*


 翌日の放課後。

 久しぶりに生徒会に呼ばれたと思ったら、やっぱりなという相談が会長の口から重々しく告げられた。――リストをもう一度見直してほしい。

 なかなか世論が賛成に傾かない日々が続いているという背景もあって、いつ言われるだろうかとある程度覚悟はしていたけれど、実際に面と向かって言われてしまうと、少なからずショックなのも確かだった。「……は」と空気の抜けたような声しか出ない。

「ごめん、マジごめん、西窪。ビラ配り、思ったより苦戦してるんだ。教頭も相変わらずだし、このままだと、いつ吹部がやり玉に上げられるかわからない。これ以上削れないのは俺だって十分わかってるんだけど、そこをなんとか見直してもらえねえかな」

「削るって……欲しい楽器の数を絞れってことだよね?」

「うん。今よりもっと絞ってほしい」

 気まずそうに肯定した団長に、なずなはもうため息しか出なかった。覚悟はしていても、応援団が全部やってくれるんじゃなかったの、と責める気持ちだってあるし、大会に向けて練習していくこの時期にほかのことで時間を取られたくないという思いもある。先月、リストを作ったときだって、団長は知らないだろうけど、けっこう大変だった。

 吹奏楽部は、もともとの人数が少ない。各パートが総出で演奏しなければ迫力だって出ないし、広い球場では見栄えが悪くなる。それを考慮して出したリストだったのに、限界まで欲しい楽器を絞って考え抜いたものだったのに、それを今さら見直してほしいだなんて、虫が良すぎるんじゃないだろうか。なずなは、テーブルに額をこすりつける勢いで頭を下げる団長のうねうねの髪を、どうしても冷淡な瞳で見つめてしまった。

「西窪さん、気持ちはわかる。前のリストでも、もちろん生徒会も納得してる。まだ入院中だけど、綿貫先生だってそうだよ。……でも、吹部にも今まで以上に協力してもらえないと、教頭の思うツボなんだ。悔しいけど、完全に私たちの力不足。ごめん」

 だからどうか力を貸して。

 なずなが纏う空気が一瞬で張り詰めたことを察した会長が慌てて間に入り、申し訳なさそうに俯いて小さく頭を下げた。どういうことかはわからないが、どちらかというと否定的だった彼女も、いつの間にか吹奏楽応援に賛成の方向に寝返っている。

 口にこそ出さなかったけれど、会長とは同志というか、教頭が反対しだした時点でいい感じに立ち消えにならないかなと目論んでいる仲間のような気が勝手にしていた。なのに、しばらく生徒会室に顔を出していない間に真逆のことになっているとは、いったいどういうことなんだろうか。弱みを握られているようには見えないのに、いつ転換期が訪れたのだろう。少し裏切られたような気がして、その点でもなずなは心中穏やかではなかった。

 けれど、こうして会長にまで頭を下げられては、団長ばかりを責めるわけにもいかなくなる。会長の心にどんな変化があったのかはわからないけれど、平均点女子はこういうとき、無闇に状況を引っかき回したりしない。ただ腹の中で思っておくだけだ。

 なにを今さら、と。

 それに、ほかのみんなだって、と。

 心のどこかでは、放課後の限られた貴重な時間を割いてここに集まってなんになるんだろうって思ってるんじゃないの? と、あくまで腹の底でそう思っておくだけだ。

「わかった。この場ではすぐに返事はできないけど、部に持ち帰って、顧問の先生とも相談してみる。吹部がいないと応援が成り立たなくなっちゃうしね。検討させて」

「マジか! 恩に着るぞ、西窪!」

「ありがとう、西窪さん」

「うん」

 表面上は笑顔で、ぱっと顔を輝かせた団長と会長に頷いておく。

 平均点女子は極論は投じない。場の空気を読んで、期待されている返事をして。そして、ちゃんと部のみんなや顧問に相談をし、多いほうの意見を採択する。

 平均点女子はあくまで平均点を狙いにいく。歳を重ねても仲のいい両親。対してバツイチこぶつきの姉。その中間を行くのがなずなの信条なのだ。


 *


「どうだった? 生徒会。まあ、なんとなく想像はつくけど」

 音楽室に戻ると、それまで部を取りまとめてくれていた愛がバチを片手にパタパタと駆け寄ってきた。手にあるのはスネアドラムのバチだ。彼女はバチ回しを美徳としているところがあって、なずなの表情をうかがいながら、それをクルクルと回した。

