第4話「把握」
- Say hello to my fate - 4 -
駅を慎重に抜け出した俺達は、並んでバイト先のファミレスへの道を歩いていた。
柚佳がはいていたパンプスを地震で壊してしまったので、かわりに俺のスニーカーを履いている。おかげで踏みつける粗いコンクリートが痛い。
崩壊した街に音は無い。ただ、幸いにも電気はほとんど生きていた。
傾いている電柱はあるものの、断線した電線が見られない。それがすごく不審に思えた。
二つ目の交差点を渡る途中、左手に一台の車が見えた。そばにある美容院の中へと半身を埋めている。
なんともいたたまれない気持ちになった。地震って、こんなに恐ろしいものだったのか。
病院を探索して以来、俺も竹内も生存者をすっかりあきらめていた。
だから路上で倒れている人に声はかけなかったし、柚佳にそでを引っ張られても黙って首を振るだけだった。
それぐらい、俺たちは今『自分達が』生きることに精一杯だったのだ。
バイト先の建物自体は無事だった。が、地面から高く聳え立っていた看板は倒れ、その奥の酒屋を押しつぶしていた。
「入ろう。」
俺は酒屋の方を向いて立ち止まる竹内の背中を押した。ひょっとしたら、彼はガチで"良い人"だったのかもしれない。
『ペロレロペロレローン』というファミレス特有のチャイムが、静か過ぎる店内に虚しく鳴り響く。
店内の一角は崩壊してしまっていた。が、そのガレキが堆積して壁のようになっているので、風はしのげるだろう。その他は一見、無事に見えるし。
レジカウンターを通り過ぎた時、俺の後ろを(というか、前を行く竹内から離れて――彼はひどく困惑している)歩いていた柚佳の肩が、またビクッと一つ打った。
視線を前に戻すと、ディナーのピークを過ぎた(地震が起きた当時の話だが)店内の客は、すべて床に伏していた。
「あぁ…やっぱりここも…ダメか。」
「外のヤツらもそうだったが、腐敗による死臭がしねェんだな。それに死斑も見られん。まるで、死んでないみてェだな。」
後半部分はよくわからないが、確かにそうだ。ここの空気は、清潔な店内に外の匂いが半分混じった程度である。
一番近くの客を壁にもたれさせて、俺は竹内に問いかけた。
「そういえばさ、やたら胸を押さえて亡くなってる方が多いんだけど、何か心当たりない?」
「心当たりって…地震で最も多い死因は圧死だろ?胸を押さえて死ぬなんて…。」
竹内が言い切ろうとしたところで、ゆっくり俺の方を振り返った。
「心臓麻痺。」
しんぞう…まひ?
「それって外からは、わからないよね?」
柚佳が震えた声で聞いた。俺のそでを掴んでいる手もまた、震えている。
彼女も俺と同じだ。いきなり押し付けられた"死"を受け入れることができない。
「そうだな。しかし心臓を押さえながら倒れているなんて、心臓麻痺や心筋梗塞くらいしか思いつかん。」
竹内がスタスタと歩き出して、窓際の席にドカッと腰掛ける。
そこの周辺に客がいないからだろう。俺たちに(というか、後ろで震える柚佳に)気を使ってくれているのだ。
何故こんな奴が不良巡査なんかに…と、ずれていた思考を元に戻した。
「こんな大勢の人が、同時に心臓疾患になるものなのか…?」
そんな可能性は、ゼロだ。辺りを見回しながら、俺はさらに続けた。
「他にもあるね、あんな大地震の後なのに、電気も生きてるし、ガス漏れの気配もない。」
「確かに。電柱の一本でも倒れてそうなモンだが、傾いてるのがあっても、それが一本もねェ。それに、ここはレストランだ。ガス漏れがあるならとっくにオレ達は死んでるしな。」
柚佳が席に倒れこむように座ったのを見て、竹内はタバコに火をつけた。
「それに、不審点ならオレにだってあるぜ。大地震の後、何が起こると思う?」
煙を俺たちのいない方向に吐き出してから、彼は目線を俺たちに戻した。
「火災…とかかな?地震が起きたのが夜九時くらいだから、火はたくさん使われていたと思う。」
柚佳がテーブルに肘をついて答える。すっかり顔が青ざめてしまっている。
「正解だ。そして、足りない物資を求めたり、パニックを起こしたりして暴動が起きる。治安が悪化するんだ。それがどうだ。」
確かにそうだ。暴動を起こす『ヒト』が、ここまで三人しか見つかっていない。
よく考えてみれば、これだけ隣の市とうちの市を走り回ったのに、火災の起きた建物は一件たりとも存在しなかった。
「誰かが、すでに食材を持ってったとかは、ないのかなー?あたしちょっとお腹すいたし、見てきてよー。」
柚佳が顔を伏せたまま言う。こんな死体まみれのフロアの中で、よくも腹なんか空けるもんだ。
だが生理現象は仕方がない。それに、腹が減る、ということは、この状況下ではいいことだ。
俺は竹内に目くばせをする。彼は窓ガラスでタバコの火を消すと、立ち上がった。
