第6話「ランチタイムの襲撃者」
第六話「ランチタイムの襲撃者」
ーー六月中頃、久しぶりに姿を現す、すっきりと晴れ渡った青空。
ドシャッ!
学生服を着た男の顔が地面に押しつけられる。
「ぐっくぅ……」
ーーそんなに足掻いたって無理だって……完全に極まってるだろ……
俺の足下で無駄な抵抗を続ける体格の良い男、俺はその腕を軽めに捻り上げている。
緑豊かとまではいかないものの、ちょっとした公園のような場所で、学年に拘わらずここで昼食を取る生徒や、本を読む生徒、昼寝する生徒……つまり憩いの場所になっているというわけだ。
「くそっ……一年!」
無様に地面に張りつく上級生が俺に罵声を浴びせようとするが……
ぐいっ!
「ぐわぁぁっ!」
耳障りなので、俺は握った手に少し力を入れ、黙らせた。
「…………ふぅ」
ーー面倒臭い事になってるなぁ……俺
そもそもの事のあらましは、俺がベンチに腰掛けて昼食を堪能しようとした矢先、なにやら文句をつけてきた挙げ句、無粋にも襲い掛かってきた男の存在から始まった。
で、まぁ色々あって……
そいつは、今、無様に地面に這いつくばっている。
「ぐぅぅぅっ!」
体を俯せに地面に張り付かせた男の右腕は、高らかに天を指すように捻り上げられ、その手首部分を掴む俺が、少し力を込めるだけで、ギリギリと擬音を立てて、土中に沈みこんでいくようだ。
俺はその場にしゃがみ、その無粋な男を支配していた。
「おっ、そうだった……確か昼飯がまだだったな俺」
俺の左手には、咄嗟に持ち替えて無事であった”カロリーメイド”とパッケージに印字された簡易栄養食、俺にとって貴重なカロリー源だ。
忙しい現代人の要求を満たす、栄養価と何処でも摂取できるお手軽さ、秀逸なカロリーメイドは俺の必需品だ。
因みに俺の部屋にはこれが数ダースほど備蓄されている。
「そこまでだ!
無粋な男を右手で押さえながら、昼食を再開しようとした矢先、正面から図太い声が響く。
相変わらず無様に地面に張り付く俺の足下の男。
そして、その男とは他に三人の男達が俺を囲むように立っていた。
「…………」
いずれも屈強な体格で、俺と同じ詰め襟の学生服を着用していなければプロレスラーの団体と思われても不思議は無いむくつけき男達だ。
詰め襟の校章部分に臙脂のラインがはいっていると言うことは、俺より二つ上、三年ということになる。
「俺は
短髪で四角いゴツゴツとした無骨な顔、太い首、肩の筋肉は隆々と盛り上がり、二本の丸太のような両腕を腰にあて、偉そうにこちらを睨んでいる。
自慢げに張られた胸板は、高校生どころか人類とは常識離れした体格の男であった。
ーー俺が両手で抱きかかえても腕が届きそうにない程の厚みだな……てか、ゴリラ?
「……うっ」
一瞬、目の前の筋肉達磨にへばりついて腕を回している自分を想像した俺は、気持ち悪くなっていた。
ーーな、なんて精神的ダメージだ……うぅ……おぇっ!
「ふん、別にとって喰おうという訳ではない、大人しく言うことを聞けば痛い目を見なくても済む」
俺が顔を曇らせたのを見て取った
「いや、違うから……てか、俺、昼飯まだなんだけど」
凄んで笑う
「……」
見る間に、
「俺を誰だか分かっているのか?一年坊」
「
即答する俺、入学式直後の一件があったから、今度は事前に少しばかり調べておいた。
ーー何を?
ーーそりゃ勿論、この学園の要注意人物をだ
全国大会常連の柔道部主将であるが、何故か公式戦に出場はしない。
あとは件の”学生連”の幹部の一人だったか
二年の
ーーただし、
「……
「なんとなく」
俺は興味なさそうに答えながら左手の”カロリーメイド”フルーツ味を頬張った。
「……」
「……」
無言ながら恐ろしい顔で凄む
ボリボリと口元が忙しい俺。
何ともいえない気まずい空気の中、睨み殺そうかという眼光の男と、それをしれっと躱す俺。
言っておくが、俺は別に馬鹿にしている訳じゃ無いし、舐めてもいない。
いいかげん、腹が減っているだけだ。
だが、
「こ、殺されるぞ……あいつ」
「馬鹿だな……」
手下二人の男はヒソヒソと会話を交わす。
「
「いやだね」
貴重なエネルギー源、”カロリーメイド”を食べ終わった俺は空になった口で即答する。
「貴様!」
途端に勢いよく前に踏み出す巨体。
ーー筋肉達磨、見た目通り単細胞だな……突然なんだよ、何もかも!たくっ、くだらねぇ……
俺は心中で、いつものように、そう決まり文句を吐き捨てていた。
ーーグイッ
ゴツゴツとした芋虫のような指が、俺の胸元を捕らえようと伸ばされる。
その巨体からは想像できない素早さだ。
無駄のない動きで巨体が前に出るのと同時に、次々と繰り出され、俺の胸ぐらを掴みに掛かってくる腕。
「ちょっと、短気すぎだろ!柔道家!」
機敏に反応した俺は、足下に拘束していた男の腕を早々に手放して後ろに飛び退く。
ーーグワッ!
ーーバシッ!
連続して繰り出される
ーー確かにコレは高校生レベルじゃないな……
これだと高校生どころかオリンピックのメダリストでさえ、五分と生きていられないだろう……
ーーで?
