能ある鷹は爪を隠すーⅢ

 妖怪の世界は縦社会。

 と、いつしか説明したと思う。

 この妖怪達にとって、とてつもなく生きづらい世を渡っていくために必要な柱が、妖怪の四天王と呼ばれる四つの存在である。

 それは魔導世界における一二時将のように、妖怪達からすれば憧れたる存在でもある。

 藁垣愁思郎わらがきしゅうしろうの登場で五大勢力となりつつある妖怪達の世界だが、未だにこの四つの柱が支えていた。

 そしてその四体が集結する場が度々設けられており、毎度激しい議論が交わされている。


 場所は中央大陸、旧王国レムリア。


 高位危険地域の一つに指定されている場所だが、そこは唯一、人間が暮らしている場所。

 多くの危険な魔物が生息するものの、その魔物を狩り続ける年月が続き、いつしか人類の中でも「レムリア生まれは強者ばかり」と囁かれる場所である。

 国としての機能はほとんど停止しているが、それでも人々が住む都市として未だ機能している、人類にとって魔物の存在に脅かされない人類の勇ましい姿、その象徴のような存在だった。

 そのレムリアにて、度々行われている妖怪四天王の会合。

 その内容は、常に平行線を辿っている。

 人間達を殲滅するか、それとも共存するか、その二択で言い争っていた。

「我慢に我慢を重ね、さらにその上から我慢を重ねてさらにさらに我慢を重ねてこの結果……これ以上、私に我慢を強いるのか! 我慢などならぬ! 今すぐに、人間達を斬り殺してくれる!」

 自身の体躯よりも大きな大太刀を突き立て、威圧する彼女。

 その頭には二本の角。赤い長髪はまるで紅葉のようで、橙色の着物を羽織っているその姿は、姫のようであり武将のようでもあり、そして鬼でもあった。


 鬼の妖怪、更科姫さらしなひめ


 四天王の一角。通称『人狩り』

 その通称通り、人間など相容れぬと、住処としている山にて人間達と遥か昔から争っている、鬼山の大将、かつ姫だ。

 彼女を含め、彼女がまとめるのは紅葉という種類の赤鬼の妖怪であり、遥か昔にその鬼を近国の武将が狩ったことから「紅葉狩り」という言葉が生まれたとされている。

 紅葉が赤いのは、その鬼の血を吸っているからなのだとか。

 そんな紅葉おに達を狩る人間の非情さに我慢ならず、大将かつ姫である更科姫は逆に人間を狩ることを始めた。故の『人狩り』の通り名である。


 そんな彼女は間違いなく、人間殲滅派。

 魔物達の凶暴化と異能者の弱体化が同時に起こっているこの時代、魔物をけしかけて人類を殲滅せんとしようとしていた。

 が、それを止めるのが穏健派の妖怪である。

「我慢しなさいとは言いませぬよ、更科姫。ただ魔物達を嗾ければ、最悪の場合、妾らが先に殲滅されかねませぬ。妖怪達が――とはいかずとも、異形の集団が魔物を嗾けたとなれば、その後の妖怪達の安寧は危いものとなりましょう。あれでいて人間達もしつこいものです。ズルズルと生き残りながら、我々に怨念を向けてくるやもしれませぬ。元は人だった妖怪もいるくらいですから、侮りがたしですよ」


 妖怪の城、白鷺はくろが城主。

 四天王が一角、名を刑部姫おさかべひめ


 かつては神とすらされていた神聖な存在であり、戦国の歴史に名を連ねる有名な天下人の城に居座る妖怪としても知られている。

 遥か昔より人に崇められていた彼女に、人への怨みなど存在しない。

 ただ本人曰く、強いて不満があるとすれば、神という存在をあっけなく信じなくなった人間の不信神さくらいのものだ。

 白を基調とした十二単をまとっており、その瞳は赤い。

 蛇神としても崇められていたからなのか、チロチロと舌を覗かせて唇を舐める癖があるのだが、なんとも妖艶である反面、恐ろしくも映る。

 大妖怪である彼女を直に見れるのはごくわずかな存在だけであり、それを除いた者が彼女を見ようとすれば、忽ちその覇気でやられ、失神してしまう。

 人間で耐えられる者なんて、城の城主になる大物くらいものだったので、彼女の姿を真に捉えた者は、限りなく少なかった。


「仲間がやられ続けて一世紀! もう我慢ならぬ! 其方は仲間が殺され続けて、同じ台詞を吐けるのか! 刑部!」

「だから我慢はしないでよろしいと、申し上げているではありませぬか。妾が言うのは規模の問題。あなたのやり過ぎで、関係のない妾達にまで危害が及ぶ可能性があると言っているのでありますよ。魔物を嗾けるなんてやり方は、猶更なおさらねぇ」

