能ある鷹は爪を隠すーⅣ
その性格はせっかち。
落ち着きはほぼ皆無で、やりたいことをすぐさまに消化しないと気が済まない。
さらに十分前行動が基本で、次々と自らの手で増やしていく予定をすべて十分前に終わらせているのだから、大したものである。
そんな彼女がとても大人びた、さらに落ち着いた文章を書いていると知った
薄緑色の衣を頭から被った、黒髪の女性。
梅雨も近付き、蒸し暑い時期にも関わらず何層にも着込んでいる彼女はとても涼し気で、その頭の布を自ら脱ごうとはしなかった。
彼女の姿を初めて描いた巻物通りのその姿。
妖怪を研究している者が出会えば、本当にその通りなんだと感動することだろう。
もっともこのご時世に、そんな人はいやしないだろうが。
「この方が、神裂文音……」
巻物に記されているのは老婆の姿で、今皆の目の前にいる彼女は、自身の能力によって力に満ち溢れ、若返った二〇代そこらの女性の姿。巻物通りかと言われると少しだけ違うのだが。
「いやぁ。まさか愁思郎からファンを連れて来てくれるなんて思わなかったよ。あ、何にサインする? 愁思郎が全然連れて来てくれないから最近全然してないけど、なんでもいいよ? もう、愁思郎ももっと連れて来ていいんだよ? お姉さんに遠慮することはないんだゾっと」
文章上の人格と全然違って、忙しなく喋る文車妖妃。
そのあまりの違いに驚いた様子のイールクラッドだったが、憧れの神裂文音に会えて感極まっている様子で、緊張のあまり顔が綻び、紅潮していた。
新作の裏表紙をネームペンがキュッキュと走る間、イールクラッドは目線をどこにすればいいのか迷っていて、泳ぎに泳ぐ。
そしてサインを書いてもらった本を受け取る際も、卒業証書を受け取るが如く両手で受け取り、彼女に対しての敬意を示した。
そんな彼女に対して、文車妖妃も気を良くしたらしい。
愁思郎が滅多に自分の作品のファンを連れてこないが故に、久々に連れて来たファンの存在が嬉しかったのだった。
「私の作品全巻持ってるんだって?」
「は、はい! 『事実は小説よりも奇なり』から、ずっとファンです!」
「そっかそっか! 応援ありがとぉ!」
わざわざ身を乗り出して手を取り、上下に大きく振って握手する。
強い握手をするほど相手を信用していない証、などと政治の世界では言われるが、彼女のそれは信頼の証。
今までの応援のお礼と、これからの応援の約束を確約するための、強い握手だ。
「そうだ。遅くなっちゃったけど愁思郎、魔導大学の入学おめでとう!」
「ありがとな、文姉」
「これ、少ないけど。なんか好きなものでも食べて」
と、文車妖妃から渡されたポチ袋。
少ないとは言っているものの、かなりの量が入っている様子。
その厚みにイールクラッドと冥利が驚く隣で受け取った愁思郎は、そのまま懐に突っ込んだ。
元々、文車妖妃の用件はこれだったのだから。
ポチ袋の中身はフェイクのためのお札が数枚。そして、本件が記してある報告書のような手紙が一枚。
文車妖妃が本家に留まらずに世界中を渡り歩いているのは、自分の力を高めてくれる本を書くためのネタ集めと、世界中に散らばっている妖怪達の現状を把握するためである。
故に手紙には、報告すべき案件がいくつか記されているのだ。
「だけどみんな魔導師になるんだから、凄いよねぇ。お姉さんよくわかってないけど、魔導師が一番凄いんでしょ?」
嘘だ。
彼女は魔術と魔法、魔導の差異くらいは充分理解している。
彼女の小説の一つ「二兎を追う者は一兎をも得ず」にて、彼女は病弱な魔術師が、奴隷少女を魔導師貴族から救い出し、そのまま恋に落ちるという物語を書いていたくらいだ。
少なくとも、魔術と魔導の力の差、会得難易度等は理解していると見ていい。
「いやぁ、私は異能とか全然だから、本当に尊敬するよ」
「そんな! 私もあなたのような素敵な文章を書けることを本当に羨ましく、尊敬しております! 私達異能者は既存の異能を使いますが、神裂さんはゼロから物語を作られる。それは誰にでもできることではありません!」
「おぉ、いいこと言ってくれるねぇ。うんうん、そう言ってくれるとこっちも書いてる意義があるってもんだよ! ありがとう!」
(愁思郎ってばいい人連れて来てぇ! 仕組んだ? 仕込んだ?)
