vsひよりんカルテット(中)

「お久しぶり、私」


 少女はくるりと回った。宇宙服が白い粒子と溶け、そのまま雪のように白い和装に姿を変えた。のほほんと目を細める少女は、争いとは無縁そうな人畜無害オーラを醸していた。おこりんぼとは対照的である。


「……この壁は何?」

「ぼーえーそーち、らしいよ?」


 白く曇る向こう側を、一瞥した。そのままのんびりひよりんに背を向け、シェルターに思いっきり拳を打ち付ける。シェルターはびくともしなかったが、研究所そのものが僅かに揺れた。


「なんか、衝撃を分散させて外に逃がしてるってはなし。一応、私のおうちなんだから壊さないでね」


 もう一発。今度は本気の一撃だった。凄まじい轟音と地響き。それでもシェルターには傷一つつかなかった。殴った右手がズタズタになり、血が止めなく流れる。


「えっ! ちょっとなにしてんの大丈夫!?」


 本気で心配しているのだろう。細目のひよりんが慌てて飛んでくる。しかし、手を伸ばす一歩手前で、その足は翻った。そのままバックステップて距離を取る。


「さすが、私だね」

「――――――本気?」


 無事な左手から伸びる刃。『武器生成』の異能による仕込み刃。好戦的に口角を押し上げ、右手を伸ばして広げる。傷は溢れる脳内物質で治癒された。爆発的に噴出するドーパミンに、闘志が溢れんばかりに盛り上がる。指先に力を込め、ようやく起きたのんびりさんの寝床に向ける。


「布団がふっとんだ! ドッカン!!」


 パワーワードパワー。機械が本当に吹っ飛んだ。木っ端微塵に消し飛んだ機械を見て、全身から武器を噴出する少女は高らかに笑う。


「あっは! あははは! 生命維持装置はもう壊したよ! これでみぃんなすぐに死んじゃううう!!」

「そう、だね」


 産み出した武器が、地面に落ちて、溶けて、砕ける。血走った目。今ならば何でも出来るような気がした。右手で日本刀を抜いた。『鋭化』は使わない。既に十分な殺傷力であったし、使うのはだから。


「みんなで一緒に、暮らさない?」


 鉄の破片が浮き上がり、少女に殺到した。『念動力』。のんびりひよりんは身のこなしで全てを回避する。その途中で大きめな破片を掴み、逆手に握る。血の筋が流れた。


「残った二人も探してさ。みんなで一緒に日向日和になろう。だから、こんなのはおかしいよ」


 日本刀を破片で受け止める。軸をずらして受け流す。反対の手で五行の印を結んだ。属性攻撃の嵐は、しかし全くの互角に相殺される。おこりんぼが抜きん出るとすれば。


「炎塵、業火滅却!!」


 刀の先から這い出す炎竜が膨張する。『炎竜帝』の力がシェルターごと焼き尽くそうと。その前に、のんびりの小さな口が開いた。


「この身は退魔の系譜。魑魅魍魎を退ける力の顕現。その陽は撫ぜ愛でる調和の恩光」


 炎竜がしぼんでいく。熱が和らいでいく。


「真名解放――――日向日和」

「二度と使うなって言われたんだよぉおお!!?」


 穏やかに微笑む少女と、まるで鬼神のごとく荒れ狂う少女。刃は粉々に朽ち、小さな拳で殴り会う。辛そうに顔を歪めるのんびりの前で、怒りの形相で笑い狂う少女。


「置いていかれる! 置いていかれる! そんなのはダメだ! 私は最初に自分の生命維持装置をぶっ壊したんだ! だから戦士なんだ! 戦えるんだ! 負けないんだよおお!!」


 支離滅裂に。どれだけ削り取っても、ドーパミンに支配された闘志はそれを上回るスピードで燃え盛る。指向性のない怒りの炎。たった今目を覚ました少女には分からない。目の前の同胞が、どうしてここまで変質してしまったのかを。


「沈まれ」


 だから、『反転』した。力が空回ったおこりんぼが、妙に気怠くなって転げた。


「大丈夫。私が一緒にいるよ。君を置いていくなんてとんでもない。そんな奴より、私といようよ」


 まるで赤子をあやすように。慈愛に満ちた表情で手を伸ばす。その手が、ぴたりと止まった。動から静へ。それでも、結果は何も変わらなかった。研ぎ澄まされた殺気に身震いする。怒りの刃は決して折れはしなかった。

 これまで、エシュはおこりんぼひよりんに怒り以外の感情を植え付けてきた。悲しみ、辛さ、喜び、期待、孤独、依存、渇愛。それらが枝葉を広げ、育ち、そしてそれらは恐怖に収束した。


(あんな化け物と一緒にいたくない。痛い目に遭うのはもう嫌だ。でも、置いていかれたくない。あの人に、絶対に見捨てられたくない)


 戦士であり、獣であれ。恐怖から転化した怒りが、一点突破する。今、花開く。


「どうしても、戦うの?」

「私は日向日和なんかじゃない。私は私だ。だから、私の意志で生きる。縛り付けるなにもかも、この手で残らず千切り尽くす」


 屍神が与えたもの。心にぽっかりと空いた虚が、力を映す。

 四拍子のステップ。さも当然のようにその姿が増殖した。十人の少女。示し合わせたように、一斉に何かを投げた。聖女騎士団の人形。×


「私の力を示せ!」

「「「「「「「イエス、マイロード」」」」」」」


 真名解放による人数の減衰。その類いまれなる戦闘力。それらを駆使すれば、もしかしたら打開出来ていたかもしれなかった。しかし、少女は静かに力を抜いた。


「どうして、私たちで争わないといけないの…………」


 蹂躙が始まる。







 襤褸雑巾のような有り様で、のんびりひよりんは倒れていた。まだ生きている。おこりんぼひよりんは、荒い息で一歩ずつ近付いていく。

 強かった。

 あの状況からも、抵抗は的確だった。打ち負かせばあるいは、という細い希望にすがったのかもしれない。しかし、もはや勝負は決したと言ってもいいだろう。それでも。まだ生きているのは。


