『リブート』――――隠者
毒ではない。
エシュは血と一緒に灰色の煙を吐き出した。単純な肺活量だけでは絞りきれなかった。粘りつく血液があってこそ、ようやく煙の暗殺者を追い出せた。
(肺をやられたか……一体いつ忍ばれた?)
白いガスが妙に重たい。彼は知る由もなかったが、これは消化用の不活性ガスだった。場所が場所だけにスプリンクラーで水を撒くわけにもいかない。煙はガスに潰されて床でしゅるしゅると蠢いていた。対応に迷ったエシュが、力強い腕に拐われる。
「なんだアレは!?」
「『リブート』の一員だ。知らずによく対応できたな」
エシュを引っ立てるのは、消火システムを局地的に作動させたシン=ムラサメ。彼は門で侵入された際にも感知していた。周囲を警戒し続けるムラサメを尻目に、エシュは血の唾を吐き捨てる。
「肺をやられた。これも異世界のチート技術というやつか?」
「肺……? 噛まれた…………まさか、ハイガミか!?」
「知ってるのか、ムラサメ」
「おとぎ話のような暗殺者だよ。出鱈目な伝説をいくつか聞くが、忍者みたいなやつで素性と能力は謎のままだ」
知った相手は軒並み殺されている。まさに気付いたときにはもう遅い、というタイプである。
「なるほど、忍者か」
「忍者は知ってるのな! なんでだよ!?」
戦ったことがあるから、とは言えない。
消火ガスが床に沈殿すると、煙は姿を変えた。しゅろろ、しゅろろ。か細い声に肉体が組上がる。真っ白な男だった。全身真っ白な忍者装束に、辛うじて覗いている肌も真っ白だ。闇夜にも浮かぶような赤い目が、唯一のアクセントか。
「ハイガミ――『リブート』の隠者だな」
ぺこり、と白装束はオジギをした。エシュは、ムラサメから長い鋼鉄の棒を渡される。このエリア一帯に、それなりの本数を仕込んであるらしい。
「研究員は避難用シェルターに避難した。囮のつもりだったが……そちらには食いつかなかったか。お前の狙いは中央サーバーで間違いないな?」
ムラサメの問いに、白装束は答えない。しかし、ここに至るまでに実は二つものサーバールームに侵入されていた。情報を抜かれたのか、何か工作をされたのか。判断がつかない以上、とにかく研究所のコアである中央サーバーに近付かせるわけにはいかない。
「はっ、残念だったな! お前が侵入したサーバールームはどちらもダミーだ。ロクな情報も入っていなかったんじゃないか?」
若干のはったりをかますムラサメに反応を返さない。というか、辺りを見回してなにかを探しているようだ。その視線だけは、エシュに狙いを定めている。大男は、口を開く。
「おい、女帝は死んだぞ」
エシュがIDカードを投げ捨てる。ハイガミが、初めて動揺した。中央サーバーへの寄り道としてエシュを、屍神レグパを狙った理由。それは屍神を欲しているあの女帝からの命令に他ならない。
「そこをどけ」
唸るような低い声。一瞬、隠者が喋ったのが分からなかった。溢れる殺気に、ようやく息を整えたエシュが鉄棒を構える。
「俺を見逃すというのなら「それは出来ん。お前さんの推察通り、このシェルター一枚の向こうが中央サーバーだ。そしてロックはもう外されたようだな」
隠者が飛び出した。同時、シャッターが静かに開く。巻き込まれて抗議するようなエシュの目線に、「助けてやっただろ」とムラサメは軽口を返した。
「お前が連れていたのは、日向日和のクローンだろう? そのデータもこいつに台無しにされるぞ」
徒手空拳の隠者に、ムラサメが鉄棒で牽制した。その隙間を縫うようにエシュが突撃し、短く握った鉄棒で隠者の腹を突く。
すっぽ抜けた。
「な」
重心は前に傾いたまま。ならばと引くより前に出た。肉体をすり抜けるように。背後を見ると、驚いた顔のムラサメと目があった。
しゅろろ。
しゅろろ。
「煙だ!!」
エシュの叫びに、ムラサメは鉄棒をまるでバットのように振り抜いた。エシュに勝る怪力での全力スイング。その風圧は傭兵をも薙ぎ倒し、廊下の奥で隠者が壁にめり込んでいた。
「なるほど。さすが忍者汚い」
よろめく隠者にエシュが鉄棒を投げた。顔面に突き刺さるが、やはり風化する。白い煙が傭兵をすり抜けようとしたその瞬間。エシュが煙の尻尾を捕らえた。
否、正確には大気の流れを捕らえていた。
空気を掴んで投げる。そんな概念的な動きも、仙術に通じている戦士がやるからこそ。肉体を回し、大気のうねりを流し、渦となって真上に放り投げる。実体化した隠者が天井に着地した。
「さっすが!」
大技の直後で硬直したエシュの肩に、ムラサメが乗る。蹴上がり、隠者への一打。やはりすり抜ける。
「まっずいな……打つ手なしだ」
反撃の手練手管を空中での方向転換で回避し、再び中央サーバーの入り口を陣取る。何をどうやったのかシャッターは全開で、その奥にあるドーム状の機械の群れがこの研究所のデータを統括しているサーバーなのだろう。
(本来であればフェレイが相手取る予定だった相手だが。偶発的な接触は避けようがないか)
間違いなく指折りの戦士であるこの二人は、物理一辺倒故にハイガミへの有効打を持たない。最初の不意打ちのように、一瞬の隙で体内に潜られたらもうおしまいだ。
「指」
指摘するエシュに、ムラサメは阿吽の呼吸で鉄棒を振り下ろした。小さな煙がしゅろろと舞う。隠者の右手小指の第一間接から先が大気に溶けていた。今度は口。
