vs夜光の三日を納める者
タングステン鋼のツーハンドグリップマチェットナイフは、陽向晶納のお気に入りだった。
腰の後ろの鞘が所在なさげにぷらぷら揺れている。納める刃はなく、それは少女の手中にあった。代わりに右手で握るのは、
「出ろ」
エシュの一言にひよりんは飛び出した。獣のごとき俊敏さ。タングステンのマチェットナイフ片手に距離を詰める。背後に控える『天秤刀』が煌めいた。青と赤の軌跡が間隙なく少女を叩く。獣のように牙を剥きながら、少女は笑った。
切断ではなく、刃の腹での打撃だった。鋭化の異能であれば、もしかしたらこのタングステンのマチェットナイフすら両断可能だったかもしれない。しかし、それを躊躇うだけの理由があった。泥濘をものともせずに前進しようとしたひよりんが方向転換する。銀脇、足の腱を切断する軌道だった。
「動きを止める気? 甘すぎるよ」
ナイフを沼地に叩きつけて泥を跳ね上げる。天秤刀の一対が刀身を走らせるが、既にもぬけの空。視覚と嗅覚は封殺された。だが、音と空気の触感は隠せない。
泥の中、サメのように直進してきたひよりんの右手首を踏みつける。真下からの奇襲を狙っていたが、バレバレだ。少女が苦悶の悲鳴を上げた。晶納はつまらなそうにマチェットナイフを取り上げる。
「お前、本当にあの陽向日和か?」
「ぐ、なに……を…………っ」
「俺の知っているガキに比べて弱すぎる。何をそんなに乱している」
顎を蹴り上げ、浮いた無防備な身体に強烈なボディブローを浴びせる。一直線に吹き飛んだひよりんはそのまま大木に身体をめり込ませる。
「てめえか――化け物野郎」
「感情特化型。その爆発力は認めるが、半端に不純物を混ぜたことで脅威は落ちたな」
直刀を左手に持ち変えて、愛用のマチェットナイフを右手に握る。タタン、タ、タッ。四歩。意味ある歩行が身体能力を跳ね上げる。
「星……?」
エシュは天を見上げていた。四刀一体。退魔の男が肉薄する。
二段蹴り。一撃目でマチェットナイフを弾き、二撃目で晶納の土手っ腹を蹴り飛ばす。手応えのなさから勢いを殺されたと判断した。
(ひよりんは気絶……いや、そのフリか。中々逞しいな)
薄目を開けて好機を探るその姿は、半端な不純物の成果だ。
エシュは晶納が立ち上がるのを待った。両手の青龍刀を前に構えて攻撃に備える。
「間もなく日没だ。お前には不利に、いや、有利になるのかな……?」
「お見通しかよ。なおさらムカつく」
真名解放による退魔の力。
陽向晶納においては、天に瞬く星の力を保持する金行の力。エシュがその力を見破った理由は、単純至極。運命神レグパ、彼も同じ方式で因果を操る力を発揮しているのだから。天に瞬く星ではなく、この二本足で踏み立つ惑星の精霊によるものだったが。
運命のタリスマン。運命の交叉路に立つ男が前進する。
(浮かぶ二刀と左の直刀の動きは掌握可能。鋭化の異能とやらも触れなければそれまでだ)
「てめえ、そのためにあのガキを囮にしたな?」
鋭化は、その切断力を高める。だったらどうするか。エシュは青龍刀二本を振るって天秤刀を弾き飛ばした。刃の腹。元から切断能力のない部分に鋭化は働かない。
「彼女は役目を果たした! まだ生きているのが何よりの証拠だ!」
声を張り上げているのは、わざわざ少女に聞かせるため。その行動で晶納は看破する。少女はまだ戦闘不能になっていない。骨で顔を隠した大男。しかし、その表情はありありと想像できた。
「煽ってんのかてめええ!!」
「今の無駄で一秒稼げた。この差は分かるな?」
鋭化の二刀流vs青龍刀の二刀流。
片方の動きを読めるとしても、エシュの勝率はせいぜい四割ほどか。それを、九割近い確率まで引き上げたのは駆け引きの技術。タリスマンの、精霊の力ではなくエシュ本人の技量。青龍刀が粉々に切断されるが。傭兵の怪力がその両手首を押さえていた。
