第12話「折山 朔太郎の事情」

第十二話「折山おりやま 朔太郎さくたろうの事情」


 ーーガシィィーーー!

 ーードカッ!


 俺の身体からだは、くの字に曲がり、前のめりに沈んだかと思うと、今度は顎が地面スレスレから跳ね上がって、先ほどまでの軌跡をなぞるように、もと来た道を舞い戻る。


 ーードサッ


 最終的に俺の顎先は完全に天を指し、背中側に弓のようにしなった身体からだが、もんどり打って後方に倒れた。


 「ちっ、相も変わらず、うめき声の一つも出さねぇな」


 西島にしじま かおるは、豪快に蹴り上げた足をそのまま無様に晒された後頭部に降ろした。

 地面に転がった状態から、立ち上がろうとした俺の後頭部の上だ。


 「……」


 両手をついた土下座のような格好のままで、俺は地面を無言で見つめ静止している。


 「折山おりやま、学校はどうだ?何か面白いことでもあったんじゃねぇか?」


 「かおるさん……?」


 ーーガシィィーー!


 予期せぬ質問に俺がわずかに反応した瞬間、西島にしじまは足に力を込めて踏み潰す。


 「がはっ!」


 後頭部を西島にしじまの足の裏に、顔面をコンクリートの地面にサンドウィッチにされ、俺は無様に這いつくばる。


 「油断してんじゃねぇよ、ガキがっ!」


 「…………」


 西島にしじまの理不尽な怒声を浴びながらも、俺は直ぐに立ち上がって相手に対峙する。


 ーー俺は……


 顔面は鼻血に塗れているが、患部を押さえるどころか、それをぬぐうこともしない。


 普通は痛みで咄嗟にそうするであろうことは解っている、しかし俺はそうしない。

 人間らしい反応を拒む身体からだ……長年の経験で俺はそういう心と身体からだになっていた。


 俺は、正面でポケットに両手を放り込んだまま、不貞不貞しく立つ男を見据えていた。



 ーー俺は小学生の頃、親に売られた……


 新興宗教に嵌まった両親は、その宗教に騙され、多額の借金を作って消えてしまった。

 俺が九歳の時だ。


 借金の債権は、胡散臭い金貸しに渡り、やみきんの男は俺を商品として売りさばこうとした。

 法律なんて関係ない、それがその男のやり方だった。


 時には弁護士とかいう肩書きの大人が訪ねてきて、見ず知らずの俺に、色々と骨を折ろうとしたが、俺はそのどれもを拒んだ。


 ーー理由?

 ーーそれは……


 ーーとにかく俺は、そのやみきんに売りさばかれるところだった。


 児童愛好者……異常性欲者……殺人願望者……売り先なんて様々だ。


 一つ言えることは、人を売るような輩と買うような輩、そんな輩にまともな人間など居ない。

 金持ちの歪んだ道楽……金や権力ちからのないものはその玩具にしか過ぎない。

 穿った見方だと言われようとそれが真実だ、紛れもない、俺が経験した真実だった。


 「おまえ、千田せんだをぶちのめして、逃げようとしたんだってな」


 初めて会う鋭い目つきの男は、何が可笑しいのか、そう言って口元を歪ませて笑った。


 ーー歪な笑みだ……

 心臓を鷲掴みにされたような恐怖に、俺の身体からだは固まっていた。


 「……にげようとは……してない」


 精一杯虚勢を張って相手を睨み、そう口にするが、多分この男には通用しない……当時子供心にも解ってはいたが、それでも俺にはそれしか出来ることが無かったのだ。


 その時の俺は、千田せんだという俺の所有権をもつらしいやみきんの男にしこたま殴られ、全身に力が入らない状態で地下のかびくさい部屋の柱に野良犬のように繋がれていた。


 「あ?、あの野郎、前歯三本ほどもってかれたってぶち切れてたぞ」


 「おれは、あんなクソ野郎あいてに、にげない……あいつが、俺の服を……」


 「服?」


 男の挑発的な態度に、つい、それを口にしてしまった俺は、しまったと思ったが遅かった。

 その男は俺の言葉から、ちょっとした違和感に気づいたのだ。


 「てめぇ、ガキ、ちょっと脱いでみろ」


 「……」


 俺は無言で目の前の鋭い目つきの男を睨んだ。


 「ガキが!」


 男は無理矢理俺を捕まえ様とする、俺は千田せんだという男の時と同じように必死に抵抗したが、この男には全く相手にもならなかった。


 ーーガッ!

 「ぐっ」

 

 ーービリィィィ!


 暴れる俺をやすやすと押さえ込んだ男は、一気に俺の上着を引きちぎる!


 ーーくそっ!


 俺は鎖で繋がれた足を踏みつけられ、冷たくて汚れたコンクリートの床に、顔面を打ちつけられて、うつ伏せに組み伏せられていた。


 俺は捕まった後、腹いせに千田せんだとその部方達に散々嬲られた後だ。

 素っ裸の上に、九歳児に対しては長めの小汚い上着一枚を羽織っただけの格好だった。


 ーーくそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くそっーーーーーー!!


 ーーまたもや俺は玩具にされるんだ……


 殴られ、蹴られ、嬲られ……興味が無くなるまで貪られた後は、ゴミのように放置される……


 しかし、その男の反応は俺の予測と少し違っていた。


 「ほぅ……」


 俺の露出した裸身を、妙に納得したような顔で眺める男。


 「父親にやられてたのか?」


 「……」


 ーーこの男はなんだ?……何か違う……俺を見る目は……他の下衆共とはまるで違う……けど……けど……下衆共の方がずっとマシな……俺にとっては楽な……相手だったと思えるような、恐ろしい眼光だ!


 「聞いてんだよ、ガキ!」


 「……りょうほうだ」


 俺の口は、俺の意思とは裏腹に、それこそ”蛇に睨まれた蛙”のように怯え、自然と根をあげていた。


 「ふふふ、くくく」


 俺の答えに、男はまたもや何が可笑しいのか笑い出す。


 傷だらけの俺の身体からだ……新しいものから古いものまで……人には見られたくない、惨めで、情けない姿……それは、俺の子供なりのプライドだった。


 「ガキ、おまえは俺が買ってやる、せいぜいこき使ってやるから楽しみにしとくんだな」


 ゾッとするような、とんでもなく邪悪で純粋な笑み。


 それが俺と西島にしじま かおるとの出会いだった。


 ーー俺は今も変わらずこき使われている、それこそ三百六十五日、朝から晩まで


 ーーその境遇は、誰かを恨むことなのか?


 頭に守居かみい てるの、多分……つくられた笑顔が浮かぶ。


 --入学式あのときのの俺の行動

 ーー俺には解らない……ただ、俺は確認がしたかっただけなんだろう……

 ーー俺の人生を変えた人物がどんな人間なのかを

 ーーその人間はどういう人生を過ごしているのかを


 「オラッ!ガキ、さっさとおっぱじめるぞ、今日の日課だ」


 俺の正面に立つ男は、そう言うとポケットに突っ込んだままであった両のこぶしを出す。


 「……」


 頷いた俺も、力なくダランと下げたままの拳に軽く力を通わせ、構えるのだった。


第十二話「折山おりやま 朔太郎さくたろうの事情」END

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