vs異世界鉄砲海老人

 カウントダウン。冷ややかな機械音に眉をひそめる。食べ物系はもう飽きた感がある。四度目の戦闘実験。フードファイターはもうゾン子の中でブームが終わっていた。今は速すぎる手刀が彼女の中でキている。

 今日は昼過ぎまで死体愛好家ネクロフィリアのお兄さんと一緒にいた。腹筋から鎖骨に渡ったラインを入念に撫でられていたのはさっきまでの話。パンイチの死体とはどこか滑稽で、らしくも無い羞恥心が込み上げた。彼の、日食の檻から解き放たれたように光る太陽のような笑みを忘れない。

 十。

 ついさっき報酬の話を思い出した。アイドル勝負は勘違いでしか無かったが、まだ豪華伊勢界旅行がある。おいしい海老がたくさん食べられたらいいな、と思った。勝利一回につき一人。屍神七柱と『王』を招待するとなると、欧州に潜伏中の隠れん坊を除くとして、七回の勝利が必要となる。ここが折り返し地点だ。

 五。

 完全サプライズの家族旅行だけれども、皆は喜んでくれるだろうか。気難しい連中が多くて難しい。でも、海老といえばご馳走だ。ご馳走と言えば無条件で喜んでくれる。死体の脳味噌は短絡的だった。

 三。

 そして、この前の国産って結局どこ産なのだろうか。あのお兄さんも知らないみたいだった。

 二。

 鋭い手刀を放つ。練習の甲斐あってか、最近ハマっている手刀の首尾は上々。正拳突きなどもう古い。

 一。



「にしし、僕が死体を検分しちゃうよん♪」


 木の実の殻を剥きながら考えた決め台詞とともに降り立つ。

 でっかい海老男がいた。


「だと思ったよっ!! 毎度前振りご苦労さん!!」


 しかも、海老ボクサーである。







 青黒い甲殻類、口は硬い角を束ねたような形をしており、長い触覚を後ろへと流して背中まで届く。黒く飛び出た目玉は視野が広そうだ。2m近くある巨漢。青黒と黒の縞模様で、二本脚と二本の腕の他に小さな手がわき腹に三対、生えている。両手はペンチのようなハサミ。

 まさに、海老男。


(あはん、これガチな奴か)


 強そうだ。格闘戦主体だろうが、前の対戦相手を鑑みても何かしら特殊能力を持っていてもおかしくない。考えるのは苦手だ。ゾン子は取り敢えず前に出た。


「万歳」


 ハサミが閉じる。不可視の波が空間を走った。パァンと何かが弾けた音がする。鋭い頭痛を感じて、反射的に下がった。その右耳から血が垂れていた。世界が静かだ。耳に甚大な被害を受けてゾン子はよろけた。


「異世界、万歳!」


 海老男が駆ける。隙を詰められた。フットワークが軽い。ワンツーパンチがまともにボディに直撃する。ゾン子は抵抗しなかった。まともに受けて、ぶっ飛ばされて距離を取る。

 格闘戦。基礎戦闘力は申し分ない。この戦闘実験で戦ってきた相手は、これまで能力重視の一発屋が多かった。初見殺しに強い彼女にとっては有利とも言える。しかし、こうしてまともに強い相手には。


「ちっ、少しはいいのを見繕えっての」


 口の端から垂れる血をこすった。両腕を上げてファイティングポーズ。男が巨大なハサミを振り抜いた。左腕にこすらせるように一撃を流す。引きが速い。大人しくもう一発打たせた。ハサミが閉じる。ゾン子は同時に地を蹴った。振動が振動を掻き消した。

 無理を通す怪力無双。全身にダルさを感じながら。肉体のリミッターを少しずつ外していく。


「カンパニー万歳!」


 盲信者が再三攻める。首に巻く湿ったマフラーが風に靡いた。ジャブジャブのジャブ。両腕を前に、細いながらも膨張させた筋肉が衝撃を弾く。


(体内の水分で衝撃を散らしてるが………クラブハンマーも馬鹿になんねぇな!)


 それは蟹だ。

 舌打ちと共に前に出る。打撃中心のボクサースタイル。真っ正面を打ち抜くハサミに身を開く。前へ。ゾン子は渾身の右ストレートを放った。両者の拳が炸裂する。クロスカウンター。

 いや、少女の腕は短くて届いていない。


「クソがぁ!!」


 派手に薙ぎ倒されても毒づくことは止めない。殴られた右頬が骨折し、顔がやや変形している。鼻血がぼとぼとと落ちて、口内を切ったか血を吐き続ける。ついに片膝を着いた。下を向いたまま静かに震える。


「異世界万歳! カンパニー万歳!」


 怪人海老男が雄叫びを上げた。血だまりに震える少女は、その様を見てにやりとほくそ笑んだ。反撃の一手。水のタリスマン。血飛沫手裏剣。


「がぐぅあ!!!!」


 そんな感じの悲鳴が聞こえた気がした。耳がぼんやりして音が鈍い。如何に甲殻類でも隙間には弱い。その辺のコントロールはお手の物だった。閉じるハサミ。ゾン子が耳を塞ぐ。振動波、両腕の外側がずたずたに引き裂かれた。


