第3話「生存」
- Say hello to my fate - 3 -
「伊勢原駅前交番の巡査、竹内だ。」
俺にかけてくれたコートのポケットに手帳をしまうと、その男はタバコをくわえた。
とっさに俺は声をかける。
「あの、ガス漏れとか――」
「ねぇよ。」
一応、そういう確認はするらしい。そのまま火をつけた。一瞬怯んだが、何も起こらない。
「あ、あの…」
安心した俺の口から言葉が漏れる。一つ、確認しておきたかった。
「なんだ?」
「生きてますか?生きてる…ヒト、ですか…?」
頭を一つ、平手で叩かれた。警察は市民に手を挙げては駄目だろうと思う。
「ンなことこっちだって聞きてぇよ!何だこの地震はぁ!?」
唾を飛ばしながら怒鳴られた。くわえたタバコが落ちそうになるのを慌てて直している。
近くで見ると意外に背が高――ていうかそんなこと、俺が知ってるわけがないじゃないか!
「す、すみません。えっと、<天野 雄太>です…。」
一応、ぺこぺこと頭を下げる。正直なところ、生存者がいたことにまだ慣れることができない。
気を抜くと泣きついてしまいそうだった。
しかし、無精ヒゲにパンチパーマで牛蒡顔、こんな奴に泣きつくほど理性を失っちゃいない。
俺はゴクリと唾を飲んだ。こんなんでも、今は唯一の相方なのだ。
「そうだ、手伝ってほしいことがあるんですが――」
竹内はしぶしぶと、俺の今一番望んでいることを承諾してくれた。
一応、市民の力になるという職務は忘れていないようだ。
俺にも持ち上げられそうなガレキをどかして周っている間に、何度も掌をケガしてしまった。
まだキレイに残っていたリネンを包帯代わりにして掌に巻きつけ、痛みに耐える。
「オレはな、」
大きめのガレキを持ち上げながら、竹内が口を開いた。タバコの火は既に地面で消していた。
「ぜんぜん、仕事に誇りなんか持ってねぇんだ。悪ィ、そっち持ってくれ。」
俺は竹内の正面に立ち、重いコンクリートを力いっぱい持ち上げた。
「真面目に働くことなんてしなくてよ。いちパチとか、競馬ばっかしてた。気付けば三十九だ。」
「…なるほど、納得です。」
二人で持ち上げたコンクリートの壁を横にどかすと、俺は言った。
そりゃあヒゲも髪もほったらかしだな、という諦めにも似た結論だ。
「こんな警官不適合のオレが、こうやって人の為に全力を尽くすなんて、おかしいと思わねぇか?」
竹内が額の汗をぬぐいながら、乾いた笑い声を響かせた。
「思わないよ。」
ガレキを持ち上げようとした彼が、なんだと顔を上げた。どうやら冗談ではなかったらしい。
彼の目はまだ濁ってないと思う。だから俺はまっすぐ彼を見ながら、言った。
「あんたは今、ちゃんと警官らしいことを全うしてるじゃないですか。少なくとも今、俺はあんたを頼りにしてる。」
「お前、なかなかクセぇ奴だな。」
そう言って背を向ける竹内の顔が、少し赤くなっていた気がしなくもない。
だいたいのガレキをどかしてから、俺は竹内と分担して、生存者を探してまわった。
が、出た答えは意外なものだった。
「いたか!?」
さっき竹内と会った場所へ、彼はぶらぶらと歩いて戻ってきた。
その割に言葉が、何かを急いでいるような気がする。
「そっちは?」
俺は聞きながら、ガレキを詰んだ場所に腰かけた。
竹内のために少し幅をあけてやる。素直に彼はそこに座って、タバコに火をつけた。
「ダメだ。当直の医者や夜勤の看護婦は大体が終わってる。しかしな――」
「患者が全然『いなかった』、でしょ?」
俺は人差し指を向けて言った。彼が目を丸くする。
が、すぐに戻すとスパーと煙を吐いて夜の空気を汚した。それが俺のいない方向なのは、さっきの一言が聞いたからだろうか。
「そっちもそうだったか。」
医者や看護婦の変わり果てた姿が、ガレキの下にたくさんあった。
誰かの"死"とか、そういう辛さはとうに、通り越してしまっていた。
「実は、俺の彼女がここに入院してるんです。顔が確認できる中には、その姿はありませんでした。」
「どういうことだァ?」
「知りませんよ。」
俺は言い放った。詰まるところしかし、少し安心していた。
いないということは、…もし、この震域から離れているとすれば…生きている可能性はあるのだ。
空を見上げる。北斗七星がよく見えるキレイな夜だ。
「頼む…」
口に出してしまっていた。――生きていて、くれ。
「しかしなァ…。」
視線を元に戻した。竹内が咳き込んで、言った。
「これだけ見回って生存者が三人だけたァ、少し遠出する必要がありそうだな…。」
「待った。」
俺は聞き直した。今、確かに彼は<三人>と言ったのだ。
「俺達以外に、誰か生存者がいるのか!?」
竹内の肩をつかんで、揺さぶる。タバコの火が右腕に当たったが、そんなものは気にならない。
ただ、生き残った人は一人でも多いほうが、自分の気分が楽なのだ。