念話してきた辺り本当にそう思っているのか。
というよりは、それくらい嬉しいことを言ってくれたということなのだろう。
素直に喜べばいいものをと思う反面、(だから気が合うんかなぁ)と愁思郎は思いつつ、念話で返す。
(仕組んでもないし仕込んでもないわ。本当に純粋に、あんたのことが好っきゃねん)
(出た、好っきゃねん! 次は口にして欲しいなぁ)
(あほらしいこと言うてないで、さっさと返してやらんかい)
(はいはぁい、わかりましたよぉっと)
今回は世界を巡る旅が長引いていたので心配していたのだが、体調面でも精神面でも、心配するようなことはないようだ。
文車妖妃は愁思郎の知る文車妖妃だし、まったく変わりない。
もっともこの場で出さないだけで、後で改まって話があるかもしれないが。
「それで? 君とそこの女の子と、愁思郎はどっちが本命?」
「は?!」
チラリ、と隣から冥利の一瞥。
イールクラッドは唐突過ぎて、あまりピンと来ていない様子。
愁思郎もまた突然のことで驚き過ぎて。
「な、何を言ってるの、文姉! 二人が困ってるよ!」
と、似非の訛りが抜けてしまった次第。
それにまた驚いた隣の二人に一瞥をくれた愁思郎は、咳払いの後に無理矢理落ち着き、元の訛りを取り戻そうとする。
「いきなり何かましとんねん! まったく!」
と、本当に無理矢理な感じになってしまった。
「だってこんな可愛い子達に囲まれてるんだよ? みんなの話じゃあさらに二人はいるって言うじゃん? ハーレムなんて空想上の産物だと思ってたけど、いやぁ『事実は小説よりも奇なり』なんて言ってみるもんだね!」
「いやハーレムて! 別にそういうわけやないねんて!」
「え、愁思郎まさかの唐変木?! まぁそうだよね、定番だよねぇ……だから愁思郎は未だに――」
「ちょい! 女の子の前で今何言おうとした?!」
「あぁごめんごめん。いつもの調子で、つい」
文車妖妃が言いかけたその先を想像してしまったのか、イールクラッドは先ほどまでとは違う理由で頬を赤らめ、それについて考えまいと思考を振り切ろうとする。
一方の冥利は座り直した愁思郎の袖を掴み、顔を背けてしまった。やっぱり察しているとしか思えない。
「文姉!」
「アハハ、ごめんごめん。でも実際、誰が本命なわけ?」
「そこはもう諦めんかい!」
「えぇぇ、はぐらかさないでよぉ」
「状況を考えんかい! 見い! 己のファンが思い切り引いとるぞ!」
怒鳴ったのが先だったか、後だったか。
それとも同時だったかのタイミングで、イールクラッドは立ち上がり、荷物を持って出ていってしまった。
実際の作者のイメージがかけ離れ過ぎていて、ショックだったのかもしれない。
愁思郎はそう思うと失言を重ねた彼女を一睨みしたあとで、イールクラッドを追いかけた。
彼女は門のすぐそこで立ち止まっていたが、その背は怒りの感情で震えていた。
「すまん、イル。文姉にも悪気があったわけじゃあ――」
「愁、あれは偽物だな。あんな考えもなしに発言するような人が、神裂文音の訳がない。正直に答えてくれ。返答次第ではタダでは済まさん……おまえも彼女に騙されているのか、おまえもグルで私を騙したのか……! 後者ならば容赦はしないぞ!」
「私の憧れを踏みにじった罰は、とてつもなく重い!」
振り返った彼女の目は怒気を孕んでいたが、同時に潤んでいた。
彼女にとっての神裂文音という存在が、それほど大きい存在だったと言うことだ。
愁思郎はすぐさまに、自分の不備を後悔した。
人に会わせる前に、まずは自分が会って内々の話を済ませておくべきだったのだ。
王族であるイールクラッドにとって、人前で下ネタなんて下品な真似が我慢できるはずもなかったのだ。
そういう気遣いが欠けていたのだと、痛感した。
