『リブート』――――審判

 ブロッコリーのように爆発した白髪交じりの赤い髪。気難しそうに額に皺を集め、顎髭と口髭をわずかに残す顔。初老の男はスーツに白衣を羽織り、その胸ポケットには沢山のペンが差してあった。


「てめえ、『リブート』か」

「いかにも。審判だ」


 乾燥剤を適当に吹き飛ばして、少ない水気でゾン子が応戦する。水のタリスマン。二十体ものイントゥルジェンダ相手に拮抗。しかし、分が悪いと判断したゾン子が後退を始める。


「おいおい、扉はこっちにしかないぞ?」


 肩を竦める審判。彼は扉を背に立っていた。ゾン子は怪力を駆使した裏拳で壁を叩く。腕が粉砕して悶絶した。


「ここのセキュリティレベルは4だ。壁の硬度はオリハルコンに匹敵する」

「……おいおい、じゃあさっきはどうやって壁を」

「見るか? 私の自信作だよ」


 審判が手元の端末をいじる。謎のコンピュータ群が一斉に発光し、部屋に十分な光量が行き渡る。フラッシュのような光に、ゾン子は眩しさから手で視界を遮った。その隙をついてイントゥルジェンダたちがゾン子の肉体を取り押さえる。


「イントゥルジェンダを薬物で補強しようとする試みだった」


 審判が遮光グラスを外す。取り押さえられたゾン子が、辛うじて顔を上に。


「数えきれない食材・薬物を精密なバランスで配合し、特殊な味付けを施して煮込む事七日七晩。血液や尿からは決して検出されず、なおかつすべての薬物の効果も数倍……血管から注入たべる事でさらに数倍。まあ、上半身に対して下半身が貧弱すぎて実戦には向かないがね。それでも、パワーだけは保証しよう」


 初老の男の奥、でかすぎて逆に気付かなかった。隆起した筋肉が、体長を三メートル近くまで膨れさせている。キャタピラのような器具に支えられた下半身の上、まるで戦車のような筋肉兵器。

 黄色く、どろりとした液体をイントゥルジェンダに投薬する。


「ドーピングコーンスープだ――――!」


 生きた質量兵器が、ゾン子の肉体を跡形もなく粉砕した。その余波で、取り押さえていたイントゥルジェンダたちも消し飛んだ。







 審判は、モニターいっぱいに映る幼年幼女たちを見渡した。


「君たちもこんな不合理な遊びはやめたまえ。所詮、ソニーユに踊らされているだけだぞ」


 口々に何かを言う駄々っ子どもに傾けてやる耳もない。


「やれやれ、これだから餓鬼は嫌いなんだ。頭の回転は速いのが、余計に質が悪い」


 このサーバールームは、ほぼ密室である。通気孔がいくつも通じてはいるが、どれも割り箸くらいの細さであり、当然ながら子供ですら通れる隙間ではない。だが、ゾン子とZ型はここから姿を消している。背後の扉を通られた形跡はない。考えられるのは。


「壁奥の配線を通す空間か。よくもまあ、あんな狭いところを」


 審判の男は、無感動に吐き捨てる。このまま壁ごと粉砕するという手もないでもなかったが、精密機器が多く設置されているサーバールームでそれを行うのは不合理だ。肉体を砕いたときに血で反撃されなかったのも、そういう面で見れば幸運だった。

 もちろん、それをやった瞬間にゾン子が敗北するようなトラップが用意されていたのだが。


「……フロアの構造、囚人の配置、もちろん配線の繋がり方の如何まで頭に入っているさ。どう動こうと、既に詰みだ」


 動きの鈍いマッスルイントゥルジェンダは置いていき、審判は廊下を歩く。胸ポケットのペンを一本引き抜き、空中のどこかに向ける。この動作自体に意味はない。それでも、動作と組み合わせることで、その思考はより最適化される。


「2621番、スポンサー殺害の罪。512番、脱獄幇助。4321番、刑務作業のサボり。ああ、4444番は引き続きテロリスト手配中。その他は、トイレで手を洗わなかった罪に変更だ。罪状の詳細は共有掲示板を確認せよ」


