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先輩に、手紙を出す。
それはつまり、字の練習が終わりを告げるということです。
私は内心必死になって止めました。
まだこの字が汚い。歪んでいる。こんなんじゃ雑な子だと思われる。
平然とした顔をして、残酷に相手の字を否定していきました。
それから優しい声で、大丈夫ですよ、と語りかけました。
私と一緒に練習すれば、もっと上手くなります。
だからそれまで、我慢しましょう。そうしましょう。
今にして思えば、なんて浅ましい真似をしてしまったのでしょう。
字が綺麗になったなら、それを一緒に喜べば良かったのに。
淀川さんはそれからも、私と字の練習をしてくれました。
彼女の字は、最初のそれとは似ても似つかない、整った字になっていきました。
「最近さ、ちょい自信付いて来たんだよね」
ある時、彼女はそう言って、日本史のノートを見せてくれました。
最初の数ページは、かつての歪んだ字で殴り書きされていただけのノート。
けれどページをめくる毎に、字は本来の姿を取り戻し、板書は正確になり……やがてはマーカーや簡単な絵によって、注釈さえ付け加えられるようになっているではないですか。
「美山さんのおかげでさ、字ぃ綺麗になったじゃん? それが嬉しくてさ」
綺麗な字を見るのが楽しいから、ノートを取るようになった。
すると今度はそこに工夫を施したくなってきた……ということらしいです。
その成果は、次のテストですぐに現れました。
それまで成績の下位をさまよっていた彼女は、一気に上の下くらいまで点数を上げてきたのです。
流石に英語や数学はそうもいきませんでしたが、それらも、以前の成績と比べればずっと良いものになっていました。
それは全て私のおかげだ、と淀川さんは言うのです。
あんがとね、と嬉し気に語る彼女に、私はそんなことないよと謙遜しながら、内心鼻の高い思いでした。
……けれど同時に。焦りも覚えていました。
私が誇れることと言えば、人一倍勤勉な事だけ。
字の綺麗さもそこに含まれています。
その他のこと……身体能力であるだとか、交友関係であるだとかについては、てんでダメでした。
だからこそ、それらの能力を持つ淀川さんを、私は格上だと認識をしていたのです。
そんな中で。
唯一彼女より上であった字の綺麗さを。成績を。教師からの評価を。
淀川さんは、手に入れ始めている。
どうしよう、と思いました。
このままでは、用済みになるどころではない。
今この関係が無くなってしまえば、私は淀川さんに対して、何一つ勝てはしないのではないか。
自分が、無価値な石ころみたいな存在になってしまうのではないか。
……やはり、この関係は出来るだけ続けないといけない。
私は以前にも増して思うようになりました。
でも淀川さんは、違いました。
既に気付いていたのでしょう。字が上達していることに。
放課後の時間はぽつ、ぽつと少なくなっていきました。
用事があるから。トモダチと遊ぶから。ごめんね、と言って、断られるようになりました。
なんなら美山さんも来る、と聞かれましたけど、私は首を振りました。
彼女の友人たちと私は、きっと話が合わないだろうから。
そして一人で家路に着きながら、思うのです。
あぁ、もう、ダメかもしれない。
そんな折に、彼女はもう一度宣言しました。
「もう、ラブレター出すね」
それは相談ではなく、決定でした。
自分の気持ちに早くケリをつけたいのだと。
先輩が忙しくなってしまう前に、はっきりさせたいのだと。
「まだ字はちょっと不安だけどさ。少しくらい歪んでた方が、あたしらしいのかなって思うし。……大事なのは、気持ちだよねって」
そんな正論をはっきりと言われて、私はもう引き留めることは出来ませんでした。
頑張ってね、と、思ってもいないのに口にして。
いつ出すの、と私は尋ねました。
聞いた時は、特に何も考えていなかったのです。
ただ家に帰って、ベッドの中で、淀川さんの事を思い浮かべる内に、ある計画が、私の中に立ち上がって来たのです。
そうだ。
手紙を、盗もう。
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