能ある鷹は爪を隠すーⅤ

 愁思郎しゅうしろうとイールクラッドの決闘が、三日後の放課後と決まったその日。

 愁思郎は冥利みょうりと共に、アリスクイーンと対峙――否、会食していた。

 対峙と表現したのは、アリスクイーンが隣り合って座る二人のことを、凄まじい殺気を込めたような目で睨んでいるからである。

 ステーキを切るナイフがいつ飛んでくるか、ヒヤヒヤしっぱなしの状況だ。

「どうされましたか、お兄様。お箸が進んでいないようですが」

「あぁいや、なんでもないで。気にせずたぁんと食いなはれ」

「はい。お兄様、鮭はいりますか?」

「あぁ、ありがとな」

「目の前でイチャイチャするなんていい御身分ね。藁垣愁思郎」

 と、仲睦まじい二人に容赦ない言葉を浴びせるアリスクイーン。「このロリコン」とも言った風に聞こえたが、それは空耳だと信じたい。

 だが冥利にはハッキリと聞こえた様子で。

「仲睦まじく食事する二人の間に割って入るとは、トリスメイヤ皇国の皇女様は礼儀がなっていないのですね」

 と喧嘩を売るようなことを。

 冥利は元々アリスクイーンを嫌悪している節が見られていたが、その目は本当に敵を見る目だ。友達などと言ったら、憤慨しそうである。

 だが喧嘩を売るのはアリスクイーンの専売特許――と愁思郎が勝手に思っているだけだが――であるが故に、アリスクイーンも負けていない。

 フォークでステーキ肉を貫通すると、凄まじい怒気を孕んだ瞳で冥利を睨み、手から走る魔力がステーキをさらに焼き、香ばしい匂いが一点、焦げ臭い異臭へと変える。

「何あんた、人に見せつけたいとかそういう趣味? 悪趣味って言うのよ、そういうのを」

「嫉妬なら受け付けませんよ、皇女様。そういうのが一番見苦しい」

「何? 喧嘩なら買うわよ」

「買ったところで勝てませんよ。あなたでは」

(ここまで仲悪かったん……?)

 火花を散らす勢いで眼光を飛ばし合う二人。

 愁思郎はもう心配で、食事がまったく手につかない。

 アリスクイーンが最初に藁垣家に来たときは冥利が対応したが、そのときもこんな感じだったのかと思うとなんだか申し訳なくなってくる。

 この二人は水と油。馬が合う性格ではないようだ。

「まぁ二人共、落ち着きぃや。今は食べよ。せっかくのあったかいご飯が冷めてまう」

 二人、そっぽを向いて食事に戻る。

 そんなムカムカした状態で食べてもおいしくないだろうなぁと思う愁思郎をよそに完食した二人は、食事を終えて再戦するかと思われた。

「で、何用なのですか。皇女様」

 と、冥利が話を進めた。

 愁思郎がいなければいがみ合いを続けただろうが、即刻彼女と離れるためにも話題を進めようと考えたのだろう。

 アリスクイーンのことは大嫌いな様子だが、愁思郎を思えば我慢できるということらしい。

 もっともこの唐変木は、自分のために我慢しているなどと微塵も感じられてないが。

「『空挺の魔女』と決闘するそうね。私の次は彼女ってわけ」

 あくまでアリスクイーンは、愁思郎に語りかける。

 元々最初から愁思郎に付き合えと言っているので、まぁ当然と言えば当然か。

 冥利を完全無視し、話を進める。

「でもやめた方がいいわよ。あれは軍国の姫君。私を含め、他の国の姫の中でも実戦経験の数は軍を抜いてる。あまり認めたくはないけど、今年入った一年の中では最強に数えられる部類よ」

