vs陽向晶納

 6番コロニー、ミステリーダンジョン。

 鬱蒼と生い茂る密林には、大量の死体が散らばっていた。人と、獣と、魔獣と。そのどれもが斬殺であり、その断面は不自然なほどに鋭化している。地下ダンジョンの入り口も近いここは、泥濘が広がっていて動きにくい。

 死体が散らばる泥沼、これ以上に隠れやすい条件はない。

 どぷり、どぷり。粘り気のある足音が広がる。男はマチェットナイフ片手に、邪魔な小枝を斬り払いながら進んでいた。道は険しいが、男の顔はもっと険しい。勢い良くマチェットナイフを斬り払うと、横の木が鋭すぎる断面を見せながら倒壊した。何かが動いたような物音は、猿かなにかだろうか。獣の臭いだ。


「――――――いるな」


 泥の中、何かが隠れている。泥と血の臭いで、嗅覚はあまりあてにならない。しかし、幸い無風だった。聴覚と、そして視覚は万全だ。加えて、触覚。鋭敏な五感が空気の温湿度の変化を掴む。呼吸の変化、体温発汗の変化、生命体はそこにいるだけで外界に何かしら影響を与える。人であれ、獣であれ、人外魑魅魍魎であれ。


「そこか」


 真下にマチェットナイフを突き下ろす。

 外れ。ぬかるんだ地面にどろりと沈み込む。男はさらに不機嫌になった。すぐそばの死体を蹴り飛ばす。大男がごろりと転がった。


(あんな奴殺したか…………?)


 手当たり次第、襲ってき次第、とにかく斬り伏せた。一々顔なんて把握していない。けれど、この男の肉体はかなり強靭に仕上がっていた。軽く触れただけでも分かる。そんな男の顔を覚えないだろうか。


「いや、ちょっと待て」


 周囲をぐるりと見渡す。泥に埋もれる死体の山。確かに手当たり次第斬り伏せた。しかし、これは。


「こんなに死体、あったか…………?」


 確信はない。しかし、一度疑問を抱いてしまうと泥沼に沈み込む、わけでもなかった。


「んだよ、また同業者かよ。ぶっ殺す」


 男がここに来てからこんなのばっかりだった。腹立ち紛れに足を踏み下ろし、水面が波立つ。、だ。


「俺ぁ、『鋭化』の異能を持っている。ズバズバ斬れるだけじゃなくて感覚も鋭えーんだわ」


 本当に気付いていなかった。

 しかし、死体が動き始めれば流石に気付く。奇襲よりも先に動ける鋭敏さ。愛用のナイフをそのまま振り下ろすだけでいい。

 そして――――その手は空中で止まっていた。


「生け捕りが望ましい、とのことだ。最初に言っておく、これはだ」

「な――――――?」


 全身泥濡れの男が言った。手首に縄がかかってマチェットナイフが振れない。その大縄は鬼が丹誠込めて練り上げた繊維の束なり。早々簡単に千切れるものではない。絶対的な強靭さを誇る無類の戒めだ、と赤鬼は言っていた。まんまと罠にかかった標的が上に持ち上げられる。滑車に巻き取られ、大木の枝に。


「よ」


 猿が喋った。いや、違う。人間、少なくとも人型だ。血と泥を全身に塗りたくって獣とほとんど変わらない。それでも、この少女は。


「お前、は」


 言葉は続かない。少女の小さく、そして信じられないほど重い打撃がまともに鳩尾を穿っていた。口から透明な粘っこい液体を吐きながら、その視界がブラックアウトした。







 路銀が必要だと考えた。だから手に入れた。

 行動のプロセスとしてはこれくらいシンプルだった。エシュとひよりんはこのエリアで小粒の獲物を狩りまくっていた。そして、大本命は数少ない星4レベルの大物。そいつを生け捕りにするためのトラップとして死体を集めていたのだ。


「なんだろう、こいつバカっぽい」


 ひよりんがイラついたように爪先でがしがし蹴るのがその大本命、陽向晶納。その名前で、こいつにしようと決めた。ちなみに、もう一つの星4は別のハンターが片手間に倒したらしい。世の中にはヤバい奴もいるものだと二人で感嘆する。


