第13話 不穏に向き合う騎士と、魂を癒す王兄姫

※最初は、ウォルヴァンシアの騎士、アレクディースの視点。

 後半は、ヒロイン・幸希の視点で進みます。



 ――Side アレクディース


 獅貴族の王都一帯を徐々に喰らい始めた虚無……。

 その被害を打ち消す為に干渉の術を駆使し、三ヵ国の術師達が奔走している。

 遥か昔の時代に使われていたという獅貴族の古い術式が組み込まれた脅威。

 ディオノアードを象徴する黒銀の光と、恐らくは術者のものである紫の光。

 それは清らかさとは無縁の、淀みと負の妄執を纏いながら王都を脅かしている。

 浄化を含む干渉により抑え込まれているが、発動している根本の陣はいまだ消える事がない。

 

「ヴァルドナーツと同じく、相当にしつこいようだな……」


「おい!! 番犬野郎!! 俺達ばっか働かせてねぇでさっさと動けよな!!」


「今から動く……。少し黙っていろ」


 王都を蝕む巨大な陣の術式を解析し、それを停止させ、完全に存在を消滅させる為に必要な要素は揃え終わった。腰に携えてある愛剣を鞘から引き抜き、薄暗い闇に覆われた場所であっても煌めきを失わないそれを胸の前に据え、刃の先を天上へと向ける。

 地上の民が紡ぐのとは違う、神の音を織り交ぜた詠唱……。

 全身から滲み出す蒼銀の光が剣へとその意志を宿していく。

 遥か昔……、愛する者を失いかけ、災厄の誘惑に堕ちた男の妄執が生み出した術式。

 これが術者の意を受け本当の意味でその力を発揮していたら、事態は今の状況と比べるべくもない恐ろしい光景を生み出していた事だろう。

 そういう意味では……、ユキがヴァルドナーツの魂を取り込んでくれたお蔭、とも言える。

 操者を失っている今の状態ならば、すぐに事は済む。

 

「ユキ……、すぐに終わらせて、お前の許に戻る。だから……、もう少しだけ、待っていてくれ」


 弱々しく伝わってくるのは、地下で必死にディオノアードの災厄に蝕まれた狂気の魂と戦っているユキの鼓動……。『獅貴花』に宿る女神の癒しと、ルイの力できっと回復してくれる。

 そう信じ、俺は剣を前に構える。獅貴族の王都を脅かすこの陣を片付けたら、今度こそ、彼女の傍に。神の力が揺らめく剣を頭上高くに掲げ、最後の一音を紡ぐ。

 剣の先から蒼銀の光が天を貫き、芽吹いた不穏を消し去る為に神の成した術が形となって現れる。

 淀む空気を孕む雲の群れ、俺の頭上高くに現れた蒼銀の巨大な陣。

 この獅貴族の地に染み込み、長い時を経て産声を上げたヴァルドナーツの妄執を消し去る存在。

 地上の民でありながら、己が分不相応な領分に足を踏み入れた者……。

 今日で……、その執苦も終焉を迎える事だろう。

 愛する者を救う為に犯した、ヴァルドナーツの大罪。

 俺がヴァルドナーツの立場であったなら、果たして災厄の誘いを退けられただろうか?

 他に救済の方法などなく、愛する者を救えぬ自身に絶望していたら……。

 考えても意味はない。けれど、誰かを深く愛し、救い上げたその先であの男が迎えた末路。

 ヴァルドナーツは、愛する者の病を退ける事は出来たが、結果的に彼女を永遠に苦しめ続ける業毒の鎖となった……。自分という存在で、最愛の妻を不幸に導いたのだ。

 その事実が、妙に……、生々しく、自分の事のようにも感じられるのは何故か。

 神の力が生み出した陣の光が地上へと雷鳴の如く叩き付けられていく様を眺め下ろしていた俺は、突然頭に奇妙な痛みを覚えた。

 ぐらりと揺らいだ視界と身体。頭の中に浮かんだ……、誰かの姿。

 それは一人ではなく、懐かしい胸の温かさと共に何人もの姿を映し出した。

 しかし、それが誰なのか……、俺には何も思い出せない。

 知っているはずなのに、思い出せない、懐かしいと感じられる者達の姿。

 無意識に愛剣を握っていた右手が感触を失い、別の何かを求めるように前へと伸ばされていく。

 駄目だ……、術を発動している時に他の事に気を取られては。

 そうわかっているのに、頭の痛みは止まず、視界が真っ赤な炎の色で埋め尽くされていく。


「はぁ、……はぁ、くっ」


 ヴァルドナーツの陣を消し去ろうとしていた神の陣が徐々に力を弱め、逆に喰らわれ始めていくのがわかる。早く、早く……、術のコントロールを取り戻さなくては。

 自分の身に降りかかっている正体不明の苦痛と見知らぬ懐かしい者達の姿を振り払おうとするが、全くそれは意味を成さない。挙句の果てには、宙に浮かんでいる力さえバランスが取れなくなり……。


