Re:エピローグ
8番エリア。
水浸しになって監視ドローンも壊滅状態の埋め立て地に、三者は腰を落ち着けていた。
「ってことは俺様を騙しやがったな!」
にへら、と虫人が笑った。
「……というか、お前その格好はどうした」
全裸に猫耳カチューシャを持っているだけ。複雑そうな視線が痛い。
「ヘンタイ」
「うるせえ虫けら!!」
白衣の虫人はにへらと笑った。大きな骨を被った男が軽く叩いて諌める。と、すぐに小バカにした笑みを引っ込めた。
「ほれ」
「あたしの一張羅!」
手渡された青いワンピースを嬉々として抱き締めた。余程嬉しかったのか、踊り回っている。早速着ようとするが、伏し目がちにちらちら男を見る。男は骨を目深に落とした。
裸ぐらいは気にしないが、着替えを見られるのは少し気恥ずかしい微妙な女心である。
「……説明っ」
どこか仲良さそうな二人に臍を曲げながら、ゾン子は口を開いた。頬をぷくりと膨らませて二人の間に腰を下ろす。
「ん。お前の自業自得で痛い目を見た……それだけなら俺が出張ってくる必要は無かった」
虐殺ゲームに死体少女を投入したことで、オケラの役目はほぼ終わっていた。移動中、それらに関することは聞いた。とんだ迷惑だった。
だが、元社長の行方は未だに分かっていないらしい。カンパニー内でも情報が錯綜しているようだった。
それよりも、男にとっては重要なことがある。
「お前の複製が作成されたことだ――屍神の複製が、だ」
その意味を、分からないゾン子ではない。この男がそれを重く受け止めていることも、分かっている。
「ありゃ、屍神と呼ぶには不完全だ」
「そう聞いた」
聞いた、とは。
「他の実験生物とはちょっと系統が違うらしくてな。一部の研究者が秘密裏に開発していたものらしい。結果あれ以上の再現は不可能だ、と」
「……え、待って。レグ兄もうそいつのこと突き止めてんの? これから潜入して関係者ぶっ殺さなきゃって思ってたけど」
男は被った骨を脱ぎ、胡座の上に乗せた。上半分を火傷跡に覆われた顔は、妙に威圧感がある。そして、その眼光はゾン子が思わず正座するほど鋭かった。
「ビミョーナデキ。アレデハカンパニーノヤクニタテナイ」
「お前かよっ」
にへら、と虫人が笑った。複製死体がついさっき秒殺された事実が余計に胸を抉る。
異世界螻蛄。ゾン子の他に同類が居ることは掴んでいた。だからあの戦闘実験のごたごたで彼女を逃がし、発信器でその居場所をトレースしていたのだ。
「ザンネン」
「ああ、そうだ……残念だよ」
同じ言葉でも、そのニュアンスは異なっていた。
「お前とは仲良く出来るって思ってたんだがな」
生かしてはおけない相手がいる。死人に口なし。だが、その条理をほんの少しだけ覆す者がいた。
「まあ、待て」
「おい、まさか庇う気か? 情でも湧いたんじゃないの?」
男は反応を返さなかった。それが何か不吉な予兆のような気がして、ゾン子は目を細めた。
「彼女は、俺が処理した」
へ、と呆けるゾン子に虫人は妖艶にしだれかかった。絡むように抱き着かれて、ゾン子がびくりと跳ねた。
「レグ兄、踊ったのか……?」
「よく出来ているだろう?」
珍しく自慢げに男は言った。
死体にすら気付かせない完全な擬態。死体を生体に見せかける完全なゾンビ。それは、果たして生きているのか死んでいるのか。
「屍神の完全再現は、彼らには不可能だ。重要な視点が欠けている」
虫人とのやり取りを思い出して男は言った。ゾン子はよく分からなかったが、取り敢えず意味深に笑みを浮かべた。
「くくっ、なるほどね」
無駄にしたり顔で虫人の死体を蹴り飛ばした。蹴り返されて地面に突っ伏した。
「ああ、一挙一動足完全に支配下に置いているわけじゃないんだ」
男に顔を擦り付けながら短い触角をぴこぴこ揺らす。
「ナニスレバイイ、オニイチャン」
「複製死体の破棄、及び研究データの抹消。その後はひっそりと朽ちてくれればいい」
(またお兄ちゃんって言ったぁ―――っ!!)
地団駄を踏む妹分には気付かず、男は空を見上げた。
「風が出ている。いい頃合いだ。出るぞ、アイダ」
「待てよ、カンパニーをどうにかしなくていいのか?」
「それは本筋じゃない。それに……もう内部分裂を起こしている。我らが手を出すまでもなく、潰える野望だよ」
右手をひらひら振って男は答えた。
運命の交叉路に立つ男。彼が言うのならば、きっとそうなのだろう。結末を見届けるに及ばない。ゾン子は苛立ち紛れに死体蟲の足を蹴飛ばして後ろに続く。
背後から、虫人にどつかれた。
◇
虫人はベイエリアに置いてきた。やがてカンパニーに回収され、役目を果たして朽ちていくだろう。
広い大海原に、目立たない水色のゴムボート。表世界から見ればテロリストでしかない彼らは、公的機関の救助の世話になるわけには行かなかった。船旅、どころか遭難にも見える。
「……なんか、あっさりとした終わりだったな」
「派手どころは他の奴らが持ってったんだろう? 俺たちはそっちの方がいいよ」
過去を詰め込まれた死体だから。道を切り拓くのは、未来に生きる生者がいいに決まっている。
骨を被った男は寝ころんだまま空を見上げた。荒れるな、と小さく呟く。彼らには知る由も無かったが、現実、大きな台風が不自然な軌道で近くを横切りそうだった。
「アイダ、波の操作は頼んだぞ。この風向きなら転覆しなければ真っ直ぐ陸地につく」
「あいあいさー」
船旅のお供に水のタリスマン。運命のタリスマンを操る男は、ただ幸運を願うだけだ。刺激を好む彼には、少々のハプニングは都合がいいのかもしれない。
「あのオケラちゃん、しっかりやってくれるかね?」
「ん――――ダメだったら俺も気付く。チャンネルは繋げたままだし。念のため情報収集もしているよ」
相変わらず用意周到、用心を怠らない男である。不死身に任せてイケイケゴーゴーのゾン子とは正反対だ。
「……お兄ちゃん」
「ん。どうした、アイダ」
らしくない気弱な語気に男が上体を起こす。猫耳ワンピースの死体少女を見てげんなりと肩を落とした。
「……なんだよぅ、もうやんねえぞ」
片手で顔をぱたぱた仰ぎながらゾン子は猫耳を外した。そのまま海に捨てても良かったが、何となく持っていることにした。
そっぽを向きながら言う。
「あの虫ちゃんに呼ばせてたのって、何」
男が僅かに骨を上げた。
「いや、あのさ。完全にコントロール下に置かなくてもさ。呼ばせ方とかは変えさせても良かったというか」
男は骨を下ろした。
「ひょっとして、そう呼ばれて嬉しかった……とか?」
男は上体を戻して再び寝ころんだ。
しばらく待っていると、静かな寝息が聞こえてきた。
「え、おい、もしかしてマジかっ!? ばっちり情が湧いてんじゃねえか!!」
ゾン子は両手をぶんぶん振って激昂する。
「おいこら起きろレグ兄! あたしを見ろ! 寝てんじゃねえよレグパぁ――――!!」
大海原に、死体の声が響いた。
きっと、空耳というやつだろう。
了。
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