 イントゥルジェンダは、無差別に人を襲うわけではない。罪人たちの『罪』に引き寄せられる、『罰』の権化である。よって、より大きな罪に引き寄せられるのだ。その罪を間接に操ることで、審判はイントゥルジェンダの動きをコントロールしていた。外への出口をいくつか潰しておくことで、ネズミの出口を一つに絞るために。

 審判は、コロニーマスターのソニーユより、罪状の酌量権を与えられていた。そもそもの話、この初老の男がこの刑務所建設の第一人者であり、現に、ここの名誉顧問である。だからこの措置自体はあまり問題視されるようなものではないのだが。


(あの若造……私を利用してアルファベットシリーズの造反を鎮圧させるつもりか。このままカンパニーが潰れても、自分だけは雲隠れ出来る算段を立ててもいるか。相変わらず賢しいやつだ)


 だからと言って、男がやることは変わらない。

 目的を忘れたカンパニーの、再起動リブート。そのための力をここで蓄えている。他のメンバーはともかく、彼がこの作戦に参加したのはごくごく最近のことだった。それは、メンバー全員が崇拝する『世界』のために。合理でも、不合理でも、そのためにはやるしかない。


「さあ、仕事の時間だ」


 手付かずの収監所。いきなり現れた老人に、囚人たちは怪訝な表情を浮かべる。彼の後ろに立つ、真っ黒な人影はなんだ。


「イコノクラスム」


 審判が言うと、囚人たちの影がぶわりと膨張した。黒い人影が、次々と立ち上がり始めた。囚人たちは、それを黙って見上げて。


「罪状を発表する。お前ら全員、カンパニーへの造反罪だ」


 そして、一斉に潰された。







「うお……ッ、死ぬ! 死ぬ、かと……思ったぁ!!」


 泣きながらじたばたするゾン子が、ようやく出られた空間に安堵する。斥候に放ったZ型は、皆が他の出口でイントゥルジェンダに破壊されたという。無事なのは、ここだけだ。

 広い。何もない。そのくせ、灯だけはしっかりとしている。中央に安置されている木の台と、上から垂れるやたら太いロープ。継ぎ接ぎ幼女は直感した。ここは、処刑台だ。


「ああ、やられた……」


 誘導されたと気付くのと同時。もっと深刻なエラーを検知した。頭の中に手を突っ込まれて、滅茶苦茶にかき混ぜられるような感覚。無数の信号が混線し、エラーの濁流が意識を押し潰す。


「え、なに? どったの?」

「データバンクを押さえられた。私がアルファベットシリーズを支配したのと、同じ方法を使われた」

「つまり?」

「Z型は、もうすぐ『リブート』の手に落ちる。ここでゲームオーバーだよ」


 ぺたり、と幼女が座り込んだ。ゾン子はその隣に腰を下ろす。虐殺ゲームへの勝利。その執念だけで暴走していた彼ら彼女らの想いを知るのは、他でもない、あの異界電力で引導を下したゾン子だけだった。


「とっくに負けたゲームに、敗者復活も何もないだろ? あのゲームはあたしら乱入者側の完全勝利。お前らサイボーグは、総負けだよ」

「そんな――そんなのって…………」

「あたしがスクラップにしてやる。もう、遊び疲れたろ?」


 暴れるだけのメモリの余剰はなかった。


「――――大番狂わせ、大逆転は、女のロマン」


 天井を見上げて、ぽつりと呟く。ゾン子はぽかんと口を開けていた。いきなり何を訳の分からないことを言い出すのか。ゾン子は右手の中にウォーターカッターを形作っていた。敵に回るのであれば、ここで破壊しなければならない。


「いいから。ここでお前は終わり、な?」

「ううん。勝つためなら、負けても、勝者を引きずり落として私が勝つ」


 継ぎ接ぎ幼女が右手を伸ばす。その右手が、ドリルとなって回転した。だが、準備していたゾン子の方が速かった。水の刃が幼女の首を断ち切った。ゴトン、重そうな音を出してZ型サイボーグが沈黙する。

