暗夜薄明! 鮫釣り婦人の闇勘定

「――――もし。どういうことかしら?」


 言いながら、お姉さんはゴルフバックを手繰り寄せた。中から取り出したのは、杖だ。先端に聖マリア像のような女神像が彫られた木製の杖。どう見ても戦闘用である。

 代わりにやたら丁寧に釣竿を仕舞う。


「や、待て待て! 俺、ハンター! あいつ、ターゲット! 仕事だってえの!」


 ゾン子が突き付ける手配書。そこには確かにアルビノの鮫がでかでかと描かれていた。

 水に濡れてふやけた手配書。それを勢い良く取り出す際に、ぺらりと重なっていたもう一枚が剥がれ落ちた。


「なるほど。仕事熱心なのね」

「あれえ?」


 『ガーデン・サイネリア』。その手配書の相手は、まさに目の前に。余裕の笑みで杖を構える鮫釣りのお姉さん。脅威度は、星4。


(――てことは、さっきの鮫君よりは弱いわけだな!)

「はっ、ついでに泡銭あぶくぜににしてやるよ!」


 よく分からない理由で意味不明な口上を述べるゾン子に、大組織の大幹部は『こいつは馬鹿だ』と看破した。


「あらあら、うふふ。貴方達の熱狂が心地良いわ。でもその熱心さ、どこまで持つかしらね?」


 杖から飛び出す複数の黒い球体。ゾン子は腕をクロスにして顔を守り、そのまま直撃。ガードに使った腕が黒ずんで萎んでいく。


「うわあ!? なんじゃこらあ!!?」


 転げ回るゾン子。さらにガーデン・サイネリアの杖から錆色の波動が放たれる。ゾン子は水を纏った手刀で波動を斬った。が、手応えなし。


(『錆び付いた英雄叙事詩』の効果は無し、か。あの水を操る攻撃はチートでも魔術でもない…………?)


 ゾン子のがら空きの胴に黒い閃光が放たれる。ゾン子は頭突きでソレを受け止め、数歩走って足を縺れさせて転んだ。


「いや、さっきからなんでわざわざ当たりにいくの……?」

「はっ、効いてねえんだよ!!」


 萎んだ両腕をばっと広げる。右顧左眄の法。直撃したからには死体少女の能力値は徐々に低下しているはずである。だが、これは一体。


(こいつ……もしかしてとてつもなく弱い?)


 サイネリアが前に出る。杖による打撃。殴打、殴打、そして殴打。面白いように攻撃が入る。青アザだらけで転がる惨めな女に、妙な警戒心を抱いて距離を取った。黒い閃光をもう一発。


「いででで…………なんだ、なんか調子悪いぞ……?」


 そりゃそうだろう。単純な地力がぐんぐん落ちているのだから。覚束無い足取りで迫るゾン子を、やはり杖でボコボコにする。


「あ、あれぇ……?」

「…………そろそろ殺していいかしら。貴女は神聖な釣りを侮辱した。報いを受けなさい」


 フルスイング。ゾン子は為す術もなくをかち割られて血塗れで海に落ちていった。


「あらあら、凡夫って大変ねぇ」


 沈んでいった雑魚もハンターではあった。であれば、何かしらの特殊能力があったのかもしれない。だが、関係ない。チートを大量に飼育している大組織のナンバー2。そんな肩書きを持つ彼女は、その手の相手を無力化することに秀でていた。

 サイネリアは、釣竿をしまったゴルフバックを背負って姿を眩まそうとする。

 その時、海面がぼこりと盛り上がった。







 タリスマンとは、一言で表すならば『お守り』である。

 身に付けることで、世界に満ちる精霊の力の加護を得る。その形状と効果は文化基盤によって様々だった。屍神ラダ・ペトロの基盤においては、かつて生きていたものの身体部位を用いる。儀式を通じて精霊ヴォドゥンに祈りを捧げるが、それを神格を有するものが行えばどうなるか。


 精霊を従え、数多の魂を礎に人の呪いを振り撒く。

 それこそが、屍神である。


 例えば、屍神の三。

 彼女はタリスマンの扱いに最も長けた屍神である。その理由はまずもって不明だが、少なくとも本人の技量によるところではなかった。付き従う精霊は、神格の強靭さに応じて主人に似るらしい。二重神格。屍神アイダのみが有する特徴。