「あー、うん。ごめん、みんないったん練習やめて、席についてくれる?」

 なずなは、前半は愛に向けて、後半は音楽室に散らばる部員たちに声を張る。顧問の先生の姿はまだ見えないが、なずながまた生徒会に呼ばれたとあって、みんなそのことを気にしている顔だった。先に相談を持ちかけても問題ないだろう。

 全員が席に着いたのを待って、口を開く。

「生徒会と団長から、リストの見直しをしてほしいって頼まれたんだけど、みんな、どう思う? 前に出したリストの時点で、もう楽器一式っていう条件じゃなくなってるけど、これ以上絞っても大丈夫かな? ちょっとパートごとに話し合ってみてくれない?」

 部員たちの顔をぐるりと見回し、そう促す。

 生徒総会で変な横やりが入ったので、こちらが出した『楽器一式』の条件は、リストを作らなければならなくなった時点でないようなものだった。総会後、団長には「俺の説得のしかたが甘かった」と頭を下げられたが、してほしかったのは謝ってもらうことではなく、どうにかして楽器一式を揃えてもらう予算を学校側から勝ち取ってもらうこと、それと、ブーブーと不満を漏らす吹部のみんなをひとりひとり説得してもらうことだった。

 しかしそれらは、どちらもなずながやらざるを得なかった。名前を貸しただけなのに結局私がやらなきゃなんないじゃん、と内心面白くなかったのは言うまでもない。

 金管パート、木管パート、打楽器パートの面々が困り顔で目を見合わせる間を抜けて、なずなも自身が吹くトランペットの――金管パートが集まるところへ加わる。

 金管パートは部員十五人の吹部の中で半数以上の八人での構成だ。チューバ、ユーホニウムが各一人と、トランペット、トロンボーン、ホルンが二人ずつ。一年生も入部してくれたが、その数は四人と、なんとも心許ない。そして木管とパーカスに全員取られた。自分たち三年が抜けたあとの金管をどうするつもりなのかと抗議したものの、しかし木管とパーカスの人数が極端に少なかったので泣く泣く諦めるしかなかったのは春先のことだ。

「……ど、どう思う?」

 期待と不安を織り交ぜながら、金管パート二、三年だけのフレッシュさの足りない八人で顔を突き合わせる。面倒くさいことにはなりたくないので、後々のことを考えればリストの見直しに賛成の意見が多く出てくれると助かるのが本音だった。誰だって応援団並びに生徒会と吹奏楽部との間で板挟みにはなりたくない。

 幸い金管には、フレッシュさは足りないが、そのぶん空気を読んで示し合わせる力ならどのパートにも負けない強みがある。たとえ他パートの七人が否定的であっても、八人で意見を揃えれば半数以上だ。姑息な手だが、上手く立ち回りたいので気にしない。

 さあ、頼むぞ金管、空気を読め。

「いや、どうって言われても、こっちだって当初の条件を曲げてまで付き合ってるんだし、そこは団長が頑張ってくんなきゃ困るよ。実際に楽器を扱うのは俺らなんだからさ。団長が頑張ってるのは、まあ見てたらわかるけど。でも、それとこれとは話は別じゃん」

 同じトランペットの中島なかしまが頭を掻きながら言った。

 彼とは二年と少しの間、金管パートの要として一緒に頑張ってきた。けれど、一番初めに応援団から吹奏楽応援の話があったとき、楽器の音が悪くなると言い出したのも中島だった。パートリーダーとして頼りになる男ではあるが、ときに空気が読めない。

「そんなこと言ってもさ、私にも一応、立場ってものがあるじゃん? 団長も会長もすごく必死だったよ? ほら、無下にもできないっていうかね?」

 空気読めよ、わからんやつだな、と内心で毒づきながら、なずなは必死で中島を宥めすかしにかかる。

 そういえば前のリストを作ったときも、もっと買える楽器は増やせないのかと最後まで難癖をつけていたのはこいつだった。平均点女子はあくまでみんなの意見の多いほうを採択するが、なずな個人の本音としては、中島次第で金管パートの意見が決まってしまうのではないかとハラハラするし、ヒヤヒヤもする。

