『リブート』――――女帝
エシュは自分の背中が叩きつけられた衝撃で、打撃を受けたのだと知覚した。衝撃を流せたのはほとんど勘だった。厳つい表情でブンブン笑うオケラキメラが飛び回る。
「あらん、無様ね!」
エンリーク、嬉しそう。ひよりんが怒りの形相で追いかけているが、凄まじい速度に手が届くべくもない。遊ばれている。エシュは双剣で衝撃波を切り裂く。高速機動の衝撃波で身動きが取れない。それはエンリークも一緒なようで、ビビりながら縮こまっている。
「おい、止まれよ虫けら」
毒を吐いた天使、オケラに蹴られる。
「あらあら、はしゃぎすぎもダメよぉ? ぐちゃぐちゃにしたら献体の価値が下がっちゃうでしょう?」
対して『女帝』には従順だった。ピタリと止まったオケラキメラに、ひよりんの五行が殺到する。両手で印を結びながら走るひよりんは、『鋭化』による感覚強化でスズメバチの高速機動に対応し始める。振り返ったオケラキメラの蹴りが、圧倒的な風圧としてひよりんをねじ伏せた。
「そいつらは最重要目標だ。本気で殲滅しろ」
「自分も標的なの、忘れてないかしら?」
クラブハンマー。蟹の手がエシュを上から叩く。双剣を重ねて受け止めるエシュだが、その威力に思わず膝をつく。
「ああ、こうして挽き肉に出来ちゃあう!!」
うっとりと笑うエンリークが、鴉の羽を肥大化させた。大質量が雪崩のように送り込まれ、怪力を誇るエシュが滅多打ちにされる。
「エシュ兄ぃ!」
「オニイ、チャン……!」
投げ渡された青竜刀で黒い濁流が両断される。
「「…………ハ?」」
一方、殺意の目で睨み合う二人。
「昔の女? やっぱり昔の女なの?」
「狼狽えるなそいつは罠だ」
大火炎。五行ではなく、炎竜帝の異能。虫を焼くなら有効的だ。ただし、他の全てをも巻き込む火力だったが。
「うっそお!!?」
「構わん、殲滅しろ」
熱線が辺りを焼き払う。翼で防御したエンリークと、天井に逃げたエシュ。オケラキメラはまともに喰らい、そして。
「火が、効いていない……?」
その強化外骨格が、摂氏数千度の熱量を防いでいた。周囲の動物たちは蒸発して、それでも動物園そのものが無事。そして、中央の『女帝』も。
「火は効かないわあ」
右手の人差し指を立てる。赤い指輪がほんのりと光っていた。ひよりんは水手裏剣を裏手で投げる。
「水は効かないわあ」
青く光る指輪をつけた中指を上げる。『鋭化』で底上げしても、無力。薬指、小指、そして親指。次々と上げる指には、属性に対応した色の指輪が。ダメージを防ぐなんて生易しいものではない。文字通り、五行を無効化していた。
(同じ方式で精霊を操っているタリスマンも効果なしだな、これは)
脳裏にちらつく弟分と妹分。あんなちゃちな指輪だけで、完封されかねない相性の悪さだった。
「関節だ。鋭くいけ」
エシュがひよりんの背中を押す。衝撃波を纒いながら動くオケラキメラには、女帝も近付きにくいはずだ。分裂するひよりんが次々と斬撃を浴びせる。エシュは猿蟹連打を長物で弾きながら、エンリークを掌底で吹き飛ばした。片翼の翼が舞い散る。
(やはり、凶悪化しても本人の戦闘能力が――――)
飛んできた動物の頭蓋を、女帝は慈しむように撫でる。白と黒の羽で全身ズタボロにされたエシュが倒れた。即死だ。焦るひよりんが足を乱して、分身体が瞬殺された。ただ、エンリークの哄笑だけが場を支配していた。
「さあさあ起きなさあい!! 不死身の獣!! あんたも私も堕ちた獣に過ぎないのよおお!!!!」
「……ぅ、るぅ、ぐるおおおおおおおお――――――!!!!」
獣の屍神とキメラ天使が暴力と暴力をぶつけ合う。薙刀と打撃で動き回るエシュに、エンリークはじわりじわりと削られていく。オケラキメラに投げつけられたひよりんを下に叩きつけ、二体一でようやく互角に持ち込まれる。
「すごいすっごいー!」
能天気な女帝の拍手。ゆるりと回すのは十字刃の双黒槍。倒れたままの姿勢から飛びかかるひよりんを、女帝はひらりとかわした。槍を支点に、まるでポールダンスのようだった。そのまま自然な動きで振り下ろされた刃は、飛んできたオケラキメラの強化外骨格に阻まれた。
「あれま」
猿手を落とされたエンリークが、エシュの頭部を粉砕する。獰猛な泥試合も、不死身の屍神にアドバンテージがあるのは確かなようだ。しかし。
「蛇は無限、不死身の象徴。円環のウロボロス、脱皮繰り返す無垢な魂」
エンリークが、皮を剥いだ。その下で無傷のエンリークが獰猛に笑っていた。理性が飛び掛かっているのか、全裸のまま気にせずエシュに突撃する。既に天使は獣に堕ちていた。
「さあさ。私のお気に入り同士、惨めに喰らいあいなさい」
飛びかかるひよりんを、オケラキメラが叩き落とした。まるでハエ叩きか何かである。それでも、溢れ出る脳内物質で復帰し、研ぎ澄まされた日本刀を何度でも何度でも斬りつける。ついに、オケラキメラの首が飛んだ。軽く驚いたような表情の女帝は、自分の検体に双黒槍で止めを刺した。何気ない動きだった。
「エぇンリぃいークぅ!!」
エシュの牙がエンリークの喉を喰い千切った。皮を剥ごうとするエンリークを、エシュの怪力が全力で押さえ込む。女帝は双黒槍で瓦礫を斬りつけると、復活を封じられて暴れるエンリークの首を切り裂いた。くるりと回るように、朽ちていくモザイクビーストを嘲笑う。
「うん。やっぱり条件は満たしていたみたいね。いくら養殖もので試しても発現しないみたいだし……やっぱり素体は天然に限るわあ」
瓦礫が砕けて女帝の周囲を舞った。
「バグ・ストーン……そろそろ一々名前考えるのもめんどーだねえ?」
既に満身創痍のエシュとひよりんが呆然と立つ。果たして何が起きているのか。理解が追い付かない。
分かったことはただ一つ――――ここがようやくスタートラインなのだ。
◆
双黒槍『次世界』。
『女帝』の分身であり、まさにチートそのもの。モザイクビーストを生み出す、混ざりものの担い手。その矛先が無生物に向いたらどうなるのか。
「屍神。貴方を頂きにきたわ」
バグ・ストーン。
意志を持った石礫が縦横無尽に動き回る。小柄で身軽なひよりんはかろうじて回避しているが、大柄なエシュはどうしても被弾回数が増える。肉体を抉り取る破壊の嵐。一つ二つ砕いたところで大局は変わらない。援護に駆け寄ろうとしたひよりんを手で制する。
「手数、ねえ?」
「そいつの槍を絶対に受けるな!!」
双黒槍を支柱に女帝が回る。バグ・ストーンの嵐がエシュを封じ、ひよりんは『鋭化』させた短剣に持ち変え、槍の攻撃を受け流す。一発でも当たれば何が起こるのか分からない。それは、不死身のエシュでも同じことだ。
「異生研の自信作、だったかしら……? 私の失敗作たちとどっちが上か見てみましょうか?」
嘲笑う女帝が槍を振るう。近付けない。バグ・ストーンは確実に傭兵を足止めしている。やらなければ。ここで倒さなければ。少女の額に焦りの汗が浮かんだ。
『次世界』が躍る。空間がたわんだ。たわんで、歪んで。そうして空いた穴から、なにかがボトボト落ちてきた。ひよりんの顔が引き攣る。
「ん? 質の悪い素体を綿密に保管してもしょうがないでしょ? 雑にまとめて雑に使い切る、それがコスト管理ってやつ」
ぬめる液体に包まれた女の身体。無数のソレが折り重なるように落下し、ぴくぴく痙攣している。女帝は大槍一閃。肉の塊が派手に散らばった。
「あなたは成功品、ソレらは失敗作。おーけー?」
「エシュ、兄……」
蠢いている生きている。次いで、見目麗しい人形たちが時空の穴から落下してきた。女帝が『次世界』を手に踊る。肉と人形が混ざり合い、地獄のワルツが鳴り響く。悲鳴だ。くぐもった悲鳴が次々と人形に吸い込まれて、人形の群れが一斉にひよりんに掴みかかる。
「エシュ兄ぃ……!」
「目を、逸らすな」
巨大な鬼棍棒。『武器生成』で無我夢中に投げ渡したのは、圧倒的な力で全てをねじ伏せて欲しいという願いか。血塗れで、穴だらけで、骨もあちこち折れている男は、それでも確固たりと前を見据えていた。
「全部砕いたぞ」
「どぉっちにしろ、貴方には一太刀入れなければならないしねえ。望むところよ」
満身創痍のエシュに、女帝は嬉しそうに笑った。殺さなかったのは、わざとだ。今の状態のエシュならば、女帝の手に届く。不死身の屍神は、もう目の前に。紅潮する頬で、だらりと涎を垂らした。
「自殺の時間は不要かしら?」
「俺がそれをしないのは、よく知っているだろう?」
もの考えぬ生物兵器ではない。意志を持つ戦士だからこそ。だからこそ女帝は彼に狙いを絞ったのだ。エシュはふらつくように片膝をつく。ひよりんの頭に手を乗せて、耳元で囁く。
「お前は今まで何を見ていた?
何を目にし、何を考えた?
戦え。そうして掴み取ったものがお前の真実だ」
凶刃が迫る。エシュは片膝のまま、低く低く這うように走り出した。ポールダンスのような動きで翻弄する女帝に、満身創痍のエシュはじわじわと追い詰められる。
「我が名は運命神レグパ。交叉路を、この身にて踏破する」
エシュは、最後にもう一度だけ振り返った。
「奴になくて、お前にあるもの。それが勝利への道だ」
血濡れの
◆
『模倣』による異能の収集。そのために、ひよりんはこれまでの戦闘は観察に徹していた。
それでも、ずっと目で追っていたものは別にあった。
あの男は、異能の力に頼らなかった。自らの肉体と、研鑽された技術の粋。突き詰めた強者の戦いから、ずっと目が離せなかった。時代も、世界も、きっと関係ない。乗り越えて、研ぎ澄ます、そんな意志の力。
戦士の生き様を、ずっとずっと目で追っていた。
(うん――――そうか)
震えが止まった。男は今も死闘に身を投じている。死体の彼が、それでも生きている実感を得るためには。そして、クローン体である自分が、本物として生きている実感を得るためには。
「戦え。戦って、戦って、戦い抜け――――」
そして、隣に立つのだ。
そう考えると、どこかむず痒いような感覚を覚える。選択した異能は、『鋭化』。足りない経験は、今はズルして補うしかない。鋭い刃渡りの日本刀をその手に握る。震えは、止まっていた。左の腰に構えた鞘を小さく撫でた。
「さあ、行こう」
怒りが。あれだけこの身を焦がしていた怒りが、この瞬間だけは波紋一つ立てなかった。消えたのではない。凝縮して、研ぎ澄ませる。その柄に、右手を握る。
◆
「屍神の複製が不可能だって判断された理由、貴方なら分かるわよねえ?」
「……奴らは魂の存在を勘定に入れていなかった。髄を抜きに、至れるはずもない」
「私はねえ、そこにあるものであれば何でも認められる。世界をありのままに捉えられる真の実存主義なのよ」
半月刀と双黒槍がぶつかり合う。
魂も、この身を突き動かそうとする意志も。元素が組み合わさって構成される肉体とシナプスを介した電気信号による反応も。そこに認められるのであれば、それは理論の内に組み込まれるべきだ。全てを掌握した完璧な頭脳、とカンパニーからは称される女帝。だが。
「私は完璧なんかじゃない。だからこうしてさらなる高みを目指す。それを放棄するのは、凡夫たる愚か者の所業よ」
「俺は兵器としては失敗作だった。だからこそ、この身を鍛えて、戦士たる必要があった」
届かなくても手を伸ばす。
「私なら、きっと届く。届かなくても関係ない。そんな信念で以て私は手を伸ばし続ける。私たちは、同じなのよ」
