『軍神の謀略』

 鮫釣りは唯一といっていい趣味だった。

 会社では出来る女性で有名な彼女も、仕事の合間に趣味の時間を差し込んだりもするのである。桃色のゆるふわロングの髪形で、見た目は黒いスーツを着たOLといったところか。後ろに立て掛けているゴルフバックが妙に不穏だが、気にしてはいけない。


「やあ、釣れますかな?」

「おほほ、あんまりですわねぇ」


 上品に答える。鮫釣りの同士なんて珍しい。ちょっとテンションが上がって頬が上気した。珍しいこともあるもんだ。


「この辺、元気な鮫さんがたくさんいるって話なんですけどねー?」

「あら、分かります? 私もその噂を聞いて飛んできたのですが、どうにも中々……」

「うんうん、やっぱり忍耐あるのみですよね」


 一緒に並んで針を落とす。鮫用の頑丈な奴だ。


「こういう時間も、醍醐味ですから!」

「素晴らしい! のんびり出来るのも悪くはありませんよねえ」


 鮫釣りの際には、お上品に丁寧に。そして釣り上げる瞬間は荒々しく。それが常識である。


「「おほほほほ、おほほほ」」


 相手は、死相浮き出る青いワンピースの女だった。







「てめえ、何しやがる!?」

「ごめん、手が滑った」

「あん!?」

「足もー滑りましたーおーねーさーまー」

「ならしゃーなしか」


 そんなやり取りの後、ゾン子はいつの間に姿を眩ましていた。



「……ああー、エヴレナちゃん。服、買ってきたよ?」

「ん」


 いつものトレンチコートとハンティング帽に戻ったアルバレスは気まずそうに紙袋を渡す。エヴレナは頬を染めながら受け取った。試しに広げてみる。ピンクのヒラヒラがたくさんついたゴシックドレス。胸元の赤いリボンがチャーミングだ。


「――――え。これを私に着せてどうするつもりだったの」

「ん? お嬢ちゃんの年頃だとこういうの好きだろう?」


 エヴレナはわなわな震えながら紙袋を取り落とした。真っ青な表情で身体を抱き締める。そこに差し伸べられる神の手。


「あれ、バッティングしちゃった? ごめんね。時間かかったかも」


 ちょっとその辺で感覚のビニール袋を持って少年が戻ってきた。ゾン子が言うには弟分らしいが、本人はそれを言われるのが物凄い嫌そうだった。聡いエヴレナはちゃんと察するのだった。


「あれ、フェレイ君それは?」

「うん? 流石にその格好のままは忍びなくてね」


 フェレイが買ってきたのは動きやすそうな銀色のワンピース。左胸にワンポイントの小さなリボンがさりげなく揺れているのが可愛らしい。もう一つフードつきのパーカーが入っているのは頭の角を隠すための配慮だろうか。


「わあ、ありがとう! 嬉しい!」


 笑顔満点にワンピースを受け取ると、アルバレスにお辞儀をしながら無言で紙袋を押し付け、物陰に走っていった。その入り口を塞ぐようにフェレイ少年がさりげなく立ち位置をずらす。


「……年頃の子は難しいな」

「女心は難しい、の間違いじゃないの?」


 両手を頭の後ろで組んでフェレイがアルバレスを見上げた。


「ね。アレ、どこで見つけてきたの?」

「……神竜のことか」

「あんなの見たことないよ。アレを、ウルクススフォルムに持ち帰ってどうするつもりなのかな?」

「保護だよ、保護。お前こそ何が目的なんだよ――――軍神オグン」


 無言無表情でフェレイは両手をだらりと垂らした。

 カミロ・アルバレス。彼は故あってウルクススフォルムという組織に手を貸していた。それも末端構成員としてではなく、それなりの立場を与えられて。だから連絡は密に取っている。同じくウルクススフォルムに属するエルが彼に敗北していることは聞いている。


(だが、ウルクススフォルムの存在をどこから知った? 一体どうやってここまで情報を掴んだんだ?)


 表情を消して、フェレイはぴたりと静止していた。一切の無駄を排した、そんな自然体。


「用兵家エルを引き渡せ。それとウルクススフォルムが持つ全ての情報を引き渡すんだ。譲歩は認めない」

「聞けるはずない、てのは分かるよな」

「うーーん、『僕のことを知る面子の処刑』を入れなかっただけでも十分良心的だと思うよ?」


 この状況はマズい。アルバレスは理解している。フェレイがどれだけの情報を持っているのか未知数だ。はったりなのか、それとも王手を掛けられているのか。今考えると、あの空気を読めない死体少女をどこかにやったのはフェレイの策略なのかもしれなかった。

 アルバレスは黙った。彼とて、それなりの修羅場は潜っている。その目が見抜いた正答は、時間稼ぎ。フェレイがそれに気付いて口を開こうとしたその時。



「お待たせ!!」



 ワンピースパーカーの竜少女が物陰から出てきた。当たり前に服を着ているというだけで、この上ない安心感。もうにっこにこだった。


「フェレイ君フェレイ君、どう? 似合う?」

「ああうん。似合う似合う」

「えへへ、よかったあ」


 そちらを一瞬たりとも見ない少年に嬉しそうにはにかむ少女。アルバレスはにやりと口角を上げた。これでフェレイから仕掛けてくる手は限られる。なりふり構わず暴れられるのが一番怖かったが、そのためのは既にこちらに向かってきている。

 男がやってくる。

 こちらの増援ではない。無造作にこちらにやってくる男に、アルバレスは嫌な予感がした。動きはしっかりしているが、妙に生気がない。例えるならば、ウォーキングデッド。動く死体のような。男がフェレイに何か耳打ちすると、フェレイは楽しそうに頷いた。男の背中をぽんぽん叩くと、彼は再び歩き出す。

 エヴレナはただ物珍しそうに見ているだけだったが、これはそんな軽いことでは決してなかった。


(死体……そうか。あいつはそうやって情報を――――)

「はは、よかったね。秘密結社じゃ味気ないから、僕がPRしてあげたよ。島の場所を広めてあげているんだ」


 時間稼ぎなんてしている場合じゃない。嫌な予感が確信に変わる。こいつは危険だ。放置しておけない。


「やったね、お客様が増えるよ!」


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