第3話「はた迷惑な大和撫子」

 第三話「はた迷惑な大和撫子」


 「いい度胸ね……入学早々、上級生を校内でナンパなんて」


 俺は頭上からの声に、自身の視線をスライドさせて、声の主を見上げた。


 「見た顔だと思ったら……たしか、折山おりやま……朔太郎さくたろうね……」


 そこには、腰まである、艶やかな長い黒髪を揺らした色白の女、如何にもな大和撫子が仁王立ちに立ちはだかっていた。


 スラリとした女子にしては高めの身長、薄いグレーのセーラー服にオパールグリーンのタイは俺が目的としていた少女と同じ二年生のカラーだ。


 しかし、何より俺が注目したのは、一本芯の通った姿勢から漂う凜とした佇まいで、ただ者で無い空気を纏っている。


 ーー!


 俺は本能的に、背中の辺りにピリリと緊張が走るのがわかった。


 ーー独特の緊張感……なにかやっているな、それも中々のものだ


 もはや条件反射ともいえる反応で、俺はしゃがんだ体制ながら四肢に神経を張り詰める。

 態勢は一ミリも変わっていないものの、油断無く黒髪の女を見上げる。


 「……ふぅ」


 幸いなことにその女からそれ以上の行動は無く、俺が危惧したような事態にはならなかった。


 代わりに、その女はこれ見よがしにため息をついてみせる。


 ーーしゅるり


 黒髪の女は、背負っていた臙脂色で縦長のハードケースを肩から降ろした。

 形状から剣道の竹刀袋と考えて間違いないだろう。


 なるほど、大和撫子の見た目に違わぬ純和風な部活だと、俺は推測していた。


 「心配になって見に来てみれば、案の定、変な輩に絡まれてるし……ホントに自覚しなさいよね、てる、あなた自分の魅力を……」


 少女にそう文句を言いながら、自身の前に持ってきたハードケースのジッパーを下ろす。


 「……」


 しばし、なにやら中身を吟味する女。

 どうやら、そこには二振りの長物が収まっているようだ。


 一つ目は素振り用と思われる木刀。

 二つ目はごくありふれた竹刀だ。


 「なにしてんだ?……あんた?」


 俺は、思案顔の女に思わず声をかけた。


 「見ればわかるでしょ、大事な友人にちょっかいを出そうとしている害虫駆除用の獲物を吟味しているのよ」


 「わかってたまるか!そんな理不尽!」


 ーーマジかよ!、当然の如く恐ろしいことを言う女だ……


 「そもそも、迷うところかよ!普通、木刀は無いだろ、木刀は!」


 「?」


 ーーだから、なんでそんな不思議そうな目でこっちを見る!常識無いのかこの女!


 「エイミちゃん駄目だよ」


 先ほどまで散らばった用紙を拾っていた少女、黒髪の女に”てる”と呼ばれている可憐な少女が、物騒な友人を諫めた。


 ーーふう……だよな


 内心、ホッとした俺は、胸をなで下ろしていた。


 「それ、買ったばかりだって言ってたでしょ、血液ってなかなか落ちないよ」


 「そこか!、汚れが気になるお年頃か!」


 ーーマジか!マジなのか?この学園では殴打事件は日常茶飯事なのか?

 ーーいや、俺が言うのも何だけど、ここは法治国家だ、この国でそんなわけあるはずが無い


 ーーしかし……”てる(こいつ)”の中では俺の流血は決定事項なのか……


 俺は忌々しげに、一見、平和の象徴のような穏やかな容姿の少女を睨んだ。


 「あ……てへ」


 それに気づいた美少女は、なにやら本日一番っぽい笑顔で切り返す。


 ーー笑ってごまかしやがった……可愛いけりゃなんでも許されるのか……


 憤慨する心の中とは裏腹に、笑顔の美少女に対して、思わず口元が緩む俺……

 俺が世の理不尽を再認識した瞬間である。


 「しかたないわね、折山おりやま 朔太郎さくたろう……本来なら害虫の言葉なんて聞く義理はないのだけど、竹刀にしてあげるわ」


 黒髪の女は、心底残念そうな表情かおでスラリと竹刀を抜き放った。


 「えっと……な、なんか、わるいな……」


 なにやら我が儘を言って?悪いような気がしてしまった俺は、理不尽な理由で俺を叩きのめす気満々の相手に、つい礼を言ってしまう。


 「……」

 「……」


 「いや、違うだろ!暴力反対!暴力女!男女おとこおんな!」


 遅ればせながら正気に戻った俺。

 俺が放ったその言葉に、エイミと呼ばれた黒髪の女の眉間が陰った。


 「……なんか聞き捨てならないワードが入ってた様な気がするけど!」


 「き、気のせいだろ?」


 何となく逆鱗に触れたような気がした俺は弱々しく反論する。


 「いいえ!確かに言ったわ”男女おとこおんな”って……それはこの、この私の体型が……ちょっとだけ、ほんのチョコッとだけ平均には足らない胸とか……そんなことを指しているのかしら?」


 「いっ!言ってない言ってない!」


 「無い!胸が!」


 「いや、それは被害妄想すぎだろ!」


 俺の言葉には耳を貸さず、鬼気迫る殺気をまとい、正眼に竹刀を構える。


 「……駄目だ、おい、えっとそこの少女、何とか言ってやってくれ」


 目の前の黒髪女には、最早、言葉は通じないと判断した俺は、傍らにいるはずの”てる”という少女に助けを求めていた。


 「清く正しい高校生活のために、ぜひ、我が部で奉仕活動を行いましょう」


 少女は、何事もなかったようにビラ配りを再開していた。


 ーーおーいお嬢さん、諦めるの早すぎ!