 刑部姫の懸念は、あくまで自分の配下の妖怪達に向いている。

 自分達に火の粉さえかからなければ、あとは更科姫が恩讐を果たそうが果たすまいが、生きようが死のうがどうでもよかった。

 妖怪達を従え、支える四天王という立場ではあるが、そこに協力の姿勢などほぼ皆無である。

 皆が己の保身と、配下の妖怪達の安全しか考えていない。他の組が何をしようと、それが自分達へと返ってこなければ、なんでもよかった。

 妖怪とは実に自分勝手で、自己中心的な存在である。

 四天王についている妖怪の九割は、自らの保身のためについているだけだ。そこに忠誠心など、欠片もありはしない。

 もしも自分達のついている組の主が死ぬようなことがあれば、すぐさまに安泰な組へと鞍替えするだろう。

 藁垣百鬼夜行のような、当主に心酔しているようなケースは、とても珍しい。

「そんなことより、今回はもっと話し合うべきことがあるのではないのですか? ねぇ、ぬら様?」

 様とは呼んでいるが、そこに敬う気持ちなど刑部姫にありはしない。ただからかっているだけだ。

 何せ彼女が同意を求めた彼は、四天王の中でも唯一代を継いでいる組。

 現在その総大将たる彼はつい最近そうなったばかりで、初代を知る刑部姫からしてみれば、何も知らない若僧に等しい。

 故にからかっているのだ。「小僧、おまえ私に逆らわないよな」と。

 しかし刑部姫が若僧と舐めてかかっているのは、若輩者とはいえ四天王の一角である男。

 例え、凄まじい覇気をまとう神を相手にしようとも、怯むことなき度胸をその胸に。

「心にも思ってねぇこと言ってんじゃねぇよぉ、婆さん。っつうかそろそろ引退したらどうだ。見た目こそ人間の若いのと変わらんが、もう何歳だってんだよ」

 これにはさすがの刑部姫も、堪えるわけにはいかない。

「口の利き方に気を付けろ、若僧。年期の違いを思い知ることになるぞ?」

「老害に潰されるほど弱くはねぇよ、婆さん。世代交代で弱体化だなんだと囁かれるぬら組だが、この俺様が大将になったからにはそうはいかねぇ。これからは俺らの時代だ。まずは四天王っていうのを潰して、皆俺の組に入れる」