「傷に怯まねぇか」

「オマエ、なんだ………?」


 互いに手傷ぐらいじゃ止まらない。死ぬまで、死んでも戦い続ける。死体少女ははっきりと宣告した。


「俺様は神だ。崇めろ」


 虹の化身たる蛇神。その名を冠した死体戦士。神っぽいポーズを取って背景に虹を走らせる。


「なんと、神か……っ!」


 海老男は駆け出し。


「嘘つけちんちくりん! カンパニー万歳!」

「ちんちくりんはやめぐはっ」


 殴られた。信じるもののためなら人は強くなれる。海老でも同じだ。


「異世界万歳! カンパニーの技術の粋、存分に食らうがいい!」


 七面鳥と寄生虫を実際に喰らってきたゾン子は口元を歪める。ショックウェーブ。水の壁が衝撃波を吸収した。

 壁が崩れ落ち、その向こう側。両手を上げたファイティングポーズ。


「格闘戦万歳! 死体万歳!」


 とことん相手の土俵に乗ってやる。そんな覚悟の現れに見えた。

 眼光鋭いボクサー対決。そのウエイト差は圧倒的。その上、不利な少女は満身創痍だ。顔の形はベコボコで、両腕の傷からは未だ血が滴り落ちている。


「異世界万歳! カンパニー万歳!」

「我が王万歳! 死体万歳!」


 張り合う。煽る。舞台を温める。海老男は尊大にも乗ってきた。有利なウエイトで不利な死に体をボコボコに出来るのだ。乗らない手は無い。


「ふぅんぬ!」


 強烈な右ストレート。ジャブの様子見すらしない雑で強大な一撃。ゾン子は両腕を盾のように受け流す。塞がりかけた傷口が開き、痛覚が火を放つ。


「らぁ!」


 空いた脇腹に左ストレート。腹にある小さな手がガードした。飾りじゃないんかい。


「ふっは!」


 前に出て、もう一発。ゾン子はたまらず下がった。思いっきりの打撃が炸裂する。


「あべしっ!」


 吹っ飛んだ。いや、後ろに飛んで衝撃を逃した。海老男は追撃する。

 



「おう、珍しいもん見せちゃるけん」



 そのハサミ厄介だったから、と。

 放った右ストレートがその根元から分断される。野太い悲鳴が響いた。死体で、神の名を冠した少女はにたりと笑った。


「出血大サービス! ゾン子ちゃんの、頭脳プレイダゾ♪」


 水のタリスマン。彼女は散々自らの血を撒き散らせていた。自分の武器を、地面一杯に。

 あまりの出血多量に意識が朦朧とする。死ねばすぐに復活するのだが、彼女は今回その戦法を良しとしなかった。命を雑に扱い、死を愛でる死体少女にしては、確かに珍しい。

 脳裏によぎったのは、健気でかわいらしいあの寄生虫。


「かぁんぱぬぃい万歳――!!!!」


 残った左で必殺のストレートを放つ。しかし届かない。その根元もあっさり切り離される。


「速すぎる手刀、俺じゃなきゃと見逃しちゃうね」


 マイブーム、速すぎる手刀。両腕を失った敵。一転窮地に陥った海老に、生き生きとした死体が肉薄する。


「見様見真似」


 かつて戦ったあのポニーテールの少女を思い出しながら。その身に受けた連撃を再現する。


「死体演舞――屍神無拍子」


 無意識無限。無茶苦茶な打撃の嵐が吹き荒れる。オリジナルとは似ても似つかない乱暴な力業。しかし、両腕を失った海老に抵抗する術は無かった。


「トドメ」


 しかも最期はウォーターカッター。高水圧が強引に海老怪人を真っ二つにした。途中の打撃は絶対にいらなかった。


「異世界、カンパニー………万歳っ」

「あの世でやってろ」


 ゾン子が二つに分かれた海老怪人を雑に引きちぎる。実験終了のブザーが鳴った。







『お疲れさまです。実験への御協力感謝致します』


 ゾン子は乾いた笑みを浮かべた。傷が深い、死にそうだ。死体だけど。応急処置を望む視線に、白装束は淡々と返した。


「では、控え室にお戻りください」

「え、ちょ……?」

「はて、何か?」


 実験の報酬。そんなものは頭から消し飛んできた。満身創痍どころか致命傷。命の灯が怪しく揺れる。その篝火は脆く、淡く。やがて小さく零れ――――――そして、消えた。

 復活した死体が両手の人差し指をくるくる回す。ゾン子は笑っていない昏い笑みを張り付けた。


「オマエブッコロス」


 その鋭い五指が白装束に突き刺さった。彼がどうなったかは、本作品では描写しない。

 そして、もう一つ。絶対に言っておきたいことは最後まで取っておくタイプである。


「そうだ、冥土の土産に。海老ボクサーって、実はシャコなんだぜ」

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