第5話「遠いこえ」

 第五話「遠いこえ」


 私立天都原あまつはら学園の校外、校門前に一台の白い高級車が停車していた。

 一見してわかる、有名な高級外国メーカーの派手なオープンカーだ。


 そして、中には如何にもな、柄の悪い中年男が二人。


 一人は後部座席から行儀悪く前の助手席にまで足を伸ばして横になっている男。


 ノーネクタイでワイシャツの胸元が大きく開いた開襟シャツ、細身の割にガッシリとした印象のある男は、草臥れてはいるが上質のスーツを着崩していた。


 三十代半ばのその男は、痩けた面長な輪郭、鋭い切れ長の目、不機嫌そうな、への字に固定された薄い唇で、何を考えているのか考えていないのか、静かに目を閉じている。


 どう見ても堅気で無い男は、この辺を取り仕切る非合法組織、一世会いっせいかい哀葉あいば組若頭、西島にしじま かおるという男であった。


 そして運転席に座る小太りのサングラス男は、その舎弟の森永もりながという男だ。

 柄は悪いものの、それなりにセンス良く着こなした兄貴分とは違い、艶のあるパープルのサテン生地スーツという、お世辞にも趣味が良いとはいえないザ・ヤクザという出で立ちだ。


 「あのガキ……遅いですね……兄貴を待たせるなんて、自分の立場わかってやがるのか?」


 森永もりながは、いらついた声でハンドルを軽く叩く。


 「兄貴の温情でこんなところに通えるって事が分かってるのかよ!」


 舎弟である小太りサングラス男の態度に、後部座席で寝転び、足を助手席まで放り出した男は、閉じていた目を少し開く。


 「……まあ、待とうや森永もりなが、どうせ彼奴は行くところなんて無いんだからな」


 たちまち鈍く光る鋭い眼光が姿を見せるが、男はまたすぐに目を閉じて黙ってしまった。


 「そ、それもそうっスね、さくの野郎に行くとこなんてありゃしねぇ」


 一瞬ビクリと反応した小太りサングラスであったが、直ぐに尤もだと大きく頷き、”さすが兄貴は器がでかい”とばかりに、サングラスを揺らして下品に笑った。


 「……もっとも奴は最初から逃げる気なんて更々ないだろうがな……」


 ぼそりと聞き取れるかどうか、そんな音量で声が漏れてくる。


 「兄貴?」


 森永もりなが西島にしじまの呟いたであろう言葉の意味を確認しようとしたが、不機嫌そうに目を閉じた男がその後、もう一度口を開くことは無かった。



 ーー

 ー

 ーそんな校外でのことはいざ知らず……


 俺のピンチは続いていた。



 「……冗……談?」


 潤んだ大きくて垂れ気味の、何とも穏やかな瞳をくりくりと輝かせ、軽やかな栗色のショートボブが愛らしい少女が小首を傾げる。


 「あ……頭がな……ちょっと強く打ったせいか……気が動転して……」


 「…………」


 少女の潤んだ、大きくて垂れ気味の瞳が俺を凝視してくる。


 ーーやめてくれ!俺が悪かった……けど……

 ーー色々と認めるわけにはいかないんだ、解ってくれ、童顔の割に胸の大きい美少女よ!


 と反省しつつも、つい自身の下に横たわる少女の露出した胸元に視線が……


 「っ!」


 不埒な視線に気づいた少女がそそくさとはだけた制服の前を自身の手で覆う。


 「うっ!うう……頭が割れるようだーーーー!!」


 「えっ!」


 不味いと動物的本能で悟った俺は、怪我人というポテンシャルをフルに活用し、畳みかけた!


 「あ、ああ……し、白い……白い獣がっ!体中に黒い闇を纏った白い巨獣が、緑色の植物を握って襲ってくるぅぅぅーー!」


 「え、え!?だ、大丈夫?だいじょうぶかな!?……やだ、どうしよう……折山おりやまくん!」


 ーーよし!グッジョブ!


