第2話「雪の華」

 第二話「雪の華」


 ーー俺、折山おりやま 朔太郎さくたろうの小中学時代は借金まみれだった。


 俺を束縛している一世会いっせいかい西島にしじま かおるという男に、早朝から深夜まで表家業、裏家業、関係なく働かされ続けた。


 一世会いっせいかい哀葉あいば組若頭、西島にしじま かおるという男は、三十代半ばで痩けた面長な輪郭に鋭く光る刃物のような眼光、そしていつも不機嫌そうなへの字に固定された薄い唇が特徴の、俺が知る限り最も危険な人物の一人だ。


 一世会いっせいかいからこの辺り一帯を取り仕切ることを任され、この業界……有り体に言えば”ヤクザ”なんだが、とにかくその業界でも特に武闘派として名を馳せている。 


 まぁとにかく、俺は幼少の時から、この恐ろしい男のおかげで、殆ど学校にも通えず、こき使われ続けたのだ。


 そんな環境で、義務教育を何とか卒業できた俺は、本来なら高校生活を望むことなどあり得ない身分であったし、周りの者達もそう思っていただろう。


 「おまえ……高校いけよ」


 ある日、西島にしじま かおるはいつも通りぶっきらぼうな顔で、突然そう宣った。


 突然、西島にしじま かおるがそんな、素っ頓狂な事を言い出した時は、当人である俺だけで無く、周りの者達も、最上級に驚いたものだった。

 無論、入学金、学費は自分で工面する、借金返済のための労働は、今まで通りこなしながらという、抜け目の無い条件だが……


 かくして、俺はめでたく今年の四月から私立天都原あまつはら学園に通う運びとなったのであった。




 ーー何となく、ここ最近、俺に起こった奇異な一連の流れを思い出しながら足早に歩く。

 やがて視界に目的の場所がフェードインしてきた。

 

 ーーザワザワ


 放課後はいつも賑わう購買前だが、今日は輪をかけて活気に溢れていた。


 その理由はと言うと、入学式のため午前中で帰宅予定の新入生達が、期待に胸を膨らませ、明日まで待ちきれないとばかりに、クラブ見学や施設見学などを目的として意気込んで残っているからであった。


 彼ら彼女らは、午後からの活力補給をするため、購買前や食堂前に押し寄せている。


 「し、新入生の皆さん、あの……クラブ活動は決まりましたか……あの」


 生徒達が入り乱れる人混みの中、小柄な少女が、何かビラのような紙切れを手に、あたふたと動き回っているのが見える。


 「えっと……高校生活を清く正しく過ごすために……ぜひ、わが……」


 彼女自身は大声を出しているつもりなのだろうが、如何せん声量が足りない。

 自信なげな言葉と相まって、雑然としているこの場では、耳に入る者は少ないだろう。


 なんだか覚束おぼつかない足下の少女、その後ろ姿を確認しながら俺は目的の人物だと確信した。


 「おい、あの娘」


 「ああ、二年生みたいだけど……可愛いな」


 俺以外にも何名かの男子生徒達が、遠巻きに一生懸命な彼女を眺めてコソコソと話している。

 俺の位置からは、まだ後ろ姿しか確認できていないが、その雰囲気と周りの男共の反応から、かなり見栄えのする美少女らしい。


 天都原あまつはら学園指定の制服である、薄いグレーのセーラー服に、膝までの清楚なプリーツスカート、オパールグリーンのタイは俺らより一つ上、二年生の女子ということを示している。


 恐らくは美人であろう彼女に興味はあるものの、上級生という事と、まだ、環境に馴染んでいないお互いを牽制し合ってか、男子生徒達は遠目に眺めているだけで彼女には直接接触出来ないでいる。


 まぁ、それでも放っておけば誰かが声をかけるのも時間の問題だろう。


 「……そうなると厄介だな」


 本来の目的を思い出し、俺は行動に出ることにした。


 「世の中のためになるクラブ活動で心身ともに……!」


 背後から足早に近寄る俺、少女まで後、数歩と言うところで彼女がふいに振り返った。

 自信なげに勧誘を続けていた少女は、どうやら俺に気づいたようだ。


 「えっと、ちょっといいか?」

 「!」


 少女の直ぐ目の前まで到達した俺は、そう言って彼女の顔を見下ろす。

 彼女の優しげにすこしだけ下がった大きめの瞳が、キョトンと見開いた。


 「は、はい、なんでしょう」


 ーー交渉ごとは機先を制するに限る!