「アレク君!!」


「番犬野郎!!」


 闇が広がる地上へ落ちそうになったその時、俺の腕を誰かが引っ張り上げた。

 

「サージェスティン……、カイン……」


 じっとりと全身を伝う冷たい汗の感触を感じながら瞼を開けば、いつの間にか俺の傍に駆け付けていた二人がこの身を支えてくれていた。

 もう、……頭の中には何も見えない。痛みも、和らいでいる。

 すぐに体勢を立て直し、喰われかけている術式を復活させる為に神の力を詠唱と共に注ぎ込む。


「ったく、何やってんだよ、テメェ」


「皇子君、これ……、ちょっと不味いかもしれないね」


「……大丈夫、だ。ヴァルドナーツの陣を消し去るまでは、もたせる」


 さっき見えたものが何だったのか……。それを考えるのは後回しだ。

 今は、不穏の芽を全て摘み取らなければ、この獅貴族の地も、地下で治療を受けているユキも、危うくなるかもしれない。

 だが、重たい気だるさと息苦しさを覚えたこの身体は、神の陣を操る俺の邪魔をするように意識を霞ませてくる。この国での仕事を終えていないのに、ここで倒れるわけにはいかない。

 今この時も、彼女は……、ユキはヴァルドナーツの魂を救おうと頑張っている。

 

「くっ……! ユキっ」


 ――お前の憂いとなるものは全て、俺がこの手で薙ぎ払う。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side 幸希



「ヴァルドナーツさん……」


 現実から切り離された自身の奥深く……。

 一度意識を失った後、私は魂そのものを凍えさせるかのような気配を感じながら目を覚ました。

 足元や周囲に広がる冷たい氷の世界。けれど、淀んだ黒銀の闇がそこかしこを侵食している。

 そして、私が見上げた先には……。全身が傷だらけの状態で、災厄の茨という名の氷の鎖に囚われたヴァルドナーツさんの姿があった。

 ぐったりとした姿、閉じられている瞼と、死人のような顔色……。

 愛する人を救いたいという願いの為に、ディオノアードの欠片に魅入られた、悲しい存在。

 その魂の大半は、すでに災厄の侵食を受けてしまっている。

 最初に囚われた時間軸から考えれば、……遅いぐらいの侵食率。

 でも、そのお蔭でまだ希望はある。私の中に取り込んだ事で始まった浄化作用が、ヴァルドナーツさんを悲劇の鎖から解き放つ。


「ごめんなさい……」


 目の前の男性は、確かに数多くの人々を傷付け、その命を奪い去った。

 どんな事情があろうと、許される事のない大罪……。

 救ったはずの女性を悲しませ、その手で奪わせた命、災厄の犠牲となった人達の存在。

 もしかしたら、このまま消え去る事が彼にとっての償いなのかもしれない。

 けれど、それではレアンの……、レフェナさんの魂が救われないのだ。

 自分の為に禁を犯した愛おしい伴侶、狂わせてしまったのは自分のせい……。

 彼女の魂は、永遠に消える事のない罪の意識を感じながら苦しんでいる。

 古の時代……、天上の軍神として神々と世界を守っていた『お父様』が滅ばされる事がなければ、悲しみに暮れた『お母様』が災厄の女神になどならなければ。

 私が……、あの時。


『……うっ』


「ヴァルドナーツさん!」


 レフェナさんと同じ、この魂に抱き続けている罪の意識に心を沈ませていた私は、低い呻き声に反応して顔を上げた。虚ろに彷徨うヴァルドナーツさんの双眸が、ゆっくりとこちらに下ろされる。

 私の力で浄化している最中の今なら、本来の彼と話が出来る。

 