 「て、”てる”さんとやら!何とかしてくれよ!あの女、友達なんだろ!」


 俺は恥も外聞も無く、泣きそうな声で少女に縋っていた。


 ーーいや、あれだ、緊急事態だし、命の危険もありそうな勢いだ……情けなくないぞ俺


 困ったようにこっちを向く少女……。


 「えっと……エイミちゃん、その話になると、手の付けられない乱暴者になるから……」


 「……」


 俺は、彼女の返答に、しばし立ち尽くした。


 ーー乱暴者、になるから……なるから……って他人事か!元々お前の関係者だろ!なんか、優しい笑みで誤魔化そうとしてるけど、けど……可愛い……!、じゃ無かった!


 「なるから……じゃねぇ!無関係装ってるんじゃねぇよ!」


 男ならではの葛藤の末、非常に可愛らしい少女に怒鳴った俺は、そこで急に黙った。


 ーーゾクリ!


 首元に不意に走る悪寒。


 ーーブンッ!


 背後から、俺の首をなぎ払うかのような鋭い太刀が横一閃していた。


 「うわっ!」


 それを間一髪しゃがんで躱す!、俺の頭頂部の髪の毛が数本宙に舞っていた。


 ーーおーー!


 自然と出来上がっていた俺の周りの人だかり、そこからワッと歓声があがった。


 「すごい!すごいよ!キミ!、背中に目があるみたい!」


 可愛らしい頬を上気させて、無邪気に感心する”てる”という少女。


 ーーブオン!


 そんな周囲の状況にも、俺はかまっている暇は無い!

 慌てて振り向いた俺は、続いて、大上段から肩口に斬りつけられる一撃を、今度は仰け反って躱す。


 ーーシュバ!


 空振りした切っ先が、そのまま床ギリギリのところで弾かれたように跳ね上がった。


 「うおっ!ツバメ返しだと!」


 俺は体勢を崩していたが、仰け反ったまま後方に一回転することで、追い打ちのその一撃をも躱していた。


 ……尚且つ、その所作は相手から一旦距離をとって追撃に備えるという意味もある。


 ーーおおおーーーー!


 ギャラリーから先ほどよりも大きな歓声が上がった。


 「うわっバク転だ!ナマで始めてみたよ!」


 興奮気味の少女が手に持ったビラの束は、彼女の豊かな胸の前でギュッと抱きしめられて、軽く変形していた。


 ーーうらやまし……じゃなかった!


 「お、お嬢さん!”てる”さん?お願いです!助けてください!」


 洒落にならない状況……今の俺は、目の前の黒髪剣道女を警戒しながらも、すっかり他人事で観戦に夢中なお嬢様に必死で助けを求めるしか方法は無いだろう。


 「あっ……ごめんね、キミがあんまりすごいからつい……」


 俺の訴えに、今更気づいた少女は、申し訳なさそうに謝ってから、殺気立つ友人に向き合う。


 「エイミちゃん、やめて!」


 待ちわびた少女のその一言で、一先ず俺は、身構えていた全身の緊張を、ほっと緩めた。


 「ごめんね、エイミちゃん、私には解らない悩みだけど……力になれることがあるなら何でもするから……」


 ピシッと氷に亀裂が走ったような音が聞こえたのは俺の耳だけじゃ無いはずだ。


 ホッとしたまま、固まり引きつっている俺の顔は、さぞ滑稽だろう。


 視線だけ動かして窺い見た”てる”の表情は一点の悪意もない。

 キラキラとした、憎らしいくらいの美しい瞳だった。


 俺はそのまま、あくまで確認のため、ゆっくりと視線を下へ移動させる。


 勧誘のビラを抱えた彼女の女性らしいふっくらした胸元……たしかに、この娘には解らない悩みだ……。


 「……ふふ……ふふふ」


 エイミという黒髪剣道女は不適に笑った。


 ーーシュバ!

 ーーザジュッ!

 ーーブオッ!


 先ほどとは比べものにならない鋭い切っ先の数々が俺を襲った。


 「うおっ!」

 「ちょちょっと!」

 「がはっ!」


 ものすごく器用ではあるが、それ以上に必死に逃げ惑う。


 「注ぐな!注ぐな火に油を!わざとやってんのか!小娘!」


 俺は必死に逃げ惑いながら、元凶の少女に文句を叩きつけていた。


 「え、えーーと……テヘッ」


 ゴメンねと、胸の前で紙束を抱えたまま、謝る仕草をした少女は、申し訳なさそうに微笑んでいた。


 「お、おまえ、何でもそれで済むとおもうなよ!」


 「ううっ……すみません」


 なおも怒鳴る俺に、しゅんとしてしまう少女。


 ーーブーーーー!

 ーーブーーーー!


 途端に、観客達から一斉にブーイングの声が沸き上がった。


 ーーなに女の子怒鳴ってんだ!

 ーー器小さっ!最低!

 ーー斬られろーー!

 

口々に俺に投げつけられる罵詈雑言。


 ーーくっ俺か?俺が悪いのか……くそっ何だこのアウェー感は!


 心の中で泣き言を言っている間にも、女の剣筋はいっそう鋭さを増していく。


 ーーたくっ、ほんと面倒くさいな……


 そう結論づけた俺は、無防備に頭上を見上げた。


 ーーバシィィィーー!


 ーーわーーーーーー!



 く、くだらねぇ……


 そう心の中でごちながら、俺、折山おりやま 朔太郎さくたろうが最後に聞いたのは、一斉に沸く野次馬達の悲鳴、見たのは目の前に飛び散る色とりどりの火花であった。


 第三話「はた迷惑な大和撫子」END

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