 話題は完全にすり替えられた。

 素直で純真な少女に感謝しつつ、俺は心の中で親指を立てる。


 あ、因みに俺が叫んだ妄想の巨獣は、ただのパンダともいう。


 「だ、大丈夫だ……少し落ち着いてきた……」


 「……ほんとにほんとに大丈夫?」


 「ああ……」


 「よ、よかった……折山おりやまくんが倒れたとき、病院に運ぼうかとも考えたけど、エイミちゃんが立場上困るからっていうから、隠蔽のためにこっそり保健室に連れてきたんだけど……大丈夫なんだ……よかった」


 ーーちっとも良くないっ!


 前言撤回!

 いや、追加事項だ。


 ーー素直で純真で結構腹黒い少女だ。


 エイミだって?……あの剣道女か!

 くそっ!衆人観衆の面前であれだけ派手にやっておいて隠蔽とは良い度胸じゃないか、ええっ!


 「病院行く?」


 ーー優しい声だ……。


 俺から解放された少女は、上半身を起こし、頭の中で不満を爆発させていた俺の顔を覗き込んでくる。


 「……」


 ーー距離も近い……それに良い匂いだ……


 「折山おりやまくん?」


 「……いや、いい……バイト在るし、さっきのは冗談だから……」


 「……冗……談?」


 俺の前で、はだけた胸元を両手で押さえている少女はポカンとした。


 ーーああ、もいいいか……面倒臭い


 その時俺はいつも通り、なんだかこれ以上のやり取りが煩わしくて、どうでも良い事のように思えてきていた。


 ーーああほんと、いつも通り……くだらねぇ


 「そう、ちょっとお約束をやってみただけだ」


 少しの間、その大きめの瞳をぱちくりと瞬かせていた少女は、そのままの姿勢ではっとなる。


 「ひっ酷いよ!心配したのに!折山おりやまくん、もともと、少し変わってそうだったけど、本格的にどうかしちゃったと思って、すごく心配したんだよ!」


 胸元を押さえた手と逆の手で、ぐいと俺を押しのけて、少女は堰を切ったように俺に詰め寄ってくる。


 「……いや……その」


 そして、じんわりと涙をためて必死に抗議する少女に、俺は平謝りしながらも考えた。


 ーーさっき、ついでになんだかすごく失礼な事を言われたような気がするが……いや、状況が状況だけに、今それに突っ込むことは更にややこしくなるな……


 俺がそんなことを考えている間に、一通り不満をまき散らした少女は、暫くしてやっと落ち着いた様子になっていた。


 「……えーーと、あのね……」


 そして彼女は、チラチラ此方を伺いながら……


 「えっと、私は、二年A組の守居かみい てる、”ほたる”と書いててるです、奉仕活動部の部長をしています……っていってもまだ愛好会なんだけど」


 唐突に自ら自己紹介を始める。


 「……」


 恐らく変な顔で彼女を見ているであろう俺に対して、守居かみい てるは、散々いろいろあった後の今更ながらの自己紹介だからか、気恥ずかしげにこちらを伺っている。


 「……」


 「……」


 何かを期待した様な瞳だ……。


 ーーふぅ……


 俺はそんな彼女の態度に、心の中で溜息をひとつ吐いた。


 因みにはだけた制服の胸元は、その辺にあった安全ピン数個で既に応急処置されている……ちっ……。


 「俺は、折山おりやま 朔太郎さくたろう……一年D組だ」

 

 若干抵抗を感じながらも、別に減るもんじゃないしな……とそれに応える俺。


 「うん、さっきエイミちゃんから聞いたよ……なんだか入学式でその……えっと、いろいろと……有名だって……」


 説明する守居かみい てるは、最後の方は気を遣ってゴニョゴニョと口ごもった。


 ーーああそう言うことか……


 だからてるという少女は俺の名前を知っているのか……

 そういえば、あの時の戦闘中にもあの剣道女、何度か俺の名を呼んでいたしな。


 エイミというのは恐らくあの黒髪の剣道少女、つまりあの女から入学式での俺の武勇伝も伝わったらしい……。


 「それで俺の名前を?」


 ーーそもそもあのエイミという女が俺の名前を知っていたのは入学式それが理由か……


 そして入学式に色々と心当たりのある俺は、今頃納得していた。


 「うん、エイミちゃん”学生連”の一人だから、入学式にも顔を出していたのよ……えっと解るかな?”学生連”」


 ーー学生連ね……


 天都原あまつはら学園生の為の学園生による学園内自治連合組織……通称”学生連”

