第61話 収束への道



 ――Side 幸希



「ユキ!! 痛(いだ)ぁあっ!!」」


「ただいま戻りましたっ、カインさんっ!!」


 災厄の闇を突き破り、外に飛び出せたのは良かったのだけど……、あ。

 両手を広げて待ち構えていたカインさんの顎に私の頭がクリティカルヒットし、残念な悲鳴が響き渡る。

 

「ご、ごめんなさい、カインさん……っ。まさか、カインさんの真下に出るとは思わなくて」


「俺も予想外だったわ!! くそぉ、せっかくサポートしに来てやったつーのに……、うぅ、痛ぇ」


 赤くなった顎を擦りながら文句を言ってくるカインさんだけど、本当に駆け付けてくれて助かった。

 カインさん、もとい、レガフィオールという存在は、私と一緒に生まれ、『あの場所』から送り出された存在で、本来の役目は、私のサポート。

 レガフィオール自身にも災厄や種を浄化し、在るべき姿に導く力が備わっているけれど、その役目は私が、セレネフィオーラが主に担当し、彼は害のなくなった孵化後のそれを導く役目を主に担っている。

 だから、『対』というか、『仕事上のパートナー』というのが、実際の私達の関係性だったのだ。

 ……って、今はそれよりも。

 私はどさくさに紛れて「傷を癒せ」と言いながら抱き着いて来ようとするカインさんをべしっと押しのけ、向き合うべき存在に視線を――。


「ユキちゃあああああああああああああああああんっ!!!!!!!」


「きゃぁああっ!!」


 向かうべき視線は大きな影に覆いつくされ、むぎゅぅううううううう!! と、渾身の力で私は抱き締められてしまった!! ちょっ、だ、誰かはわかってるけど、く、苦しいですよ!!

 叔父であり、兄であるレイフィード叔父さんの、多分感激と安堵の抱擁に締め上げられながら、私はギブギブッと広い背中を叩いて訴える。まだ何も終わってませんから、これは後にしてぇえええええっ!!


「あんまり過保護もいけないかなぁって思って、限界まで耐えて見守ってたら、ユキちゃん、急に災厄へ向かって飛び込んで行くし、災厄に呑まれちゃうしっ、うぅうっ、うううううううっ!! 僕がどれだけ心配したかぁあああああっ!!」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!!!!! 約束を破ってごめんなさいぃいいっ!! 帰ったらいっぱい謝りますからっ、アレクさんとルイヴェルさんに酷い事だけはぁあああっ!!」


「駄目だよ!! 絶対に危ない事はしないって、僕と約束したじゃないか!! アレクとルイヴェルは後で公開処刑だよ!! お尻丸出しにさせて、お尻全力ペンペンの刑だよ!! 皆に見られて笑われちゃえばいいんだっ!!」


「なんて恐ろしい事を言ってるんですかあああああっ!! ――痛っ!!」


「ごふっ!!」


 レイフィード叔父さんと、絶対に何かがおかしいとしか思えない押し問答を繰り広げていると、二人同時にゴンッ! と、拳骨を頂いてしまった。

 私とレイフィード叔父さんが頭を押さえながら振り向くと、そこには優しさ成分一切なしの……。


「お、お父様……っ」


「ぐっ……、うぐぐっ、父さん……っ」


 来てはいけないはずの一の神兄様が、何故ここにっ!?

 いつも強気に、というか、冷ややかにお父様へと嫌味をぶつけているレイフィード叔父さんだけど、今の一撃は効いたようだ。勿論、私も同じく痛い。主に情けなさで心が。

 叔父と姪、いや、兄と妹揃って両手を絡ませ合い、カタカタと震え出す。

 普段、大らかで優しい神(ひと)だからこそ、――本気でお怒りになった瞬間が物凄く怖い!!


「兄妹喧嘩を出来るような状況か?」


「「い、いえ……っ!!」」


「セレネフィオーラとレガフィオールの器はいまだ災厄に支配されたままだ。アレクも、原初の災厄とやらを仕込まれ、危機的状況にある事は変わらん。――ならば、お前達の成すべき事はなんだ?」


 はい、御尤もです!!

 突然の状況が重なり、誰も動けずにいた現場に、別の意味で緊張が走る!!