「口の利き方に気を付けろと……言っておるのだが?」

 刑部姫の覇気が走る。

 ただの気迫で周囲の付き人――否、付き妖怪達は自らの死を錯覚し、激しい痛みと苦しみでもがいた果て、悶え、倒れ伏した。

 だがそれを真正面から受けている彼は耐え抜くと、刀でその覇気を切り裂き、刑部姫に肉薄。

 刑部姫の鉄扇と衝突し、軽々と弾き返されたものの、美しい十二単に切り込みを入れた。

「ハハ、そこらの妖怪じゃあ傷すらつかんと通る刑部姫に、傷が入った。わかったか、婆さん。俺はそこらの若僧じゃあねぇのさ」


 四天王が一角。神出鬼没のぬらりひょん。

 人間名、化野李鳳あだしのりほう


 父、化野ぬりより引き継いだ、ぬらりひょん組――略称、ぬら組の七代目総大将。

 ぬらりひょんは元々が曖昧な存在であり、その発祥は単に、老人を妖怪と見間違えたとする説もあるほど、人に近い妖怪である。

 故に他の妖怪と比べれると短命で、その寿命は人間に近い。

 初代ぬら組の総大将にして創設者、化野日隠ひおんから今日まで、ぬらりひょんの名と地位を継ぎながら、四天王の座を代々護って来た。


 七代目の李鳳は歴代の中でも襲名したのが若い方で、姿は人間の二〇代そこそこに見える。

 ぬらりひょんの証とも言えるあの奇妙な形の頭ではなくて、至って普通だ。年齢と共に、そうなっていくものらしい。

 わざと片腕を袖に通しておらず、その肌を曝け出している。そしてそこには、黒い龍の刺青が刻まれていた。

「うちの幹部らが集結したらまずこの国を落とすぜ。そうして地盤ができれば次はあんたらだ。誰から倒されたい?」

「何度も言わせないでくれませぬか……口の利き方に気を付けろと」

「仲間を狩るというのなら貴様も人間と同罪よ。殺す!」

 一触即発。

 まさに今、この三体による戦いが始まろうとしていたそのときだった。

 外で一発、巨大な雷が落ちて、その雷鳴と雷光が彼らを止めた。

 いや厳密に言えば、止めたのは雷鳴でも雷光でもない。

 彼らを止めたのは、その雷を生み出した一体の大妖怪。四天王、最後の男であった。

「ヌハハ……元気がいいなぁ、鼻ったれ坊主。だが調子に乗るなよ? てめぇなんざぁ俺の鼻息一つで飛ぶ程度。思い上がるのも甚だしい」


 その男――いや、大男。

 いや、大男と表現しても足りないほどの巨躯。

 四メートルを超える身長に、筋骨隆々のその姿はまさに怪物と言って相違ない。

 さらにそこから溢れ出る覇気は刑部姫の比ではなく、彼が許さない者は誰も彼の前で意識をハッキリと保つことすらできはしない。

 故に誰も彼の目を見て話すことはできず、彼は常に他人の旋毛を見下ろして話す。

 その力は絶大で、自然すらも彼に従うという。


 彼が四天王最後の一人。

 そして、愁思郎に愛娘、愛染冥利あいぜんみょうりを預けた大妖怪。


 ぬえ


「俺の目の前で喧嘩おっ始めるなんざぁいい度胸してるじゃねぇか。妖怪をすべて従える? なんなら俺と今ここで! 死闘って奴を繰り広げてみるか? もっとも俺にとっちゃあ、単なるだがな」