『君は……、うっ、俺は……、レフェ、……ナ』


 記憶の混濁が見られる気配。恐らく、二つに分けていた魂を私の中に取り込んだ事で不具合が出ているのだろう。けれど、それも時期に治まる……。

 一体自分が今どんな状況なのか、苦悩の顔と共に瞳を彷徨わせているヴァルドナーツさん。

 彼は、本来の自分に戻る事で……、自身が犯してきた罪業の全てを自覚する事になるだろう。

 それが、どんなに辛く、途方もない苦痛を覚える事になるのか……。

 

『う……、ぐぅっ、はぁ、……ぁ、ああっ、俺、はっ。ああっ、うぁあ、ああああああああああ!!』


 一気に彼の心へと押し寄せた罪の奔流。

 運命を変えた在りし日の瞬間から、今に至るまでの……。

 激しく身を捩り、息を荒く吐き出しながら狂ったように叫び声を上げるヴァルドナーツさんの苦しみを弱める為に、神の力によって救済を与える。

 

『ぐぁっ……、はぁ、はぁ、……けほっ』


 恐ろしい拷問から解放された囚人のように、ヴァルドナーツさんは息を整えようとしながら咳き込む。本来の自分に戻った彼に、急激な罪の意識を受け止めさせるには負担が大きすぎる。

 侵食されている魂を守る為にも、今はそれを緩和させ落ち着かせなくては。

 

「大丈夫ですか、ヴァルドナーツさん」


『君は……。ウォルヴァンシアの……』


 良かった。ちゃんと私の事をわかっているようだ。

 ユキ・ウォルヴァンシア、それは、今を生きている私の名前。

 ヴァルドナーツさんの魂を取り込んで意識を失った後、この世界で目覚めるのと同時に失っていた全ての記憶が確かな形となって戻ってきた。

 ウォルヴァンシア王国から私を攫った青年、私の、神様だった頃の家族であった人からの逃げる時に発動させた効果が、ようやく消え去ったのだ。

 そして、ディオノアードの欠片により災厄の犠牲となったヴァルドナーツさんとレフェナさんを見ていた私の中で、一番最初に目覚めたのは神としての自分……。

 けれど、別の誰かになったわけじゃない。私は私、幸希もキャンディも、神としての私も、全部。

 