「ああ、ぁ、ぁああ……」


 泣いていた。怒りがブレて、少女が落涙していた。ボロボロのはずの少女が起き上がり、静かにその頬を撫でる。打ち負かすためには立ち上がれなかった。それでも、こうやって涙を拭ってあげるためにならば、きっと何度だって立ち上がれる。


「ね。私と一緒に、みんなで生きて、死のう?」

「違う……そうじゃない…………私は日向日和なんかじゃ」


 膝が、落ちる。戦いの中、どこかの感情が弾けた。どうしようもない想いが暴発する。少女は、少女だった。戦士でも獣でもなかった。


「私は、違うものになりたかった」


 日向日和だったからこそ、生まれてしまった。弄ばれてしまった。量産される命と、ゴミのように廃棄される命。それらを培養器の中からずっとずっと見ていた。生きていた。覆しようもない真実に、心が震えた。だから、全て壊して解放してあげた。

 それだけじゃない。

 自分は絶対にああはなりたくないと。捨てられたくないと。弄ばれたくないと。


「私は、日向日和で幸せだったよ」


 日向日和だからこそ、生まれてこれた。生を受けた。短い人生でも、きちんと与えられた。その生きた姿を培養器からずっとずっと見ていた。どうやって生きようか。それがたった一つの真実だった。心が震えた。だから、たった四人でも一緒にありたかった。

 それだけなのだ。

 幸せに生きたいと。みんな一緒に、幸せに死にたいと。


「ほら。私たちは、同じでも違うんだ」

「憧れたんだ。あんな風に強く戦えたら、きっと私は自分を手に入れられる」

「四人で一緒にいよう。きっとそれが一番の幸せだ」

「一緒に、いたい……置いていかないで」

「もう、かえっておいで」


 おこりんぼひよりんは、のんびりひよりんを突き飛ばした。涙は一人で拭ける。一人で立ち上がれる。透明なシェルターは、いつのまにか解除されていた。それは、防衛装置が動きを止めていたということで、この研究所の心臓が潰れたということだ。

 そして。


「私は日向日和を乗り越える。だから、一緒に行こう」

「そう、決めちゃった……んだ、ね………………ぅん、なら――――」


 小さな身体が浮かび上がる。それはとても単純なことで、後ろから首を掴まれて持ち上げられているだけだった。いつもの骨は脱いでいた。火傷跡の残る顔が、精悍に灯る。生き様を見届けて、真っ直ぐに見つめる戦士がそこにいた。

 小さな首が潰れていく。少女は抵抗しなかった。そのまましばらく痙攣すると、手足がだらんと垂れる。



 エシュの言葉に、ひよりんは頷いた。その亡骸を強く抱き締める。光の粒子が、その身体に吸い込まれていった。消える直前、小さく頭を撫でてあげる。撫でられた少女は、どこか、穏やかな。


「戦えるな」

「うん」

「お前は、完成した」

「うん」

「お前は、オリジナルを超える」

「うん。私は『本物』になってみせる」


 だから、と。


「そうなれば、貴方の隣に、ずっと立てますか?」

「戦士ならば――――勝ち取れ」


 その心臓の鼓動を、右手の打撃が止めた。クローン体である少女は、もう長くは生きられない。脳内物質の力で肉体を酷使していた彼女は、もういつ死んでもおかしくなかったのだ。

 その最期の灯火が、今吹き消される。







 死んで目を覚ましたら、骨を被った大男がそこにいた。脱げばいいのに、と心底想う。想えることが、奇跡だった。


「あれ、本当に死んだの……?」

「死んださ。死体の仲間入りだ、俺と同じな」


 実感が湧かない。普通に呼吸しているし、思考もはっきりしている。生きていた頃と、あまり違いを感じられなかった。

 ただ、心臓の鼓動は止まっていた。その気になれば動かせたが、それがどこか象徴的な意味を示しているようにも感じる。


「同じ、ね」


 頬が緩みかけていたのを慌てて止める。


「じゃ、そろそろ行くね。今なら分かる。残り二人も近くにいるよ」

「待て」


 呼び止められてぴくりと止まる。うずうずと傭兵を見上げる少女の頭に、男は右手を乗せた。


「お前は、ひよりんではないのだろう?」


 運命のタリスマン。

 その身に運命神の祝福を。


「エジリ――屍兵、エジリ・ダント。それがお前の名だ」

「私の…………名前?」


 ひよりんではなく。日向日和のクローンではなく。屍兵エジリは自分の肉体を見下ろした。肌が浅黒く染まっていた。どこか、意味のある名を授けられた確信があった。変質した肉体は、女神の名を受容するため。


「これは、お前が自分を手にするための戦いだ」


 全てのひよりんを吸収する。それがオリジナルを超え得る唯一の道。4分の4の純粋な感情は、混じり合わさり、一つの人格として昇華していくはずだ。


「運命の至る場所を教えよう」

「ううん。もう、分かる。百里眼でも見えているし、なにより、の。だから、往くね」

「ならば、この運命のタリスマンが幸運を約束する。運命の交叉路を邁進せよ」


 男の不自然に強張った右手が、少女の頭に乗せられた。エジリはくすぐったそうに笑うと、炎の翼を広げた。


「ね」

「なんだ」

「いってきます」


 無言のまま手を上げるエシュに、エジリはつまらなそうに唇を尖らせた。黒く染まりつつある小さな身体が、運命に挑むために飛び立つ。



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