 ゾン子はその小柄な首無しボディを運び、壁に寄りかけるように置いた。雑に頭を乗せるが、うまくバランスが取れたようだった。無言の数分。

 静寂を破ったのは、乾いた拍手の音だった。







 ソレが戦うべき相手だと、一目で分かった。


「アルファベットシリーズは、また負けたのか。こうなってしまっては、データバンクにリソースを割く意義は薄いな」


 イントゥルジェンダ。何がどうしたのか、上から降ってきた。黒い人影は、そのシルエットからも肉体が引き締まっているのがよく分かる。そして、この威圧感。この強者の貫禄に、ゾン子は覚えがあった。例えば、屍神レグパ。彼女の兄貴分と同じ、戦士の眼光。


「さて。蟲毒、というものを知っているかね?」


 上から声が降ってきた。ゾン子が知っているはずはない。審判が行ったのは、イントゥルジェンダの共食いである。イントゥルジェンダの性質として、殺した人間から出たイントゥルジェンダが健在な場合、その体を殺した方が取り込むことができる。そうして、無限に強さを蓄積していったイントゥルジェンダが目の前の猛者。


「私の最高傑作――――犯澤さんだ」


 ゾン子の指先がぴくりと動いた瞬間、犯澤さんは既に膝を上げていた。そう知覚した瞬間。その膝は、ゾン子の顔面に突き刺さる。速い。そして、重い。砕けた頭蓋骨が脳味噌に突き刺さって即死。復活を始める死体に、犯澤さんは左右の腕を引き抜いて投げ捨てた。


「不死身の死体をどう捕らえるか。カンパニーは薬物投与で肉体の自由を奪い、レーザ星系のアルゴル種は直接脳を乗っ取った。どちらも悪くない着眼だ」


 中途半端な復活に、ゾン子が動けない。溢れた鮮血を大槍に変えて射出するが、手首のスナップで弾き飛ばされる。


「私が選んだ、第三の方法」


 その重すぎる蹴りにゾン子の肉体がはぜた。臓物をぶちまけて、鮮血が飛び散る。再生を始めながら、その血の一滴も余さず束ねる。鮮血竜。水のタリスマンが虹蛇の化身を。


「それは、圧倒的な実力でねじ伏せることだ。無限の敗北で心を折り、我々に投降せよ」


 犯澤さんは、拳の一打。腰の入ったパンチが、鮮血竜を粉砕した。その余波で、復活仕掛けのゾン子がまたバラバラになる。再び再生を始め、その間は犯澤さんはシャドーボクシングで身体を温めていた。


「強えぇ……確かに強い、な。けどな――――それはこの犯人っぽい奴が強いだけだろぉが!!」


 ゾン子が全身をバネに飛んだ。声は上から降ってきた。犯澤さんも上から降ってきた。審判は上から全てを見下ろしている。ゾン子は、ようやく思い出した。『リブート』の審判、その弱点を。

 その凶悪な能力と反比例する、本体の弱さを。

 霧のようなジェット噴射で速度を上げる。いた。ガラス張りの一画。死刑執行の見学席。そこで、初老の男が寛いでいた。


「おい。お前はカンパニーに仇なすだ。テロリズムは、大変重罪である。たとえ、ハンターの免責事項を以てしてもな」


 、イントゥルジェンダを引き寄せる。

 いつのまに追い越されたのか。真上に進むゾン子は、上から押さえつけられる。そのまま勢いを失って墜落。潰れたゾン子と対照的に、犯澤さんには傷一つ付いていなかった。真っ黒なので分かりにくいが、多分そうだろう。

 ゾン子が再び復活する。だが、動けない。どんなに動こうと、全てが対応される。ねじ伏せられる。であれば、これはもう完全な敗北なのではないか。


「まあ……なんだ。屍神の捕獲はあくまでついでだよ。同胞足る女帝への手土産さ。我々の目的はカンパニーにある。だからここで大人しく手土産になるというのなら、これ以上手荒はしない」