『夢だと……、そう思いたくても、無理なんだね』


「はい……。貴方は、取り返しのつかない間違いを犯しました」


『そっか。……皆や、レフェナを悲しませた挙句、俺は……っ』


 頬を伝う悲しみと後悔の涙……、止め処なく流れる、ヴァルドナーツさんの思い。

 この人は、ただ最愛の人を救いたかっただけ……。それなのに、災厄の力に呑み込まれてしまった。望んでなどいなかった狂気と、破滅への道。

 今目にしているヴァルドナーツさんは、現実の世界で見ていたあの歪んだ心に支配されていた彼とはまるで別人のようだった。

 自分の犯した罪を自覚し、その涙を止められない彼は……、本当はとても優しい人。

 見ていればわかる。小さく呟かれる懺悔の言葉、瞳に浮かぶ抑えきれない自身への怒りと後悔、魂の奥底から聞こえてくる、ヴァルドナーツさんの悲哀の声。


『本当に……、俺は最後まで駄目な男だったよ。彼女は俺を止めようとしてくれたのに、あの時の俺は、レフェナに裏切られた、って……、醜い思いがどんどん膨れ上がって』


「全部……、ディオノアードの欠片が貴方を蝕んだせいです」


『ディオノアード……。そうだ、俺は……、レフェナが病に倒れた時、どうにもならなくなって、彼女に……、『獅貴花』に、あれを使えと』


 彼女はとても心優しい女神だ。情が深く、困っている人や悲しんでいる人を放ってはおけない。

 神としての判断は間違っていたけれど、扱い方にさえ注意していれば、きっと奇跡の力になると、そう信じて、在りし日のヴァルドナーツさんに譲り渡したのだろう。

 『悪しき存在』が封じられてから長い年月が過ぎ、浄化も進んでいた事から油断していたのかもしれない。でも、……もしかしたら。


「ヴァルドナーツさん、彼女……、『獅貴花』の女神とは、どんな関係だったんですか?」


『友人だよ。幼い時に父上が俺をあの宝物庫の間に連れて行ってくれた……。俺にとっては姉のようでもあり、母のようでもあり、心を許していた存在だったんだ』


 彼の言葉に嘘はない。その瞳は少しだけ懐かしさを抱いたように和らぎ、『獅貴花』への信頼と友愛が見てとれた。いつから彼女の意識が目覚めていたのかはわからない。

 欠片を抱いて眠りに就いたはずの神々。地上の民として生まれる者もいれば、『獅貴花』のように特別な植物としてエリュセードの地で鼓動を打つ者もいる。

 きっと精霊体として地下にいた彼女は、ヴァルドナーツさんと交流を深め、やがて何らかの要因がきっかけとなり、神としての記憶を取り戻した。

 そして、恐らくは……、レフェナさんが不治の病にかかった時に相談を受け、その魂に抱いている欠片を取り出した、と。

 ただの友愛からだったのか、……天上で一緒にいた頃の彼女の性格を思い出すと。


『何、かなぁ……?』


「いえ……」


 ヴァルドナーツさんの顔は、彼(か)の女神のストライクゾーンど真ん中。

 何だかそれが間違いを犯した大きな原因のひとつに感じられたけれど、終わった事を掘り返しても仕方がない。徐々に顔色の良くなってきたヴァルドナーツさんが目を丸くしているけれど、あえて口には出さない事にした。知っても困るに違いないから。

 

「ヴァルドナーツさん、話を戻しますけど、貴方は今、私の中で魂を浄化されている最中です。それが終わったら、貴方は災厄から本当の意味で解放されるはずです」


『解放……。だけど、俺は償いきれない罪を犯してきた極悪人だよ? 穢れと罪に染まった俺の魂には、過ぎた幸せだ。……もうこのまま、魂を砕かれた方が』


「それだけは許しません。これ以上、貴方の最愛の女性を、レフェナさんの魂を苦しめるような真似はやめてください」


 罪を償う為に魂を砕かれ無と消える……。そうなれば、やがてまた魂の欠片がひとつとなっても、存在は消滅したも同然。ヴァルドナーツさんは、二度とレフェナさんの魂と巡り合えなくなる。

 そうなってしまえば、レフェナさんの魂は永遠に苦しみと悲しみを抱えたまま……。

 らしくもなく、私はヴァルドナーツさんへときつい物言いを浴びせかける。


「大好きな人を泣かせたまま楽になろうなんて、男らしくないと思います」


『……君、結構言うねぇ。皆に守られてるお姫様って印象が強かったんだけど、別の人とか入ってない?』


「入ってません! 私はただ……、大切な親友を、その魂をこれ以上傷付けたくないだけなんです」


 キッ! と、本気の怒りを籠めてヴァルドナーツさんを睨み上げると、効果があったのか、ビクッと彼の肩が震えた。

 レフェナさんの魂が苦しみ続けるという事は、レアンティーヌもその影響を受け続ける。

 その責任も取らずに消滅を願おうだなんて……。


「冗談も大概にしてくださいね? ヴァルドナーツさん……」


 私も人の事は言えないけれど、これだけは言っておかなくてはならない。

 氷が割れていく亀裂の音を聞きながら、ゴクリと息を呑むヴァルドナーツさんに微笑む。


「浄化が終わったら……、ちゃんと償いの道を歩いて貰いますからね」


『――っ。き、君……、自分が今どんな顔してるか、わ、わかってるの、かなぁ?』


 さぁ、どんな顔なんでしょうね。

 口端が不敵に上がっている気はするけれど、そんな事はどうでもいい。

 たとえ災厄のせいであっても、ヴァルドナーツさんは許されない事をした。

 だから、浄化が終わったら、それを償う為の道を歩んでもらうつもりだ。

 生きて苦しむ贖罪の始まり……、たとえどんなに耐え難い苦しみと隣り合わせでも、彼の逃げ道はない。私は、それをヴァルドナーツさんに望んでいる。


『……本気、なわけ、かなぁ? 正直言って、俺の犯した罪って、償えるレベルを超えているというか』


「安心してください、ヴァルドナーツさん。お仕置きや罰の類を施すのが大得意の神様を知っていますので、何も心配はいりません。沢山苦しんで、頑張って償いの道を歩きましょうね」