 

「れ、レイシュお兄様! 私は災厄を浄化しますのでっ、あ、アレクさんの事をよろしくお願いしますっデスっ、ですっ!!」


「わ、わかったよ!! ユキちゃんっ!! は、ははっ、お、お兄ちゃん、ぜ、全力で頑張ってクルヨ~!!」


 どこからどう見ても、残念なわざとらしい演技テイストで、風の如く去って行ったレイフィード叔父さん……。 いや、風なんてそんな軽やかなものじゃない。雷雲と豪雨を一身に受けまくる地獄を背負った逃亡者。

 私達だけでなく、その恐怖を体感中の全員が大慌てで動き出す。

 

「後が怖ぇなぁ……、ソル。フェルのおっさんから叩かれるぜ? 尻(ケツ)」


「状況が劇的に変わったというのに、じっとしていられると思うか?」


「展開が楽になったわけじゃねぇけどな……。行くぞ、ユキ」


「は、はいっ」


 私へと右手を差し伸べたカインさんの表情は、形勢逆転の上に成り立つ優位的なものじゃない。

 私達は、同じ瞬間に生まれ、大切な役目を果たす為に『対』として共に歩んでいくパートナーとして定められた存在。私はそのぬくもりに手を重ね、不安を押し隠しながら、しっかりと頷いてみせる。

 セレネフィオーラとレガフィオールの器を支配している災厄を浄化し、在るべき姿に導く。

 そして、アレクさんと、ユスティアード君の魂を侵食している災厄を打ち払う。

 明確な目的は簡潔に提示されている。私はカインさんと共に固く手を握り合った後、そのぬくもりを感じながら、セレネフィオーラの器の前に立ちはだかる。


「もう、貴女の望み通りになる事はない。私は、破滅を作り出す邪神には堕ちない」


『ぐっ……。何故、何故……っ!! 『外』からの干渉は不可能だったはずなのにっ!!』


 災厄が悔しそうに呻くその言葉の意味。

『外』とは、エリュセードの外に広がる時空の海、ではなく、さらにその外側。

 数多の時空が集まっている、『天空』と呼ばれる空間の事。

 私とカインさんが一緒に生まれ、沢山の仲間達と過ごした、懐かしい最初の故郷。

 時空が生まれる度に、私とカインさんのような、パートナーとして共に生まれた二人がその時空に向かって旅立つ。その時空にいずれ生まれ来る、『種』を『幸いなる存在』として導く為に。

 そうやって、『種』を害なき存在に変化させる力を持った二人が役目を果たすお陰で、その時空は破滅の危機とは無縁でいられる。だけど……、私とカインさんの場合は、ケースが違っていた。

 全てを思い出し、自分達を浄化し、変化させる力を揮えるようになった私に怯えている災厄。

 あれは、私が役割を思い出せなかったが為に生み出してしまった、『絶望』の化身。

 イレギュラーという、予測不可能が事態が重なり続けたせいで、もう……、ギリギリのところまで来ている。


「貴女達が希望と絶望の面をどちらも持っているように、私もこの神性を狂わせてしまえば、絶望に堕ちてしまう。だけど、寸でのところで……、皆のお陰で、堕ちずに済んだ。今度は、貴女達の狂った運命を正します。誰かに厭われる生ではなく、皆に望まれ、『幸い』として迎えられるように」


『いらない、……わっ。そんな運命っ、私達は望んでいないっ!! 私達は、お母様が黒に染まってくれれば、ずっと、一緒にいてくれればっ』


「それは、災厄として孵化してしまったが為に生じた、絶望の化身としての考え。『幸い』として生まれ変わっても、貴女達は消えない。貴女達は、この時空を巡る希望の化身となって、幸せになれる」


「どう悪足掻きしようと、これはお前達が望んだ縁ってやつだからな。大人しくしとけば、少しは楽に終わるぜ?」


『いやっ!! いやぁああああっ!! 私達が欲しいのは、白に染まったお母様じゃないっ!! 何もかもに絶望し、心さえも壊した、歪(いびつ)な力を抱くお母様なのよっ!!』


 是が非でも抗う意志を力に変え、災厄が私達に向かって攻撃の手を放ってくる。

 だけど、その攻撃は無意味だ。私が瞼を閉じ、身の内から溢れさせた浄化の光がセレネフィオーラの中にいる災厄を引き摺り出し、逃げ場を断ち、包み込んでいく。

 そして、浄化の光を受けながら叫び声を上げる災厄に向かってカインさんが右手を伸ばし、はじまりの世界では存在しなかった、『外側』で教わった詠唱の音を紡いでいく。

 私の補佐をしてくれるカインさんのもうひとつの役割。

 それは、私が拘束し、浄化の光を以って閉じ込めた災厄を、最初の『種』の状態に戻すというもの。

 黒紫銀の光が徐々に悲鳴と共に鎮まっていき、カインさんの手のひらに、ころんと、ひとつの種が納まった。

 種に戻す力は、実は私にもある。だけど、これは他のパートナー達にも言える事なのだけど、お互いを補い合うように生まれてきた為か、必ず、どちらにも苦手分野というものが存在するのだ。