 他の四天王ですらも、鵺を怪物としてしか見れない。

 かつて人間に殺されたなどと言う諸説もあるが、そんなのは武勲が欲しかった嘘つきの、ただの虚言であるとわかる。

 こんな怪物を落とせる人間など、この世に存在するはずもないと、誰もが思っていた。

 史実が事実なのかは、誰も知るところではない。

「遅れて悪かったな、更科、刑部。鼻ったれの相手ご苦労だった」

「い、いえ……」

「問題、ない」

 あれだけ威勢のよかった刑部姫と更科姫ですらこれである。

 鵺が四天王となったのは二人より後のことだが、しかしそれは鵺が表舞台に立って出てこなかったからであって、実力は明らかに、鵺の方が圧倒的に上であった。

 妖怪にとってその力の象徴とも言える覇気。

 人間の言葉を借りれば、恐怖。

 その凄まじさ故に、誰も鵺の姿を見て記憶できた者はいない。

 記憶すればその恐ろしさ故に精神が自壊し、自決してしまうが故に、脳が拒絶してしまうのだ。

 しかしそれも、彼が全盛期の話。

 今はすっかり衰えて隠居生活と聞いているのだが、皆その噂と、己の目を疑った。

 衰えているというのに相変わらず目が見れない。見上げることすら叶わない。

「それで? 俺とやるのか、やらないのか」

「……っ」

 舌を打ち、嫌々自らの席に座るぬらりひょん。

 実力の違いを肌で感じているのと同時、彼には鵺に対して恐怖心があった。

 かつて彼の祖父がとある事情から鵺に戦いを挑み、一対一の末に惨い敗北を遂げたのだ。

 そのときの恐怖が体に沁みついていて、拭いきれないでいた。

 七代目となった今でも、鵺を直視することができないでいる。

 そのことに気付いているのかいないのか、鵺は自分の席に座ると、自分の配下が出してくれた酒瓶を取って、ラッパ飲みし始めた。

 座っているのに自分達の身長を優に超える鵺の飲みっぷりと来たら、豪快で、それはすさまじい迫力である。

「悪いな、今日は集まってもらってよ」

「いえ、鵺様の招集とあらば、いつでも」

 刑部姫はまた様と付けたが、このときばかりはからかう気持ちなどまるでない。

 からかって下手をすれば、殺されかねないからだ。

「集まってもらったのは他でもない。先日だ、俺の領地に命知らずの侵入者が来た件についてだ」

「鵺様のところに侵入するとは、本当に文字通りの命知らずですね」

「無論、俺の手で撃退した。だがこいつについては、てめぇらにも話しておくべきだと思ってな。おい」

「はい」

 呼ばれて出て来たのは、鵺の部下ではない。

 鵺の下へ向かっていた、藁垣家の妖怪。


 天夜叉てんやしゃ


 主に夜叉と呼ばれる妖怪の一種。

 鬼の妖怪であるが角はなく、美しい女性の姿をしている。

 異国では性別でその名が変わり、男性ならばヤクシャ。女性ならばヤクシーと呼ばれる。

 羅刹らせつと呼ばれる鬼神と共に守護神とされている国もあり、神格化もされている。

 藁垣百鬼夜行の幹部である彼女個人の性格を言えば、残忍さが強い。

 敵を倒すことよりも殺すことを得意とし、優先しようとする。


 藁垣家でも羅刹女とペアを組み、藁垣家の門を護っているが、羅刹女は闘争を専門とし、彼女は暗殺を専門とする。

 前髪が綺麗に真っすぐに整えられているが、これは彼女が自分の短刀で斬っているからだ。

 そんな、危うさもある。

 彼女が持ってきたのは、命知らずな侵入者の残骸。

 鵺に挑み、あっけなくやられた侵入者の肉片だった。

「これは元々人の形をしていたが、明らかに人間とは別物だった。妖怪も人間も、そして魔物すらもその口で喰らいやがった。そして何より、信じられねぇ生命力。砕こうが燃やそうが、全身の細胞その一つが死に絶えるまで死なず、喰らい続けた」

「人食の魔物……ではなさそうだな。魔物同士の共食いだけでなく、妖怪まで知覚して喰うだと? そんな生物がいるのか」

「全員が全員じゃなかったがな。比較的強い何体かが、霊体化してる妖怪も喰いやがった。普通の生き物じゃあねぇな」

「つまり妾達に、それの襲撃について警戒しろと」

「そうだ。てめぇらが死のうが知ったこっちゃねぇが、それが妖怪全滅の引き金にもなっちゃいけねぇと、わざわざ伝えに来てやったのさ」

「それはありがたいことですが……正体についてはわからないのですか?」

「わからん。人間の間で囁かれてる錬成生物ホムンクルスって連中なのか……それとも別の生命体なのか。いずれにしても、手強いぞ。わかりやすい弱点なんてねぇ。徹底的に叩いて奴らの耐久力削って、再生が追いつかないくらいに潰すしかねぇぞ」

 四天王らはここで黙る。

 彼らの懸念は、もしもこの生物が妖怪を狩るために作り出された存在ならばということだ。

 もしもそうならば、人間が妖怪を殺すための生物兵器を、わざわざ拵えたということになる。

 全面戦争。

 その言葉が頭を過ぎらなかったかと言えば、嘘になるだろう。

「すぐに出元を見つけ出して、そこの人間を殺す!」

 と、更科姫。

 彼女のこの反応は、まぁ当然だろう。

 人間を憎んでいる彼女が、人間が自分達を狩るために動いていると知れば、そう言うことは明白だった。

 そしてこれには、ぬらりひょんも歩調を合わせるように。

「戦争だろ? だったら先に仕掛けた方が勝つぜ、先手必勝って奴だ」

 しかしこれに、刑部姫が渋った様子。

「そこを仮に落とせたとして、その後の私達妖怪の身はどうなるのです? 戦争なんて公にしてはなりませぬ。静かに、秘密裡に行わなければ」

「全員でかかれば怖くねぇよ! 何を渋る必要があんだ、婆さん!」

「あなたは人間の恐ろしさをわかってないのです! 現在の生物ピラミッドの頂点に、何故彼らが立てているのか、考えたことがありますか!」

「落ち着け、てめぇら」

 鵺が宥める。

 そして天夜叉に一瞥をくれて下げると、酒瓶を空にするべく飲み干してから。

「焦るな。元を絶つって考えには賛成だが、刑部の言うように全人類を敵に回したら、妖怪は絶滅の一途をたどるだろう。それじゃあ意味がねぇ。だから元を絶つために、俺はある男に協力を要請しようと思う。誰だかはもう、察しはついてるだろうが」

「あぁ……あの方ですか」

「人間に頼るのか?! そんなこと!」

「あいつが他の連中と違ぇってのは、てめぇも聞いてるだろ、更科。あいつは俺達妖怪のために、この世界の天下を取ろうって奴だぜ」

「あぁあぁ、あいつか……だが大丈夫なのか? 実力ならあんたの方がずっと上だと思うが」

「ここで必要なのは単純な力じゃねぇんだよ、鼻ったれ。藁垣愁思郎……奴の人徳と、その魔導とやらの力だ。それさえあれば、俺達は負け戦だって勝機が見えるってもんさ」

 鵺が称賛していることに若干の驚きを感じながら、同時に彼への期待を強く感じられた。

 しかし他の四天王からしてみれば、一人の人間に対して抱く期待にしては過度であり、そこまでの信頼を置ける理由がわからなかった。

 鵺がまさか娘を預けているほど信頼しているとは、このとき誰も思わなかっただろう。

「そういうわけだ。早速藁垣の小僧を招集する。奴の人間の情報網が、役に立つかもしれん」

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