エピローグ

 暗い暗い闇の底。ここはカンパニーが所有する墓地だった。実験の末に閉ざされた生命が最終的に廃棄される場所。広大な敷地、そのどこかで死体少女はくるくる回っていた。


「あたしに新しい必殺技が身に着いたよ」


 ぴたっと白目を剥いて止まる。死体らしく見える死体になった。


「秘技、死んだふり」


 乾いた拍手が墓地に響く。ゾン子は斜め下に目線を向ける。血塗れで青白い顔をした研究者が倒れていた。あの死体愛好家ネクロフィリアのお兄さん。もう虫の息なのは一目で分かった。


「あの、マジであんがと。本気でダメかと思った」


 目を泳がせながらゾン子は呟いた。お兄さんは乾いた笑みを浮かべた。


「名前、オルテガだっけ?」

「佐藤だった気がします。忘れました」

「脳味噌欠けてんじゃねぇの?」


 二人して笑う。螻蛄との戦いの後、あの研究者がうまく立ち回って死体を回収した後に脱走した。それはそれでひと悶着あったのだが、それはそれだ。


「貴女が機転を利かせてくれて助かりましたよ」


 咄嗟の死んだふり。あのごたごたの中だからこそカンパニーの目を欺けた。本当に死んだら、ただ復活するだけである。その前の獣人戦でも、ゾン子は頭蓋骨抜きに活動していた。人体の神秘だ。

 デスマッチ。死体にこれ以上似合わないものがあっただろうか。元から死んでいるのに。それでも、不死身の死体は初めて本当に死を覚悟した。そういう戦いだった。


「あたしもちょっと懲りた。アイツらマジヤバい。もう関わる気は無いって」

「ええ、そうするといいですよ」


 沈黙が降りた。ゾン子は、ちょこんと正座すると、男の頭を膝の上に乗せる。男は青白い顔のまま静かに微笑んだ。反応が少し薄くて、ゾン子はぷいっと顔を背けた。


「何で、私を助けた」


 死体が、死んだ。

 その一行で済むだけの結末だった。しかし、色んなドラマがそれを覆した。「止まるんじゃねぇぞ……」と指さした元社長の姿。他の実験参加者の乱入騒ぎ。戦う力の無いはずのお兄さんの暗躍。虫人の意外な手助け。

 何だかんだで、色々なものに助けられてきた。死体で不死身でも、一人じゃどうにもならなかった。


「あれ、言ってませんでしたっけ……?」

「死体に興奮する変態だろうが、お前」


 あの愛嬌ある白衣の戦士との戦いの後に知ったことだが、カンパニーにいれば死体には事欠かない。実際、彼の入社動機はまさにそこにあった。こんな、どこの馬の骨とも知れない死体に拘ることなど。



「死体を可愛がることが、趣味なんですよ」



 ひんやりした、死体のような手がゾン子の首筋に触れた。頬を上気させて目をぐるぐるさせる死体がびくりと震えた。


「ば、バカ、バカバカバーカ! バカじゃねぇのっ!?」


 死体の罵倒を聞きながら、死体愛好家ネクロフィリアの研究者は太陽の陽だまりのような笑みを浮かべた。そして、そのまま静かに息を引き取った。静かに薫る死の香りを感じて、ゾン子は男の額に手を置いた。


「死んだか」


 魂の根付く死体を、屍神は静かに覗き込んだ。そっと唇を重ねる。そして、男の死体を貪った。血肉に。その身に宿すために。一片たりとも残さぬように。

 屍神アイダは、ゆっくりと踊り出した。暗い墓地に、踏み込む者などいなかった。







 某所。


「遅かったな。どこで油を売っていた?」


 大きな骨を被る男が低い声を奏でる。地を這うような音が大地に吹いた。


「ん。ちょっと武者修行だ」


 ゾン子はなんとなく空を見上げた。青い。風は無い。無風で、静かだ。


「お前が?」

「んだよ、文句あっか」

「いや」


 死体少女はふらふら歩きながら男に近づいた。距離を詰めて、男を見上げる。改めて大柄だ。ガタイもいい。重心も座っている。そんな目で見たのは初めてだった。無言の手刀。

 人差し指一本で弾く。たったそれだけで軸をずらされた。その指で顎の下を突いて、反射的にゾン子が首を上げる。その下顎ががっちりと掴まれる。


「何故、俺が首を空けさせたのか分かるか?」


 不意の、それも殺すつもりの一撃を涼しげに封殺された。動けない。ゾン子の怪力でもびくともしなかった。力比べならば負けはしないはずなのに。


「首を飛ばして、頭蓋を抜く。タリスマン抜きのお前はただのサンドバックだ」


 男は手を離した。ゾン子は咳き込みながらへたり込む。


「はぁ、はぁ……容赦ないね、レグ兄」


 殺すつもりでも、殺しても問題は無かった。彼もまた屍神の一。不死身の死体だ。


「どういう風の、吹き回し?」

「私は弱いか?」


 骨の下で、男は口角を上げた。


「珍しいな、アイダ。武者修行は酔狂じゃなかったか」


 男は骨をずり上げて口元を見せた。


「弱さを知ること。それは強さだよ」

「弱さが強さなんてトンチを聞きたいわけじゃない」


 男の武骨な手が少女の頭を撫でた。寄りかかるように頭を傾ける。喉の奥を鳴らして、ゾン子はそこで終わらなかった。


「レグ兄は私に勝てるか?」

「勝てる」


 そんな断言。同じ不死身同士、勝負はつかない。そんなゾン子の思惑はきっと甘かったのだろう。


「同じ不死身なら、強い方が勝つ」

「不死身じゃない相手とは」

「強い方が勝つ」


 不死身は、戦士として最強の属性であり、しかし絶対ではない。ゾン子は駄々を飲みこんだ。思い知らされた。これはそんな物語。


「レグ兄は人類戦士に勝てるか?」

「負ける」


 不死身で、無敵。そんな最前線には至らない。しかし、骨の奥で光る男の眼光は衰えない。


「だが、戦士ならば戦い抜くさ。この命使い尽くしても。俺の運命がそう告げている」


 運命のタリスマン。因果律に干渉する屍神の兄貴分は言った。


「強いな、レグ兄は」

「お前もようやく役割を自覚したか」


 会話が飛んだ。少し未来を見たのだろう。ゾン子も過程をすっ飛ばす。



「強くなりたい。鍛えてくれ」

「いいさ。『王』の大願に報いろう」



 大地に風が吹いた。男は風の吹く方に足を進める。妹分はその後に続いた。


「面白い話してやるよ、レグ兄」

「土産話か、いいな」


 男が骨から耳を出した。ゾン子は戦いの記憶を腐った脳味噌から引きずり出した。色々、あった。そう、色々だ。色鮮やかな思い出が花火のように散らばる。

 さて、何から話したものか。ゾン子は頭を巡らせた。真っ先に思い浮かんだのは、あの愛嬌ある虫人だった。だが、始め一番のインパクトは肝要だ。刺激を好むレグパ神に想いを巡らせて、アイダ神はにたりと喜色を浮かべた。



「おう、アイドルと握手しちゃったんだぜ」


「お前、隠 密 行 動 だって 言っ たろ …… …… ? 


 目 立 つ 行 動 は ――――…… っ 」



 死体少女は、反対方向に一目散に逃げ出した。




                                     了。

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