の将来を真面目に考えたような気もする。

「たかだか二十一・二のガキに理解されても、オレ達おっさんの方が困るだろ。お前はまだ、それでいいンだよ。」

竹内が俺を指差しながら、言った。ぶっきらぼうなセリフの中に、何故か優しさを感じた。

「それにしてもよ――」

と、彼は切り出した。顔が横を向いている。

俺も彼の視線を追った。隣の席で寝息を立てている柚佳だった。

「変な言い方になるが、あいつは何で、生き残ってんだろうな。」

ジャンパーを毛布代わりにして、油断丸出しで寝ている。寝返りをしたら間違いなく落ちるのに…彼女の寝相は優秀だ。

「悩みの一つくらいはあるとは言ってたけど…。気丈に振舞うその裏に、何を隠しているんだろうね。」

視線を元に戻した。竹内が火付けに失敗したタバコに、もう一度ライターを当てているところだった。彼はそれを成功させると、煙を吐き出し言う。

「聞いてねェのかよ、彼女なのに。」

「彼女じゃねーよ。」

俺は即答した。同時に、彼女の事を思い出して、心が痛くなる。

「彼女は――彩乃って言うんだけど、二年前に事故にあって、脳挫傷からの運動麻痺。病院跡には居なかったけど…無事…なのかな。」

術後の経過はあまり良いとは言えなかったから、どっちにしろ心配なのである。もし脳内出血なんか起こしたら――

「東京の神経科専門病院とかに行ってれば、って感じだな。どっちみち早いとこホーラス止めねェと、東京が飲まれるぞ。」

そうだ、確かにホーラスは『八つのエリアに広げる』と言っていた。

北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州&沖縄、もしくは北海道&東北、これで八つだろう。

この次が東京であっても、おかしくはない。神奈川のすぐ上にあるのだから。

「とにかく、ホーラスの手がかりを探さないと。テレビはつけっぱなしの方がいいね。」

さっきから同じセリフを喋り続けているテレビを見ながら、俺はそう言った。

「そうだな。とりあえずお前は考えすぎた。朝まで寝てろ。ホラ、もう空が明るくなりそうだ。」

道路の向かいにある、まだ無事だった建物の向こうから、空が青くなり始めている。

実を言うと少し眠かった。走り回ったし、考えすぎたし。

「んー…うわ、明るっ。」

隣の席で声がした。柚佳がもそもそっとジャンパーをどかして、目を細めながら起き上がった。絶妙なタイミングだ。

「おはよう。それでは、おやすみなさい。」

俺はテーブルに突っ伏した。


「コーヒーあるぜ。いや、女の子は紅茶かな?」

「カフェオレでいいですー!牛乳くらい、どこかにあるよね。」

「向こうは死体の山だぜ。オレが取ってきてやるよ。」

二人の声と色々な物音を聞きながら、俺の意識は遠のいて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る