誰だってそうだろう。見ず知らずの人でさえ"死ぬ"ことは、やはり喜ばしいことではない。
「手をどかせ。」
さっきと同じように、平手で頭を叩かれた。
我に返った俺は、自分でも額を叩く。気が動転するのは、いっぱいいっぱいだからに他ならない。
彼なりに気を使ってくれてるんだろう。ゆっくりと口を開いた。
「伊勢原駅の改札階が無事だったから、そこで休むよう言ってある。空腹とかでどっかに行ってなければいいが…。」
「行ってみよう。」
俺は立ち上がった。
伊勢原駅のビル部分は全てが倒壊してしまっていた。
レールの上を建物が横切るように倒れていて、何とも滑稽だ。
新たに崩落が始まらないように注意しながら、俺と竹内は慎重に、止まったエスカレーターを駆け上っていった。
階段を登りきった所で辺りを見回す。
伊勢原駅はレールをまたいで北口と南口に分かれるが、北口部分の階段は天井部分が崩壊してしまっている。
「ちっ…オレが来た時はまだ、無事だったのにな…。」
横で竹内が息を切らしながら、自分の足元を見ていた。
「だいじょうぶ。そいつも人間なら、崩壊から逃げようとするくらいできるさ。」
俺はそう言いながら、まだ見えない部分――改札の向こうへと走り出した。
改札を超えようとした直後の余震にふらついた時、改札の向こうで短い悲鳴が上がった。すかさず俺は声をかける。
「おい!誰かいるか!」
竹内を半ば置き去りにして改札機を飛び越えた時、一つの人影が俺に飛びついてきた。
「ひとぉー!」
咄嗟に左足を下げて、バランスを取る。声は女の子のものだった。
しかも、どこかで聞いたことの――
「あ!」
俺に巻きつけた腕を離した女の子が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、叫んだ。
ああ…と、俺は確信した。今朝…というか昼に会ってるじゃないか。
「ユータ!ユータが生きてる…!」
ぐしゃぐしゃな顔に、またじわりと涙が浮かんできて――
「あーはいはい、生きてる生きてる。」
わーっとまた泣き出した。背中をぽんぽんと叩きながら、俺は半身で振り返った。
竹内が気まずそうに、後ろ頭を掻いている。
「ラブコメは十年後にやってくれよ。」
トレードマークのサイドテールをほどいてしまったこの幼馴染は、いつからこうも泣き虫になったのか。
そんな事を考えながら、一方で俺はものすごく安心していた。
こんな状況で知り合いが無事だと言うことは、すごく嬉しいことだ。
「おじさん!」
化粧がまとめて削げ落ちてしまった柚佳だが、そんな顔を隠すこともなく竹内に詰め寄った。
「ご飯のアテはできたのかい?」
さっきまで泣きじゃくってたのが嘘みたいである。が、当の彼は、俺の方を向いたままだ。
「知り合いなのか?このコ。」
ぎゃあぎゃあ騒がれて困惑している竹内から柚佳をひっぺがして、答えた。
「<姫織 柚佳>っていう、うちの隣人だよ。…で、ご飯って何のことだ、一体。」
「ここで過ごせるようにモノを調達してくるって言ってたんよー。あたしほら…座り込んで泣くのに精一杯でさ。」
妙なイントネーションで柚佳が答える。多分照れてるんだろう。
無理もない、突然こんな大災害に見舞われたら、誰だって素が出るモノだ。
自分の素がマトモな思考だったことに安心しながら、俺は竹内の驚くべきセリフをしっかり脳に叩き込んでしまった。
「こんな状況だし、一発食って捨てるか迷ったんだがな…まァ、オレにもどうやら、理性が残ってるみたいだぜ。」
柚佳の体がビクッと震えたと同時に、俺は無言で彼の腰から拳銃を引き抜いていた。
銃口はもちろん竹内に向いている。さっきまでの信頼は、すべてこぼれ落ちていた。
警官を相手に、今できる精一杯の脅しをかける。
「気をつけなよ。その理性と同時に、命も失うことになると思う。」
彼はフウとため息を一つつくと、言った。表情が余裕なのか、真剣なのかわからない。
「ロックがかかってるから、お前には撃てねェよ。それに、オレだって生存者がいるとわかったら、理性を失うこたァねェ。」
もう一つため息が聞こえた。俺のものだった。
「そうですか。なら心配はいらないね。」
――俺の中で耳鳴りと、建物の中でカチャ、という冷たい音が響いた。
竹内が大きく目を見開いた。俺は銃口を向け直す。
「おい?なんだ?何でロックが!?」
「そのまま理性を保っていてください。あと、コレはあなたの物ですから、お返しします。」
拳銃を彼の腰に差して、俺は続けた。
「俺のバイト先が――まだあればですけど、一応ファミレスなんで、その辺で夜を過ごしませんか?」
竹内の腕時計を盗み見る限り、どうやら日付が変わろうとするところだった。
――地震が起きてから、ゆうに三時間が経とうとしていたのか。
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