 私立天都原あまつはら学園の選ばれた生徒達による、言わば学園の支配組織。


 たしか、元々は生徒各々の自立の精神を尊重し、生徒間の問題はすべて生徒自身に解決させるといった教育方針のもと、初代学園理事長により創立された組織だと聞いているが。


 どっちにしろ、連綿と受け継がれる伝統組織の権力は絶大で、一般生徒は勿論、教員にさえ影響力を及ぼすという。


 指示系統は連合会長を筆頭に、数名の幹部メンバーから構成されるが、その選考基準は謎とされていた。


 まあ実際の幹部生徒達の顔ぶれはというと、勉学や部活などで特に秀でた人物達が名を連ねているらしいけどな。


 「なるほど……剣道部の波紫野はしの 嬰美えいみか……去年は一年生にして、全国大会覇者の神童……だったよな?」


 先ほど味わった剣筋を思い出し、この学園では誰もが知る、有名人だと納得していた。


 「えっとね、安心して、エイミちゃんは峰打ちだって言っていたから」


 考え事で、少し難しい顔になっていた俺を気遣ってか、てるは明るく話しかけてくる。


 「そうか……それはよかった」


 未だにズキズキ響く頭を摩りながら、俺は目の前の少女に視線を戻した。


 「……で、ひとつ聞きたいけど、いつから竹刀に峰が出来たんだ?」


 「……あ!」


 俺の尤もな疑問に目を丸くする少女。


 「いま、気づいたのかよ……」


 ーーこの女は、結構馬鹿なのか?それとも、よっぽどひとが良いのか?