「あー…もうそんなに警戒してないケド。」
柚佳が一瞬、顔を上げて竹内を見つめる。彼はため息を一つついて、
「死体を供養してくるよ。か弱い女の子の住みやすいようにしなくちゃ、な。」
拳銃をテーブルの上に置く竹内の表情は少しだけ緩く、優しい。そんな気がした。
――こいつ、もしかして。
「あんた、"信用されたい"のか?」
一人ずつ人を運び出していく竹内の背中に、俺は小さな声で問いかけた。
「…一回失った信用は、長ェ年月で取り返して行くモンなんだよ。わかるか?」
「あーわかるな。んでも…この状況下でそんなこと――」
「こんな状況下だからこそ、信用されることが大事なんじゃねェかよ。オレは若者の扱いがうまくねェから、さっきから何度も失敗してるが…。」
俺は不覚にも、クスリと笑ってしまった。竹内がストレートに睨んでくる。
「ァんだよ?」
「いいや、あんたは本当にクソ真面目な警官なんだなと思って。あんたの瞳は、全然濁ってない。」
「いいからさっさとメシを作れ。オレの分もだ、店員さんよ。」
彼は壁にもたれさせた人に両手を合わせて拝みながら、ぶっきらぼうに答えた。四十手前のクセに、ガキみたいに照れてる。
「任せてくれよ。IHが生きてる。」
調理設備を一つずつ確かめながら、俺はフライパンを手に取った。
「お待たせいたしました。」
「わー!ユータ、パスタなんか作れたんだ!」
当たり前です。と俺はおどけて答える。店内の暖房も生きていたので、少しだけ余裕が出てきた。
ただ、暖めすぎるわけにはいかない。万が一死体から臭いが発生すれば、もうここにはいられない。
建物もライフラインも無事なこの場所は、俺たちの避難場所にしておきたかったのだ。
「へェ、うめェもんだな。」
竹内が菜箸でパスタをかきこんでいる。――こいつも空腹だったのか。
「一応、クックチーフやってますからね。パスタなら超自信あるし。」
後ろ半分は嘘だった。この状況で肉料理を振舞うのは、少し無神経に感じただけだ。
「やっぱし、こんな状況でも、お腹はすくんだねー。」
柚佳も丁寧に、少しずつ口に含んでいく。ちなみに俺の腹は、全くその気配を見せていない。
この状況の方が、気になって仕方ないのだ。正直なところ、腹を減らしている余裕が無い。
「そういえば、」
俺は話の啖呵を切った。
「警察無線は生きてないんですか?」
警察専用の無線機――妨害電波に負けないよう、特殊な通信機能があるという噂のあるそれならば、と思ったのだ。
だが、俺の期待も虚しく、竹内は黙って首を横に振った。
「ダメだ。生きてはいるが、誰も反応しねェ。」
一応こまめにチェックはするが、と竹内は口をすぼめた。
沈黙が流れる。俺はその間に、店内を見回していた。
そして気付いたのだ。一つの、大きな可能性に。
「光ファイバー!」
急に立ち上がったので、竹内も柚佳も、目を丸くして俺を見上げた。説明しながら、通路を歩き出す。
「うちは、客を待たせる為にTVモニターを設置してるんだけど、さ。」
レジカウンター真上にある、六十五インチの大型スクリーン。天井から吊るしているから、あさっての方向を向かされただけで済んだみたいだ。
「これは電波じゃなくて、電線から光ファイバー回線を伝って映像を受信してるんだ。外の電線が切れていないのなら、映るんじゃないかな?」
「ぜんぜん、わかんねェんだが。」
竹内が困惑して、顔を傾ける。三十九のおっさんには、どだい難しい話だろう。
「見てなって。」
俺はレジの下からリモコンを出して、テレビのスイッチを入れた。キィィィンという水平同期をする際の耳鳴りが聞こえる。
「うーん。」
映像は出ない、やはりというか『受信できません』というエラーメッセージしか見えなかった。
一瞬期待を持った自分をバカだと思う。が、希望を捨てるにはまだ早い。
とりあえず全チャンネルを回して、映ったところがあればそこを見よう。
俺は席までの道を戻りながら、チャンネル切り替えボタンを連打した。
「あ!」
柚佳が叫ぶ。何事かと思ってモニターを振り返ると、そこにはニュース映像が流れていた。
「ほらきた!映るじゃんか!」
思わずガッツポーズをしていた。これでどうにか被害状況を探れないだろうか。
はやる気持ちを抑えて、俺は再びチャンネル切り替えボタンを押した。
結局、全部で三局の番組を表示することができた。
それらを一つずつチェックしていく、まずは国内のキー局を映した。
『神奈川で大地震発生、孤島と化す』という緊急速報が出ている。俺たちは顔を見合わせた。
「孤島と…化す…?」
何本目かのタバコの火を窓で消した竹内が、鋭い目で画面を睨んだ。
ヘリが旋回しながら、川崎大師や競馬場、遠くにベイブリッジを映す。――ぜんぶ無事なのか!?
