『凍てつく世界』
「アイスブラスト」
フェレイは大きく距離を取った。何か。何かが蠢いている。あの得体の知れなさは警戒に値する。足を滑らして階段から転げ落ちるも、一階に着く頃には足から着地していた。左の五指を開くと、指先から火の玉が浮き上がる。
「幻覚かな……?」
常識は捨てた方がいい。
兄貴分はそう警告していた。あの危機感の塊のような男がそれを言うのだ。頭上からの追撃を警戒してフェレイは出口に走った。
「やられた」
フェレイが蹴り飛ばしたバリケードは、氷山のように廃ビルの入り口を塞いでいた。フェレイが右手の五指を開く。火の玉の数は倍に。左手を振るうと、その大きさが拳大まで膨れ上がった。
周囲を見渡す。
廃ビル自体が凍りつき始めていた。距離を空けてしまったのは失敗だったか。火の玉を近くに並べて暖を取る。この空気は既に氷点下を下回っていた。足を滑らせたのも、階段の金具が凍りついていたから。
(自然現象のわけがない。となると)
フェレイは下を見る。火の玉の間隔を広げた。
影だ。
斜め右後方からのサバイバルナイフの投擲を、振り返らずに二本指で掴む。勢いのまま真上に。天井に刺さったサバイバルナイフと、大きく揺らぐ影。
「それ、灯りだから影で動きが分かるよ」
種明かしに襲撃者は口角を上げた。フェレイの身体が真横に跳ねる。その右頬が凍る。攻撃の兆候は無かった。しかし、察知して受け止めた。何か靄のようなものが近付いてきたのだ。
「やはり、見えているのか」
「………………なにそれ?」
フェレイが人差し指を向ける。火がそのまま矢のように氷室を襲う。しかし、火矢は彼女の目の前で掻き消えた。
「そこ」
蒸発した水蒸気が視界を奪った。フェレイの火の盾が何かを防いだ。氷室から僅かに苦悶の声が漏れた。
「アイスブラスト!」
氷の拳を今度ははっきりと捉えた。真上に蹴り上げる。フェレイはその下を潜り抜けて前に。
「貴様、何者だッ!?」
「だからハンターだって」
十の火の玉が氷室に殺到する。氷室はコートを翻して火の玉を包むように封じる。その背面を燃える手刀が。
「え」
踏み込めない。両足が凍りついている。氷室は距離を取って階段を駆け上がる。狙いに気付いてフェレイは舌打ちした。このまま凍死を待つつもりだ。
「あーあ、僕が火を使えなかったらここでゲームオーバーか」
参った、という風に両手を緩く広げた。彼を取り囲む火の玉は百を下らない。そして、その熱量は言うに及ばず。
だが。
「やーっぱり見えないよなあ」
靄のように蠢く水色の氷人間。フェレイの額から汗が引いた。それは、上昇した気温が再び低下しているから。奪われる熱量。白い蒸気を辛うじて視認した。こいつがこの攻撃の起点で間違いない。どれだけ熱量を増しても、際限なく吸い取られていく。足の氷は溶けない。
「流石、ビルごと凍らせるスケールの大きさだ」
火の玉が十、謎の悪霊を襲う。しかし、その熱量は途中でゼロとなり、空中に消えていく。そして、フェレイはその光景を見て。
「なら、もっとスケールを大きくしようか」
小さく納得して、爛々とした笑顔を浮かべていた。
◆
(普通の人間ならば、とうに凍死しているはずだ)
普通の人間ではなかっただけのこと。それ自体は珍しくない。しかし、生命体である以上、分子振動が停止する極寒で活動することは出来ない。生命体である以上。
あの悪霊にはひたすら熱量を吸収するように命令を下したはずだ。下はここより遥かな極寒の世界だろう。制御範囲が三メートルしかないのでここから離れられないが、そもそも動きは完全に封じた。
(バラモット様……この胸騒ぎはなんですか? この威圧は、まるで、貴方のような)
額の汗を拭う。このまま二階で大人しく凍死を待つだけのはずだった。それがこんなにも動揺されている。何故だ。身体が火照って暑い。汗で張り付いた服をぱたぱたさせる。
「待て――――何故暑い」
「それはね」
返事は階段の向こうから。細い腕がひらひら手を振っていた。いつからそこにいたのか。
「ここら一帯を火で炙ってる」
軽く言うその少年は、どこで見つけたのか扇子を煽っていた。その動作がどうしようもないほど怒りを煽る。
(アイスブラストを呼び戻さないと)
「目算三メートル!」
身体が浮いた。信じられないほどの上昇気流だった。次の階段に猛烈な勢いで吸い込まれる。
「最初のボール!?」
「そうだよ。遠距離の攻撃手段があるとしたら使ってくるはずだよね。あんな大事そうな作業をしていたんだから」
氷室は必死に手摺に捕まる。彼女にはこれ以上階下から離れられない理由があった。
「すごいよね。これだけ熱しても下は極寒だ。だからこそこんな上昇気流が発生したんだけど。君の真下だけなんとか集中して熱しているから」
「貴様、どうやって戒めをッ!?」
フェレイは階段を登る。その両足は、ずるりと皮が剥けて肉が剥き出しになっていた。怯んだ氷室が手摺を掴み損なう。そのまま上の階にぶっ飛んでいった。
「これで下も落ち着くかな」
肉が剥き出しになったままの足で、フェレイはゆっくりと舞踏を刻む。扇子がいいアクセントになっていた。彼から浮かび上がった火の玉がいくつも氷室の後を追う。
「じゃ、後でのんびり死亡確認するか」
じっくり傷口を火で炙って止血しながら。既にここら一帯の火の手は収めてある。必要なくなったから。
そして。
氷付けになっていたはずの死体はどこにもなかった。
◆
「ぐ……クソ、アイスブラスト――――ッ!」
天井に全身を打ち付けて氷室は呻いていた。骨がいくつも砕けてまともに動けそうにない。アイスブラストを再び射程範囲内に呼び戻すのも少し時間がかかる。だが、距離は出来た。分の悪い賭けではあったが、まだ敗北が確定したわけではない。
「ぁ……気流が止まっている…………?」
そして、足音。それも複数。
「……………………え」
その光景に、頭の中が真っ白になった。大事そうに抱えていたガラス容器がぽとりと転がる。その足音の先頭。彼が中の赤い目を取り出した。自分の眼窩に嵌める。
「うむ。これでよく見える」
「え、なんで、確かに殺したはず」
おめでとう。
おめでとう。
やったな。
よかったぜ。
コングラッチュレーション……ッ。
両目を取り戻した少年を拍手の渦が包む。照れ臭そうに赤目の少年が笑った。周囲の拍手は、皆両目を無くしていた。それは、氷室自身でやったことだ。
「では、王たる我が代表してトドメヲサソウ」
氷室雫。大量殺人犯が右手を前に伸ばす。
「アイスブラスト!」
「ふんぬ!」
ようやく目前まで呼び戻した悪霊が、熱風に吹き飛ばされた。
「我は第二世代の王たるぞ。卑劣な手で遅れを取ったが、あまりナメるデハナイゾ?」
死相浮き出る顔面。その目前に、拳大の火球が浮かんでいた。この距離でも氷室の肌がチリチリと火傷していく。死体の群れが発火しだす。それほどの密度、熱量。
それは、フレイムカイザー・純の本当の実力だった。
終末の咆哮が全てを消し炭にする。
そのせいで、ハンターは死亡確認に大変手間取ったらしい。
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