 私は浄化などの類が得意だけど、一度災厄化した存在を術で分解し、種に戻す複雑な作業は苦手。

 一方、カインさんは反対に私の苦手な事が得意で、私の得意な事がちょっと苦手、と。

『天空』と呼ばれていた場所で何度も練習していたけど、もうこれは生まれつきだと、あの頃にお互い諦めている。


「ひとつ、回収ですね」


「あぁ」


 種とは言っても、その形は手のひらにおさまる程度の大きさで、宝石のような煌めきを放っている。

 これを私の中に取り込んで、正しい手段で孵化させれば、『幸い』を運ぶ世界の一部となる、のだけど……。

 これをひとつ回収した程度で、エリュセードの危機が、この時空を蝕む脅威が去る事はない。

 

「はぁ、さっさと俺の器に居座ってるクソ野郎も引き摺り出すぞ」


「はい。速攻で片を着けましょう」


 私達は頷き合い、ルディーさん達に取り囲まれているもう一人の災厄とアレクさんの許に降り立つと、災厄に対象を定め、さっきそうしたように種へと戻す為の手順を踏み始めた。

 だけど、私の発する浄化の光がレガフィオールの器に届く寸前、――強大な力を纏った雷撃が飛来した。

 まるで、北欧神話のトール神が揮う力の如く、空を、大地を震わせた雷槌を思わせる一撃。

 その力の余波に吹き飛ばされかけた私達が体勢を立て直そうとすると、さらに、狙いを定めた連撃があちらこちらに振り下ろされてきた。


「くっ!!」


「ユキっ、手ぇ離すなよ!!」


「はいっ!!」


 これでは浄化と種へ戻す一連の作業が出来ないどころか、私達以外にも被害を出してしまうかもしれない。


「ユキ、カイン。こちらは俺達に任せておけ。お前達はあの災厄を、レガフィオールの災厄を逃がすな。他の者達はアレクを回収しろ!! いいか? 手段は選ぶな。生きていればそれでいい!!」


 お父様、レヴェリィ様、フォルメリィ様。

 三人の偉大なる神々がそれぞれに散らばりながら、空へと向かってゆく。

 一度は晴れたはずの、星々のキャンパスを塗り潰す、曇天の世界へと。

 私とカインさんもすぐに災厄の位置を把握し直し、さっきの一撃で引き離さってしまった距離を取り返す為に急ぐ。だけど、エリュセードの外から放たれてくる色濃い災厄の力は、私達を狙って魔の手を伸ばしてくる。

 私はその攻撃をかわしながら、一度だけアレクさんの姿を探した。

 原初の災厄……。永い時をかけ、滅びたはじまりの世界で密度を高められた呪い同然の種。

 災厄は、自分達自身の意思で進化を始めていた。

 アレクさんを保護して、それから念入りに調べてみないとわからないけれど……。

 

「アレクさん……っ」


 ルディーさん達を相手に激しい抵抗を見せているアレクさんを瞳に映し、その身が傷付いていく姿に私の心が血の涙を流す。必要な事だと、納得は出来ても、平気ではいられない。