「女帝は倒したぞ」

「…………ふむ。定時連絡は来ているはずだが」


 声が、一瞬困惑した。何かを言おうとしたゾン子が、動いた瞬間に犯澤さんに撲殺される。


「まさか、女帝を屍兵に貶めたのか。あの異世界螻蛄と同じ。情報は筒抜けか。カンパニーと手を組まれる前に、そちらを潰しておくべきかな」


 直後、犯澤さんの動きが豹変した。殴打のラッシュ。一発一発は軽くなったが、隙が完全に無くなった。為す術もなく翻弄されるゾン子が、ただただ痛覚に浸される。肉体の内側を潰していく遠当ての連打。神業とも呼べる打撃相手に、ゾン子の抵抗は紙切れのように破れ去った。

 風圧で手近に飛んできた継ぎ接ぎ幼女を目の前に構えた以外は。


「……ッ…………ハッ――――しょう、ぃの鍵は……大番狂わせ、の――ズーゾーンだ!!」


 警戒して、拳をピタリと止めた犯澤さんの判断は正確だった。このまま殴れば、Z型に埋め込まれた火薬に着火、派手に爆発する。


「だから、どうした? そんな爆薬で犯澤さんが倒せると思っているのなら、お前は知的生命体からも落第だよ。とんだ虫けらだ。屍の神など、所詮過去の土人と変わらんということか」


 犯澤さんが拳を放つ。継ぎ接ぎ幼女は派手に爆発した。ゾン子の肉体は爆風と金属片にズタズタになり、犯澤さんは筋肉を震わせるだけでその全ての脅威を吹き飛ばした。


「こいつなら、屍神レグパに殴り勝てる。屍神オグンの猛攻にも耐えられる。他の屍神はどうだ? 私の成果を越えられそうか?」


 復活したゾン子は、大の字になって倒れたままだ。不死身だろうと、彼女は絶対ではない。このまま魂のストックが切れるまで殴り殺されるのは目に見えている。抵抗するのは、もう無駄だ。足掻く意味はない。理屈ではなく、本能で理解してしまった。


「やっべ――無理だな。アタシの、敗けだ」


 幼女も、少女も、敗けた。勝利の高笑いを浮かべるのは、初老の男。

 ゾン子は大の字になって上を見上げる。下を見下ろす審判の男を。まさにジャッジが下される瞬間。ゾン子はこのまま動かなかった。姿







 勝つためなら、負けても、勝者を引きずり落とす。


「大番狂わせ、大逆転」


 まさに審判を下す男の背後に、敗者が忍び寄る。


「女のロマン、なんだって」


 







 『リブート』の審判の弱点を反復しよう。それは、能力に反比例して本体の戦闘能力が低いことである。決して、弱くはない。頭が回り、自分が追い詰められないように立ち回る実力は有している。

 だから、それを如何に落とすのか。


(そういえば、オグンが『リブート』で最大の警戒を持って臨むべきとして挙げた五本指に入ってたっけ)


 最終目標である『世界』と、既に撃破した『女帝』を除いた5人。

 即ち、『愚者』『星』『太陽』『塔』、そして『審判』である。完全敗北して、ようやく思い出した。狼狽える老人の姿が目に入る。マイクが辛うじて拾った音声が、処刑台によく響いた。


「馬鹿な! データバンクの処理を後回しにしたのは確かに事実だ! しかし、このタイミングでZ型を量産してこの場所まで辿り着くだと! それも! このタイミングで!」


 なにか、叫んでいる。偏屈な老人といったナリは、的確だったのだろう。ゾン子には、この後の展開が既に予測できていた。猫耳幼女型セクサロイド百体にご奉仕されるご老人の未来が、予測できていた。

 安定の、爆発オチである。


「そんなこと出来る奴など……いや、いる。しかし、そんな馬鹿なことを何故――――」


 ズーゾーン。

 大量の爆薬が着火した。参ったね、と肩を竦めるゾン子。犯澤さんもそれを真似してきた。処刑台に満ちる爆炎。それでも、イントゥルジェンダは耐えきるだろう。しかし、本体である審判が焼け落ちた後、その肉体が崩れ落ちるのは必然だった。


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