「ああ、そうだな。だから――――」
「「お前が踏み台になれ」」
人形の群れが雪崩れ込む。今度は女帝も共に突っ込んできた。人形を次々と足場にし、舞うようにエシュに迫る。人形に足を引っ張られるエシュにはこの一撃を絶対に回避できない。そして、掠り傷一つでも負わせれば女帝の勝利だ。この状況は、全て手の平の中。
「ガーベラ=スミス。認めよう、お前は強い。その強かさは、恐らく俺をも上回る意志の権化だ」
だがな、とエシュは前のめりに倒れながら。
「惜しい。お前ほどの存在が戦士たれば、きっと無敵だったぞ」
女帝の両腕が切断された。神速の居合抜き。しかし、怒りと殺意に塗れたその攻撃は、戦士の勘さえあれば察知は容易だったはずだ。悲鳴を上げることもなく見開かれた両目。斬り離された両腕ごとあらぬ方向に転がる『次世界』。
「――――――――あれ、私負けた? なんで?」
「いや、お前は俺より勝っていた。お前を下したのは、あの小さな戦士だよ」
怒りで目が眩む。荒い息で日本刀の柄を握り潰したひよりんが、女帝をじぃっと睨みつけていた。その視線だけで、あの女帝がほんの少し肩を震わした。
「……考える時間が欲しいわあ。考察したい。どうせ、カンパニーからは生け捕りを要請されているでしょう? ほら、私の情報ってかなり貴重みたいだし」
「お前は、根本的に戦いに向いていないようだな。屍神に拘るにしても、俺以外に狙いやすい奴はいたろう」
「欲しくなったのは、貴方だもの」
ひよりんが、その小さな拳を女帝に向けた。彼女の一撃ならば、ここで女帝の肉体を粉砕出来るだろう。エシュはそれを止めた。よろめきながら、静かに立ち上がる。
「こいつは連れて帰る。ひよりん、この島を沈めろ」
エシュは双黒槍を一瞥したが、拾うことはなかった。彼はどんな武器であろうと使いこなす器量があったが、流石にコレは、手に余る。
「死人に口なし。残された時間で私も考察を進めるわあ」
エシュがぴたりと動きを止めた。何かと思ったが、小さく震え、やがて大きな声で笑い声を上げた。傷に響いて転げまわる。その異様な光景に二人が黙る。やがて、エシュの笑いが収まると。
「悪い悪い。ウチの弟分が、その言い回しを気に入っていてな」
自身の半身たる『
◆
「いやあ、まさかあの『女帝』が倒されるなんてね」
誰もいなくなった要塞島で、人形の一つがむくりと起き上がる。その人形は、女性にしてはかなりの長身で、しかも背中から4対の白い翼が生えていた。黒い髪の毛は膝裏まで届くほど長く、その表情は邪悪に歪んでいる。
「強欲天使エンリーネたん華麗に復活ぅ!!」
さらに注釈すると、全体的にスレンダーな体系で、特に胸が完全に絶壁である。
「さて。貯金もそれなりに貯まったことだし、借金踏み倒しておさらばね」
そこで人形に魂を移されたエンリークが何かに気付く。持ち上げるのは、双黒槍『次世界』。
「うわ、放置ってマジ? あの男、妙なところが乱暴というか適当というか……!」
まあいいか、と人形の身体でにんまりと笑う。これがあれば、色々なことが出来る。さらに、今は別人の身体である。これならば何をやってもその罪を擦り付けられる。しかも、人形が天使ベースだったせいで異常によく馴染むのだ。
「ふっふっふぅー、私の悪運も捨てたもんじゃないってね♪」
希望に胸を膨らまして、エンリークはるんるんスキップで駆け出す。その足がぺしゃりと濡れた。水たまりである。というか、浸水してきている。そういえば、侵入者二人は要塞島に穴をあけて侵入したのではなかったか。
ちなみに、要塞島は現在水深千メートル。
まだまだ絶賛沈没中である。
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