第14話 現実への帰還と、これから……。

 ――Side 幸希


「――無事に目覚めたようだな? ユキ」


「……」


 自分の内側から現実世界へと戻り、パチッと瞼を開けた私の視界に飛び込んできたのは、恐ろしい程に感情が掻き消えた美貌。

 冷ややかに落ちた声音に答える勇気もなく、私は人形のように固まって冷や汗を流している。

 ちらり……、右に視線を動かせば、『獅貴花』の女神が申し訳なさそうな顔でペコペコと頭を下げていた。他には……、とりあえず、向こうに誰かがいる気配があるけれど、見えているのは二人だけ。そして、その二人ともが、――神。

 

「お、おはよう……、ござい、ます」


『姫様! 姫様!! ご無事にお目覚めになられて良うございました~!!』


 いえ、お目覚めになられて、というか、強制的に叩き起こされた、が正しいような。

 怖いのを我慢して左に視線をずらせば、……うわぁ、無言で睨んでるブリザード級の美貌がっ。

 それが、ウォルヴァンシアの王宮医師、ルイヴェルさんである事はわかっている。

 でも、……同じ存在でありながら、恐らくは私のせいで『覚醒』を強いられた人。

 アレクさんだけでなく、今度はルイヴェルさんまで……。

 出来れば、その生を終えて天上に還るまでそっとしておきたかったのに。


「すみません……、ルイヴェルさん」


「別に謝る必要はない。俺は、お前の主治医として責任を果たしただけだからな」


 と言いながら、顔は全然笑っていないどころか、冷気がパワーアップしている気がする。

 これは絶対に怒っている……、心の底から、無茶をした私を遠回しに責めまくっているのだ。

 私はもぞりと右に身体を捩ると、『獅貴花』の女神に助けを求める眼差しを送った。

 しかし、ぷるぷると恐怖に震える可憐な美貌に涙を零しながら『無理です~!』と裏切られてしまう。その気持ちは十分にわかる。だって私も今の状況が怖すぎるから!!


「キャンディ~……!」


 あれ、どこからか怯えきった声が私の名前のひとつを呼んでいる。

 それは徐々に近くなり、『獅貴花』の女神の傍へと涙でグチャグチャになっている顔で現れた親友が、私の右手を持ち上げて握り締めた。レアンティーヌだ。


「レアン……」


「うぅっ、心配したよ~っ、キャンディ~!! 本当は傍に付いてたかったけど、なんか寄り付けない気配がビシバシ発生しててさ~!! でも、でもっ、無事に目が覚めて良かった~!!」


「れ、レアンっ、うっ、く、苦しいぃ~!!」


 私の首に縋り付いて泣きじゃくるレアンに吃驚しながら呻いていると、横からまた冷たい音が一言。


「レアンティーヌ殿下、我が国の王兄姫殿下がまた死の淵に戻りかねないのですが?」


「え? あああっ、ご、ごめん!! キャンディ、大丈夫!?」


 ルイヴェルさんからの注意で身体を離したレアンが、涙の溢れる目元を擦って私を気遣ってくれる。確かに吃驚はしたけれど、彼女がここにいてくれて良かった。

 しっかりと手を握り締めてくれる親友に微笑みかけ、私は大切な事を伝える。

 レアンの中で眠っている、もう一人の彼女へ。


「ヴァルドナーツさんは、貴女の愛した人は、ようやく……、解放と、償いの道を、手に入れられそうです。だから……、もう、苦しまないで、ください。レフェナさん」


「キャンディ……? うっ、……アタシ、は」


 自分ではない、魂を同じくする誰かの気配を感じたのか、レアンが小さく呻いた直後に倒れ込みそうになってしまう。それをルイヴェルさんが片腕で抱き留め、彼女が再び瞼を開くのと同時に手を離した。レアンティーヌではなく、ヴァルドナーツさんがかつて愛した女性、そして、今も愛し続けている、レフェナさんが表に現れる。

 止まりかけていた涙が、再びその頬を伝い落ちた。


「ヴァル……、ヴァル……っ、本当、に……?」


「はい……。浄化が終わったら、貴女と話をする事も出来ると思います」


「ヴァル……、うぅっ、……あぁ、ヴァルっ、良かったぁっ」


 少女の面差しに、レフェナさんの喜びが満ちていく。

 愛する人をその手で葬り、その遺体を王宮の地下深くに隠しながら罪を抱え生き続けた人。

 その時代の命が終わっても、魂はレフェナさんの記憶と後悔を抱き、巡り続けていた。

 いつか、もう一度ヴァルドナーツさんの魂と再会し、やり直す為に……。

 