『何だろうね……。俺には君の方がラスボス級の怖い人に見えるんだけど』


「はい?」


 私よりもラスボスな感じの人なんて幾らでもいますよ? と、ニッコリ笑って言い返せば、ヴァルドナーツさんはやれやれと息を吐き出して降参してくれた。

 浄化が終わっても、暫くは罪業の影響で辛い日々が続くとは思うけれど、彼の揺らめく双眸の奥には、自分の犯した罪を償いたいという強い願いの意志が潜んでいる。

 消滅が逃避してしかないのは、本人も自覚している事なのだろう。

 けれど、消えたいとそう口にしたのは、最愛の人……、レフェナさんに合わせる顔がないと、申し訳なく思っている節があるから。

 勿論、今をレアンティーヌとして生きているレフェナさんと一緒に生きて行く事は出来ない。

 レフェナさんの人生は、もう遥か昔に終わってしまっているから……。

 だから、きっと次に会うのが最後になるだろう。悲劇を、新しい希望に塗り替える為に。

 ようやく氷の戒めが消え去り、冷たい地面にヴァルドナーツさんが降り立つと、その足元から緑の漣が一瞬にして周囲一帯へと広がっていった。

 

『凄いね……。景色が変わった』


「私の中ですからね。魂の記憶が天上にいた頃を再現しているんです。さっきまでは、ヴァルドナーツさんの魂を蝕んでいた災厄の気配が強かったのであんな感じでしたけど」


『色々迷惑かけて申し訳ない限りだね……』


「いえ、元々は……、私の『お母様』が原因ですから。私は、自分に出来る事をしたかっただけです。……少し、歩きましょうか」


 私が現実へと戻るまで、まだ時間がかかる。

 ある程度までヴァルドナーツさんの魂を浄化すれば自然に目が覚めるとは思うけれど、あの時、現実世界で彼から負わされた傷は深く、最悪の場合……、ユキ・ウォルヴァンシアの器が死亡する危険性もある。その場合、私の魂はヴァルドナーツさんの魂を抱いた状態で天上に帰還する事になるだろう。でも、出来ればそうなってほしくない。

 私は、ユキ・ウォルヴァンシア。狼王族のお父さんと、向こうの世界で生まれたお母さんの娘。

 それは、これからも変わらない。変えたくない、私としての人生。

 何があっても、この地上で、レイフィード叔父さんやアレクさん、皆さんがいるウォルヴァンシア王国に帰って、幸希として生きて行きたい。それが私の切なる願いだ。


『何だか、君も色々ありそうだねぇ……。俺とは違う、後悔の気配がある』


「……まぁ、色々と」


 視界に映る幾つかの白い柱を眺めながら、私とヴァルドナーツさんは目的の場所もなく歩みを進めていく。魂の奥に眠っていた記憶そのもの……。

 晴れ渡る青空と、優しく存在を撫でる風の気配、木陰から近寄ってくる愛らしい動物達。

 かつて暮らしていた天上の景色を眺めながら、私は話題を変える為に必要な事を尋ねる事にした。


「ヴァルドナーツさん、貴方を仲間にしていたアヴェル君の事なんですけど……」


『ん? あぁ、アヴェル、ね……。俺達の、神様だった子……』


「彼は、自分の事を神だという以外に何か別の事を言っていませんでしたか?」


 ヴァルドナーツさんだけじゃなく、マリディヴィアンナと、カインさんによく似た男性を仲間としている銀青の少年……。彼は、確かに神としての力を備えている。

 それも、強大な神の力を……。私からの問いに、ヴァルドナーツさんは腕を組んで首を傾げながら、その場で立ち止まる。彼の足元にはふわふわの真っ白な翼の生えたウサギが集まっていた。


『そうだねぇ……。俺は、アヴェルに一番初めに拾われた魂みたいなんだけど、あの子が言っていたのは、自分が神様だっていう事と、アヴェルという名前。それから、俺の願いを叶える代わりに、自分の復讐の手伝いをしろ、って事だったかなぁ』


「復讐の手伝い、つまり……、エリュセードの地で眠るディオノアードの欠片を集める手伝い、というわけですね?」


 ディオノアードの欠片の厄介なところは、ある程度の数を集めると、それに引き寄せられるように他の未確認の欠片も集まってくるという事だ。

 それは、地上に眠る欠片だけではなく、強大な力を抱く神以外の、力の弱い神の中で眠っている欠片をも引き寄せてしまう。多分……、アヴェル君が欲しいのは、異空間に封じられた『悪しき存在』、つまり、災厄に侵された神々の解放。

 それが可能となる力を集める事。『獅貴花』の間で本人もそう言っていたから間違いない。

 もし、そんな事になれば……、今度はイリューヴェルだけに留まらず、エリュセード全土に災厄の嵐が吹き荒れる事だろう。


『最初はさぁ、今より暗い子だったんだよねぇ……。洞窟の隅の方とかでブツブツ独り言呟いてたり、協調性ゼロというか。あの子の頭の中は、復讐の事ばっかりで』


 まだ仮の肉体を得る前の彼は、魂の記憶から姿を形成し、所謂霊体状態でアヴェル君と行動していたらしい。会話さえ続かない少年の世話を焼きながら、次に、カインさんによく似た男性、その次にマリディヴィアンナを仲間とした、と。