中継映像を流しながら、ニュースキャスターは即興で作った原稿を読み上げていく。
「えー繰り返します。昨日午後九時頃に発生しました地震の影響で、地割れが発生し神奈川県境を隔離しております。現地では多数の死傷者が出ていると予測されますが、ご覧の映像の通り謎の乱気流が発生し、十二時現在陸路・空路は断たれております。なお、東京での被害の報告は今のところありません。」
俺たちは一斉に立ち上がった。陸路と空路が不可侵だって!?いや、それよりも乱気流ってなんだ!?
「確かに地震波で空中にも影響が出るって聞いたことがあるけど…それにしても発生後三、四時間経って未だに進入ができないなんて…。」
俺の声は画面の向こうには届かない。キャスターは驚愕の情報をさらに読み上げた。
「一部情報によりますと、この謎の地割れは神奈川県境に沿って、ちょうど囲むように発生しており、原因は不明。自衛隊による海上からの報告を待つ状況となっております。なお、この地震により――」
「かながわけんざかい…ぞいに…?」
柚佳の声が力を失っていた。当然だ、俺だってまだ疑わしい。
だが周りの状況と照らし合わせても、今は信じるしかなかった。今なら幽霊だって信じてかかれそうだ。
ニュースが一旦途切れてしまったので、俺は慌ててリモコンを手に取り、チャンネルを変えた。次に映ったのは、東京の地元局だ。
『神奈川県沖で発生しました謎の大地震についてですが、海上自衛隊からの報告によりますと渦潮により太平洋沿岸からの進入は困難とされ、これによりすべての進路が断たれる結果となりました。』
「そんな…。」
俺はテーブルを叩いてしまった、ひょっとしたら、モノにあたるのはクセなのかもしれない。
「異常現象だな。何が起きてンだ。」
「ひょっとしたら、地震以外の何か…まさかねー。」
柚佳が苦笑いしている。眉が引きつってるから、すごく無理があるが。
「一週間くらいは捜索活動を続けてくれるから、絶望するのはまだ早ェ。食料在庫はたくさんあるみてぇだし、しばらく情報を集め――」
『わたしは、占星術師"ホーラス"。』
竹内の濁った声が、俺の映した神奈川の地元局から流れた音声にかき消された。
『こんばんは、神奈川の皆様。わたしは、占星術師ホーラスです。』
最後のチャンネルに映ったのは、黒いローブを纏った何かだった。二次元ではない、三次元の"ヒト"だ。
フードをすっぽりかぶっていて顔が見えないが、俺が聞いたセリフに間違いがなければ女性だろう。水晶を持っているが、本物の占い師なのだろうか?
BGMは流れていない。画面に映っているのは、デスクに座る"ホーラス"だけだった。
「なん…だ…こいつ?こんな番組やってたっけ…?」
「ちょっと待ってよ。あたしケッコーこのチャンネル見るけど、こんな番組、やってないよ!?」
柚佳が口を押さえている。きっと、すごく怖いものを見ているんだと思う。ローブの女は続けた。
『本日、皆様に、呪いをかけさせていただきました。』
それを見ながら竹内が、最後のタバコに火を付けていた。
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