「すまん……いや実は俺、文姉の本読んだことないんや……だから本の中の文姉がどんだけ今さっきのそれとかけ離れてるのかは知らん。だけど、俺の知ってる文姉はあれなんや。神裂文音っちゅう名前で小説を書いてる言うてたから、あの人のことなんやと思ってた。だけどそんなに違う言うなら、自分の勘違いかもわからへん。自分のせいや、本当にすまん!」
正直に謝罪した。
先ほどの問いで、自分も彼女に騙されていると言えば治まったかもしれない。
だがそれは、仲間を売る行為だ。そんな真似はできない。
大将は時に、仲間を見捨てでも利を取らなければならないときがあると幹部からは言われるが、今は確実にそのときではない。
見捨てることはできなかった。
故にこの謝罪が、イールクラッドに届くことを願うばかりだが。
その望みは叶わなかった。
イールクラッドは先ほど文車妖妃がサインした本をビリビリに破き、近くにあったゴミ溜め場に投げ捨てた。
そして次にポケットから手袋を出すと、それを思い切り愁思郎に投げつけて。
「決闘しろ、藁垣愁思郎!」
国の作法なのか、少し古めかしい決闘の申し込みだった。
周囲にはざわつく野次馬もなく、決闘という言葉がこだまして響くほど、閑散として、人けはまるでない。
故にこの場で決闘を申し込まれているのは、愁思郎以外の誰でもなく、愁思郎は彼女の逆鱗に触れたことを痛感した。
「我、イールクラッド・スウィフトシュアは、汝、藁垣愁思郎に決闘を申し込む! 受けるのならば尋常に戦え! 逃げるのであれば……貴様との縁を、ここで絶つ!」
そこまでのことなのか。
イールクラッドにとって、そこまで神裂文音は神聖な存在なのか。
穢れを知らない、受け付けない聖女が如き存在なのか。
文章を読まなかった愁思郎には、一切わからない。
だけどそういう存在だったから。
少なくとも、彼女にとってはそういう存在だったから、偽物を紹介されたと傷付いて、涙して、怒って、決闘を申し込んできて、受けなければ絶交などと言っている。
それだけ彼女にとって神裂文音が、そういう存在だったということだ。
「……わかった。受ける」
「私に勝てば、今回のことはもう問わない。だが負ければ、それ相応の罰を用意させてもらうからな!」
そう言って、イールクラッドは去っていった。
怒りに満ちた彼女の背は、どこか寂しげにも見えた。
ここで決闘を受けずに誤解だと説得したとして、彼女は納得しなかっただろう。
それに何より、受けなければ絶交などと言われて受けないわけにはいかなかった。
せっかく大学でできた友達を、失いたくはない。
でもだからといって、まさかこんな形で、彼女との対戦が叶うなんて思ってはなかったし、こんな形で叶ってほしくはなかった。
翌日大学に行くと、藁垣愁思郎とイールクラッド・スウィフトシュアの決闘の話がどこから出たのか噂されていて、その日は三日後の放課後ということに決まっていた。
彼女のボディーガードの子供達がコロシアムに使用申請を出したところから、発覚したらしい。
彼女は本気だ。
後日彼女の方から「すまない言い過ぎた」と来て「こっちこそすまなかった、不快な思いさせてしまって」と謝れる確率も願ったが、どうやらそれはないらしい。
彼女は本気で、自身にとっての憧れの肖像を護るために、自らの全身全霊を賭けて戦う気だ。
「お兄様……いかがいたしますか」
「どうするもこうするも……」
やるしかない。
だがこれで仮に戦って、勝って許してくれるのか、本当に。
負けて罰を受けたとして、それで許してくれるのか、本当に。
本当に仲直りできるのか、不安だった。
「ねぇちょっと」
不意に、そう呼び止められた。
見るとそこにはもう何度目になるのか、一本のサイドテールで止められた赤い髪を揺らす、アリスクイーンがいた。
彼女は少しムッとした表情で、初対面のときと同様に。
「あなた、私に付き合いなさい」
と、清々しく今まで通りに、言い放ってきた。
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