「ま、せやろな……」

 以前に対人授業で使っていたあの魔導を見れば、誰もがそう思うだろう。

 艦隊を召喚し操作する魔導。

 世にも珍しき、どの属性にも含まれない無属性を中心とした魔導師。

 魔力の性質はおそらく構築と操作とみられる。

 操作の性質は愁思郎自身も持っている、異能者にとってはほとんどの人間が持ちうる性質だが、構築の性質は珍しい。

 魔力で物を構築するというのは難易度が高く、さらに戦艦なんてものを造ろうとすればそれはもう最高難易度と言って申し分ない。

 戦艦の構造を熟知し、尚且つそれを魔力で構築できるイールクラッドの魔力操作技術は、今年入学者の中で最高と言っても過言ではないだろう。

 彼女のように、召喚をメインで戦闘する異能者は少ない。

 召喚獣に頼って戦闘をすれば、それが負けたときに魔物の絶好の餌となる確率が非常に高いからだ。

 そうならないように召喚獣は補佐に回し、自身の異能をメインとして使う方がオーソドックスな戦い方である。

 何せ召喚はどの属性でもできるがしかし、どの属性にも該当しない魔力の異能。

 自身の魔力属性、性質に沿った異能よりも、確実に精度は落ちる。

 故にの召喚をメインに戦う魔導師は、とても少ない。

 故にそれこそが、イールクラッドの弱点と言える。

 召喚された艦隊さえどうにかしてしまえば、後は魔力の枯渇した彼女を煮るなり焼くなりである。

 もっとも艦隊という代物をどうにかするにはどうすればいいのか。それが一番の問題でもあるのだが。

「そもそも、なんであの子と戦うことになったのよ。あんたのその連れ……ヨーカイっていうのが何かしたの?」

「失礼な! 私は何もしてません!」

後神うしろがみ。今のままじゃ聞こえんから」

 例のごとく、愁思郎の後ろにいた後神。

 その姿は霊体化しているために、アリスクイーンを含む一般人には見えはしないし、声も聞こえない。

 アリスクイーンには妖怪のことを教えているとはいえ、他の人達の前に姿を晒させるのは、まだしたくないので、仕方ないのだが。

「まぁ、色々とあってなぁ……」

 と、いけない。

 こうして自分で何でも抱え込むところがよくないと、言われたばかりではないかと思い立った愁思郎は、数分迷って打ち明けた。

 自分の友達が彼女を怒らせてしまったことを話すと、アリスクイーンの第一声は「バカじゃないの?」だった。

 本当に皇女なのだろうか、目の前のこの人はと、愁思郎も冥利も疑問を感じざるを得ない。

「あの子に下ネタなんて喧嘩売ってるのと同じよ。あの子の国、スウィフトシュア軍国について知らないの?」

「それについては反論のしようもないわ……」

「仕方ないわね……奢りなさい」

 というわけで、スウィフトシュア軍国についてご教授頂くその報酬として、愁思郎はカフェテリア名物デラックス・チョコレイト・パフェなるものを奢ることとなった。

 税込み価格で、今日の愁思郎のお昼代の総額よりも高い。

「スウィフトシュア軍国は何よりも規律を重んじ、優れた統率力と軍事力で軍国の名を手に入れた、所謂戦争国家。昔は名前が違ったみたいだけど、人類最初の大型戦艦、スウィフトシュアの開発に成功したから、今の名前になったって言われてるわ」

「よぉ知っとるなぁ、皇女様」

「誰だと思ってるの? 私は皇女よ。相手国のお姫様とは、何かと関係を持っていたり、相手のことを知っていたりしなきゃいけない立場なのよ。まぁ『空挺の魔女』様とは、結局この大学に来るまで面識すらなかったけれど」

 そう言って、パフェを一口。

 チョコレイトソースのかかったクリームを口に入れ「苦いわね……」と一言。

 甘い方がご所望のようだ。

「で、スウィフトシュアの現国王、グランブルー・スウィフトシュア……あの子の父親は、私の父を含めて全世界の王族が認める堅物でね。王族に一切の緩みなしと、娘を祭典にも出させなかったわ。軍国家の姫が、平民と一緒に騒いだりしたらみっともないってね。だから私も、会ったことがなかったのよ」

 また一口。

 お口直しのためかイチゴを頬張り「酸っぱい」と一言。

 季節じゃないから仕方ない。

「ここからは私の勝手な想像だけど、きっと冗談なんて許されなかったのだと思う。冗談で気を引くような人はまともじゃないって教えだったのでしょう。だからあの子は冗談、嘘、虚言を許さない。自分に告白ドッキリを仕掛けて来た中学時代の同級生を的にして、魔導を訓練してたなんて噂があったくらい。彼女は冗談や、嘘を許容できなくなっちゃってるのよ。そんな人が下品な言い回しを、それも憧れの人物から聞いたらどうなると思う?」

「……そりゃあ、怒るな」

 アリスクイーンのパフェの頂点にあったさくらんぼをつまみ、頬張る。

 アリスクイーンの「何勝手に食べてるのよ」に対して「だって値段と情報が割に合わんもん」と返すと「このチキン」とまた言われてしまった。

 だがさくらんぼは甘かった。おそらく彼女好みだろう。

「あの子の怒りは環境の悪さからだけど、でも当然のものよ。遊戯も戯曲も許されない。冗談なんて尚許されない。そんなあの子が小説っていう逃げ道を得て、あの子にとって救いだったのなら、穢されて怒るのは当然でしょう」