 パートごとに話し合うのが間違いだったのだろうか。このままでは、さっきの目論見と逆になってしまうじゃないか。……ちくしょう、しくじった。

 しかし、もう遅い。

「確かにそうですね。ほかの学校の吹部の友達に聞いたんですけど、野球応援のあとって、知らないうちに楽器に砂埃が入ってたりするんですって。運悪くファウルボールが飛んでくることもあるって聞きますし、そもそも球場に楽器を持ち込むことが危険なんですよ」

「あ、砂埃の話なら、私も聞いたことあります。トロンボーンなんか、管を丸出しにして吹くじゃないですか。だから、吹いてる途中でジャリって音がするとか聞きました」

 二年のホルン田巻たまきと、同じく二年のトロンボーン広瀬ひろせが口を揃えて中島を擁護した。

 彼女たちは中学も同じで部活もずっと一緒なんだそうだ。ふたりとも、学校の楽器を使って演奏しているが、やはりホルン一筋、トロンボーン一筋なだけあって楽器に対する愛着もひとしおらしい。コンクールに出る楽器で野外にも出ることに渋面を作っている。

「そっかぁ。じゃあ、浜多はまた竹吉たけよしはどう思う? チューバとユーホ的に」

 あくまで中立的な立場を取りつつ、ほかのメンバーにも話を振ってみる。

 なずなや愛、中島と同じ三年生の彼らは、大型の楽器を扱うコンビだ。後方でどっしり構え、その重低音で安心感と心強さを演出してくれる影の立役者である。

 しかし楽器は大きいくせに、ふたりとも大人しい性格をしているのが、ときになずなならずとも周りをイライラさせたりもする。だが基本的に平和主義者で害はない。空気を読む力に長けているのは、このふたりだろう。中島や二年女子コンビにどこまで立ち向かえるかは謎だけれど、そこは空気を読んでぜひとも頑張ってもらうしかない。

「西窪もああ言ってることだし、俺らは……な」

「そうだな。部長の立場的なところもあるし、穏便に……検討したい」

 もしかして顔が怖かったのだろうか。目を見合わせたふたりが、男子らしくなくぽそぽそ言う。いや、彼らはもとからこんなふうな喋りかただ。考え中とか言ってなかなか意見を言わないときだって珍しくないのだ、早かっただけ良しとしよう。

 さあ、これで三対三。残るは二年女子コンビと同じパート同士のふたりだ。

「そっか、ありがとう。じゃあ、高田たかださんと鬼澤おにざわさんは?」

 ともに二年女子。吹奏楽は高校からはじめた子たちで、経験者の田巻と広瀬にそれぞれ一から楽器を習い、この一年でどうにか形になった。尋ねると、ふたりはしばらく顔を見合わせ、最終的にひどくオロオロした顔で「……わかりません」と俯く。一から楽器を教えてくれたふたりに付くか、先輩に付くか、すぐには判断できなかったのだろう。

 でも、そうじゃないんだよなあ! なずなは内心で荒々しいため息をつく。

〝わかりません〟はいろんな場面において便利な言葉だけれど、裏を返せば、一番卑怯な言葉だ。

 今はそんな答えなんていらない。世論調査なんかで〝わからない〟〝どちらともいえない〟と回答するのとはわけが違うのだ。気持ちはわからなくもないが、はっきりしてほしい、そこはちゃんと。大人しい大型楽器コンビでさえ早々に意見を言えたのだ、普段はきゃっきゃと話しているくせに、こんなときだけ大人しくならないでほしい。

「……じゃあ、どうする? ほんとに」

 当初の目論見から大きく外れてしまった金管パートの面々を見て、なずなは再度、それだけを言う。少人数の中での大所帯。意見が割れれば、合奏にも影響する。今一度、体勢を立て直すためにも、そして空気を読み直してもらうためにも、そう問うしかなかった。

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