 

『あ、そういえば……、天上の神々が自分達親子と仲間を封じ込めた、とか言ってたなぁ。たまに野宿とかで寝言を漏らす時があってねぇ。お母さん……、って、涙を零していたよ』


「お母さん……、ですか。じゃあ、天上にいた頃の話などをしている事はありましたか?」


 わかっている答えを、あえて私はヴァルドナーツさんに尋ねる。

 神と名乗るアヴェル君に……、母親などいないと、知っていて。


『そういえば、……なかった気がするよ。アヴェルは異空間に封じられていて、その時の事をたまに零す事はあったけど、懐かしい思い出語りはなかったと思うんだよね』


 そう……、アヴェル君が親と呼ぶ存在があるとすれば、それは『父親』だけ。

 何故そんな記憶の間違いが起きているのか、答えはあの異空間の中にある。

 『悪しき存在』の時代よりも、遥か昔……、十二の災厄が暴走した際に、私はそれを抑える為に力を揮い、眠りへと就いた。

 エリュセードという世界に抱かれながら、時折目覚める事のあった意識で垣間見た……、残された人達の姿。私という存在を失って、一体どれだけの人達を悲しませる事になったのか……。

 

「ふぅ……」


『哀愁を漂わせているところ申し訳ないんだけど……、ひとつ、頼んでもいいかな?』


「はい?」


『俺も、なんだけど……、あの子達の事も、導いてやってくれない、かなぁ』


 それは、アヴェル君やマリディヴィアンナ達の事を言っているのだろう。

 頭の後ろを掻きながら、ヴァルドナーツさんは悲しそうに言葉を続ける。

 ずっと行動を共にしてきた彼らを、いつしか家族のように情を感じ始めていた事……。

 許されない罪を犯した自分達を許せとは言わない。

 けれど、どうか自分と同じように……、責め苦と後悔に苛まれた道を歩む事になっても、償う機会を与えてほしい、と。

 

「そうしたい、とは思っていますけど……、確かな約束は、出来ません」


 素直に魂を委ねてくれるのなら話は早いけれど、マリディヴィアンナともう一人の男性が言う事を聞いてくれるとは思わない。アヴェル君も、彼の存在について話をしても通じるかどうか……。

 ヴァルドナーツさんは、生前にディオノアードの欠片を手に入れ、――歪んだ。

 死の原因が災厄によるものだったから、私の中に取り込む事で本来の人格が戻り、浄化をすんなりと受け入れてくれているけれど……。

 残りの二人も同じように、その魂を取り込んで素直に言う事を聞いてくれるとは限らない。抵抗の意志が強すぎれば、取り込んでいる神もまた大きな負担を抱える事になる。

 

「でも、私に出来る事があるのなら……、最後まで頑張ります」


「うん……、ありがとう」


 私の精一杯の答えにほっとしたのか、ヴァルドナーツさんは胸を撫で下ろして優しい笑みを浮かべた。現実の世界では冷たい目をして嗤っていたのに、今はこんなにも温かい。

 これで、レフェナさんも救われる事だろう……。

 大切な親友の笑顔を思い浮かべながら歩みを進め、私は色々と情報を聞き出しておこうと問いを重ねかけた、その時。

 私と、『獅貴花』の女神以外の、別の神の力が急激に体内へと注がれてくるのに気付いた。


「これは……、え? ま、まさか!!」


『どうしたんだい?』


「す、すみません、ヴァルドナーツさん!! じょ、浄化は進めておきますので、ちょ、ちょっと失礼します!!」


『え?』


 子猫の首根っこを鷲掴んで引っ張り上げるかのような、容赦のない気配が私を現実に連れ戻そうと圧力をかけてきている。

 おかしい……、だって、『獅貴花』の許に向かったのは、アレクさんで……。 

 治療をしてくれているとしたら、女神とアレクさんだけのはず。

 それなのに、この体内へと流れ込んでくる癒しの力と強制力は、紛れもなく。


(何でそんな事になってるのぉおおおおおおおおおおお!!)


 天上の景色の中にヴァルドナーツさんを残し消えた私は、現実に戻って早々、非常にハードルの高すぎる試練と対峙する事になるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る