リリィの森の箱庭

柏華きこり

Prologue

 少女の目の前には、大きな洋館があった。

 決して派手ではないけれど、広場には上品な噴水。四季を彩るあらゆる草木。中央には清らかな乙女の像が、美しい胸に大きな錠を抱いている。


 正門から続くれんが畳の道の脇には、慎ましやかな花が微笑んでいた。少女は何かにいざなわれるように、その道をふわふわと歩いていく。


 ふと、少女の背中を優しい風が撫でる。鬱蒼とした木々を吹きぬける冷たい風とは違う、あたたかく包み込むような風。それは新たな少女の訪れを、穏やかに祝福しているようで。


『テトラ……テトラ』


 聞き覚えのない言葉が、風に乗って聴こえてくる。その響きは、母が我が子を呼ぶ声に似ていた。少女はなぜだか懐かしくなって、声のする方、後ろをそっと振り返る。

 優しい声の主は、そこにいた。


『テトラ……貴女の名はテトラ。ここは、貴女達のための箱庭』


 風はすべて、声の主――彼女のために吹いていた。背後に深い、深い森を従えて。

 その木々のように穏やかに、ゆったりとなびく緑色の髪が、少女の瞳をとらえて離さない。


『貴女の過去はここにはない。貴女はここで生まれ、ここで生きていくのだから』


――そう、私の名前はテトラ。きっと、私はもうテトラなんだ。


 少女の心の片隅にあった過去の記憶が、早朝の夢のように淡く薄れてゆく。


『ここには全てがある。美味しい料理、可憐なドレス、立派なお屋敷……そして、永遠の命。ただし、ひとつだけ……貴女が最も望んでいる“何か”、それ以外の全てがここにある』


――私はどこから来て、どこに帰るのだろう。

 わからない。けれど、何となくわかっていた。


『ここにいる少女はみな、その“何か”を求めるために生きている。ある者は愛を、ある者は、幸福を、知識を、あるいは自分自身を』


 だんだんと、思考が緩やかに溶けていく。何も知らないまま、何も知らされないまま、少女はここで生きていくのだ。それだけが頭に残って、余計なことは何も考えられなくなる。


『行きなさい、テトラ。貴女が望むべきものがきっと見つかるわ――箱庭が、貴女を祝福しているのだから』


 このとき、少女は――テトラは、

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リリィの森の箱庭 柏華きこり @c_toboy

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