「肺を噛む、か」
エシュは目前の空気を捕まえた。呼吸を整え、両手でがっしりと握りつぶす。隠者が天井から落ちた。痛覚はあるらしい。
「………………そうだな」
隠者の連撃を鉄棒でいなしながら、何気なく呟く言葉。研究所に響く地響きと関係があったか。
「道を進め。交わるこここそが、運命の至るところだ」
「エシュ、お前まさか!?」
鉄棒の一撃が隠者を殴り飛ばした。今度は風化しない。それもそうだ。猛烈な勢いでぶっ飛ばされた先は、中央サーバーそのものなのだから。
「時間稼ぎは終わった。俺は侵入者の立場だぞ?」
ムラサメの振り下ろしを斜めに受ける。体勢の崩れたムラサメを蹴りで飛ばし、そのまま自分ごと中央サーバールームに押し入った。
「こんな形かよ」
「どんな形でも、だ」
隠者が煙化して中央サーバーを覆う。何やらメモ片手にハッキングコードを手打ちしていて、時間がかかると思われる。
その間に中央サーバーを破壊すればエシュの勝ち。
侵入者二人相手に死守すればムラサメの勝ち。
「「じゃあ、やるか」」
意気投合した二人がぶつかり合う。
◆
唸る地響きに、エシュは内心でほくそ笑んでいた。もう、状況は動き出している。止めることは誰にも不可能だ。だから、あとはそれらを縛り付けているこの研究所の心臓を破壊すればいい。
「『リブート』に寝返ったか!?」
「俺は自分と家族のためにしか戦わんさ」
壮絶な打ち合いに鉄棒がひしゃげていく。剛健たる特殊合金を芯に、鋼鉄で塗り固められた最硬品。それでも、最前線の戦士たちの戦いには耐えきれない。
「引けば見逃してやるというのに」
「生憎俺はこの仕事に誇りを持ってるんだ! それに、いつまでも上から目線で言える立場だと思うなよ!」
頭突き。『エターナルレベルアッパー』の強靭な頭蓋。鉛で塗り固めなくともその威力は絶大だった。エシュの鉄棒がついに折れる。
「はっは、じゃあ精々楽しめ。満足して散らせてやる」
「そんな陽気だったかよアンタ!?」
恩人でも、いや、恩人だからこそ。ムラサメは本気で鉄棒を振るった。三発エシュは上腕で逸らした。四発目は脇の下を通して抱え込むように、押さえ込もうとしてすっぽ抜けた。ムラサメが武器を手放していた。
「おぅら!!」
渾身の蹴りがエシュの腹部を穿つ。噛まれた肺がチリリと焼けるようだ。派手に噴き出す血は、目眩ましに飛ばす。頭突き。エシュの顔面の骨格がひしゃげた。その首を両手で絞められ、ムラサメは上体を大きく傾ける。その遠心力でエシュを引き剥がした。
「るぅうううおおお!!!!」
獣が吠えた。ムラサメは真っ正面から拳を放つ。エシュは掴み、捻るように投げ飛ばした。空中に放り出されるムラサメ。その足にはさっき手放した鉄棒が。身を捩るような回転運動でエシュに投擲する。
「取ったぜ」
ムラサメの勝利宣言。脳天に当たり、頭部を破裂させてぶちまける。そんなビジョンが彼には見えていた。
対するエシュは。
大気を握りつぶすように、両拳を接触面に向けた。鉄棒は軌道を逸らされて、エシュの左腕を破裂させて脇腹を抉った。
(まさか――――ハイガミッ!?)
真下を見ると、ちょうど中央サーバーがあった。実体化してのたうち回る隠者とともに、精密機械に落下。落下のインパクトで派手に炎上する。
「は――やられた」
炎に大気が巻き上がった。唐突な熱量は上昇気流に。中途半端に肉体を引き伸ばされる。ムラサメが頭上を見上げれば、隠者の上を取った傭兵の姿が。
「くっそ――やられた」
左腕がよく分からない機械に串刺しになっている。考えなしに引き抜いたら腕が動かなくなった。だから。真上に飛んで、右腕をラリアットのように振るう。エシュは、左腕が千切れとんでいた。だから、落下の勢いのまま右腕を突き出す。
「やられたやられた――やっぱ、大したもんだよ」
焼かれる大気に、煙化がうまくいかない。中途半端に実体化した隠者は、その首を二本の剛腕にてギロチンのように牽き潰された。
◆
中央サーバーがやられた。
これで、異界生類創研の研究データは全損だろう。それがどれくらい価値のあるものなのかは分からない。シン=ムラサメは満足げに微笑んだ。
「全力で生きた。だから後悔はない」
左腕はいつの間にかなくなり、右腕はへし折れて骨が露出していた。大火に焼かれて全身が火傷に苛まれ、両足は潰れて立つことすら出来なかった。
けれど、その目は死んでいない。
「呪いに苛まれた俺を救ったのは、お前の右手だ」
その屈強な肉体が持ち上がった。息が零れるだけの小さな声。顔面を潰されてまともに言葉を発せないエシュ。それでも、金属の破片があちこち突き刺さった足で、確かに立っていた。
「運命を踏破する。今ならその意味がよく分かる」
持ち上げているのは、右手一本だ。あの呪われし祝福を打ち破った運命神の右手だ。
レグパが、なんとかして言葉を紡ごうと。
「――楽しめたか、だって? まあ、そんな表現でいいのなら、きっとそうなんだろうな」
「……なら…………ゲーム、クリア……だ…………――――」
らしくない冗談とともに、シン=ムラサメの首はへし折られた。二人の肉体が炎に包まれていく。
隠者の煙が、一緒に焼かれて消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます