第8話「朔太郎(あれ)はそういうタマじゃない」

 第八話「朔太郎あれはそういうタマじゃない」


 ーー放課後の正面玄関前廊下


 「エイミちゃん、それはホントなの?」


 エイミと呼ばれた長い黒髪の少女がコクリと頷く。


 波紫野はしの 嬰美えいみ、私立天都原あまつはら学園、剣道部のエースで”学生連”の幹部の一人。

 腰まである長くしなやかな黒髪で、落ち着いた雰囲気の大和撫子。

 スラリとした女子にしては高めの身長と、よく言えばスレンダー、悪く言えば凹凸の少ない体型の少女は、その佇まいから凜としたモノを感じさせる。


 「だけどね、てる、気に病むことは無いわよ、あなたは別に悪くないんだから」


 「で、でも……そんなわけにもいかないよ、朔太郎さくたろうくんがそんな目に遭うのって……」


 その純和風な少女、波紫野はしの 嬰美えいみからさとされながらも反論する、少し小柄な少女。


 ーー守居かみい てる


 潤んだ大きくて垂れ気味の穏やかな瞳と、ちょこんとした可愛らしい鼻、綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇が印象的な、少し頼りなげな少女。

 軽やかな栗色で髪の毛先けさきをカールさせたショートボブが、その愛らしい容姿によく似合っている。


 「朔太郎さくたろうくん大丈夫かな?明日から学校来るのとかイヤになっちゃったりしないかな?」


 オロオロとするてるを横目に、小さくため息をつく嬰美えいみ


 「あの折山おりやま 朔太郎さくたろうが?……あり得ないわ、アレはそんなタマじゃないわよ」


 「そ、そんなことないよ!朔太郎さくたろうくんは、ああ見えて繊細なんだよ……多分?」


 最後が疑問系になる辺り、彼女の折山おりやま 朔太郎さくたろうに対する信頼度は微妙であった。


 「入学式の最中に居眠りしてた挙げ句、全新入生の前で先生に注意されたら、”保健室はどこですか?邪魔にならないところで寝ますのでどうぞ続けてください”って平然と言ってのけた、あの折山おりやま 朔太郎さくたろうが?」


 「う……でも、真面目に登校してるよ、今のところ皆勤賞だし」


 「まだ入学して二ヶ月ほどでしょ?っていうか、殆どの授業で寝てるって噂だけど……」

 

 「で、でもでも成績は良いって聞くし、運動もできるって……」

 

 「クラブ活動にも入らずフラフラしてるとも聞くけど……なんか繁華街のほうで見かけたとか、いかがわしい所に出入りしてるって噂も小耳に挟んだような……」

 

 「う……エイミちゃん」

 

 ことごとく論破され、恨めしそうに見上げる大粒な瞳。

 

 「な、なによ……私は聞いた事実をいってるだけ……」

 

 傍らに立つしなやかな黒髪の友人を、上目遣いに、ジトッとした恨めしそうな瞳で見るてる

 普段、毅然とした嬰美えいみでも、このてるの瞳には弱い、思わず言葉に詰まってしまう。


 「ふぅ……なんか大丈夫な気がしてきた……朔太郎さくたろうくん……」

 

 しばらくお見合いした後、小柄な少女から吐息のように小さいため息が漏れた。

 そしてガックリと肩を落として、守居かみい てるは彼の擁護を諦めていた。


 「じゃ、じゃあてる、私は部活があるから」


 波紫野はしの 嬰美えいみは自分の指摘が原因で力なく項垂れる友達を見て、ばつが悪くなったのか、そそくさとその場を去ろうとする。


 ーー!


 噂をすれば影がさすというが……見事なほどのタイミングで、廊下の向こうから話題の人物がテクテクとだるげに歩いて来ていた。


 「朔太郎さくたろうくーん!」




 ーーなんだ?


 守居かみい てるがなにやら廊下の向こうのほうで、俺に向かって嬉しげに右手をブンブン振っているのが見える。


 「…………」


 俺は彼女の存在に気づきはしたが、特に気にとめるでもなく、変わらずゆっくりと歩いて行く。


 「…………」


 それをニコニコと待つ少女。


 俺は彼女に用が有るわけではないし、呼ばれたからといって会いに行く謂われもない。

 ただ下校の最中である俺にとって、通過点として必要不可欠な下駄箱がその向こうにあるというだけだ。


 「今帰り?」


 「まあな…」


 愛想も何も無い。

 素っ気なく答える俺の横を波紫野はしの 嬰美えいみが不機嫌そうに通り過ぎた。

 すれ違い様に俺を牽制するようにひと睨みして去って行く女。


 ーー俺が来た途端に感じが悪いな……コミュニケーションは人と人の間を円滑にする潤滑油だと知らないのかよ


 と、俺みたいな人間が言っても説得力のかけらもないな。

 とは言え、あれから二ヶ月経つが俺に対する態度は相変わらずだ……というか他人ひとをぶん殴っておいてその態度はどうかと思うぞ、実際……

 

 俺はそんな感想を、勿論、おくびにも出さずに平然とすれ違い、てるの前まで歩いた。


 目の前には、遠ざかっていく友人、波紫野はしの 嬰美えいみに手を振っている少女。


 「今から部活か?”けんせつの会”とかの」


 「イヤー最近は不景気で不景気で、一戸建ても少なくなって商売あがったりだよ……って違うよ!”けいせつの会”だよっ!」


 ーー!


 俺のボケに律儀にノリ突っ込みしたあと、少女は不自然に言葉を切る。

 どうやら会話の途中で何かに気づいたらしい。


 「……」


 じっと俺の首元から胸の辺りを凝視するてる


 「どうかしたか?」


 「……それ、もしかして岩家いわいえ先輩に?」

 

 俺の詰め襟のボタンは第三ボタンまで無くなって、更にその下のワイシャツの胸元も同じような状態で、全開になっていたのだが、てるは最初は遠目でわからなかったようだ。

 

 「……まぁ……な」

 

 なんとなく申し訳なさそうな瞳で俺を見上げるてるに、俺は曖昧に応えていた。

 

 「ごめんね……もしかして……何か言われた?」


 少し小さい声で問いかける少女。


「さあな……この学園に入学するために俺もそれなりに勉強はしたが、ゴリラってのは習得していないからな」


 「…………ふ、ふふ」


 はぐらかした俺の言葉に、少女は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに”仕方ないなぁ”といった彼女に似合う穏やかな顔で笑った。


 ーー別にてるを庇ったわけじゃ無い……今回の件は、岩家いわいえと俺の間での問題で、奴がにそれを理由に持ち出していようと、関係無い話だからだ……


 「……!」

 

 俺がそんなことをわざわざ自認している間に、すいっと俺の胸元に潜り込むように、顔を寄せる少女。


 ーーちかっ!……ってか、うわっ、なんともいえぬ甘い香りが……


 間近で見下ろす守居かみい てるの整った顔は、その甘い香りも手伝って、俺にはなんだか霞が掛かっているように、ぼんやり輝いて見えた。


 ーー長い睫毛にクリクリとした大きな瞳……まるでガラス細工のような透明度と繊細な造形の顔……くっ、けしからんな!守居かみい てる!なんだか解らないが反則だろう!

 

 「朔太郎さくたろうくん……あの……」

 

 「えっ?あ、ああ……」

 

 思わずトリップしていた俺は、間近からの彼女の声でわれを取り戻す。


 「……」


 何の予告もなく、てるの白い人差し指が、俺のはだけた胸元にツゥと滑らされた。

 

 ーーうっ……

 

 こそばゆい感じに思わず可愛い声が出そうになる俺。

 

 「今日の傷じゃ無い……よね?」

 

 「!」

 

 間抜けな顔で浮ついていた俺はそこで初めて気づく。

 ーー彼女が指さしている俺の古傷の断片に

 

 「……」

 

 「一週間?一ヶ月?ううん、もっと古い傷……それに」

 

 彼女の言いたいことは解る、その続きも。

 

 これは何年も前の古傷だ、そして見えているのは、そのほんの一部……俺のシャツの下にはもっと大きくて、酷くて、悲惨な……

 

 「あっ……!」

 

 てるは突然、我に返ったように、身体からだをビクリとさせて、ぴょんと半歩後ろに飛び退いた。

 

 「ごめんなさい!こんな……詮索するような真似……あくしゅだよね」

 

 彼女は少しだけ怯えたような顔で謝罪する。

 

 それもそのはずだ……

 さっきから、彼女を無言で見下ろす俺の表情かおは、ずっと不機嫌な仏頂面になっていたから。


 「…………」


 「…………」

 

 いや、違うな、それは少しばかり優しすぎる表現だ……

 その時の俺は、敵を見るような、きっと殺意を込めた顔になっていたに違いない。

 

 「……わるいな……あんま他人ひとに見られたく無いモノなんだ……」

 

 俺はそう言って彼女を見る。

 

 もう詮索するなと言わんばかりの目で。

 

 「う……うん、ごめんね……」

 

 だが、彼女はかなり無理してでも、俺に笑顔を作ってくれた。

 

 「前から言われてた、その、”なんとかの会”の見学の件だけどな、やっぱ無理だわ……俺、バイトあるしな」

 

 俺は話を逸らすようにそう言っていた。

 

 「そう、だったね……ごめんね無理言って」

 

 てるは、明らかに愛想笑いとわかる笑みを返しながら、続けて俺に謝ってくる。


「…………」


 どうも俺は、この傷の話になるとエキセントリックになってしまう……

 昔からそうだ……


 喧嘩やヤクザの仕事でついた傷じゃ無い傷……

 守られるべき者達から受けた傷……


 ーー俺が受けた最も理不尽な暴力の跡

 

 「……じゃあな、これからバイトなんだ」

 

 重くなった空気の中、それでも健気に微笑んで俺を見送ってくれる少女に、俺はそんな素っ気ない事しか言えないでその場を後にしたのだった。


 第八話「朔太郎あれはそういうタマじゃない」END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る