「ごめん、ごめんなさい……っ、ヴァル! アタシ、あんな止め方しか出来なくてっ」


『当時、ディオノアードの欠片のせいで歪んでしまったヴァルは、次々と禁じられた魔術に執着を向け、獅貴族の貴族や権力者達から危険視されるようになっていました……。囚人を金銭で買い取り、その命を実験に使うなど……、彼の本質は災厄の影響により手の付けられない状態に』


 胸を押さえ嗚咽を殺しながら涙を零すレフェナさんの背中を撫で、『獅貴族』の女神は遠い昔の事を話してくれた。災厄の欠片を貸し与えたせいで破滅の道を歩ませてしまった事、ヴァルドナーツさんの狂気と行っている実験の得体の知れなさや不気味な不穏さを放置しておけないと判断した一部の人達が、暗殺を企てていた事……。

 それを危惧していたからこそ、レフェナさんは彼を説得し続けていた。

 けれど、その願いは叶わず……、最後に彼女が選んだのは、自分の手でヴァルドナーツさんの命を奪う事。他の誰でもなく、彼を深く愛し、愛された、その手で……。


「ヴァルを殺した時の感触も、狂声を上げながら死んでいった姿も、全部……、全部、覚えてるんだっ。愛してたのに、アタシを救ってくれたヴァルを、アタシは救えなかったっ」


 そして、レフェナさんはヴァルドナーツさんの命を奪った後、彼の親友だった人と一緒にその遺体を王宮の地下深くに運んだ。

 ヴァルドナーツさんが死んでも、その存在を脅威と考える人達の要求は止まらなかった。

 大罪人の遺体を寄越せ! その躯を八つ裂きにし、首を斬り落とし、堕ちた魂が二度と生まれ変われぬように封印せよ!!

 その言葉に、レフェナさんが従う事はなかった……。

 どんなに過酷な尋問を受けても、ヴァルドナーツさんの身体は禁じられた魔術に手を出した報いの為か、殺害時に砂となり消滅。

 そう言い張って真実を隠したレフェナさんへの追及は、やがて時の流れと共に消えていった。


「レフェナさん……、ヴァルドナーツさんの、昔の肉体が腐らずに遺っていたのは、貴女の手による影響ですね?」


 座って話をしたいと思い、私はルイヴェルさんに支えられて上半身を起こした。

 何千年も前の死を迎えたはずの遺体が地下にあった事、それは腐る事も形を損なう事もなく、ヴァルドナーツさんによって使用された事実。

 普通ならばあり得ない話。けれど、ある術(すべ)を使えば可能となる話。

 

「うん……。ヴァルを殺しても、アタシは我儘な自分を抑えられなかったんだ。もう目を開けてくれなくても、彼に会いたい、傍にいたい……。その身勝手な思いが」


「新たな禁呪を迎える原因となった……、そういうわけだな?」


 ルイヴェルさんが感情の籠らない瞳を細めて確認すると、レフェナさんは辛そうに頷いてみせた。

 ヴァルドナーツさんの妻である自分と、彼の親友だった人以外に秘密が暴かれないように、地下のある場所を秘密の褥としたレフェナさん。

 彼女は、愛する夫の肉体の傷を修復し、生前と変わらぬ姿に戻した後、禁呪に手を出した。

 ヴァルドナーツさんの存在が消える事のないように、いつでも会えるように、肉体が滅びない為の術を……。

 普通の魔術でも可能ではある。けれど、途方もなく長い時間……、たとえば、愛する人をそのままの姿で留めたいと思っていたのなら、禁呪を使うのが効果的だろう。

 

「アタシは、ヴァルみたいに強大な魔力なんてなかったから……、禁呪を使った後、そんなに長くは生きられなかった。けど、誰にも邪魔されずにヴァルと会える地下は、アタシにとって楽園で……」


 悪い事だと、禁じられた事だとわかっていても、彼女はそれを望んでしまった……。

 愛していたから、……深く、深く。それは幸せな事でもあり、また、毒に侵された哀れな存在でもあった。

 『お母様』と同じ、愛故に苦しみ、その果てに悲劇の犠牲となった人達。


「レフェナさん……、もう、泣かないでください。ヴァルドナーツさんは、きっと……、貴女の笑顔を見たいと、そう、願っていると思います」


 スカートのポケットから薄桃色のハンカチを取り出し手渡すと、レフェナさんはそれに顔を埋めて小さく「うん……、ありがとう」と、涙の滲む音を零した。

 彼女がヴァルドナーツさんと話せる日はもう少し先だけど、これでもう、彼女の魂が絶望の悲鳴を上げる事はない。……ひとつ、役目を果たせた気がする。

 安心したのか、その後、レフェナさんは再びレアンの中で眠りへと就き、『獅貴花』の女神の腕の中へと彼女の身体は傾いた。


「そういえば、どうしてルイヴェルさんがここに? アレクさんは……」


「今は表に出ている。カインも一緒だ。すぐに事態の収束を果たすだろうが……、それよりも」


 ぎろり……。はい、わかってます。お説教のお時間ですね? 先生っ。

 深緑を抱くはずの眼鏡の奥の双眸の片方、アメジストの輝きを宿しているそれを見つめながら、私はその腕の中でゴクリと喉を鳴らす。

 ルイヴェルさんは、確かに神としての覚醒を果たしている。

 この人が『誰』なのか、わかってはいるけれど……、前の音を呼ぶ勇気は、まだ、ない。

 

「す、すみませんっ。ちょっとまた具合がっ」


「現実逃避か? 別に寝ていても構わないが、まだ仕事が残っているからな……。俺は一度ここを離れる。『前回』と今回の件に関する説教は、ウォルヴァンシアに戻り次第 存分に味わわせてやるから覚悟をしておけ」


 それはつまり、天上でのあの時の事と、今回の勝手な行動に対する溜めに溜めたお怒りを爆発させるという事ですね? 全く笑っていない双眸に脅された私は、喉の奥で小さな悲鳴を上げた。

 けれど、今はそれよりも、残っているもうひとつの仕事の方が最優先事項になるだろう。

 意識を研ぎ澄ませ、今感じている気配をさらに強く感じ取る為に、王宮の外へと探りを入れる。

 獅貴族の王都全体を包み込む、不穏の気配……。

 黒銀と紫の淀んだ光が交ざり合った巨大な陣、これは恐らく、ヴァルドナーツさんの遺物。

 その術式に込められた魔力からそう読み取った私は、虚無をもたらすその存在を打ち消そうと神の力を揮うアレクさんの姿を見た。

 ……アレク、さん? 空に身を委ねている蒼銀の光を纏う彼の周囲には、心配そうな顔で傍に控えているサージェスさんとカインさんの姿がある。

 

「ルイヴェルさん……、急ぎましょう。アレクさんが不安定な状態に陥っています」


「そのつもりだが、行くのは俺一人でいい。お前は休んでいろ」


「いえ、大丈夫です。私の中にはヴァルドナーツさんの魂が在りますし、あの陣に関して色々と情報を貰えるでしょうから、一緒に行きます」


『姫様……、ですが、無理をされて御身に何かあっては』


 心優しい女神の言葉に緩く首を振って、私はもう一度ルイヴェルさんの顔を見上げる。

 今のアレクさんがどんな状態なのか、何故、不完全な神として覚醒してしまったのか、それを知っているからこそ、一刻も早く彼の傍に駆けつけたい。

 それに、傍にいる二人のお蔭で、私の身体は予想していたよりも早く回復している。

 これなら、大丈夫。不安と焦りに支配されているアレクさんを助けにいけるはずだ。

 神も地上の民も、その力を揮う際に一番大切な事は、自身という存在を強く抱く事。

 それが不安定になっている今のアレクさんは、発動させている神の陣の効力をいつ失ってもおかしくない。

 二人の神に再度ここに留まるように言い含められても、私は頷かない。

 絶対にアレクさんの許へ行くと我を通した後、ようやく許可を貰えた。


「……わかった。だが、不用意に力を使おうとはするな。今のお前は回復に向かってはいても、無理をすれば元の状態に逆戻りだ。もしも、アレクが神の陣を制御出来ず戦闘不能の状態になった場合は、俺が後を引き受ける。いいな?」


「はいっ」


 今、この獅貴族の王国で覚醒を遂げている神は、アレクさんと『獅貴花』の女神、ルイヴェルさん、私の四人。その中で、今一番頼りになる完全なる神であり、強大な力を持つのは、目の前のこの王宮医師様だ。ヴァルドナーツさんの遺物に関しては、全てお任せして大丈夫。

 私はその言葉にしっかりと頷くと、レアンを『獅貴花』の女神に任せ、王宮の外へと向かい始めた。もう少しだけ、耐えていてください、アレクさん。


 ――必ず、貴方を支えに行きますから。

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