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彼女――
『彼と接点がほしいんだけど、野乃ちゃん、協力してくれない?』と。
「私、昔からそういうのにけっこう敏感というか、わりとすぐ誰が誰を好きかがわかるほうだったんです。だから、七緒が彼――
「うん。彼女に協力することにしたんだね」
「はい。運のいいことに、高校では同じクラスになれたんですよ。私、七緒に協力してあげたい一心で、たくさん動きました。クラスが同じだと、違うクラスよりずっと動きやすいじゃないですか。私のほうにはちゃんとした目的があったし、七緒に頼まれてるっていう責任感もあって……。それこそ最初はどう声をかけたらいいか、ずいぶん四苦八苦しましたけど、林間学校で偶然、彼と同じ班になれたので。話す機会も自然と増えましたし、それとなく七緒を推したりしてたんですよ。七緒は班が違ったので」
そこまで言うと、野乃は静かにカップを口元に運んだ。それから一つ、息を吐き出し、ソーサーにカップを戻して、当時を思い出すように少し遠い目をした。
「他愛ない話しかしなかったと思います。寺島君の好きな女の子のタイプとか、よく家の手伝いをする家庭的な子がいいとか、お菓子作りが上手だとポイント高いよねとか。男の子の〝好き〟の基準って、けっこう単純なんですよ。もちろん、性格のよさや好みが合うことのほうが重要だって言っていましたけど、見た目から入ることも多いのは、やっぱり男女どちらでも同じですから。七緒からも寺島君のことは一目惚れに近い形で好きになったって聞いていたので、それがごく当たり前の感覚なんだと思いました」
「確かに、好きになるのには、いろんなパターンがあるよね。一目惚れしちゃうときもあれば、知らないうちに好きになっていることもある。どういう人だろう? っていう単純な興味から、じわじわ好きになっていくこともあるし。恋をする人の側も、いつも同じパターンで人を好きになるわけじゃないのかもね」
渉の場合は、三つ目の例だ。それまで多く恋をしてきたわけではなかったけれど、少ない経験値の中でも、とりわけ彼女との恋はきっかけからして特異なものだった。
「そうですね。だから私も、寺島君の女の子の好みを七緒に教えてあげていたんです。七緒は自分から声をかけたりできるようなタイプの子ではなかったので。ずっと片想いをしていて、高校まで追いかけるくらいですから。自分の内側から気持ちを奮い立たせることはできても、直接は、どうにも勇気が出なかったみたいで……。でも、きっかけさえあれば、七緒だって動けると思ったんです。現に接点も欲しがっていましたし、寺島君の好きなタイプを知って少しでも近づきたいって気持ちは、私もすごく共感しました」
「うん」
「でも、それから少しして、寺島君が言ったんです。『宮内って、俺のこと好きだろ?』って。たまたま、職員室に用事があった七緒を教室で待っていたときです。その頃は放課後、毎日のようにファーストフード店とかに寄り道して、その日、寺島君から聞いたことを七緒に報告するのが日課になっていて。そこに寺島君がひょっこり現れて、思ってもみなかったことを言われてしまって……。驚きすぎて、頭が追いつきませんでした」
「じゃあ野乃ちゃんは、彼とはずいぶん話すようになっていたんだね?」
「そうなります。女子に声をかけるときにはだいたい私が最初に呼ばれて。ほかの子たちよりは近い距離にいたのは本当です。でも私はもちろん、全力で否定しました。付き合っている人も好きな人もいませんでしたけど、寺島君のことはクラスメイトとして好感を持っていて、何より七緒の好きな人です。友達の好きな人を自分も好きになるなんて、考えただけでゾッとしました。そこまでの強い気持ちがあれば、また話も違ったとは思いますけど、それにしたって、私は本当に好きとかそういう類いの気持ちは寺島君には持っていなくて。恋より友情を取りました。恋という感情こそありませんでしたけど」