「なるほど……あれだけ怒る理由がわかったわ」

「愁思郎?」

 後神が心配そうに顔を覗き込むと、愁思郎は二ッと笑った後、滅多に見開かない目を見開いて先を見る。

 自分が何をするべきか、見えたときの目だ。

 それを見た後神もまた、安堵したように微笑んで、愁思郎の頬に自身のをこすり付ける。

 愁思郎ならできるよと、言葉なしで勇気づけていた。

「ありがとな、皇女様。やることが見えた。忙しくなるで……」

「あれと戦うつもり? イールクラッドの戦艦は、あなたの銃なんて通さないわよ」

「前に話したやろ? 皇女様。うちの魔導は一人じゃ完成せぇへんのや。受け売りやけど。うちは一人やない。戦い方なんてそれこそ、百鬼の数ほどあるわ」

 一体どこから出てくるのか、その自信。

 相手は艦隊。人間一人が敵う相手では決してない。

 イールクラッドの魔導は、対人戦なら間違いなく無敵を誇る。

 だというのに勝算があるという愁思郎のその笑みは、ブラフでも負け惜しみでもなく、真の勝算を見据えているかのように、アリスクイーンは見て取った。

 自分では考え付かない勝算が、彼にはあるというのか。

 そんな驚愕が、アリスクイーンのスプーンを止めた。

「せやかて、まずはすべきことがあるなぁ……後神、文姉ふみねえはいつまで家にいる言うてたかのぉ」

「少なくとも、決闘の日まではいるはずだよ?」

「せやなぁ……ならいい手があるわ。冥利! うちはこの後の授業をスッポかす! 自分は授業を受けとれ。ノートはあとで見せてもらうさかい」

「はい、お兄様」

「皇女様。あんがとな。とっても貴重な話が聞けた。この恩は……」

 と、愁思郎は半分近くまで減ったパフェをチラリ。

 そしてアリスクイーンに一瞥をくれて。

「もう払ったし、えぇか」

「は?!」

 まるで別れを切り出されたガールフレンドが如く、疾走するかのような勢いで立ち上がると同時に机を叩いたアリスクイーンに、周囲からの注目が集まる。

 愁思郎もまた若干驚いた様子だったが、すぐに切り返す。

「だってもう済んだやないかい。これ以上何を求めんねん」

「じ、自分で言うのもなんだけど、あれだけのこと聞いておいてこれ一つ?! 冗談じゃないわ! さらに要求する権利がわたしにはあるもの!」

「なんやねん皇女様がぐちぐちと。己、苦学生か? さては。うちからたかろうかて、そうはいかないで」

「私がそんなはしたない人に見える?!」

「今さっきまでは見えてなかったわ! 見えたのは今や、今! まさかもっとくれ言うなんて思わんかったからな!」

「そんなだからイールクラッドを怒らせるのよこの唐変木! 鈍感! チキン!」

 睨み合う二人は、今すぐにでも礼装を抜きそうな勢い。

 このまま戦闘かと周囲の野次馬が思ったそのとき、冥利が静かに一言。

「次の授業が始まりますね。私はこれにて」

 と、二人を置いていく風にする。

 しかしこれは、二人に別々の警告を向けていた。

 片方に、そんな時間はありませのでしょう、と。

 もう片方には次の授業に出られないのですか? 単位を落とすことになってもよろしいので? と。

 それぞれに軽やかに警告すると、冥利はスタスタとその場を立ち去っていく。

 単位を落とすわけにはいかないアリスクイーンは渋々引き下がり「覚えてなさい?!」と言い残してその場を後にしていった。

 愁思郎は一人――いや、その場で二人残り、タバコを蒸すかのように吐息して、天井を仰ぐ。

「後神……」

「なぁに?」

 言い淀む。

 少し迷って、でも思い切って。

「ちょい手伝ってくれ……このままやとうち、寝ずにイルとやり合わんといかんくなる」

 そう言うと、後神はパァーッと表情を輝かせて強く愁思郎の頭に胸を押しつけるように抱きつき。

「任せて!」

 嬉しそうに、まるで周囲に聞こえるんじゃないくらいに、はしゃいでくれた。

 愁思郎は安堵と共に、若干の緊張を拭った。

 今まで一人でできることはすべて一人でやって来たが故の緊張。

 頼ることに若干の緊張と、不安がある。

 その正体不明の俗物がさせた緊張が消え去って、愁思郎はなんとも言えない安堵に浸って、すぐさまそこから抜け出した。

「ほな、行くで。ちょいとお勉強の時間……それから、あいつの出番や」

「あいつ?」

「相手が巨大戦艦なら、こっちも派手に行かないとな。戦艦といやぁ大砲やろ? ならこっちも、大砲や」

 今回の戦いにおいて、愁思郎が求める能力。それを持つ妖怪が、幹部にいる。

 彼はこれまでに名前だけ出てきたが、その実像はまだこの物語において語られることはなかった。


 藁垣愁思郎。大学生になって早二ヶ月。

 大学における彼の初陣の相手は、巨大戦艦軍。

 後にこれを頼まれる彼はその際に一言「羅刹女らせつにょの奴に悪いな…俺が先でいいのかい? 大将」と、やる気満々。勝つ気満々であった。

 敵は『空挺の魔女』イールクラッド・スウィフトシュア。

 及び、彼女が率いる巨大戦艦が数隻。

 相手にとって不足なし。

 怪しげ妖しげ妖怪百鬼引き連れて、いざ、尋常に勝負である。

 三日後の放課後、対戦者二人はコロシアムにて対峙した。

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