 ーーそれとも……


 俺はそんなことを考えながら、一見、素直すぎる少女をあきれ顔で眺める。

 目の前には、肩を落とし、わかりやすく落ち込んでいる少女。


 まぁ他人の事は言えないな……


 俺自身、彼女に対する分析で”馬鹿”というワードが先に頭に浮かぶところが、この俺、折山おりやま 朔太郎さくたろうという人物の人となりを表しているといえるだろうし。


 「そういえば、エイミちゃん、私にそう説明したとき、なんだか落ち着きがなかった……」


 今更ながら、当時の不自然さに気づいた様子のてる

 俺にも、挙動不審で意味のわからない言い訳をする黒髪の剣道少女が、頭に浮かんでいた。


 てるは、怖ず怖ずとした態度で、申し訳なさそうに、俺を見つめていた。


 「あのね、折山おりやまくん……えっと、突然かもだけど、せっかく知り合えたんだから、もう少し距離を詰めてみてもいいかな?」


 「距離?」


 これまた唐突なてるの提案に、今度は俺がキョトンとする番になる。


 「だから、友達っていうか、せっかくだし、友達って多い方が良いと思うんだ」


 「……そうなのか?」


 同意を得ようと力説する少女、対して特殊な幼少期を送った為か、俺には正直あまりピンと来ない話だった。


 「ぜったい、そうだよ!」


 「……なら、それでもいいけど」


 俺は適当に相づちを打つ……まぁ一般常識としては理解できるしな。


 とりあえず、俺にとってそれは、所謂どうでも良いことであった。


 「じゃあさ、じゃあ、先ずは呼び方とか変えよう!朔太郎さくたろうくんっていうのは嫌かな?」


 俺の了解を得たてるは、大きな瞳を輝かせ、ベッドの上で俺の方に乗り出して来る。


 ギシリとベッドが一寸だけ偏ったバランスに傾いた。


 ふわりと甘い香りが俺の鼻をくすぐる。


 「……別に嫌じゃない」


 特に嫌悪を感じることもないなと思ったわけで、決して、なんだかいいにおいに誘われて、それもアリかなぁ”とか考えた訳では無い。


 「………………」


 少女のキラキラした瞳は、期待の眼差しのまま続きを待っていた。


 「そうか……わかった、じゃあ、てるでいいか?」


 相手が望んでいるであろうその先を、推測した俺はそう答える。


 「べつに嫌じゃないけど、一応、私、年上だよ」


 「……じゃあてる先輩」


 「それはちょっと他人行儀かなぁ」


 やんわりと否定する相手に言い直す俺、そのやり取りを、なんだか楽しげにする少女。


 「てるさん」


 「うーーん、もう一声!」


 守居かみい てるは妙に上機嫌だ。

 そして、それは、少し悪戯っ子のような無邪気さも感じさせる。

 楽しそうにはしゃぐ少女……俺は”仕方ないつきあうか”と問答を継続させた。


 あとで考えてみると、それは折山おりやま 朔太郎さくたろうという人物にとって極めて珍しい判断と行動であったのだった。


 「てるどの」


 「ぷっ、お侍さんかよ!って」


 少女は楽しそうにコロコロと笑いながら突っ込む。


 「ほたる」


 「そう呼ぶひともいるねぇーー」


 「ほーたるちゃーーん」


 「えっと、折山おりやま三世?」


 後から思えば、あくまで一時的とは言え、なんだか俺も妙にテンションが上がってしまい、正直、少しばかり調子に乗っていた。


 「てるさま!」


 「……っ!」


 今度は先ほどまでの軽やかな反応は返ってこない。


 「?」


 少女の大きめで美しく潤んだ瞳が、先ほどまでと比べて明らかに色を無くしている。


 「…………」


 なんだ?様って結構ありふれた敬称だけど……なにが気に障ったんだ?


 意味不明で、納得いかないが、今の俺はそれよりもなによりも普段の自分らしからぬキャラクター、調子に乗りすぎた事に恥ずかしくなって疑問は放置していた。


「えーーと、てる?」


 そして、無意識に原点に戻ってそう声を掛ける。


 「あ、うん、何でも無い……そうだね、それでいいよ、なんだか朔太郎さくたろうくんっぽいし」


 気を取り直した彼女は、そう答えた。


 何が俺らしいのかさっぱりだが、結局は最初の呼び方に落ち着いたようだ。


 「……」


 「……」


 先ほどまでの和やかな空気はどこへやら、最初に戻ったようになんだか途端にギクシャクする保健室の二人。


 「えーーと」


 居心地の悪くなった俺の視線は、彼女からふと壁に掛かった時計に移っていた。


 「……十六時……三十四分……」


 ーーああ、もうこんな時間か……随分と寝ていたようだ……付き添ってくれたてるには悪いことを……って!


 「な、なんだと!」


 そこまで考えて、俺は重要なことを思い出していた!


 声を上げて、ベッドから勢いよく立ち上がる。


 「きゃっ!」


 突然大声を出す男に、ビクリと身体からだを震わせる少女。


 「わ、わるい、ちょっと予定があるんだ、こんな時間まで看病してもらってて悪いけど……」


 ーー実際はどうだか解らんが……


 俺は幾つもの疑問と違和感を抱きつつも急遽帰り支度を始めていた。


 「あ……うん……」


 ただ事でない様子で慌てた感じの俺に、コクリコクリと首振り人形のように頷いた少女は、傍らに置いてあったらしい俺の鞄を差し出した。


 「ほんと、悪いな、じゃあ!」


 挨拶も程ほどに、俺はそれを受け取り、ガラリと保健室の引き戸を開けて走り去る。


 「……うん……また明日……ね、折山おりやま……折山おりやま 朔太郎さくたろうくん……」


 小走りに廊下を進む俺の耳には、実際よりも随分と遠くから、俺が一方的によく識り、現状全く理解できない美少女の言葉が聞こえた様な気がしていた。



 彼女が、守居かみい てるがどんな顔でそう呟いたのか……

 結局のところ、最初ほど彼女に興味を無くした俺には、知る由も無かったのだった。


 第五話「遠いこえ」END

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