「んのやろッ!!」
晶納の蹴りをエシュの足が封殺する。左手から離れた直刀がエシュの背後に回り込んで凶刃を向けた。しかし、その動きは読めている。手首を捻るように晶納を頭上に投げ上げたエシュは、じわりと距離を詰めていた天秤刀ごと回し蹴りで砕く。勢いを止めずに拳を上に、晶納の鳩尾にめり込んだ拳。晶納はぴくぴくと痙攣しながら沼地に倒れた。
「まだやる気か」
生け捕り目的でなければ今の一撃で心臓を止めていた。
「おぅらあ!!」
その身を震わせながら晶納が立ち上がる。鋭化のナイフを警戒してエシュが大幅に距離を取った。天秤刀と直刀の動きは掌握済み、あのダメージなら素早く動くことは出来ない。そして、もう一つ。
「我が名は――」
「悪いな、これは勝負ではなく狩りなんだ」
「夜光の三日を納める、陽向晶納ッ!!」
「最初からアンフェアな戦いだよ」
天秤刀が有する呪力が
巨大。
凄まじい破壊力。
そして、斬魔の必殺。
その全てがスケールを逸脱していた。その圧倒的な力は正しく脅威的。だが、圧倒的であることが強みであれば。そのカウンターを戦士は用意していた。
「この身は退魔の系譜。魑魅魍魎を退ける力の顕現」
「な、にぃ……ッ!?」
少女がにやりと口角を上げた。身内が敵に回っている以上、手の内が知られているのも無理はない。経験としては知らなくとも、知識は確かに頭の中にあるのだから。
だから傭兵は言ったのだ。アンフェア、だと。
「その陽は撫ぜ愛でる調和の恩光――――日向日和」
「押し通ぉすッ」
力が、大きさが、浄化が。その全てが減衰していく。和らげ、沈んでいく。
「退魔本式・絶晶――!!」
「来い、シャムニール・レグパ」
エシュが握るのは、唯一にして半身たる
「――ぃ、まだ……ぁ!」
「もう終わり」
完全に不意打ちだった。目線を落とせば、まさに拳を放とうとする少女の姿。臭いは消され、激突の衝撃で音は潰され、その閃光に目を奪われ、勝負の雰囲気に感触を蝕まれた。
あとは、敗北の味を噛み締めるだけだ。
鋭化されたソレは、さぞかし苦いだろう。
◆
失神した陽向晶納を引き渡したことにより、結構な金額が転がり込んだ。小粒の獲物の賞金も合わせると、中々な小金持ちである。
「…………服買って」
一時的にと密林に置いてきた少女がひょっこり頭を出してきた。妙にゴネるが、裸にやたら大きい外套だけの格好で街に連れてくるわけにはいかなかった。路地裏のゴミ箱から頭を出すひよりんを、エシュが無言で蓋をする。
「置いていかないで」
ぐぐぐ、と抵抗する力がゴミ箱の蓋ごしに伝わってきた。このままゴミ箱をぶち破って出て来かねない。エシュは観念したように蓋を開けた。
「生きる術は教えた。その実力があれば十分だろう?」
「一緒に行く」
「死ぬぞ。そういう旅路だ」
「死んでもいい。どうせ短い命」
「…………なに?」
エシュは首を傾げる。ぶすぅ、と口を閉ざすひよりんを責めることなど出来まい。彼とて隠し事ばかりなのだ。
「着いて来るというのならば、是非もない。異能の力とやら、利用させてもらうぞ」
少女は頷いた。
陽向晶納を捕らえるに当たって、その力のことはよく聞いていた。もちろん、ひよりんが保有する異能のことも。
「分かった。服と武器を見繕ってくる。そのまま待っていろ」
「戻ってくる?」
「……ああ、約束しよう」
エシュは観念したように言う。ひよりんはほんのり口元を和らげた。
「うん、待ってるよ――――エシュ兄ぃ」
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