俺はというと……
一見して逃げ回ることに必死な俺の動きは、
ヒョイヒョイと躱す、まるで雲のようにつかみ所が無い俺に、簡単に御せると思い込んでいた大男は苛立っているようだった。
「貴様っ!」
ついに業を煮やした大男は怒号を放つと、同時に癇癪を起こしたように乱暴に足を蹴り上げ何かを蹴り飛ばした。
「ぐぎゃ!」
潰されたヒキガエルのような無様な声を上げて転がる哀れな男の体。
先ほどまで俺が組み伏せていた男だ……まだ踞っていたのか。
ーーしかし、マジかよ……腹いせに?仲間を思い切り蹴り飛ばしやがった
「っ!」
ーーガシッ!
一瞬、注意が逸れた俺の胸ぐらをグローブのような骨太の両手がガッシリと捕らえていた。
「ふっ……」
これ見よがしにニヤリと笑う
「
「……」
大男は仕留めたと言わんばかりのニヤケ面で言う。
確かに、柔道……いや柔術使いに組まれたら勝負は着いたようなものだ。
俺はその乱暴者を絵に描いたような巨漢を、至近距離から無言で見上げていた。
ーーああ、面倒くさい展開だ……
「貴様の為でもあるんだぞ……あの女は”死に神”だ、関わり合うと碌な事が無い」
「そういう噂もあるみたいですね」
俺は諦めたような顔で、興味なさそうに答えていた。
「噂?真実だ!あの可憐な見た目に騙されんことだ、
ーー
この程度で、本当の意味で不機嫌になるほど、俺はそんな多感な精神を所有していない。
そんなものはとうの昔に、錆び付いて、腐食して、何だか解らない細菌共に分解され尽くしたはずだ……
「…………」
ゴリラの角張った無骨な顔……その奥で光るギラついた両眼が俺の返事を待っている。
贅沢は言いたくないが、俺の返事を心待ちにするのは、ショートカットの可愛い少女が上目使いに頬を桜色に染めながらっていうシチュエーションだけにして欲しい。
「
ーーふぅ、とはいえ、こういう単細胞相手には、事を荒立てずに処理するのが一番だな
俺は自身の苛立ちという感情に疑問を感じることは感じたが、それを無視して人生経験上のセオリーを優先し、対処することにした。
俺が言うのも何だが、
「わかりました」
ーーブオッ!
俺がアッサリとそう答えた次の瞬間、掴まれた胸ぐらを強引に引き上げられる!
「ぐっ」
俺は
「がっ、がはっ!」
俺の足下はいつの間にか宙に浮いていた。
獣じみた恐ろしいまでの膂力。
俺の身長は百七十八センチ、決して小柄では無い。
中肉中背、体重は六十キロ後半のはずだ。
その一人前の男が抗うのを、軽々と両の腕のみで釣り上げる。
「
歪に大ざっぱな造形の口元を緩めながら問いかける
勿論、俺が返事なんてものが出来ない状態であることは承知の上だ。
「どうだ?ついでに臨死体験もしておくか?」
そう言って、
ーーパンッ!パンッ!
丸太のような厳つい腕を、俺は右手の平で二度ほど軽く叩いた。
「ふんっ」
途端に
ーードサッ!
電池の切れた仕掛け人形のように、力なく地面に崩れ落ちる俺の身体。
俺は尻を着いたまま、青い空を仰ぎ、虚ろな目で惚けていた。
謂わば首つり自殺と同じ、いや、下から締め上げられていることを考えれば、それ以上の状況であった俺が意識を保てないのは常識的な人間の身体なら当然の事といえるだろう。
「ギブアップの方法は知っていたのか?……小賢しいな」
勿論、俺がそうしなくても、俺が完全に意識を失ったところで解放するつもりであったのだろうが……。
「ぐっ……わかったって言っただろ……ゴリラ……言葉通じないのかよ……」
「!」
「話せるほどに意識があるのか……デタラメな奴だな」
ーーお前が言うな!非常識な馬鹿力出しやがって……
睨み返す俺だが、取りあえず今は立ち上がることは出来ない……そう、しない。
ーーそうだ、今は無理をする時では無いだろう……
「確かにその言葉は聞いたが……あれは貴様の目が嘘だと言っていた」
「…………」
ーー嫌な奴だな……お友達にはなたくない……いや、友達じゃ無かったな……って事は俺はラッキーなのか?
俺は、頭のこんがらがるような無意味な感想を巡らせながら、
ーーああ面倒くさい……ほんと、くだらねぇ……
「わかった、わかりました、すみませんでした
俺は素直に平謝りして許しを請う。
正直な話、もともと俺にはそんな未練は無い。
というか、
少しばかり抵抗したのは売り言葉に買い言葉、このゴリラがどんな意図で俺に接触したのか少し興味があっただけだ……
だがそれも、もういいな……この程度の事なら理由を知る気も無いし、気に留める必要も無い……どうぞ、ご勝手にってところだ。
「どうしますか?」
そんな俺をよそに、
ーーおいおい、今更出しゃばるなよ雑魚……
「……少々痛めつけろ、そうすればこいつの浮ついた頭でも理解できるだろう」
ーー本気かよ!……こんな、かわいそうな俺に追い討ちって、こいつら鬼かよ!
立ち上がることも出来ない俺に、ニヤニヤしながら近寄る二人の男……いや三人の男。
「あ……あんた?……」
俺は、いつの間にか、ちゃっかりそれに加わっている、俺が最初に組み倒していた男の姿を確認して、ため息をついた。
ーー蹴られた男に媚び諂う、そういう性格……いいねぇ、ほんと……
俺は心の中で、そうごちると諦めたように天を仰いだ。
第六話「ランチタイムの襲撃者」END
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