これは俺の人生経験からの教訓だ

 何事もイニシアティブをとった方が、後々までの選択肢を多く保持することが出来る……はずだ……多分


 俺の思慮をよそに、少女は少し緊張気味でありながらも、入部希望者の可能性に期待して微笑んで対応していた。


 ーーチッ

 ーーなんだよ


 途端に、俺のことを自分たちの同類だと思って疑わない輩達から、先を越されたとばかりの舌打ちが聞こえる。


 くだらねぇ……興味ないんだよ!


 俺は心の中で、つい、いつものフレーズを吐き捨てながら、目の前の少女を改めて確認した。


「……」


 大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、そこから上目遣いに俺を伺う様子は、なんとも男の保護的欲求がそそられる。


 ちょこんとした可愛らしい鼻と、綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇。

 春の光を集め、サラサラとゆれ輝く栗色の髪。

 毛先をカールさせたショートボブが、愛らしい容姿によく似合っている。


 誰の異論も挟む余地の無い美少女であろうが、どこか頼りなげな仕草と雰囲気から、美女という表現よりも、可愛らしい少女の印象が一際強い。


 ーーこの娘の場合、むしろそのイメージの方がずっと魅力的だよな……


 「!」


 俺はそこまで考えて、思わず思い直した。


 ーーいや、そう言うんじゃないから……ほんと!


 心の中で何故か言い訳をする俺。


 「あの……」


 少女は、自身の顔を凝視したままの俺に、怖ず怖ずと声をかけてきた。

 俺は、その言葉で改めて彼女を確認し直した。

 本来の目的を思い出して……


 ーー確かに面影があるともいえる……


 改めて目の前の美少女を見直した俺は、そう感じていた。


 「あ、あの……」


 不安げに、再度、彼女は声をかけてくる。


 しかし、俺の脳細胞は、只今別の考えで貸し切り状態であった。




 「六花むつのはな……」


 それは自然と俺の口から零れた言葉だった。


 「えっ何?」


 「!、い、いや」


 俺は、慌てて一旦、口にした言葉を誤魔化す。


 ーーイニシアティブは完全に失ってしまった


それどころか要らない事まで口走ってしまう迂闊な俺

ったく、容姿一つでこれだ……本当に女は怖いな


 俺は、やや責任転嫁気味に気分を切り替えて、会話を続けることにした。


 ーードンッ


 「きゃっ!」


 俺が再び口を開こうとしたとき、少女の背後に一人の生徒が軽くぶつかってきた。


 ほんの軽い接触だったためか、相手の生徒は気づかずに去って行ってしまう。

 しかし、前方に気をとられていた彼女の手からは、勧誘用であろう、ビラの束がパラパラと床の上に散らばっていた。


 「あっ!あっ」


 慌ててしゃがんでそれを拾い集めようとする少女。


 購買前で、散乱したB5サイズの用紙は、それほど広範囲に散らばった訳ではないが、生徒達が混雑するこの場では、直ぐに踏まれて揉みくちゃになってしまいそうであった。


 ーー仕方ないな……


 相手が自分に注意を割いていたことから、無関係を装うには多少の罪悪感を感じた俺は、本心では面倒くさいと文句を言いながらも、直ぐに彼女同様しゃがみこみ、それを手伝う。


 「あ、ごめんね」


 それに気づいた少女は作業を続けながらも、困った表情で俺に微笑みかけた。


 「……これで全部だ」


 一生懸命ではあるが、アタフタとあまり捗っていない少女とは対照的に手際よくそれらを纏めて差し出す俺。


 「あ……と、ありがとう」


 「……いや別に」


 白い頬を軽く染めた少女は、感心した様な瞳で俺を見ながらお礼を言った。

 書類を落としたドジさとか、自身の手際の悪さとか、多少の照れが入っているのか、恥ずかしそうに微笑みかける少女はなかなかに愛らしい。


 「……名前なんていうんだ?」


 「え?えっ」


 僅かな沈黙の後に放った俺の質問に、大きめのつぶらな瞳をくるくると動揺させる少女。


 「だから……なま」


 ーーズイッ!


 しゃがんだままのお見合い状態で、再度質問しようとする俺と、動揺する少女。

 そして、その間に横合いから割り込む白い足。


 「……」


 俺から少女への視線を遮る、なかなかの美脚。


 「いい度胸ね……入学早々、上級生を校内でナンパなんて」


 俺は頭上からの声に、自身の視線をスライドさせて、声の主を見上げた。


 「見た顔だと思ったら……たしか、折山おりやま……朔太郎さくたろうね……」


 そこには、腰まである、艶やかな長い黒髪を揺らした色白の女、如何にもな大和撫子が仁王立ちに立ちはだかっていた。


 第二話「雪の華」END

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