 アレクさん……、アレクさん……っ!! 必ず、必ず、助けますから!! この手でっ。


「ユキ!! 余所見すんなぁっ!!」


「――ッ!!」


 戦闘の様子を見ていられなくて、逃げる先を求めて逸らした視線。

 カインさんが叫ぶ声で我に返り、自分達の頭上に悪寒を感じた直後、新たな禍々しき災厄の一撃がまっすぐに私達へと襲いかかってきた!! ――だけど。


「間に合った、かな……? くっ、……最後の、最後まで、俺の出番がなかったらどうしよーって、ふふ、ちょっと焦りながら来ちゃったよ」


「さ、サージェス……、サージェスさんっ!?」


「サージェス!!」


 巨大な雷槌の一撃を一振りの剣で受け止め、私達を守ってくれたサージェスさん。

 彼もまた、異界よりこのエリュセードの地に降りた神の一人。

 サージェスさんの剣からは、お父様の力の気配がする。

 原初の神より借り受けた力を以って災厄の力に抗ったその身は、全てを受けきれたわけではなく……。


「サージェスさんっ!! 逃げてっ!! 逃げてください!! 私達なら大丈夫ですからっ!!」


「えー……。それじゃ、……こほっ、俺の出番、本当に、……ぅっ、……なくなっちゃうよ?」


 その一撃で終わるわけがないと予想した通り、お父様達の迎撃から逃げおおせた攻撃がこちらへと飛んでくる。

 サージェスさんは一撃目で身体に大きな傷を負い、左肩部分から背中にかけて服が裂けてしまい、直視するには酷過ぎる、黒ずんだ禍々しい痕を残す羽目になっていた。

 災厄の力を受けてしまった以上、魂への負傷も避けられない。

 だけど、サージェスさんは自分の傷を治す素振りさえ見せず、私達が前に出ようとするのさえ拒んだ。

 隙を逃さずまたもう一撃が放たれてくると、それに向かって神の力を付加した剣を揮い、真っ向から挑んでしまう。


「カインさん、サージェスさんをっ!!」


「言ってる場合じゃねぇぞっ!! 避けろ!!」


「あっ!!」


 魔の手は一方向からだけじゃない。

 常に四方八方から、私達は狙われている。

 サージェスさんを助けに入ろうにも、今の状態じゃ……。


「いいから、……行っておいで。ユキちゃん、皇子君。阻むだけなら、俺でも出来るみたいだし……、多少の怪我は日常茶飯事だしね。そっちも、すぐに俺が引き受けるから、一気にケリを着けて。頼むよ」


「サージェスさん……っ。わかりました、すぐに、すぐに戻ります!!」


「うん。そのかわり、後でご褒美に膝枕してくれると嬉しいなー」


「します!! 幾らでもしますからっ、絶対、絶対、待っててください!!」


「ふふ、楽しみに、待ってる。行ってらっしゃい、二人とも」


 私が気を逸らしたせいで、また大事な人を危険に晒してしまった。

 大事な時に、何をやってるの、私は!!

 カインさんと繋いでいない方の手で自分の頬を思いっきり強く叩き、私は宙を蹴った。

 ――そして。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「はぁ、……はぁ、はぁ。……ぅっ」


「大丈夫か? ユキ」


「は、はい……。カインさん、種は」


 レガフィオールの器を支配していた災厄と対峙し、押し負けそうになりながらも、事態を収束させる事が出来た。元に戻した種はカインさんの手からその胸の中心へと吸い込まれていき、利用されていた器はセレネフィオーラと同じく、無事に回収され……。

 エリュセードの外から攻撃を仕掛けていた災厄の気配は、群れる雲間の向こうから急速に後退していった。

 

「退いたか……」


「なんか、意味わかんない内に、一応は……、形勢逆転しちゃったわけだけど、……ねぇ、ソル兄様」


「なんだ?」


 曇天が神々の光によって晴れ間へと変わりゆく中、少年の姿に戻っていたレヴェリィ様がお父様の横に並び、ちらりとその複雑そうな顔を見上げた。

 フォルメリィ様も、レガフィオールの器を腕に抱きながら、レヴェリィ様とは反対の方に降り立つ。


「「視えた?」」


「十二神の全員が、『あれ』を視ただろうな……。神殿に戻り次第、現状を正しく把握する為、十二神と、一部の神々を集める。サボるなよ?」


「「りょ~かい」」


 ピクピク……。

 少し離れた場所でレイフィード叔父さんに号泣と共に抱き締められていた私は、こっそりとそちら側の会話に耳を澄ませていた。

『視えた?』という、お二人の問いの意味……。

『天空』からの干渉が起きた時から、それとも、私が……、『先生』の声に支えられ、本来の自分の役目を思い出した時からか……。どちらにしても、『あれ』が『視えて』しまった可能性は高い。

 

「ユキちゃぁああああああんっ!! ユキちゃぁああああああああああああんっ!!」


「あ~、……はいはい。私なら大丈夫ですからね、レイシュお兄様」


「怪我ぁっ!! いっぱい、いっぱい、き、傷が、傷がっ、傷が出来てるじゃないかぁあああっ!!」


「このくらい何ともありません。それよりも、サージェスさんの怪我の方が大変なんですからね」


「あー、俺なら大丈夫だよー、ユキちゃん。痛たたたたっ! 皇子くーん……、ちょっと痛いよ、それ」


「うるせぇよ。ったく、……悪かったな。余計な手間、掛けさせちまって」


 災厄が去った後、地上に降りた私達は二手に分かれた。軽症の神々は街中で傷付き倒れている達の治療や保護。それから、残っている魔物の浄化など。重症に近い傷を負った神々は、即治療。

 私達は、神々の治療にまわったのだけど、……はぁ、レイフィード叔父さんこと、レイシュお兄様の、この動揺。そりゃあ、結構散々な状態になってますけど、別に重症じゃないんですよ~?