「知り合いで間違いないか?」

「オリジナル、のね。私には関係ないけど、この姓は『退魔』の家系で間違いない」

「よし、高く売れるな」

「……そんなにお金が必要なの?」

「必要になる」


 ここに来るまでに傭兵はこそこそ情報収集を続けていた。そんな背中を見ていたひよりんは何となくしか目的を察することが出来なかった。


「シーマンで、船? ビーチでナンパでもするの?」

「そういう知識はどの変態研究者に入れられたんだ」


 ぶすぅ、とひよりんが唇を尖らせる。エシュは泥だらけの外套をひよりんに羽織らせる。少女は泥と血でペインティングしていただけで、着衣は身に着けていなかった。最初は羞恥心こそあったが、こんなことを続けていく内にそんなものは消し飛んだ。オヤツ代わりに小動物の内蔵を頬張るワイルドさである。


「小型で機動性の高い船は高額だ。島に攻め込むならば、ケチれない」

「攻め込む…………?」

「捕らわれたクローン体を取り戻すのさ」


 骨の下で、男はきっと笑っていた。少女はぶすっと唇を尖らせると、奪ったマチェットナイフを弄ぶ。聞いても適当にはぐらかされるだろう。でも、時期がくれば教えてくれるはずだ。そんな奇妙な信頼関係が芽生えていた。


「――――――――おい」


 横から殺意が投げつけられる。ぼんやりと意識を取り戻した晶納が縄檻の隙間からじっとこちらを見ていた。


「おい、返せや」


 ひよりんが苛立ちを隠さずにその手を蹴る。しかし、視線は途切れない。


「無駄だ。その大縄の檻は強靭さで右に出るものはない至高の拘束。人のみ、いや超人的な怪力があったとしても断ち切ることは敵わない。なんせ鬼のお墨付きだ。たとえお前のナイフを返したとしても、戒めから逃れることはないだろう。自然に生き、叡知を蓄えてきたと豪語する鬼の言だ。その力を大人しく噛み締めていればいい。殺しはしまい」

「捕らえてしまってもよいのだろう? だって。野性動物の狩りと大して変わらないね。さっさとお金になりなよ」


 泥塗れのひよりんに妙に厳つい視線を投げる晶納。しかし、取り合わない。屍神の怪力があれば暴れる男一人、楽々持ち運べる。と、標的が口を動かした。


「我が身は陽を宿す者」


 真名解放。傭兵はその力の恐ろしさをよくよく弁えている。ひよりんを背中に庇いながら距離を取る。泥の中から持ち上げた青竜刀二本。厄介が過ぎれば首をはねることも考慮の内だ。


「夜天の輝煌、宵闇に浮かぶ威光は絶えず瞬き永劫に灯る」


 鬼の大縄に縛られて男は動けない。エシュが警戒するのは縛られたまま放てる遠距離攻撃。あの赤鬼があそこまで豪語していた拘束具だ。まさかそれが破られるとは考えない。


「その陽は牢固たる磐石の星光」


 沼地が揺れる。地面からなにかが生えいずる。精霊の蠢きを感じる。


「――――『陽向晶納』の真名、解放」


 言霊に応じ、地面から生えたのは彼の身の丈を超える巨大な刃だ。両側から、鏡合わせのように柄の無い双刃が同様の質量と寸借を得て地面から離れる。そして。正面から反りの無い直刀が柄を上向きにして彼の眼前に持ち上がる。


「無駄。その大縄があるかぎり動けはしない。だからもう何も怖くない。ほら、やったかな?」


 三刀が空中を翻った。鋭化の異能。たったそれだけの動きで縄の檻があっというまに千切れ飛んだ。


「さて――今からぶっ殺すから覚悟しろ」




「……ああ。なんかそんな気はしていた」


 ひよりんは涙目で口をあんぐりと開けていた。

 なんか、ショックだったみたいだ。

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