「うん、わかってるよ。七緒ちゃんのために彼と仲良くなったんでしょう? そうしないと、プライベートなことまで聞ける仲になれない」
「……はい」
わかってもらえてよかった、と言うように野乃がほっと表情を緩める。コーヒーカップを手に取ってまた口元に運ぶと、ミルクと砂糖の入ったそれをゆっくりと飲む。
ただ、ソーサーに戻しても手が離れないのは、指先が冷えてしまっているからかもしれない。渉は無理もないことだとチクリと胸が痛む。……結末は知っているのだ。淡々と話しているように見えて、野乃はひどく緊張しているのだろう。野乃の中では、まだ何も終わっていない。悔やんでも悔やみきれない思いが、野乃の指先を微かに震わせている。
それでも顔を上げると、野乃は話の続きを再び語りはじめる。
「七緒が職員室から戻ってこないかが、ただただ気がかりでした。変なところを聞かれて誤解でもされたらと思うと、気が気じゃなくて。……寺島君には、考えて考えて、その場で『そういう気持ちになったことはない、きっとこれからもないから、ごめん』って断りました。七緒が寺島君を好きなことは、私の口からは言えないことでしたから。七緒は七緒で、寺島君とずいぶん普通に話せるようになっていたんです。私と一緒にいることで寺島君と話ができるようになって、とても喜んでくれていたんですよ。だからそろそろ引き際だなって考えていた頃でもあったんです。完全に仲人のつもりだったんですよ」
「うん」
「それでも寺島君は、何かにピンときたみたいで」
――『俺の気持ちに応えられないのは、江南のせいか?』
そう、ひどく真剣な目をして野乃に詰め寄ったそうだ。
「それからの寺島君は、まるで人が変わったように七緒に冷たくなりました。七緒が職員室から戻ってきていなかったのが、よかったのか悪かったのか……。いえ、戻ってきていたほうが、どれだけマシでしたでしょうか。寺島君は、次の日からも私にいつも通り話しかけました。昨日のことがなかったみたいに。でも七緒には……」
七緒の話を適当に聞き流したり、話しかけられても聞こえないふりをしたり。野乃には普通に話しかけるのに、それを間近で見ていた七緒はどんな気持ちだったのだろうと、野乃はカップに添えた手に力を込めて、呻くようにそう言った。
「……そう。もしかしたら彼は、七緒ちゃんさえ自分を諦めてくれたら、野乃ちゃんが素直になれると思ったのかもしれないね。それだけ野乃ちゃんのことが好きだったのかもしれない。彼も彼で、こんなに仲良くなってプライベートなことも話すのに、その意味は何だろうってずっと考えていたんだろうね。野乃ちゃんには気持ちはなかったし、言葉もずいぶん選んで断ったけど、その意味を自分の理想の形に解釈したのかもしれない」
「まさにそうです。寺島君の態度が豹変したのを見て、私もすぐにその可能性に気づきました。戸惑ったのは七緒も私も同じです。でも、事情を知っているのは私だけでしたから。何も知らない七緒は当然、すっかり元気をなくしてしまって……。調子に乗っていたのかな、ウザかったのかなって、ボロボロ涙をこぼしながら私に聞くんです」
「それは……野乃ちゃんも七緒ちゃんも耐えられない……」
瞳を伏せてしまった野乃と同じように、渉もそう言ったきり、言葉が出てこなかった。
語弊があるかもしれないけれど、高校生の恋はもっと単純なものだと思っていた。彼の気持ちもわからなくはない。プライベートなことを尋ねる野乃に徐々に好感を持っていく心の変化も、実に可愛らしいものだと思う。ただ、それがこんなにも複雑に絡み合ってしまうだなんて、一体誰が予想できたというのだろうか……。
野乃は、親戚の贔屓目抜きにしても可愛い女の子だ。そういう子から、積極的に好みのタイプを聞かれたら。ほかの女の子より仲良くなれたら。付き合いたいと思うのはむしろ健全な思考だろうし、そのために障害をなくそうと思うのは、渉には思いつかない行動ではあるけれど、同じ男としてわからないでもなかった。
それからずいぶんして、野乃はぽつりと、
「だから、学校に行かないことにしたんです」