 カインさんから手当てを受けているサージェスさんは、結局あれから何度も災厄の攻撃を受け、もう上半身の服がほぼ焼け焦げて、真っ黒状態。すぐに浄化と治療を受けているから、服以外は元通りになると思うのだけど……。問題は、これから。

 セレネフィオーラ、レガフィオール、そして、アレクさんの身体は、一足先に、十二神の皆様が待機している大神殿へと送られた。私達も一段落ついたらすぐに後を追う予定だけど……。

 

「あれは……」


 ルディーさんが肩を貸し、ゆっくりとこちらに向かって連れてきた、一人の青年。

 カインさんとよく似た容姿のその人は、満身創痍どころか、もう死にかけの体(てい)と言ってもいいくらいに傷付いていた。


「ソル様~、一応回収してきましたけど……、『器』の方がもう持ちそうにないですよ、こいつ」


 アレクさんの、アヴェルオード様の息子であるアヴェル君、いえ、ユスティアード君と共に永く共に在った、その仲間であり、家族のような存在。

 彼の名か、それとも愛称なのか、アリューという音を持つその人は、もう自分で動く力すら残っていないようだ。私にもわかる……。偽りの器がもうすぐ、砕け散る瞬間が近いことを……。

 街の様子を見ながら佇んでいたお父様が振り返り、その場にアリューさんを横たえさせる。


「お父様、治療を……」


「いらん。……遙か古のイリューヴェルの地にて、王族としての生を受けし魂よ。俺が『誰か』わかるか?」


「……か、はっ。……はぁ、はぁ、……お前、は」


 無機質な石の地面に背中を預けながら、アリューさんは覗き込んできたお父様をじっと凝視する。

 目の前にいるのが、原初の神、とはわからなくても、その身から滲み出る神気には只ならぬものを感じる事だろう。だけど、お父様の質問の意図は違う気がする。

 

「なん、で……、お前、が……。……ぐ、ぅぅっ、……はぁ、はぁ、……そういう、事、か」


「アリュー……、さん?」


「はぁ、……う、ぐっ、……笑えねぇ冗談、だ。通りで……、はっ、……ははっ。……なぁ、偉大なる神様、昔の、……貸し、を、……返す、気、で……、たの、む」


 器の限界は、もう近い。

 だけど、アリューさんは自分の辛い状態よりも、別の何かを気にするかのように真紅の瞳を険し気に細め、お父様の胸元の衣に縋りついた。


「頼む……っ! アヴェル、を……、お姫、を、俺達の、家族、を……、どうか、ぐっ!!」


「力を尽くそう。安心して、眠れ……。――」


 アリューさんをその腕に抱き、お父様がその耳に小さく何かを囁く。

 それは、親愛を抱く抱擁……。

 もしかしたら、お父様がイリューヴェル皇家の血筋に生まれ変わる事を繰り返していたどこかの時代で、アリューさんはあの人の家族だったのかもしれない。

 アリューさんも、お父様の柔らかな笑みに、ほっとしたかのような安堵の笑みを零し……。

 その器に大きな亀裂が走り始めた後、光に包まれて消えてしまった。

 残ったのは、アリューさんの魂がひとつ。災厄の力に侵食され続けてきた結果、当然だけど、その輝きは濁り、酷く弱った状態に堕ちていた。

 お父様がその魂を自分の手のひらに掬い上げ、また、小さく何かを囁くと、私に向けてその手を差し出してきた。


「後で、浄化を頼む。済み次第、また俺の許に戻してくれ」


「お父様……、はい。確かに、お預かりしました」


 私の中へと吸い込まれていくアリューさんの魂を、お父様は少しだけ寂しそうな表情で見送っていた。

 マリディヴィアンナの魂も回収されたと聞いているから、これで……、全部。

 ユスティアード君に従っていた、家族と言っても支障のない人達の魂を回収する事が出来た。

 だけど、ヴァルドナーツさんの魂だけが……、今も、どこに在るのか、わからないままだ。

 それに、……『私の中に居なくてはいけない存在』もまた、所在不明のままだった。

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