 水の精霊は、割りとノリと道楽で主人に従っていた。だから本人がどれだけ弱体化されようと関係ない。全て飲み込んでしまう。好き放題暴れてしまう。

 アイダ=ウェド=エジリ=フリーダ。

 押し付けがましい愛の慈悲が、理不尽に振り撒かれる。







「なんですの…………?」


 大事にしていたバックがぼとりと落ちた。これまでチートの類いは散々見飽きてきたが、これはそんなものではない。人が手にする力ではなく、神の所業。

 風船のように歪に膨らんだ肉体。手足は肉体から離れて粘りついた水分で繋がっているだけ。顔面も倍近くに膨張した異形の存在だった。


「ばぁあ!」


 膨らんだ頭部でゾン子は笑った。一体何がどうなればこんな肉体に組成されるのだろう。絶え間なく降り注ぐ水の鞭と刃を杖術で凌ぐ。

 黒い球体。

 黒い閃光。

 そして、錆色の波動。

 海から身を乗り出す化け物の肉体が黒く萎んでいく。その動きは徐々に鈍く。それでも、水による猛攻は止まることはなかった。黒ずんで朽ちていく二十の指からそれぞれ水の竜が生まれる。向かってくる一体、サイネリアは打撃で顎を打ち砕いた。


(えぇ……思ってたより弱いわぁ)


 あの得体の知れなさからこの程度とは、ちょっと残念である。


(こんなのなら、は不要ね)


 いい加減攻撃パターンも見えていた。これでゾン子自身が強ければ勝負は分からなかっただろうが、そういう素の地力が高い相手は別の幹部の担当だ。それこそ自分の出る幕ではない。


「さて、どうしようかしら?」


 手の内は読めた。この程度ではミザネクサ三連星が一、ガーデン・サイネリアには至らない。あとは、どうやって止めを刺すか。彼女はそういう割りきりは思い切っていた。


「パス。ライちゃんに任せましょ♪」


 お互い決定打に欠ける。ならば、決定力のある同僚に任せるのが吉だ。ここで自分が労力をかける意味は薄い。水の猛攻を楽々凌ぎながら後退する。その数歩で、変化があった。


「うんや! 待て待て、そっち行くから!」


 ゾン子の声だった。

 その歪に膨らんだ頭部から大量の水をスプラッシュ。お空に虹がかかる。サイネリアがその光景に目を向けていると、いつの間にか青いワンピースの女が目の前にいた。しかも無傷である。


「…………え、どういうこと?」

「変な死に方して復活がバグっちまったぜ。さて、覚悟しな!」


 呆けるサイネリアを無視してゾン子が動く。その一瞬程度では追い付かれない。サイネリアは冷静に計算して我に帰る。


(また同じように倒すだけ。でもまあ、ライちゃんと同じ不死者だったらメンドクサ)


 さっきと同じように。

 だが、彼女はそもそもゾン子としか戦っていなかった。


「イ、わね…………ッ?」


 一直線の水の道。摩擦へ削って超高速で迫るにたにた顔。その鋭い手刀が、ガーデン・サイネリアを切り裂いていた。



「恐ろしく早い手刀――――オレでなきゃ見逃しちゃうね」







 火の手が上がっていた。ゾン子は大層高く売れそうな骨董品のような杖をネコババして動き始めた。


「にゃろめ! オグンの奴早速おっぱじめやがったな!」


 ウルクススフォルム。

 その名前は、真銀龍エヴレナの保護を依頼してきた女性に言われたものだ。エヴレナやアルバレス、彼らの話を聞いてどんな組織なのか何となく探って、それをそのままオグンに横流ししていた。中途半端な情報を中途半端なまま横流す。それは、状況を悪戯に混沌とさせるだけだった。

 まさに、この騒動の元凶はゾン子だったのだ。


「おうおうお祭り騒ぎだ! 俺様も混ぜろやい! けどあれだな……ドラ子だけはさっさと確保しないとヤバいかもな」


 道をスケートのように滑りながら、ゾン子はへらへら笑っている。

 そして、軽い口調で言った。


「アイツなら――さっさと死体に変えちゃえとか言い出しかねないしな」

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