と、言った。
野乃の前のテーブルには、彼女が流した涙の粒がいくつも落ちていた。声も上げずに泣いていたのだ。それだけで、野乃が今もどれだけ心を痛めているかがわかる。
「……結局私は、七緒には何も打ち明けられませんでした。七緒に話して誤解されるのも怖かったし、すっかり人が変わった寺島君も怖かった。クラスの目も、同じように怖かったんです。寺島君はクラスのムードメーカー的な存在でしたから、彼の突然の変化にクラスの人もだいたいすぐに気がついて、彼と仲のよかった私を見る目も、何かを疑っているような、訝しんでいるような、そんな目になっていったんです」
「そっか……」
そこで渉は思い出す。
三川さんにライバル視されていたとき、野乃は凛として言っていた。『私には迷惑な話なんです』『もし私に同情されたって彼女が勘違いしたら、たまったもんじゃない』『私はもう、この話題には関与したくない』――そう、きっぱりと。
前の学校でそういうことがあったからこそ出た言葉だったのだとようやく合点がいく。一見、何事にも関心がなさそうな言葉に見えて、その裏では、嘉納さんが言っていたように、野乃は三川さんに対して〝一本筋を通していた〟ということなのだ。
だからこそ嘉納さんは、あのとき『ちょっと心配になるときがあるっていうか、無理してるんじゃないかって思うときもけっこうある』と、野乃のその頑なな姿勢を心配していた。カチリ、カチリとはまっていくピースから浮かび上がってくる野乃の心は、罪の意識と恐怖心、だろうか。ただ、野乃が自分自身を強く縛りつけていることだけは絶対に間違いない。元樹君が前に言っていた『やっぱり集団で来られるとビクビクするみたいで』という野乃の行動も、元樹君に必要以上に世話を焼かれるのをとても嫌がっていたのも、きっとその出来事から生まれた彼女の防衛本能なのだろう。
教室に一人ぽつんと残った三川さんを体育祭に連れ出したとき、野乃はいかほどの勇気を振り絞ったのだろうか。渉はあのとき、もっともらしい言葉を並べて迎えに行きたそうにしている野乃をけしかけたけれど、野乃にとっては、ただただ残酷な言葉の羅列だったのかもしれない。今さらそれに思い至って、渉は喉元がキュッと締まる思いだった。
たまたま元樹君や嘉納さんも同じ気持ちだったから、三人で三川さんを校庭に連れ出すことができたけれど。元樹君も嘉納さんも三川さんも気持ちのいい子たちだから、野乃もある程度心を開いているとは思うけれど。それはすべて結果論で、そこまでに至る経緯はまったくの未知数だったのだから、どちらに転んでいたとしても、野乃にはひどく酷なことをさせてしまったことに、なんら変わりはない。
言葉を失くす渉の向かいで、野乃が静かに言う。
「七緒とも寺島君とも、ちゃんと話そうって何度も思ったんです。本当です、七緒との友情は壊したくなかったから。でもだんだん、学校に行こうとすると体調が悪くなっていって……寝られないし、朝も布団から起き上がれなくて……」
一学期の終業式の前日までは、それでもなんとか学校に行っていた、と野乃は言った。
叔父夫婦――両親には、心配をかけたくないとの思いから、ごくごく普通にしていたのだという。体調を崩してしまうほどの重圧に押し潰されそうになりながらも、きちんと学校に行っていたのは、ちゃんと話すためでもあったし、七緒のことが心配だったからというのと、とても強い責任を感じていたからだったという。
体調がおかしくなりはじめてから、自分はこんなに脆かったんだ、情けない人間だったんだと、ひどい自己嫌悪に陥ったと野乃は言う。それがさらに野乃を精神的に参らせ、体調にも悪影響を及ぼしていったというわけだ。
今どきの野乃くらいの年齢の子たちがどんな事情を抱えているのかは、表からぱっと見ただけではわからないことも多いだろうけれど。それにしても野乃が巻き込まれたこの三角関係は、その歪さゆえ、言葉も出ない。
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